社会

2013年7月29日 (月)

質の高い国づくりにチャレンジしよう!

【四季のある国】

 今は7月28日午前4時です。外はまだまだ真っ暗です。1ヵ月前の夏至の頃は朝の光が差しかかって明るかったのに、あっという間に夜明けが遅くなり、日没が早くなりました。暑い夏はこれからが本番というのに。
 日本はアジアの温帯モンスーン地帯に属し、雨量も多く、周囲を海に囲まれ水産資源も豊富です。日本の入国管理局の審査は厳格であり、異国人が海を越えてこっそり(不法に)住みつくというのは不可能に近いと言っても良いでしょう。そんなことから日本は世界でトップレベルの安全な国であり続けています。恵まれた自然環境の中でほぼ単一民族として豊かな生活を享受し続けた民族には、さまざまな民族が国境を越えて入り乱れながら国家を築きあげてきた他国の人々の苦難の歴史を理解することは困難でしょう。四季のある生活を当然のごとく過ごしてきた民族には、厳しい気候の中で生活する他の民族の辛苦も理解できないでしょう。

【美しい国へ】

 生ま臭い現実に話をもどします。7月21日の参議院選挙で安倍自民党は125改選議席のうち65議席を獲得し圧勝しました。マスコミはアベノミクスが国民の信任を得たと報じました。長い間縮こまった生活をしてきた国民にとり、経済成長優先路線を掲げる安倍晋三氏は新鮮に映ったと思われます。しかし、安倍政権が誕生する前から日本は世界の中で勝ち続けており、円高は日本経済のファンダメンタルの強靭さから来るものでした。安倍氏の物価2%上昇というのは国民にとって本来受け入れられない目標ですが、国の金をつぎこんでカネまわりが良くなることに国民の期待が高まってしまいました。
 安倍氏は7年前(2006年7月)に「自信と誇りのもてる日本へ」という副題の「美しい国へ」という著書を著しました。さて安倍氏によって日本を美しい国につくりあげることができるでしょうか。安倍氏は2012年12月26日第二次安倍内閣を組閣後、矢継ぎ早に各国首脳と電話会談をこなし、多数の国を自ら訪問しました。その詳細は 外務省ホームページ内 安倍総理大臣の会談・訪問を紹介したコーナー にあります。昨27日にはフィリピンを訪問しアキノ大統領と会談しました。日本経済新聞(2013年7月27日夕刊)は次のように報じています。

 フィリピン訪問中の安倍晋三首相は27日、同国大統領府でアキノ大統領と会談した。首相は巡視艇10隻の供与を表明した。政府開発援助(ODA)の円借款を活用し、海上警備能力の向上を促す。同国と南シナ海のスカボロー礁領有権を争う中国をけん制する狙い。災害復旧に特化した円借款の融資枠を設ける考えも打ち出した。

 一方安倍氏は中国と韓国の首脳と電話会談すら一度も行っていないのに驚きます。政治家としての安倍氏の器はこんな程度かとあらためて思い知りました。関係改善を探っているという報道は耳にしますが、就任後8ヵ月たっても電話首脳会談すらもてないという人が日本のリーダーとしてふさわしいとはとても思えません。安倍氏の器の小ささをあらためて認識せざるを得ません。

【福島瑞穂氏 社民党党首辞任】

 福島瑞穂氏は、参議院選の敗北の責任をとり7月25日党首辞任を表明し了承されました。社民党は小さな小さな政党になってしまいやむを得ないことだと思います。今回の参議院選挙の結果は、自民65、民主17、公明11、みんな8、共産8、維新8、社民1、諸派・無3でした。市民や労働者の立場に立つ政党が共産党を除き消滅寸前の状態です。安倍氏は憲法9条改正へのプロセスも自信をもって展開しようとしていて、「美しい国 日本」はますます遠のいていきそうです。次の衆議院選挙の時はアベノミクスのメッキははげおちていると思います。日本国民はお気楽国民で3年後にはアベノミクスに飽きていると思います。中国や韓国とも率直な話し合いのできる質の高い国づくりにむけて、私たち国民はこれから数年間地道な努力を積み重ねる必要があります。

 

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2012年9月10日 (月)

職場うつの主因は環境!退職勧奨とうつ

【私の意見】Up63

<うつ状態に陥る可能性は誰にでもある>

 かつてうつ病の原因として精神医学会で遺伝的な要素や個人の性格・器質が強調された時期がありました。結局これという決め手が見つからず遺伝や個人因子説は今では影がうすくなっています。職場でうつになった人たちをサポートした私たち弁護団の経験から、うつ病あるいはうつ状態は誰にでも陥る可能性があるということを益々実感しています。うつの主犯は個人因子ではなくその人をとりまく環境にあるというのが私たちの経験からの結論です。勿論環境の変化を生真面目に受け止めるか(真面目タイプ)、環境の変化を受け流すか(「ケセラケセラタイプ」)によって環境の変化によって受ける本人の変化に違いがあります。しかし、職場環境が現実に変化している場合にケセラケセラタイプは問題を単に先送りしているだけであって変化と正面から向き合っていないだけです。いくら受け流していても職場環境の変化は迫ってきており、向き合うのが遅れれば遅れるほどにっちもさっちも行かなくなってやがて退職・解雇という最悪の事態をむかえるということになりかねません。職場環境の変化にすみやかに向きあうことは大切であり、自分が真面目タイプで生真面目人間であることを臆する必要は毛頭ありません。真面目タイプは誇るべき資質です。

<退職勧奨とうつ状態>

 以前にも述べましたが退職勧奨という強い環境変化因子を受けるとほとんどの人がうつ状態になります。その理由は次の通りです。

① 自己の存在の全面否定
 自分がその組織(企業)に有用と思って働いていたのに、ある日突然キミはいらないと宣告された。自分という全存在を否定されたような絶望感に陥る。
② 生活不安、将来不安
 退職勧奨を受けても転職市場が一般化していない日本の労働市場で、新しい働き口を見つけるのは容易ではありません。明日からどうしようという生活不安、将来不安が一気に浮上してきます。
③ 職場の体面と家族
 退職勧奨を受けると次第に社内の同僚、後輩の目が気になってきます。家に帰って家族に退職をどう話をするかとそれも気を重くさせます。

退職勧奨を受けてもうつ状態にならない人は、もともとその組織(企業)や仕事のプライオリティがその人にとって高くなかった場合ぐらいでしょう。それは例外中の例外です。

<今日は誰とも話さなかった社員が職場で広がる 「仲間や企業組織との絆」がメンタルヘルスに重要>

 後述の日本経済新聞をご覧ください。1日誰とも話さないという社員が増えています。また、後述の2011年「産業人メンタルヘルス白書」は「仲間や企業組織との『絆』がメンタルヘルスに貢献。『社会性』が低い日本人にとって職場の仲間との『絆が大切』」という調査研究結果を発表しています。

<働くまちの環境の違いに注意>

 私は退職勧奨を受けた人の代理人として企業と話し合いをもつことが少なくありません。神谷町、六本木、虎ノ門の高層ビルの企業を訪れたとき、ビルそのものに息苦しさを感じることが少なくありません。オフィス棟は独立しており、セキュリティで立ち入りも自由ではありません。お昼を食べると言ってもビルの地下のレストランで手短に終わらせるか、弁当を買うかでしのいでいます。千葉県幕張に行ったときも、この人工的な街に息苦しさを感じました。そんなところから銀座にもどるとほっとします。銀座は決して高級なお店ばかりではありません。高級な店もあれば庶民的な店もあり雑居しています。ユニクロなどの進出で銀座は庶民のまち、若者のまちに変化しつつあります。どこの店でも解放され出入り自由です。銀座には大きなオフィス棟がありませんので銀座は雑居ビルがほとんどです。効率を優先させ、セキュリティを徹底させたオフィス棟は、働く建物もうつの原因の一つになることを企業経営者は認識する必要があると思います。

【無縁社員、職場で広がる】
                (9月3日 日本経済新聞 より)

<今日は誰とも話さなかった・・・>

 オフィスでふと孤独にさいなまれる瞬間がないだろうか。不況を背景に職場は緊張感が高まり、個々の成果が厳しく求められる。連帯感は薄れ、ドライな人間関係が生まれている。机を並べていても同僚とのつながりをいまひとつ実感できない。そんな無縁社員が広がっている。
 「お疲れさまです」。夕闇迫る勤務先の通用口。退社時に警備員から声を掛けられて、会社員のAさん(46)は、これがその日会社で初めて人と交わした会話だと気づいた。マーケティング部門に勤務し、営業戦略を練っている。要所要所で会議や打ち合わせはあるが、日常はデータを調べたり資料をまとめたりの個人プレー。「誰とも話さずに一日が終わることもある」

