2008年4月 7日 (月)

女性初の資生堂副社長 岩田喜美枝さん

【-ひと- 女性初の資生堂副社長に就く 
                     岩田喜美枝さん(60)】

                      (3月30日 朝日新聞 より)

 4月から代表権を持つ副社長に昇格、経営全般に目を配る。企業風土改革も担当のひとつ。「もっとのびのび働きやすい会社に改革する。そういう仕事です」
 資生堂の国内グループ社員は約1万3000人いる。その7割が女性だ。管理職に占める比率は4月で17.5%と、国内民間企業の平均約10%を上回る。その中からただひとり経営会議に出席する。
 03年に雇用均等・児童家庭局長で厚生労働省を退職する際、役所が紹介した公益部門の仕事を断った。学生時代、女性の民間企業への就職は狭き門だった。自らも携わった男女雇用機会均等法の制定から20年近く。「今だったら私を採用してくれる会社があるんじゃないかと考えまして」。子育てや介護のための休業制度をいち早く始めた資生堂に以前から注目していた。「私の経験を使ってもらえないでしょうか」。仕事を通じて知っていた当時の池田守男社長に頼み込んだ。
 04年から取締役。仕事と育児の両立を後押しする人事制度に力を入れた。翌年には、小学校入学前の子どもが病気やけがをした場合、年間5日まで休める看護休業制度を導入した。
 副社長として人材登用も重要な仕事。そもそも、評価や活用をきちんとしていれば、管理職がどちらかの性に偏ることはないと考える。「女性の管理職が増えている会社は、男性の力も決して無駄にはしない」が持論だ。

【私の意見】Up63

<岩田さんに大賛成>
 岩田さんの「評価や活用をきちんとしていれば、管理職がどちらかの性に偏ることはない」との考えにも、「女性の管理職が増えている会社は、男性の力も決して無駄にはしない」の持論にも私は大賛成です。

<男一色の世界>
 6月下旬には上場企業の定時株主総会ラッシュとなりますが、私が顧問弁護士の立場でこれらに出席していつも感じてきたのは、まさに男一色の世界だということです。取締役・監査役は勿論のこと役員の意を受けて議事を準備するのも男性。かつては暴力団系の特殊株主が不規則発言をして議長の議事進行を妨害したため、ほとんどの上場会社は男性の社員株主を動員して会社主導の株主総会運営を行ってきました。「議事進行!」「異議なし!」「賛成!」の大合唱のもとに特殊株主に有無を言わすことなく会社提案が採決されていました。実はその頃は私も顧問弁護士として男性社員に声が小さすぎると言って叱咤しながら強引な株主総会運営を指導していました。今は特殊株主もなりをひそめています。会社も“開かれた総会”をめざすようになり女性株主の発言も珍しくありません。しかし今でも会社の取締役席・監査役席に座っているのはほとんどが男性で、株主総会の運営を担当する幹部社員も男性の場合がほとんどです。

<女性と若い人が活発にものを言う会社は明るい>
 私が顧問をしているある中小企業は先代が一から築きあげた会社で、中小企業苦難の時代にもかかわらず好業績を挙げています。先代が亡くなって息子さんが社長になって会社の雰囲気ががらっと変わりました。創立記念日だと言うのに、社長の挨拶もほとんどなく、来賓の挨拶は全くなしで、若い男女の社員が中心になりにぎやかにパーティー風に記念の日がとり行われ、社長も私も”私食べる人”に徹しました。会社の雰囲気がとてもなごやかで明るく若さを感じ、こういう会社はのびると思いました。人も企業も「個性」と「感性」が求められる時代、しかも労働力人口が減っていく日本の社会において、女性が活躍しやすい企業こそ社会に歓迎され、業績ものびると私は信じています。私は株主総会に行く都度、社長に“女性をもっと活用しないといずれは人材が頭打ちになります”と言うようにしています。