<相談や雑談減る>

 以前は同僚と昼食や飲み会に行っていたが、その機会も減った。特に数年前のフレックスタイム制の導入による影響が大きかった。出社や退社、昼休みも人それぞれ。残業削減も同時に推奨されたので仕事の密度は濃くなり、だれもが忙しそうだ。「実際には全員が年がら年中余裕なく働いているわけではないが、声をかけづらい。関係が疎遠になる一方だ」と嘆く。

<営業成績に影響>

 上司の指導か。個人の営業スキルの高さか。(日立製作所は)いくつかの仮説を検証し、意外な結果が出た。休憩時間に同僚との会話が活発であるほど職場全体の受注率が高まったのだ。日立の中央研究所主管研究長、矢野和男さんは「集団で働くには連帯感や一体感が大切。仕事に関係ない会話や雑談が一人ひとりのモチベーションや仕事と向き合う積極性を高め、それが営業成績を押し上げる」と分析する。
     (中略)
 社歴が長く出世とは無縁で日ごろは何の仕事をしているのかよく分からないが、困っている同僚は見過ごさない――。そんなベテラン社員がかつてはいたものだ。だが成果主義の導入や人員配置のスリム化で今や職場の絶滅危惧種だ。産業能率大学総合研究所の中村さんは「もちろん今さら時計の針は戻せない。ただ彼らが果たしていた役割を補う工夫が人事戦略上必要となっている」と指摘する。
 

<孤立からうつ病に 一体感生む環境を>

 職場での孤立は、うつ病の増加などメンタルヘルス上も問題になっている。過労でうつ病などを発症したとして労災申請した人は2011年度1272人に上り、過去最多。この10年で約5倍増えた。
 職場のストレス環境を測るために国が企業などに活用を推奨する職業性ストレス簡易調査票が今春12年ぶりに刷新された。仕事の負担感や心身の疲労度といった従来の項目に加えて「当たり前のことでも、できたらほめてもらえるか」「お互いに理解し認め合っているか」など職場の一体感を探る設問が追加された。
 新調査票の開発に携わった東京大学大学院医学系研究科の川上憲人教授は「ここ10年で職場の個人主義はますます強くなった。でも成果主義先進国の欧米と比べて日本人にとって他人との関係性は特別。職場の一体感は健康でいきいきと働くために欠かせない」と説明する。  
      (編集委員 石塚由紀夫)

【2011年版 『産業人メンタルヘルス白書』 仲間や会社との「絆」がメンタルヘルスに寄与】
             ( 公益財団法人日本生産性本部 より)

~2011 年版 『産業人メンタルヘルス白書』 ~調査研究「絆の分析~JMI健康調査の結果から~ 」の概要
・ 仲間や企業・組織体との「絆」がメンタルヘルス向上に貢献
・ 「社交性」が低い日本人にとって、職場の仲間との「絆」が大切
・ 「絆」の形成は重要な要素~震災復興を契機に「絆」の深化を期待

<研究結果と考察の概要>

① 「絆」を結ぶ対象として上司、同僚、組織、家族を想定することができる。いずれも関係が良好であればメンタルヘルスを向上させる。中でも相関が高いのは「同僚関係」である。
② 一方、対人関係を築き、関係の良し悪しを左右する個人の特性として「社交性」をあげることができる。JMI健康調査から「社交性」に関する項目をとりだして調査結果を見ると、日常的に顔をあわせている「上司や家族との関係」が良いことよりも、「社交性」があるほど、メンタルヘルスの良さに寄与することがわかった。但し、今回の産業人のJMI健康調査からは、多くの人は「社交性」が低い方に分布しており、「社交性」の高い人は多くない。
③ 「社交性」の有無よりも、メンタルヘルスの良否に影響を与えているのが、「同僚と企業・組織体との関係」である。なお、「同僚」には、日常的に顔をあわせている「同僚」だけでなく、同じ企業・組織体の一員ではあるが面識のない「仲間」も含まれている。
④ 上司と家族という、誰と特定できる対象ではなく、「仲間」や「企業体」といった抽象度の高い集団と「絆」が結ばれているとき、メンタルヘルス向上への貢献が大きくなる。
⑤「社交性」が低い日本人にとって、「絆」の形成は重要な要素となる。「東日本大震災とメンタルヘルスの影響についてアンケート」の結果でも「トップのメッセージ発信」、「グループでの一体的取り組み」などが見られる。今回の震災復興を契機に、こうした職場の仲間に対する「絆」の大切さについて改めて確認したい。

 

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2011年5月 7日 (土)

憲法違反公務員給与1割下げと連合の真価

【曲がり角の連合系メーデー中央大会】

 今年は4月29日に連合系メーデー(チラシ:PDF)に、5月1日に全労協系メーデー(チラシ:PDF)に、5月3日に憲法集会(日比谷公会堂)に参加しました。いずれも私にとっては初参加ですが、労働運動も憲法集会も曲がり角にさしかかっているというのが私の感じたことです。

【メーデー】
            (Wikipedia「メーデー」より)

 メーデー(May Day、直訳すれば「5月の日」)は、世界各地で毎年5月1日に行われる祭典である。ヨーロッパでは春の訪れを祝う日である一方、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう日でもある。「労働(者)の日」"Labour Day"ともいうが、いくつかの国ではその国独自の「労働者の日」を定めているため、International Labour Day と言う必要がある。

<五月祭>

 ヨーロッパでは伝統的に、この日に春の訪れを祝う「五月祭」が催されてきた。「メーデー」とは元来は五月祭を開く日であった。

<労働者の日として>

 メーデーの労働運動が、五月祭と関係しているかどうかははっきりしない。

労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源。 1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行なわれた。

1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行なうことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された。以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日として継続・発展してきた。

なお、メーデー起源の国であるアメリカ合衆国と、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの旧イギリス植民地である4カ国は、"Labour Day"を5月1日ではなく9月または10月に設定している。

<日本におけるメーデー>

 日本では、1905年(明治38年)メーデーの先駆けとなる平民社の主催で茶話会というかたちで開かれ、引き続き1906年に横浜曙会の吉田只次・村木源次郎・金子新太郎らがメーデーを記念し街頭演説、ロシア二月革命後の1917年5月7日に在京社会主義者約30人がメーデー記念の集いを開催した。労働団体が挙行にいたるのは1920年5月2日日曜日に第1回のメーデー(主催:友愛会 司会者:鈴木文治)が上野公園(現在の東京都台東区)で行われ、およそ1万人の労働者が「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えた。翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。
   (中略)
アジア・太平洋戦争敗戦翌年の1946年、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年ぶりのメーデーが通算で17回大会として盛大に開かれた(別名「食糧メーデー」または「飯米獲得人民大会」)。
   (中略)
高度成長期には総評、同盟などの共催で統一メーデーが続けられ、1984年の第54回大会では特別決議としてメーデーの祝日化要求が採択された。
   (中略)
その後、労働組合の全国中央組織の再編による組織対立の激化で、1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなり、連合と非連合系の全労連や全労協による分裂開催となった。また、前後がゴールデンウィークで長期休暇を取る例が増え、労働組合活動が低調になってきて参加者数が減少したことを理由に、連合系メーデーは2001年以降4月29日や土曜日に行うようになり、一方で全労連や全労協のメーデーは5月1日開催を続けており、その分裂と対立の構図は解消されていない。  (後略)

【日本労働組合総連合会(連合)】
           (Wikipedia「日本労働組合総連合会」より)

 日本労働組合総連合会(にっぽんろうどうくみあいそうれんごうかい、英語: Japanese Trade Union Confederation, "JTUC")は、日本の労働組合におけるナショナルセンター。 略称は連合(れんごう、英語:RENGO)。
国際労働組合総連合(ITUC)に加盟している。

設立年月日  1987年(昭和62年)11月20日
組織形態  ナショナルセンター
加盟団体数  54単産
組合員数  約680万人
本部所在地  東京都千代田区神田駿河台3丁目2-11 総評会館内
加盟組織  国際労働組合総連合
支持政党  民主党、社会民主党

<成立>

 1960年代後半から繰り返し志向されてきた社会党右派系の日本労働組合総評議会(総評)、民社党系の全日本労働総同盟(同盟)、全国産業別労働組合連合(新産別)、中間派だった中立労働組合連絡会議(中立労連)の労働4団体の統一を目指す「労働戦線統一」の動きは、1982年12月14日の全日本民間労働組合協議会(全民労協。初代議長は竪山利文・電機労連委員長)の結成により大きく進展した。 全民労協が1986年11月の第5回総会で翌年秋の連合体移行を確定したことを受け、まず同盟が1987年1月の第23回年次大会で解散方針を決定。 総評、中立労連、新産別の3団体も秋までに「連合」への合流を決定した。

1987年11月19日、同盟と中立労連が解散し、 翌日・11月20日に55単産、組合員539万人を集めた全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」。 初代会長・竪山利文)が発足した。 新産別も1988年10月に解散して合流。 総評は翌1989年9月の第81回定期大会で11月解散を最終的に確認した。

1989年11月21日、東京厚生年金会館で日本労働組合総連合会の結成大会を開き、初代会長に情報通信産業労働組合連合会(情報通信労連)委員長・山岸章を選出。 総評系単産を加えて78単産、組合員約800万人を結集させ、労働4団体の統一を完成させた。なお、山岸は“労働戦線統一の功績”により2000年4月に勲一等瑞宝章を受章した。

連合を反共産主義・労使協調路線と批判する日本共産党系労組はこれに対抗して連合結成と同じ1989年11月21日に全国労働組合総連合(全労連)を、社会党左派系労組は12月9日に全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成した。そのため、連合の結成は真の意味での「統一」とはいえないとする見方もある。

【全国労働組合総連合】
            (Wikipedia「全国労働組合総連合」より)

 全国労働組合総連合(ぜんこくろうどうくみあいそうれんごう)は、日本の労働組合ナショナルセンター。略称、全労連(ぜんろうれん)。「働く者の権利を守る唯一のたたかう階級的ナショナルセンター」であることを掲げている。

<政党との関係>

幹部の大半は日本共産党員及びその同調者で占められている。日本共産党と常に共同歩調を取り、他党との協力関係は稀であり、大会等に来賓として出席する政党関係者も殆ど日本共産党に限られている。日本共産党以外の政党にも招待状を送っているが、日本共産党、新社会党以外出席しない。国政選挙などでは、日本共産党への投票を事実上促す見解等を常に発表している。

こういった実状から日本共産党勢力以外からは、日本共産党と支持・協力関係にある組織と看做されており、朝日新聞は「共産党系の労組」と断定する。かつては各種マスコミ等から「共産党系」と表記されると抗議を行った。その後、「共産党の影響力の強い全労連」といった表記にも抗議を行った。

【全国労働組合連絡協議会(1989-)】
     (Wikipedia「全国労働組合連絡協議会(1989-)」より)

 全国労働組合連絡協議会(ぜんこくろうどうくみあいれんらくきょうぎかい)は日本のナショナルセンター。略称は全労協(ぜんろうきょう)。

<歴史>

 かつての二大労働組合連合体だった日本労働組合総評議会(総評)と全日本労働総同盟(同盟)が1989年に日本労働組合総連合会(連合)を結成し、労働戦線の統一を提唱する一方、これを右傾化と反発した左派の組合が日本共産党との関係が深い全国労働組合総連合(全労連)を結成した。その中で、連合も全労連もよしとしない組合が、「どちらにも行かない、行けない組織」として、総評元議長の太田薫、同元事務局長の岩井章、同元議長の市川誠達が総評から離れて作った労働研究センターが母体となって、「たたかう、まともな労働運動」をスローガンに掲げて全国労働組合連絡協議会を1989年12月9日に結成した。なお、総評や全労連と異なり、全労協は加盟組合の「連絡協議会」を自称し、自らをナショナルセンターとはしていないが、加盟組織が全国に広がる事からしばしばナショナルセンターとして扱われる。

<現状>

 年に1回の定期大会を開催し、最近では2008年8月に第20回大会を開催した。

組合員は自称約30万人、厚生労働省による調査[1]では2008年6月時点で12万8千人(地域組合のみの加盟者除く)、前年比で5千人の減少となっている。組合員数は連合の約40分の1、全労連の約6分の1であり、労働運動に与える影響力は国鉄問題などの例外を除いて小さい。ただし、全国に加盟組織を持つ運動体であり、連合や全労連との協力により「労働組合の完全統一行動」という象徴的な意味を与える事ができる。

政治面ではかつての日本社会党左派との関係が深く、現在ではその流れを汲む社会民主党と新社会党を支持している。ただし総評時代の反省から、組織を挙げてのカンパ活動や傘下組合員へ支持の強制はしていない。運動方針の柱は護憲・反戦・反在日米軍基地・平和運動と国鉄闘争(国労加盟員1047人のJR不採用問題)支援を中心とした反解雇・合理化などの要求獲得闘争としている。また、一部の問題などでは連合や全労連との協力も行っている。

【第82回連合系メーデー中央大会】

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<第82回メーデー中央大会 東日本大震災「つながろうNIPPON救援宣言」>

 この宣言は、日本政府の声明に置きかえても十分通用するもので、一部を赤字のように変更するだけで政府声明の体裁が整います。(宣言は リンク先の連合ホームページ内関連情報:pdfファイル〕)で参照できます)

 「政府は、地震発生直後に菅総理を本部長とする「緊急災害対策本部」を設置し、激
甚災害地域の指定や大規模な自衛隊の災害出動をはじめとする、被災者救援の施策を
展開している。壊滅的な被害となった史上稀に見る大災害に対して、今こそ与野党の
壁を越え、すべての英知と行動力を結集して、復旧・復興に向けた希望のもてる日本
経済・社会の道筋を国民に示すべき(→ 決意)である。
また、福島第一原発の事故も国民に不安を生じさせている。政府は万全の対策を講
じるとともに、情報の一元化と公開の徹底が求められる(→ に努める所存である)。
さらに、政府に対して(→ 削除)は、労働者保護・雇用確保に向けた対策として、安全衛生対策の強化をはじめ、震災により休業・離職等を余儀なくされた労働者の救済、企業等
に対する各種支援策の実施、復興に向けた雇用の創出と各種就職支援対策を積極的に
取り組むことを引き続き求めていく(→ 決意である)。」

 次の宣言部分は連合が取り組む最大の活動はボランティア活動であることを示しています。

 「連合は、被災地の救援・復興に向けてみんなでチームを組み、この甚大被害に対して救援カンパや救援物資の輸送、現地へのボランティア団の派遣を行ってきた。今後も被災地の救援・復興に向けて全力を傾注するとともに、復興の妨げとなる風評被害や自粛から被災地を守り支えるため、取り組みを強化していく。
今後の救援活動が長期間になることも視野に入れ、今こそ労働組合とNGO・NPOおよび関係組織の仲間は『つながろうNIPPON』を合言葉にみんなで立ち上がり、さらに連携を密にして、計画的な救援活動に積極的に参加しよう。」

 日本最大の中央労働組織が日本政府やボランティア団体と変わりがない目標設定でよいか甚だ疑問です。

【国家公務員給与1割下げ 政府提示3000億円、復興財源に】
            (2011年4月30日 日本経済新聞 より)

 政府は国家公務員の給与を引き下げる方針を固めた。下げ幅は10%前後で調整しており、5月にも主要労組に提示する。実現すれば人件費を約3000億円圧縮できる。公務員給与は人事院の勧告に基づいて決めるのが慣例で、勧告を待たずに労使協議で引き下げるのは戦後の混乱期を除けば例がない。東日本大震災の復興や財源確保の一環だが、労組から削減幅を巡り反発が出る可能性もある。

<人勧前、異例の労使協議>

 与野党はすでに国会議員歳費の22億円削減で合意しており、政府は28日に国会に提出した第1次補正予算案に盛り込んだ。国家公務員にも過去最大となる10%の引き下げ幅を提示することで、歳出削減を目指す。納税者から増税への理解を得たいとの思惑もある。
 労使交渉には政府側から関連省庁の政務官らが出席する。組合側は連合系の公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)などが参加する意向だ。
 幹部職員と若手職員では給与格差が大きく、一律削減では給与水準の低い若手にしわ寄せが行きかねない。そのため、幹部の削減幅を大きくし、若手職員は下げ幅を抑え、全体で10%程度削減する案を軸に協議する見通しだ。
 政府は金融システム不安とデフレで揺れた1999年から人事院勧告に基づいて公務員給与を断続的に減らしてきた。ただ下げ幅は最大でも2%台。人事院の勧告を待たずに平均で10%前後という削減幅を示すことに「削減率に異論はあるが、給与下げはやむを得ない」との受け止めが中央省庁で広がっている。
 人事院勧告に法的な拘束力はなく、政府は行政改革が課題だった82年に給与引き上げを求めた勧告の実施を見送ったことがある。今回の引き下げ交渉も震災後の措置として実施する。
 交渉の妥結を受けて、政府は給与の引き下げを目的とした給与法改正案を今国会に提出。月給が下がるのは法案成立の翌月からとなる。これとは別に、今後は労使交渉で給与を決められるようにする内容を含んだ国家公務員制度改革関連法案も提出する予定だ。
 ただ、一部の労組が反発するなど給与引き下げの実現に向けては流動的な要素も残る。民主党は連合系の官公労組を支持基盤に持つが、マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ人件費2割削減は政権交代後も大きく進んでいない。10%削減は民主党内の調整が難航する可能性もある。