<女性のゼネストで男性優位国家をぶちこわせ!>
 そうは言っても残念なことにわが国は世界でもきわだった男性優位国家で、男女共同参画の水準は世界の中できわめて低いところにあります。このことは1月5日付ブログ「坂東眞理子『女性の品格』と男女共同参画」で掲載しましたのでご覧下さい。労働者として最も重要な賃金をとっても男子の一般労働者と女子の一般労働者を対比すると2006年の統計で女性は男性の65.9%にすぎません(所定内給与)。これは一般労働者の比較ですが、女性のパート労働者の賃金は長年にわたって超低賃金のまま据え置かれ、昇給はほとんどありません。そのため夫と別れた後の子供を育てている女性の生活はとても深刻です。私は時折“万国の女性立ち上がれ”と心の中で叫んでいます。仮に日本の女性が24時間ゼネストを7日間実行すれば、日本の企業も男性もたちまちのうちに悲鳴をあげることは確実です。それぐらいの荒療治をしないと強固に築かれた男性優位の社会構造は変わらないように思います。女手一つで子供をゆったりと育てられる社会は男性にとってもゆったりと生きることのできる社会なのです。

<岩田喜美枝さんに喝采>
 仕事と育児の両立を後押しする人事制度に力を入れたり、看護休業制度を導入したり、岩田さんの地味な努力の積み重ねに喝采を送ります。岩田さんの奥底から本物の品格が伝わってきて、この短い記事に私はとても感動しました。
 

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2008年3月28日 (金)

ある知的障害者のリーダーの死から8年

【高坂茂さん】

 高坂さんは1957年5月19日高坂家の長男として調布市に生まれました。小学校5年生の時知的障害があるとして調布市立の小学校の特殊学級に編入、中学生時代も特殊学級に在籍しました。卒業後3年間は父親が勤める鉄工会社で働きましたがやめました。18歳のときに中学時代の特殊学級の担任教師の横田滋氏の世話で貸おむつ等を大型の機械で洗濯するクリーニング会社につとめました。仕事はきつく、長時間勤務でしたが、がんばって知的障害の青年2人を部下にもつ主任をつとめていました。身も心も疲れていた2000年3月24日機械に巻きこまれ頭を打ち、4日後の同月28日に42歳で短い生涯をとじました。

【高坂さんと私】

 私が高坂さんと知りあったのは亡くなる1年数ヶ月前です。短い期間でしたが私は高坂さんから多くのものを学びました。高坂さんも私を自分たちの味方の弁護士として大切にしてくれました。障害者の労働の基本を定めた障害者雇用促進法が改正され1999年7月から実施されることになり、高坂さんが中心となって活動している知的障害者の当事者の会さくら会が私を講師として招いてくれたのが高坂さんと知り合いになるきっかけでした。この改正では今までの法定雇用率1.6%に加えて知的障害者枠の0.2%が加算され法定雇用率を1.8%にするものでした。さくら会の人たちはこれを前向きに活用しようと私を呼んで勉強会を行ったものです。勉強会から1年もたたないうちに高坂さんは会社の機械に巻きこまれました。その日私は新潟で看護師さんたちに医療事故をどう防ぐかという講演をしていました。高坂さんの弟さんが高坂さんの持ち物の中から私の名刺を見つけ、私に連絡してきました。私は帰京後急いで高坂さんの入院している日本医科大学多摩永山病院に見舞いに行きましたが、高坂さんに意識はなく、話はできませんでした。私がついてまもなく主治医が家族に「ご臨終です」と告げ、私は高坂さんの最期に立ち会い、見送ることができました。亡くなって4日後にお母さんや他の弁護士と一緒に会社の工場へ行き、機械の状況を写真にとり、社長に説明を求めました。調査に手間取りましたが2001年7月4日に会社と社長、副社長を相手として高坂さんの両親を原告として安全配慮義務違反を理由に損害賠償請求訴訟を提起しました。2003年12月1日東京地方裁判所八王子支部は被告らの安全配慮義務違反を明確に認めた原告勝訴の判決を言い渡しました。

【働く障害者の弁護団】

 高坂さんの亡くなった3ヵ月後の2000年6月、働く障害者の弁護団を結成しました。これは障害を持って働いている人たちが自分では言えないことを弁護士が代弁する役割を担うためです。働く障害者の弁護団は、メール、FAX、手紙、電話で相談を受けていて、今では障害をもって働く人たちの窓口として日本で最も利用されているものとなっています。北は北海道各地から南は沖縄県石垣島までそれこそ全国津々浦々から障害をもって働いている人たちの相談がとびこみます。のみならず、米国など日本の親会社の海外子会社で勤める障害をもった労働者からの相談もあります。働く障害者の弁護団は、高坂さんの志しをこんな形で発展させたのだという思いでいつも取り組んでいます。

【「精神薄弱」から「知的障害」へ呼称を変える力となって】

 柴田保之氏は、「『知的障害』という言葉の成立のかげに-ある知的障害者のリーダーの死」-という論文で高坂茂さんのことを次のように述べています(2001年7月15日発行 國學院雑誌102巻第7号)

「1998年9月、一つの法案が国会で採択された。『精神薄弱』という言葉に替わって『知的障害』という呼称を国内法のすべての条文に採用するという法律である。『精神薄弱』という言葉は、その言葉に対する当事者の不満が表明される中で、70年代には使用をためらう者も増え始め、90年代には、ほぼ死語同然となっていたが、法律上は延々と使用され続けてきたものである。こうした用語の言い換えは、『差別語狩り』の一種として見られたり、言葉の言い換えだけで実質的には何の変化もないととらえられることがある。しかし、この言い換えの背後には、用語を選択した主体が誰であるかということに関わって、重要な変化があった。それは、この呼称で示される当事者が、名付けられる客体から、名付ける主体へと変わったという事実である。しかし、残念ながらこのことはあまり知られていない。
 そして、このできごとに深く関わった一人の当事者は、私が援助者として関わっている町田市障害者青年学級という場で十数年にわたって親交を深めてきた高坂茂さんであった。この法案が通過した直後の活動日、私たちは、生活コースでこのことをともに喜び合った。『自分たちが変えたんだ』と誇りに満ちて語った高坂さんの表情は、今でも忘れることができない。日本の知的障害者の歴史に大きな一歩が記されたといっても過言ではなかろう。そして新しい知的障害者の歴史が刻まれるであろう21世紀はもうすぐそこに迫っていた。
 ところが、こともあろうに、その高坂さんが2000年3月28日職場の事故で亡くなるという信じられないような出来事が起こってしまったのである。事故は、悪い偶然が重なって起きたものともいえるが、また、防ごうと思えば防ぐことのできるものであり、会社の安全管理のあり方への疑問を拭い去ることはできない。貸しおむつのクリーニングという社会を土台から支える仕事に従事していた高坂さんの労働条件は、そのまま知的障害者のおかれた労働条件の苛酷さを物語るものである。総勢百六十名を数える私たちの仲間の中に、仕事中に手の指を機械で切断してしまった仲間が二名もいるということも忘れることはできない。
 いちはやく新しい時代の理念を先取りして、障害者青年学級や知的障害者の本人活動の中で目覚ましい活躍をしていた高坂茂さんの日常は、古い時代のままの苛酷なものだったといえよう。
 高坂さんの死という重い取り返しのつかない事実を前にして、私たちは何もなす術を知らないが、彼が胸の中で思い描きつつ、着実に一歩ずつ実現に向けて歩み出していた夢を、私たちが何らかのかたちで引き継いで行くことが、彼の死に報いる一つの道ではないだろうか。そして、何よりも、高い志しと厳しい現実に引き裂かれるようになりながら、たくましく生き抜いた高坂茂という人間が生きていたというかけがえのない事実を、同時代を生きる一人でも多くの人に知ってもらいたいと切に願う。」