【労働基本権制約の代償措置性としての人事院勧告】
              
  (Wikipedia「人事院勧告」より)

 「日本の国家公務員は争議行為が全面一律に禁止され、加えて非現業職員は団体協約締結権が認められていないなど、労働基本権が大きく制限されている。したがって、勤務条件を私企業のように労使交渉を通して決定することができず、人事行政の改善、特に勤務条件を社会一般の情勢に適応させる機能は人事院勧告が担っている。

公務員の労働基本権制約・剥奪は1948年7月31日の「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合國最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(昭和23年政令第201号)に端を発している。この政令に基づく国公法一次改正の際、同時に人事院勧告制度が導入された。

このような状況と経緯から、人事院や最高裁の判例(全農林警職法事件など)は、人事院勧告を労働基本権制約の主な代償措置と位置づける見解を採用している、これは「人勧代償措置論」とも呼ばれ、公務員の労働基本権制約の正当化や、給与勧告の完全実施要求の根拠として援用されることもある。」

【国家公務員給与の1割下げは憲法違反の可能性大】

 私は国家公務員給与の1割下げは憲法違反の可能性が大きいと思います。国会議員の歳費を削減するのは自由ですが、給与を唯一の生活の糧としている公務員給与を国会決議で一方的にしかも1割下げるなんてとんでもないことです。労働基本権が保障されている民間企業でも給与の一方的な切り下げは違法とされることが少なくありません。労働基本権の保障がされていない国家公務員の労使協議はセレモニーのようなもので、憲法違反の可能性が大きく、国家公務員は断固闘うべきです。私はこれまで菅内閣を好意的に見てきましたが、ここまで人権感覚が欠如しているとは思いませんでした。憤りすら感じます。これに連合もやむを得ないとして労使協議に参加するのでしょうか。これでは戦時中の大政翼賛会と変わりがありません。連合には日教組や自治労のような公務員の労働組合があります。この二つの組合はそれなりの理念をもった労働組合でした。しっかりと闘わないと組織自体がもたなくなるでしょう。連合はナショナルセンターとしての大きな曲がり角に立っていると思います。

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2011年3月28日 (月)

日本から部品こない

                (2011年3月27日 朝日新聞 より)

【世界の自動車産業に打撃】

 東日本大震災の影響が、海外企業にも及んでいる。日本の部品メーカーなどからの供給が滞っているためだ。広がる波紋は日本の製造業の底力を示す一方で、日本の代替を狙った駆け引きがすでに始まっている。
 震災の影響はまず、日本の部品メーカーが世界中に製品を供給している自動車産業で膨らみそうだ。
 米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)は21日、日本からの部品供給が滞っているため、ルイジアナ州の小型トラック工場の操業を停止。この工場にエンジンを供給しているニューヨーク州のエンジン工場でも、59人もレイオフ(一時解雇)した。
 「部品の手当てがついた」として28日からはルイジアナ工場の操業を再開し、ニューヨーク工場の59人も呼び戻す。
 GM傘下の欧州オペルも、スペインとドイツの一部工場で一時操業を休止。GMのダニエル・アカーソン最高経営責任者は19日、ブラジルでメディアに対し、「震災の影響はすべての自動車メーカーに及ぶ可能性がある」と述べた。
 米フォード・モーターは25日、販売店に対し、一部の黒の車の受注を取りやめると伝えた。光沢のある黒色を作る特殊な顔料の日本からの輸入が滞っているためだ。
 フランス自動車大手プジョー・シトロエングループでは、自動車部品メーカーの「日立オートモティブシステムズ」からの電子部品が滞ったことで、欧州にあるディーゼルエンジンの工場に影響が出始めた。広報担当者は「生産ラインを止めるところまではいっていないが、多くの工場に影響が出ている」と語った。
 米調査会社IHSは25日、日本メーカーの生産減や日本からの部品供給が滞る影響で、全世界の自動車生産が3月末までに約60万台減る見通しだ、とのリポートを発表した。日本の生産が正常に戻らなければ、震災から約2カ月間の世界の自動車生産は、最大30%程度落ちる可能性があるという。

【他産業も計画立たず】

 生産調整までは至っていない分野でも、懸念は強まっている。米調査会社によると、米アップルのタブレット型携帯端末「ipad(アイパッド)2」には、少なくとも5種類の日本製部品が使われており、震災で生産に影響が出る可能性を指摘している。
 半導体メモリーは韓国製品などで代替できるというが、画面用ガラスなどでは、別の調達先を探すのが難しいものもあるという。
 航空機産業でも日本の存在感は大きい。IHIは米ゼネラル・エレクトリック(GE)などの航空機エンジンの一部生産を分担している。それを担当する福島県相馬市の工場が震災の影響で操業休止している。
 工場の被害だけでなく、停電や物流の混乱の収束がはっきりしないなかで、アジアのある国の日本商工会幹部は「多くの企業は先行きが読めず、計画の立てようがなくなってきているようだ」と明かす。

【私の意見】

 確かに日本の製造業の底力を示すものかもしれませんね。まだまだ日本の技術力は捨てたものではないと思います。これは経営者も労働者を大切にし、一体となってよい製品づくりに邁進した賜物です。かつての経営者の中には、武田信玄のことばとされている「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」を座右の銘とする人が少なくありませんでした。小粒となった今の経営者の中には、労働者をコストと見なし、コスト削減しか念頭にない人が少なくありません。そのような企業では、経営者と労働者の一体化がないのは勿論、労働者の中でも一体化がありません。私の最近取り扱う事案では管理職を陣取っている中高年層が2~30代の若い社員をバッシングしているケースが少なくありません。今後も世界に誇れる製品をつくり出すためには、青年層を大切にしなければならないのに、今逆のことが行われているというのが私の実感です。若者たちが安定給与を得て、のびのびと働ける労働環境を築かない限りこれからも世界に誇れる製品を生み出すことはできません。今ギヤチェンジをしないとわが国は取り返しのつかないことになります。青年たちに本来の役割と地位と権利を保障することは緊急の課題です。

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2011年3月20日 (日)

障害者雇用 主は非正規雇用「解雇」横行

               (2011年3月9日 毎日新聞 大阪本社版)

 久しぶりに私のコメントが記事に掲載されました。ご紹介します。

【障害者雇用率「最高」1.68%の陰で】
                   化学環境部 林田七恵

 鉄道会社に大手保険会社、教科書出版社・・・・・・。難病と闘う大阪市内の堀井孝則さん(29)の勤務履歴には名だたる企業が並ぶ。障害者雇用枠で採用されながら、「健常者より仕事が遅い」と唐突に解雇されたり、意に染まぬ転職を余儀なくされてもきた。堀井さんの半生をたどると、統計では分からない障害者雇用の実態が見えてくる。

【サポートなく】

 堀井さんは生まれて間もなく、先天性の難病「ムコ多糖症2型」と診断された。代謝がうまくできず臓器や組織の働きが失われる病気で、重症だと命にも関わる。そのため堀井さんには心臓に疾患があり、両耳に補聴器を付け、細かい字を読むときはルーペを使う。手足の関節も不自由だ。
 国は従業員が56人以上いる企業などに、堀井さんのようにハンディキャップを抱える人を一定数雇うよう法律で義務付けている。会社によっては専用の採用過程を設けており、堀井さんも障害者枠で企業や自治体の採用面接を受けてきた。
 09年10月に入社した大手保険会社でも、障害者枠で1年契約の嘱託職員になった。求人票には「障がい者の方にも働きやすい環境づくりを目指しています」と書かれていた。「細かい作業には、どうしても時間がかかります。それでもいいですか」。堀井さんが尋ねると、採用担当者は「大丈夫」と答えた。
 しかし「看板倒れ」は働き始めた日に痛感させられた。堀井さんは目が不自由で、初めての職場で席やトイレ、業務に必要な物を自力で探すのは難しい。ところが案内されたのは自席だけだった。トイレの場所を聞こうと見回すと、近くの社員はさりげなく顔を背けた。仕方なく、会社を去る日までトイレは近くの駅で借りた。それでも書類整理の仕事に打ち込んだ。
 ところが1カ月半たった、ある日の朝だった。「健常者よりも仕事が遅いから」との理由で解雇を言い渡された。試用期間すら満了していなかった。「障害者と分かってたんじゃないですか」と言うと、人事担当者は「予想以上にスピードが違うと分かり、勉強になりました」と突き放した。
 「それまで注意は一切なくいきなりの解雇です。健常者でそんなことがありますか」