【高坂茂さんと青年学級活動】
                  
(柴田保之氏の論文より)

 こうしためざましい活動を通して、様々な成果があがっている一方で、彼の仕事の状況は相変わらず厳しいものだった。そのような中で、以前から痛めていた腰の具合が悪化し、ついに入院するにいたったが、根本的な治療のできないま退院せざるをえず、腰痛をかかえながら仕事を続けるという状況になってしまった。だが、このことは、40代を迎えた自分白身の生活のことを改めて見つめ直すきっかけとなったようだった。
 その彼が、青年学級に弁護士を呼ぶ計画を立てたのは1998年度の活動である。そもそもはさくら会の活動で弁護士を呼んで『障害者雇用促進法』の改正についての学習会を開いたことがきっかけだったが、交渉まですべて自分でなしとげ、12月には障害者の労働問題等に詳しい清水建夫弁護士を囲んで非常に有意義な学習をすることができた。そして自立生活をめざす中で不動産屋に部屋を探しにいって断られた今田さんの話、免許を取りにいって断られたOさんの話など、現実の中で起こる様々な差別のことが直接訴えかけられた。そして、清水弁護士は、『当事者が声をあげないかぎり変わらない。もっともっと声をあげてほしい。』としめくくった。
 この活動の後、一人暮らしを始めることができた今田さんは、高坂さんの追悼集会で読み上げた追悼の辞の中で、この時の活動でふっきれたものがあって自分はアパート暮らしに踏み出すことができたというように語っており、この活動の意味の大きさを改めて痛感させられることとなった。
 腰の痛みに耐えながら、3月の成果発表会の劇の台本作りを高坂さんはやりぬいた。内容は、今田さんがアパートを借りに行って不動産屋に断られ、弁護士を伴って抗議にいくというもの。弁護士役を演じたのは高坂さんだった。

 弁護士役を演じてまもなく高坂さんは亡くなってしまいました。

【高坂茂さんが亡くなって8年】

 高坂茂さんは労働はきつかったが正規社員でした。クリーニング会社の社長も副社長も根は悪い人ではありませんでした。さくら会の仲間もそうですが当時は知的障害の人のかなりの人が一般企業の正規社員として働いていました。ところが高坂茂さんの担任教師であった横田滋さんの話では高坂さんが勤めていた頃一般企業に紹介した卒業生のほとんどは一般企業をやめているとのことです。その背景にはかれこれ10年に及ぶ労働冬の時代で、障害のない労働者もリストラで労働市場から追い払われるか、非正規雇用で劣悪な労働条件で働かされています。知的障害の労働者が真っ先に一般企業の労働市場から追い払われたのは自然の理です。知的障害者に働きやすい中小企業の経営が厳しいことも多いに影響していると思います。
 今国会で、障害者雇用促進法の改正案が審議されており、週20時間以上週30時間未満の短時間労働の障害者を雇用した企業は0.5人分を雇ったことにするように改正されようとしています。厚生労働省は授産施設など一般労働市場で働けなかった障害者を一般労働市場で働けるようにするための改正であると強調しています。しかし、これは障害者を正規労働者にしなくともパートでも法定雇用率にカウントしようとするもので、障害をもった労働者の労働環境を益々きびしくするものです。どうしても非正規雇用も法定雇用率にカウントするのであれば、正規雇用は正規雇用労働者の1.8%、非正規雇用は非正規雇用労働者の1.8%としてあくまで正規雇用枠は確保すべきだと思います。このことに関し、私は昨年12月6日の職業リハビリテーション研究発表会で論文を発表していますのでご覧下さい。
    [論文:法改正「パートも派遣も障害者雇用率に算入」の問題点]
 いずれにしろ、高坂さんが亡くなって8年、この間知的障害のある労働者の労働環境は一層厳しくなりました。一般労働市場で働く知的障害者が少なくなったためか、知的障害者の当事者の会も以前ほど元気がなくなっています。高坂さんと同じように、人に頼らず自らが社会に発信するリーダーがなかなか生まれてこないのが悲しい現状です。

 

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2008年3月10日 (月)

死にたい人間なんていない

【呼吸器の母 12年の介護
           川口有美子さんと母の島田祐子さん】

                      (3月7日 朝日新聞 より)

川口有美子(かわぐちゆみこ)(45)は夫の転勤でロンドンに移り、7歳の娘と2歳の息子の子育てに夢中になっていた。95年6月、電話を受ける。東京の母、島田祐子(しまだゆうこ)からだった。
  「……ALSって、変な病気になっちゃったみたいなの」
 医師は呼吸器をつければ生きていけるという。でも、介護がすごく大変だから、どうしたらいいかしら。母の涙声を聞いて川口はとっさに答えた。「いいじゃない、呼吸器をつけて生きれば」
 天窓から昼下がりの日差し。庭のアカシアが風に揺れていた。その日がすべての始まりだった。

 ALSは進行性の難病だ。筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症。川口が家庭向けの医学書を開くと、「運動神経が侵され、あらゆる筋肉が萎縮し、さいごは呼吸もできなくなる」。絶望的な言葉がならんでいた。宇宙物理学のホーキング博士(66)もこの病だった。
 その夏に帰国、介護生活が始まった。母の祐子は当時59歳。包丁がもてなくなり、起きようとして布団に倒れ、風呂場でタイルの目地につまずいた。舌がもつれ、うまく話せなくなった。出版社をやめた妹の千佳子(ちかこ)(42)や父と交代で付き添う。
 認知症の祖母の介護で苦労した祐子は「呼吸器をつけてまで生きたくない」。でも別れるのは悲しい。つけなければ死ぬ。つけるかどうか。決められぬまま12月、体調が急変し、救急車で運ばれた。
 「助けてっ」。集中治療室で祐子は娘たちにいった。医師は気管切開して呼吸器をつけた。
 2カ月後、自宅にもどった。ベッドわきに呼吸器や痰(たん)の吸引機。シュポーという呼吸器の音。家族は心配で部屋から出られない。緊張の連続。仮眠は1、2時間。
 やがて祐子に気力がもどる。話せないかわりに、50音の文字盤を祐子が目でさし、家族が読み取る。短歌もはじめた。
 96年秋、総選挙があった。投票は自筆でないと認められない。祐子は「そんなの、おかしい!」と、千佳子に代筆させて日弁連に嘆願書を送る。ベッドの上から、投票できる日を待っています。のちの制度改正につながる。
 さらに病状は進んだ。文字盤をさす目が動きにくくなり、一日に読みとれるのはわずか数文字に。ある日、「し・に・た・い」。
 そんなに死にたいなら、いっそ……。そして私も。「妹も私も何度も母を殺そうとしましたね。かわいそうで」と川口。患者家族らが集うALS協会の橋本操(はしもと・みさお)(54)に、つらさ、切なさを訴えた。

【死にたい人間なんていない 橋本操さん】 (3月7日朝日新聞続き)

 橋本もまたALS患者である。千葉の漁師の娘に生まれ、27歳で結婚、32歳で発病したとき5歳の娘の母だった。39歳で呼吸器をつけ、わずかに動く唇と目の動きをヘルパーが読みとって伝える。
 「根性がない」と橋本。川口はむっとする。「母を根性なしといったんだと誤解して。でも、あとで根性がないのは私のことだとわかった」。母はほんとうに死にたいのかしら、と泣くと、橋本は「バカな! そんな人間はいない」と目と唇でしかった。
 橋本は都の難病支援制度やボランティアを使い、家族以外が介護するシステムをつくっていた。それを学んだ川口も、介護者を養成して派遣する事業を起こす。日本独自の「サクラモデル」と海外に知られるようになる。
 99年、祐子はついに目も動かなくなる。意思を伝えるすべがなくなった。川口は、祐子が仏壇に遺書を残していたのを思い出す。封筒をあけると、よろけるような字で「人生は楽しい」。
 楽しい? どんなにつらくても人生を楽しんで、という励ましに思えた。ふっと肩の力がぬけた。死なせたほうが、という呪縛から解き放たれ、救われた。
 07年9月、祐子は逝った。71歳。川口は母のベッドに大の字になった。12年の間、ここがママの居場所だったんだ。天井をずっとみつめた。