【派遣に置き換え】

 理解してもらえなかったのは、この会社に限らない。就労を巡る堀井さんの闘いは、病状が落ち着いた03年ごろから続いている。選考を通った後、健康診断で落とされることが続いた。くじけず40社以上の面接を受けた。
 努力が実って04年に契約社員の職を得た鉄道会社では、大規模工事の会計を担当し、やりがいがあった。しかし06年に事務部門で派遣の受け入れが始まると風向きが変わってきた。従来の堀井さんの仕事は徐々に派遣に回された。06年には閑職に回され、仕事は一切なくなった。
 データ整理などの仕事を自力で探したが、1年たっても好転しなかった。契約満了前の07年末、耐えきれずに辞表を出した。祖父や父と同じ鉄道マンは幼い頃からの夢だっただけに悔しかった。次の契約先でも社員から無視されたり体の特徴を笑われ、8カ月で辞職に追い込まれた。
 堀井さんがこれまでに受けた会社のほとんどで提示された雇用形態は契約・嘱託だった。「将来を考え不安に思ったこともあるが、最近は先のことを心配するより働ける一日一日を大事にしています」と複雑な心境を吐露する。
 厚生労働省は昨年10月、障害者雇用率が1.68%(昨年6月現在)で過去最高だったと発表した。しかし実態は堀井さんの体験が物語るように十分ではない。長引く不況の影響で、解雇される障害者の数も高止まり傾向だ。
 厚労省によると、09年度に解雇されたのは2354人。非正規労働者の雇い止めや辞職に追い込まれた例を含めると実数はもっと多いといわれる。10年7月の法改正で、雇用率未達成の場合、納付金を課せられる企業の範囲が広がったが、効果は未知数だ。

【「数合わせ」の側面】

 障害者の人権問題に取り組む「働く障害者の弁護団」代表の清水建夫弁護士(東京弁護士会)は、こう指摘する。
 「多くの企業が法定雇用率の“数合わせ”のため、切りやすい非正規で障害者を雇っている。退職金もなく契約金も限られた非正規では、労働者の権利を守りきれない。欧州などでは障害のある人がない人と共に社会で暮らすことが当然になっている。そのため雇用機会均等等を保障する法制度や環境整備が進んでいるが、日本ではそもそも障害者が社会で働くことへの認識が十分に広まっていない。障害者が不安定な雇用形態を強いられる背景に、企業が労働者全般を大切に考えなくなっていることも挙げられる」
 堀井さんは介護ヘルパーの母と一緒に家計を支え、8歳離れた弟の学費も工面した。闘病のため一度は大学進学を諦めたが、就職してから法政大(東京都)の通信教育部に入学し、全国に学友ができた。日本史に造詣が深く、史跡巡りの旅行記を同人誌に寄せては「小説家になれれば」と目を輝かせる。
 幸い現在の職場は仕事内容も人間関係も充実し、生まれて初めて名刺も支給された。ミスした時は「自立できるよう頑張れ」と上司に叱られ、期待される喜びを知った。福利厚生も正社員並みで、年度をまたいだ仕事の指示も受ける。「非正規、正規雇用の垣根を越えて従業員を大切にしているから、安心して働ける」と話す。
 前向きに生きる堀井さんならではだと思う。ここまでの道のりは並大抵ではなかったはずだ。
 障害者の雇用率や解雇者等の数に潜む一人一人に、堀井さんのように家族がいて、生活があり、夢がある。貴重な人生に対して、偏見があってはならないと思う。

【私の意見】

 記事を書いた林田七恵記者とは電話で5~6分話しただけですが、私の言いたいことをほぼ正確に記事にしてくれました。同記者の目線も良く優れた記者だと思います。
 厚生労働省の官僚たちが推進しているのは、ほんとうに数あわせだけです。民間企業の法定雇用率は1.8%です。これ自体4~6%の雇用率を定めているフランスやドイツに比べると余りにも低いのですが、その低い雇用率も非正規雇用で埋めようとするのが厚生労働省の官僚たちの考えていることであり、それに乗っているのが多くの大手企業です。
 私は障害のある人がどのように働いているのか、いいかえればどのように働けるかは、その国の労働者の働きの実態の鏡だと確信しています。日本のように障害のある労働者をいやいや不承不承、しかもいつでも雇用を終わらせることのできる安全弁をつけて雇用する限り、障害のある労働者にとり尊厳のある労働ができるわけがありません。
 大企業と言っても日本の経営者の多くはオーナー社長ではなくサラリーマン社長です。小泉純一郎内閣の時以来、障害者雇用にかぎらず労働者全般で非正規雇用が一挙に増大しました。日本を代表する企業の中にも自社の目先の業績を挙げるため正規雇用を削減し、非正規雇用を拡大しましたが、ひるがえって自分の子供が非正規雇用で苦労している話も耳にしたことがあります。残念なことに合理主義的経営者は自分が社長時代の自社の目先の利益にしか関心がなく、不安定雇用を増やすことが結果的に若い世代(次世代)の首を絞め、自社の大切な資産(人材)を失っていることに思いを致すゆとりをもっていません。
 これは一経営者の問題というよりも経済界や政治の問題であり、とどのつまりは私たち日本人そのものの問題にいきあたります。阪神・淡路大震災やこのたびの東日本(東北・関東)大震災で日本人は困難なときでも規律正しい共助の国民として海外の論調はほめたたえています。これはこれで誇るべきことであり大切にしていくべきものと思いますが、ただ他面日本人は直接的な利害に関わることでは残酷な合理性で割り切る国民です。私は、障害のある労働者やうつ病の労働者、退職勧奨を受けた若い労働者をサポートする中で日々この現実に悲しい思いをしています。

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2011年3月14日 (月)

東日本大震災「県内死者は万人単位」宮城県

                 (2011年3月14日 朝日新聞 より)

【M9.0に修正】

 気象庁は13日、東日本大震災の地震の規模を示すマグニチュード(M)が、詳しい解析の結果、9.0だったと発表した。これまでは8.8としていた。また、16日午前までにM7.0以上の余震が起きる確率が極めて高いことを明らかにし、今後も最大で震度6強程度の揺れと、津波への警戒を呼びかけた。
 Mが0.2大きくなると地震のエネルギーは2倍になる。今回のエネルギーは1923年の関東大震災の約1450倍。
 1900年以降に起きた地震では、1952年のカムチャツカ地震(M9.0)と並ぶ第4位の規模になる。
 また、気象庁は13日午後5時58分、津波注意報を一斉に解除した。

【宮城県知事見通し「県内死者は万人単位」】

 東日本大震災による死者数が約1700人にのぼることが朝日新聞の調べでわかった。安否確認のできない人の数は1万2千人以上となった。宮城県の村井嘉浩知事は13日、県内の死者数について、万人単位になるとの見通しを示した。

 朝日新聞が、警視庁や各警察本部、自衛隊、自治体などの情報を集計した。結果、死者数は14日午前0時現在、岩手、宮城、福島など12都道府県で1697人以上、安否確認のできない人は1万2412人以上となった。
 うち宮城県での死者は643人。県内では遺体安置所に次々と運び込まれており、竹内直人県警本部長は同日の県災害対策本部会議で「遺体の数が万人単位に及ぶことは必至だ。それを想定して対応してほしい」と発言。村井知事も「私も万人単位になるだろうと思う」と話した。
 死者や安否不明者の数はさらに増えるとみられる。岩手県災害対策本部に寄せられた被害情報によると、釜石市が約3万1千人、大槌町が約1万2千人、山田町が約1万人の住民と連絡が取れない状態だという。市町外に避難している可能性もあるという。
 また、観光庁によると、同庁が日本旅行業協会を通じて、被災地域(青森、岩手、宮城、福島、茨城)への旅行客の安否状況を調べたところ、この地域を訪れていたとみられる約4100人のうち、約2500人の安否が確認できていないことが分かった。