 実は、ALS患者の8割以上が呼吸器をつけずに亡くなっていく。多くが家族に迷惑をかけたくないと気兼ねして。そんなことをしないですむ世の中にしたい。
 だれにもいずれやってくる、その日。その日まで、生きる。

【私の意見】Up63

【生まれながらに呼吸器をつけた赤ちゃん】

 私は川口有美子さんも橋本操さんも大変親しい知人です。お二人とも尊厳死の法制化に反対していて、いろんな会合でお会いします。川口さんの話では、アメリカではALS患者が呼吸器をつけて生きるという発想がほとんどなく、ALSになると呼吸困難になって死ぬのは仕方がない、定められた運命という考えが支配的だそうです。ですから、ALS患者について日本のような患者運動は起こらないとのことです。
 生まれながらに呼吸器をつけないと生きていけない赤ちゃんの親の方たちがつくっているバクバクの会というのがあります。あるお母さん(Aさん)が生後3ヵ月のときから呼吸器をつけて生きている5歳の娘(Bちゃん)が日々成長し目で喜びや悲しみを伝えてくれるのが嬉しいと報告していました。その後7歳頃この娘さんは亡くなりましたが、娘とともに生きることができた7年をかけがえのないものとしてあらためてつづっていました。
 Aさんの話では、以前はBちゃんと同じ難病の赤ちゃんが生まれると医師は親の意見を求めるまでもなく当然のこととして呼吸器をつけていました。ところが最近では「治療法はない。お子さんは呼吸器をつけてもほとんど自由に活動できないし、長く生きることはできない」ことを告げた上で、呼吸器をつけるかつけないかの選択を親に迫るそうです。現代医療はBちゃんの7年の人生、Bちゃんとともに生きたAさんの人生を無意味と決め付けているのに等しいように思えてなりません。

【親亡き後の難病の子どもや知的障害の子どもの将来】

 がん患者の女性Cさんは70歳を越え、がんを宣告され死期も告げられました。40歳の難病患者の息子(D君)の将来を案じCさんが私のところに相談に見えました。夫の残した財産がそれなりにあり、経済的にはかなり恵まれた母と子ですが、Cさんはご自分が亡くなったあとのD君のことをとても心配しています。信託銀行から遺言信託等の提案を受け、CさんはD君を信託銀行と遠くの親戚に託すことを考えていました。私は川口さんにD君のことについて意見を聞きました。川口さんは開口一番、信託銀行や親戚に頼る前にD君は自分で生きることを考えた方がいいのではないですかと言いました。川口さんの話を聞いてなるほどD君の場合には自分の住む自治体にヘルパー等を頼めば今住んでいる地域で充分に生きていけると思いました。その後D君に会いましたが、D君は意識も考えもしっかりした男性で、今から他人に頼る人生を選択をする必要はないことを実感しました。
 子どもに障がいのある親の方、とりわけ知的障がいのある子どもの親の方は、親亡き後をとても心配しています。これまで多くの親は子どもを施設に入所させることで一安心していました。しかし施設での生活は食べるには困らず安全ですが、人らしい生活とは言えないのが現実です。障がいのある人もない人も地域で人間らしく生きていくためには国や地方自治体の強力なサポートが不可欠ですが、障害者自立支援法などの法制度や終末期医療についての国の考え方は、サポートを削減する方向に大きな流れを形づくっています。この流れを打ち砕くためには、私たち市民の側で強固なサポート体制を築き、実践によって打ち砕くしかないように思います。

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2007年12月 9日 (日)