【天声人語】

 坂上二郎さんの逝去も石原都知事の出馬宣言も、えらく前の出来事に思える。わが防災意識の人生観は、「3.11」の前後で一変した。日本に住む限り、誰もが被災者になり得る、「千年に一度」は明日かもしれないと▼もう一つ、震災で変わりそうなのは原子力発電へのまなざしだ。福島第1原発では、建屋が吹っ飛んだ1号機に続き、3号機の異変が伝えられた。関係者の禁句、炉心溶融の字が見出しになり、安全神話は崩れた。「想定外」は言い訳になるまい▼日本の電力は3割近くを原発に頼る。福島を欠く東京電力は、きょうから地域ごとの「輪番停電」を始めるという。悲しみの中で避難生活を強いられる数十万の方々を思い、持ち回りの不便ぐらい喜んで引き受けたい▼あの金曜日の前後には、まさに断層のごとく、異なる日常が横たわる。震災が分かつのは、吉凶、安否、そして生と死。所在不明者の数は千の単位で増え、この地異がいかなる数字で歴史に刻まれるのか、見当もつかない▼いまだ事後ではなく、最中である。役場や警察、消防などの行政が丸ごと津波にのまれ、不気味に沈黙する町が残る。自衛隊や外国の救難チームが続々と現地入りしている。連帯に頼り、善意と使命感にすがる日々がしばらく続く▼地震の規模はマグニチュード9.0に上方修正された。現代文明が経験した地殻変動では五指に入る破壊力である。来るべき東海や首都直下の大地震では、あえて想定外を想定したい。眼前の現実に学ばねば、平穏を断たれた人が浮かばれない。

【私の想うこと】

 2011年3月11日、静かに生活していた三陸海岸ぞいの人々が町ごと津波にさらわれてしまいました。都市に発生した阪神・淡路大震災(1995年1月17日)よりも被災された方の人数は数倍以上になりそうです。リヤス式海岸の恵まれた漁場と美しい風景をもち、私たち日本人にとりどこか心なごむあこがれの地で、私も3度訪れたことがあります。
 ところでこの地では、1896年(明治29年)6月15日に発生した岩手県釜石市沖地震(明治三陸地震M8.2~8.5)により2万1915名の方がなくなり行方不明者が44名と記されています(wikipedia)。1960年(昭和35年)に発生したチリ地震のときも津波により142名の方が亡くなっています。
 そうでなくとも過疎化した町が、その担い手を多く失って、どう立ち直れるのか心配です。日本の社会の全体の支援のあり方の真価が問われています。米国のアナリストは日本は震災先進国であり、都市部の被害は軽微なので数カ月で復興するだろうという予測を述べていましたが、そんなに簡単に経済成長の数字で割り切れるものでもありません。原子力発電所に頼ってきた私たちの電力政策も、安全性の問題に今真正面から向きあわなければなりません。今日の朝刊にがれきの山の前で一人泣き叫ぶ13歳位の少女の写真が写っていましたが、3.11が問いかけるものの悲しみと底知れない重さが伝わってきました。

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2010年2月15日 (月)

イ病患者救済を主導した小松義久氏死去

【イ病患者救済の小松義久氏死去 公害訴訟に大きな影響】
      (2010年2月11日 CHUNICHI Web〈中日新聞〉 より)

 イタイイタイ病訴訟の先頭に立ち、患者救済に取り組んできたイタイイタイ病対策協議会名誉会長の小松義久氏が11日午後4時35分、呼吸不全のため富山市の病院で死去した。85歳。富山市出身。自宅は富山市婦中町青島431の1。葬儀・告別式は16日午前10時から富山市婦中町蔵島1の14、セレモニーホール西で。喪主は次女雅子さん。

 イタイイタイ病の主な発生地となった神通川流域の患者らを組織し、1966年に「イタイイタイ病対策協議会」を結成。原因となったカドミウムの発生源、神岡鉱山(岐阜県飛騨市)を所有する三井金属を相手にした訴訟で全面的な原告勝訴が72年に確定、全国の公害訴訟に大きな影響を与えた。

 2003年に協議会会長を退いたが「イタイイタイ病の前段階とも言えるカドミ腎症など、課題はまだまだたくさんある」と運動を継続。県立のイタイイタイ病資料館を建設するよう学識者らとともに提言していた。
 (共同)

【突然の訃報】

 2月12日16時49分富山県富山市婦中町所在神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会、 イタイイタイ病対策協議会 より次の内容の訃報のお知らせがFAXされてきました。

 訃報のお知らせ

神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会代表、イタイイタイ病対策協議会名誉会長の小松義久氏は2月11日(木)午後4時35分ご逝去されましたのでここに謹んでお知らせします。
 通夜 平成22年2月15日(月) 午後7時より
 葬儀 平成22年2月16日(火) 午前10時より
 喪主 次女 雅子
 場所 いずれも 富山市婦中町蔵島1-14オークスセレモニーホール西

【私の思ったこと】

 小松義久さんはとつとつと話すとてもすぐれた農民のリーダーでした。私は1969年25歳のときイタイイタイ病訴訟原告団の常任弁護士の末席に加わらせていただきました。その時小松さんは44歳でした。小松さんは患者の方や家族の方に「これはおれんたちの闘いなんだ。弁護士の先生方におんぶにだっこでは駄目だ」ということを静かな口調で語りかけていました。小松さんを中心とするすぐれた原告団とすぐれた先輩弁護士たちの力で訴訟は原告団の思う通り展開し、最後は1972年8月9日の名古屋高等裁判所金沢支部判決で完全勝訴をしました。この判決をもとに三井金属鉱業株式会社社長と直談判し、賠償額の全額支払いと汚染土壌の排除、新たな公害被害の発生の防止について協定を結びました。当時三井村といわれていた東京都中央区室町に農民原告団はむしろ旗を立てて乗りこみました。私は完全勝利協定締結後2年余り弁護団員として参加しましたが、その後は参加できませんでした。ですから私の記憶の中では40代のとつとつとしていながらもエネルギッシュな小松さんしか記憶にありませんでしたが、訃報を聞きイタイイタイ病対策協議会の事務局の女性に小松さんの年齢を聞いて85歳と知り絶句しました。私も同じ数だけ年をとったことをすっかり忘れて・・・。それにしても卓越したリーダーを失ったことがとても残念です。いつでも会えると思い長い間顔を出さなかったことがとても悔やまれます。

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2010年1月11日 (月)

移民と築く街の将来 日本前へ

【私の意見】Up63

 標題の1月9日付け朝日新聞の記事に私は大きなショックを受けました。記事の長い引用ですがご覧下さい。日本では欧米以外の外国人や移民を心から受け入れる姿勢がなく、石原都知事の発言に代表されるように外国人を犯罪者集団のように見る傾向があります。そのような流れを日本人ではなく韓国系教会が中心となって変えようとしています。また日本における外国人研修制度は3Kの職場で外国人を悪い労働条件のもとで酷使し社会問題化しています(09年4月26日ブログ「搾取国日本 外国人研修生死者最多33人」)。韓国では日本をモデルにした外国人研修制度をとっくに廃止しています。衛星放送(BS1)でインドネシアの少数民族の子供たちは自国語も含め文字を知らなかったのがハングル語で生まれてはじめて文字を学んだこと、中国ではアフリカ村ができていることが報道されていました。韓国人や中国人のアジアやアフリカの人々に対する目線は自国民と同じ目線であり、日本人とは本格的に違っています。「貿易立国」「技術立国」を標ぼうし、先進国の目線からしか欧米系以外の外国や外国人を見ない日本及び日本人は世界から大きく取り残されていきます。

【移民と築く 街の将来 日本 前へ】
                  (1月9日 朝日新聞 より)

 吸い殻や空き缶が散乱する道を約50人のホームレスが掃除し始めた。
 新年早々の3日午前7時、東京・大久保。気温1度。息が白い。人通りがほとんどない中、かじかむ手で一心にゴミを拾う。
 近くにある韓国系の東京中央教会の活動だ。1985年に来日。夫とともに教会を開き、日本国籍を取得した韓国出身の三井百合花牧師(52)が、韓国人と日本人のスタッフ、信者とともに世話をする。
 7年前、日曜は礼拝後に食事を出すと聞きつけたホームレスたちが集まるようになった。地元の困惑を和らげようと、月1回の清掃活動を呼びかけた。
 路上生活1年の男性(60)は「最初は牧師が韓国系の人で驚いたが、炊き出しは助かる。掃除はせめてものお返し」。約1時間で約600メートルの通りがきれいになった。その後、教会内でみなでカレーライスをほおばった。

<様々な人・文化 流入>

 117カ国の外国人が暮らす新宿区。中でも大久保は4人に1人が外国人で、1丁目はそれが半数にもなる。
 最も多いのは韓国人。韓国系の店は300を超え、週末はもちろん平日も韓国人俳優のグッズや韓国料理を目当てに女性たちが押し寄せる。
 にぎわいの一方で、地元の日本人たちの表情は複雑だ。化粧品店を営む森田忠幸さん(58)は「住民や店主の中に『乗っ取られ感』をもっている人は少なくない」。ゴミ出しなどのルールもなかなか浸透せず疲れも感じる。
 それを察知して、教会だけでなく韓国コミュニティーも動き始めた。昨年、「新宿韓人発展委員会」を作った。月に1回、地域を清掃する。
 朴栽世委員長(49)は「範を示し、韓国系の店を啓蒙したい。続けることが地元に理解をしてもらう第一歩」。
 大久保は歌舞伎町に近く、日本語学校も多い。80年代から外国人のホステスや学生が住む。そんな人たち向けの飲食店などができ、それがさらに外国人を呼び込んだ。90年代後半からは日本人客も取り込み、多様な人や文化を抱く街ができていった。

 元日の東京・JR新大久保駅。ほとんどの店のシャッターが閉まる中、黒人や浅黒い肌の人たちが続々と集まってきた。国籍はミャンマー(ビルマ)、バングラデシュ、パキスタン、インドネシア・・・。200人近い。この日は金曜日。近くの雑居ビルにあるモスクに礼拝に来た人たちだ。
 礼拝後は、食肉などをイスラム教の流儀で処理したハラ―ル・フード店がにぎわった。色とりどりの香辛料や豆などが並ぶ。ここ1、2年で増え、付近に7店。店を開いて10年、最古参のナッセル・ビン・アブドラさん(50)はインド人。「日本大好きよ。日本人は礼儀正しく、時間も守る。これからも暮らしていくよ」
 地元の不動産業者は、以前は外国人お断りの大家がほとんどだったが、ここ数年は受け入れる人が増えたという。地元の経済は今や外国人抜きでは考えられない。「排除から共生へと軸足は動いている」
 日本に住む外国人は約220万人、20年で約2倍になった。今後も増え続けるだろう。軋轢や課題を抱えながらも多様性を深める「オオクボ」は、その日本の将来を一足先に描き続ける。(編集委員・大久保真紀)

【移民政策 逃げず議論を 中央大兼任講師 宣元錫(ソン・ウォンソク)さん】

 日本をモデルにして90年代初めに導入した研修制度を、韓国はすでに廃止し、別の制度に切り替えている。
 人権侵害や不法就労などが社会問題化し、議論を重ねた。結果、2003年に外国人を非熟練労働者として正規に受け入れる雇用許可制を制定した。
 また、00年以降は農林漁業従事者を中心に国際結婚が増え、外国人の多様化が進む中、05年に永住外国人に地方参政権を与えた。07年には「在韓外国人処遇基本法」を制定して、「社会統合」と「共生」の理念を打ち出した。国と自治体の責務として差別防止や人権擁護などへの努力と支援、国民の啓発などを明文化している。
 具体的には、外国人に無料で450時間かけて言葉と文化を教えるプログラムがあり、履修者は永住権や国籍取得の際に優遇される。
 移民政策の転換は、10年続いた金大中・盧武鉉のリベラル政権と、民主化運動で力をつけた市民セクターの問題提起と行動に負うところが大きい。
 今、政府はさらに高い技能を持った人材の獲得を目指して二重国籍容認の方針も示している。
 日本は外国人が人口に占める割合が2%弱と韓国とほぼ同じなのに、「管理」の発想が前面に出ている。外国人労働者が必要かどうかという正面からの議論を避けたまま、脇の扉から日系人や研修生を入れている。EPA看護師候補生らについてもそうだ。
 社会統合もまだほとんど進んでいない。このままでは、低学歴で無職だったり、不安定な職にしかつけなかったりする異文化出身の子どもが社会の底辺に増えていくことになる。それは日本が望んでいることではないだろう。
 多様性はいいものだ。明治以降、日本には外国のものを採り入れて発展した歴史がある。政治、労働、産業界も外国人について自分の問題としてとらえ、逃避しないで考えるべきだ。

<ソン・ウォンソク>

 1965年韓国生まれ。一橋大大学院修了後、金大中政権下で大統領諮問政策企画委員会専門委員。02年に再来日し、現在は日韓の外国人労働者や移民政策などについて調査研究している。

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2009年5月12日 (火)

あきらめずに再び総中流社会をめざそう!

【私の主張】Up63

【中進国ではダメなの?】

 日本はGDP(国内総生産)が世界第2位の経済大国です。ですが中国がもうすぐ追い越し、GDPを基準にすれば日本は世界第3位に落ちるのは時間の問題です。2007年の人口でみると中国13.3億人(世界人口の19.9%)、インド11.7億人(同17.5%)、アメリカ合衆国3.1億人(同4.6%)に対し、日本は1.3億人(同1.9%)で人口面から見ても大国ではありません。
 私たち日本人は1945年8月の敗戦で世界一貧乏な国民になったと思っていたのに、1960年代以降世界から経済大国と言われるようになり、私たち自身もそう思うようになりました。しかし、経済大国ニッポンが私たち一人ひとりの日本人にどんな幸せを運んだのでしょうか。明治政府以来欧米に追いつけ追い越せとがむしゃらに走らされてきていざ追いついてみると、今度はマスコミに韓国や中国に追い抜かれると更に尻をたたかれています。でも翻って考えてみて、国民一人ひとりにとって、GDP世界第2位がなんぼのものなのでしょうか。経済大国が国民一人ひとりにとってなんぼのものなのでしょうか。仮にこの日本が経済大国から経済中進国にすべり落ちたとしたら、私たち日本人は不幸な国民になるのでしょうか。

【人を愛する喜びを忘れた日本人】

 たびたび私が述べてきたことですが、日本人は世界で冠たる貧相な表情の国民です。私も同じなので「日本人は・・・」という資格はないのですが、現実問題として町を歩いていても電車に乗っても豊かでほのぼのとした表情をもった日本人に出くわすのはとても困難です。わかりやすい言葉で言えば、はっきり言って日本人はみんな目つきが悪いのです。日本国民の目つきの悪さはおそらく世界のトップクラスです。私はこの目つきの悪さはどこからくるのだろうと時々考えます。経済的に貧ししいから目つきが悪くなったということはありえません。ほとんどの国は経済的に日本より貧しいのですが、他の国の国民の表情は日本人よりくったくがなく、日本人より底抜けに明るいものがあります。
 私は日本人の表情が貧相で暗いのは、人を愛する喜びをすっかり忘れてしまったからだと思います。他者に役立つことを感じたときに人として「ああ、自分は生きているんだ!」と喜びを感じることができます。どんなにお金があっても、どんなに大きな家に住んでいても、どんなにおいしい料理を食べても、それが自分(家族を含めて)のためだけであればそのうちあきてくるものだと思います。
 1945年最貧国から出発した日本国民は物質的豊かさが満たされることを単純に幸福と思ってきました。しかし、豊かさを現実に手に入れてみると更なる豊かさを追い求めてもそれだけではむなしいものがあります。
 今の日本人の多くはそのむなしさの中にあって、自分と自分の家族あるいは自分と恋人との閉ざされた世界だけに閉じこもってしまっていると思います。

【再び総中流社会をめざそう】

 米国発の世界同時不況を理由に大手企業が派遣切り・期間工切りを当然の如く実行し、多くの労働者が住むところもなく寒空に放り出されました。昨年末から日比谷公園に急遽作られた派遣村に助けを求めた労働者たちはその典型です。日本の企業がグローバル競争で勝ち残れば、日本人も幸せになるという大企業や政府やマスコミの言うことがでたらめであったことを事実が証明しています。日本でも富裕層と富裕層でない人々との間の経済的格差は拡大しています。米国社会と同じように日本でも階層分化が急ピッチで進んでいます。しかしこのような階層分化は下位層の人々は勿論のこと上位層の人々にとっても人間本来の幸福をもたらすとは私には思えません。
 日本でも確実に階層分化が進んでいますが、米国やヨーロッパ社会ほどの階層社会の歴史はありません。日本の富裕層は他国と比べると越えがたいほどの絶大な権力をもっているわけではありません。日本は今からでもまにあうと私は思います。
 小泉内閣以降顕著になったお金持ち優遇政策をやめ、中低所得者層が明日の生活を心配しないでよいようなしっかりとしたセーフティーネットを張りめぐらしましょう。そのセーフティーネットのレベルは日本における生活保護レベルではなく、ヨーロッパ諸国や米国国民の中位の国民レベルに置くべきです。それは日本の豊かさからすると容易に実現できるレベルです。若者も老人もシングルマザーの女性も欧米国民の中位のレベルの生活が保障されるならば、一人ひとりがのびのびと生きていくことができ、健康で文化的な生活を享受することができます。自分にゆとりをもつことができれば、他者(社会)に役立つ生き方を追い求めるゆとりも出来てきます。

【再び美しい顔をとり戻そう】

 このように述べると私の言っていることは夢物語のように、あるいは道徳訓話のように思われるかもしれません。私は夢物語を語っているのでもなければ、道徳訓話を述べているつもりもありません。今の日本人の追い求めている(あるいは追い求めさせられている)生き方は明らかにまちがっているということです。私が強調したいのは、私たち日本人は経済大国をめざす必要はないし、日本人一人ひとりが競う必要はないということです。経済的中位の国であったとしても他者のことを思いやるゆとりのある社会の方が私たち一人ひとりにとってははるかに幸せだということです。
 敗戦で最貧国となった戦後の日本人をニュース映像で見た方は多いと思います。食べものにもこと欠いていたのに子どもたちの目はキラキラと輝いていました。お母さんたちは清潔で理知的で、でも他人の子どもたちも慈愛のまなざしで見つめるやさしさがありました。一方男性の多くは自信を失っていました。30年前中国人の水墨画家は日本に来て日本の男性の表情には歴史があり、美しいと言ってくれました。25年前アメリカ人は私に日本人はpolite(礼儀正しい)と言ってくれました。21年前日本に来たスペイン人は日本人はいつもニコニコしていて電車の中では寝ているのを不思議がっていました。8年前に日本を旅行した韓国人が老人に席を譲らない日本人のことを韓国に帰って両親に話したところ、戦前の日本にいた両親からそんなことは日本人に考えられないと言われました。あらためて3人で日本に来て「お前の言うとおりだ」と両親は納得しました。
 これまでも日本人が他者を思いやるゆとりをもてていたとは思いません。その時々にいろんな問題をかかえていました。でも今よりもいい顔をしていたことは確かです。
 私たちは少しでも他者を思いやることのできるゆとりある社会を築き、少しでも美しい顔をとりもどしたいものです。そのためにも、お互いが意味のない競争をしないですむ総中流社会のニッポンを再びめざそうではありませんか。

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2009年4月26日 (日)

搾取国日本 外国人研修生死者最多33人

               (09年4月25日 日本経済新聞 より)

【昨年度 心疾患や自殺など】

 来日した外国人の研修生や技能実習生が病気などで死亡するケースが増えている。国際研修協力機構によると2008年度の死者数は33人で、前年度の21人から大幅に増えて過去最多となった。心筋梗塞(こうそく)など心疾患による死亡が急増しており、健康管理体制の不備を指摘する声が出ている。
 昨年4月、ある中国人実習生の男性(33)は午前6時に鳴った目覚まし電話のアラームを止めると、そのまま再び寝入った。30分後、普段なら起きてくるはずの時間に起きてこないことを不審に思った同室の男性が様子を見に行くと、実習生の顔色は蒼白(そうはく)。病院に搬送したが急性心不全で死亡した。
 翌5月にはやはり中国出身の男性実習生(38)が起床してこなかったため、同僚が起こそうとしたところ、すでに亡くなっていた。急性心筋梗塞とみられるという。

<健康管理体制 不備の声も>

 外国人研修生・実習生の支援事業を行っている国際研修協力機構には、こうした死亡事例の報告が相次いでいる。08年度に亡くなった33人の死因で最多は「脳・心疾患」で、全体の46%に当たる15人。前年度の2.5倍に増えた。
 統計を取り始めた1992年度から99年度まで年間死者数は2~9人だったが、00年度以降は01年を除き2ケタに。04年度以降は毎年20人以上になった。累計死者数は212人。脳・心疾患が66人と最多だったほか、自殺も20人に達した。
 出身国別にみると中国が134人と最も多く、続いてインドネシア39人、フィリピン19人、ベトナム14人。同機構は「正確な比較はできないが、心疾患の発生率は同年代の日本人のほぼ2倍になっているとみられる」と分析。
 研修生の受け入れは、ここ数年、年間約7万人前後で推移している。外国人の研修制度を巡っては、実務研修が労働と区別しづらく、事実上安価な労働力として利用されていた実態が明るみに出るケースが続出。賃金の未払いを巡る訴訟も各地で起きている。劣悪な環境が健康を害しているとの指摘も出ている。

【ITで進む中国人頼み】
              (09年4月26日 日本経済新聞 より)

 埼玉県川口市芝園町は日本で中国人の比率がもっとも高いとみられる町だ。人口の36%が外国人で、その大半は中国人。この町で異変がおきている。
 「帰国する人と2、3人すれ違った」。この町に長年住む張建国氏(仮名)はこう語る。町の中国人は学歴が高く、IT(情報技術)企業で働く人が多い。「国でチャンスを探すよ」。1人は別れ際、張氏にこう言い残して去った。

 不況は日本で働く外国人も直撃した。IT技術者の派遣などを手がける張氏の会社も仕事が減り、一時は50人近くいた技術者が10数人まで減った。
 外国人の技術者はこのまま減り続けるのか。経済産業省は「長い目でみてITの人材不足は解消されない」(情報処理振興課)と否定的な見方を示す。
 根拠は産業の情報化だ。ソフトウェアの大きさはプログラムの行数で測ることができる。車に使われるプログラムは推計で1000万行超。2015年には1億行に増えるという。
 これを支える人材は日本人だけでは足りない。情報サービス産業協会などによると、05年の情報工学系の卒業者は中国が33万人で、日本は2万2千人。この差は人口比では説明できない。中国は国家戦略で教育制度を整えた。インドは24万人だ。
 中国の進学率が高まれば、IT人材はさらに増える。車の例でみたように情報化はもっと進む。IT人材の量と質は産業のインフラと言ってよく、今のままだと日本企業の国際競争力を損ないかねない。
 そこで外国人の活用が必要になる。海外の企業に開発を外注することも多くなるだろう。これも相手は中国が中心になる。
 難点もある。電機メーカーによると、米政府は米国に輸出する企業に、先端技術の開発に共産主義国の人がかかわらないよう求めている。知的財産権の侵害を心配する企業もある。情報産業に詳しい国士舘大学の梅沢隆教授は「システムを発注するとき外国人が関与しないように求めることがある」と話す。

 ただし機密にかかわる高度な仕事は日本人がやればすむという単純な話でもない。「中国やインドは米国の手法を学び、日本よりも即戦力を育てている」(情報サービス産業協会)からだ。企業は「本当はもっと中国人を使いたい」(電機メーカー)というジレンマを抱えている。
 中国は同国でIT製品を販売し、製造する企業に技術情報を開示させる制度を作ることを考えている。もし実現するば技術情報をめぐって日米欧と中国の緊張が高まる。企業の悩みはますます深くなる。
 芝園町の技術者が日本を去るのは仕事がなくなったからだけではない。中国の成長力を考えればその方がいい生活ができると思い始めている。もう日本人が望む通りには優秀な人材はこないかもしれない。
 結局、日本経済の将来を左右するITに若者が十分集まってこないことが問題なのだ。「仕事はきついのに給料は安いというイメージがある」(梅沢教授)。印象を改め、教育制度を充実させるしかない。
 国際競争に勝つには外国人の活用が欠かせない。それは日本も優れた人材を育て、バランスをとれて初めてうまくいく。不況でやみくもに人を集めなくてすむ今だからこそ、考えるべきことが多くある。(編集委員 吉田忠則)

【私の意見】Up63

 日本で働く外国人特に中国人に関する2つの記事を紹介しました。最初の記事は健康管理も十分に行わないで、外国人を研修生という名目でやみくもに働かせた結果、過労死や自殺が増えているという記事です。
 2つ目はIT技術者は日本人だけで足りず、中国人に頼っているが、中国人は母国に帰って働いた方が将来性があると考え、日本を去る中国人のIT技術者が増えているという記事です。このままでいけばIT製品やIT技術において中国が日本を凌駕する日がやがて来るだろうということです。
 日本は、明治政府の富国強兵政策以来、欧米に追いつき追いこせとしゃにむに走ってきました。その結果これまでは技術や製品の質において日本はアジアで抜きんでていました。しかし、日はいつか沈むと言われるように、日本という国はアジアの中で着実に沈みつつあります。アジアの人々を差別し、冷遇してきた日本人はいつかアジアの人々から厳しいしっぺ返しを受るかもしれません。
 ところで、私たち一人一人の日本人にとり、日本人であろうが外国人であろうが、日本というこの島で生活し、働く人々がみんな公平・平等に労働に対する対価を得、豊かで楽しく生活できる社会をめざせばいいことです。日本人が外国人よりよい生活をする必要は何もありません。日本製品が外国でシェアを増やし、日本企業の売り上げが伸びても外国人が日本人に感謝し、日本人を尊敬してくれることはありえません。日本にいる場合も母国に帰った場合も日本人とともに豊かな生活を享受できたと外国人が実感できたときにはじめて日本人は感謝され、日本人にも好意をもってくれるでしょう。日本人が嫌いだという中国人が多いのは日本人の中国人に対する対応に問題があるからです。
 日本人が日本人の幸福だけを考えて生きる時代はもう終わりました。外国人とともに豊かであたたかい社会を築くことこそが、21世紀に私たち日本人が生きていく唯一の道だと思います。

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