二十四の瞳の島に異形の国際投信ブーム

                   (12月8日 日本経済新聞 より)

【日本人とおカネ 第1部 危うき奔流
                なぜ売れる異形の投信】

 おカネにまつわる日本人の価値観が大きく変わろうとしている。預貯金に偏っていた保守的な個人マネーは国境を一気に跳び越え、いや応なくリスクと向き合い始めた。そこには危うさも見え隠れするが、個人マネーをうまく生かすことができれば日本の活力を高めることさえできる。

<グロソブの島>
 香川県小豆島。瀬戸内に浮かぶこの島で「グロソブ」が爆発的に売れている。世界の債券に投資する投資信託で正式名称はグローバル・ソブリン・オープン。国際投信投資顧問が運用する。島での残高は100億円を突破。人口対比で日本全体の3倍の「濃度」で保有している計算だ。
 「妹に勧められた。毎月2万円余りの配当金が年金生活の足しになる」(66歳女性)。証券会社のセミナーで、島民は海外経済動向に花を咲かせる。さながら「国際投資家の島」だ。

【「不思議の国」映すブーム】

 かつて6万人を抱えた島の人口はいまや3万2000人余り。65歳以上の高齢者の割合は約3割を占める。そうめん、観光などを除けば産業は乏しい。過疎が進行するこの島は日本の近未来図でもある。
 手をこまねいていれば、少子高齢化で日本の衰退は避けられない。だが、逆風をはね返す手はある。1500兆円の個人金融資産だ。有効に使えば別の景色がみえてくる。それを先取りするかのような小豆島の投資機運。だが、そこには「不思議の国ニッポン」も垣間見える。
 たとえばグロソブの人気の秘密になっている毎月の配当金。配当分は運用に回らず、投資成績はその分下がることを知らない人も多い。運用開始から10年。仮に毎月分配せず、「複利」で運用を続ければ、設定時1万円の価格が6日時点で約1万5000円に上昇した計算だ。しかし、実際の価格は8000円弱で、分配金(5000円強)を考慮しても累計約2000円を取り損ねている。急激な円高になれば損が出る恐れもある。
 長期の運用成果が投資の尺度となる欧米には毎月配当する商品はほとんど見当たらない。世界に類をみない異形の投信だ。
 神奈川県藤沢市の遠藤崇(仮名、29歳)は2月にグロソブを20万円買った。理由は「有名だから」。年金のように分配金をもらえるため、高齢者には魅力だが、「資産形成を目指す若い世代には向かない」(ファイナンシャルプランナーの前川貢)。本来、年齢や家族構成に応じてマネープランは十人十色。なのにグロソブのような分配型の販売比率は公募投信全体の49%にのぼる。
 投資初心者が一気に新興国株や外国為替を売買するのも不思議だ。営業マンから好調な数字を見せられると納得して買ってしまう。
 横並びと新しもの好き。こうした投資行動の背景には日本人独特の「おカネ観」がある。立教大学大学院教授の内山節(57)は「日本人は、もの作りでおカネを得ることは評価するが、おカネがおカネを生む運用にはためらいがある」と話す。儒教的な倫理観からおカネは「卑しい」と考え、真剣に向き合ってこなかった。

<成熟への段階>
 そんな風土にふってわいたのが将来への不安だ。終身雇用の崩壊、年金危機、そして少子高齢化社会-。「なんとかなるさ」でやってきた免疫のない日本の家計には、流行の金融商品やのうけ話が魅力的に映る。
 横浜市の会社員、北康広(仮名、40)は1990年代、流行のIT(情報技術)株を組み入れた投信に飛びつき数百万円投資したが、気がつけば半値以下。以来、時間と資産の徹底した分散投資に転換した。国内外の株式と債券で運用する投信を少しづつ買い、通算の投資収益率は30%を上回る。試行錯誤して痛い目にあうことも日本人とおカネの関係が成熟に向かううえで必要なステップかもしれない。
 リスクを理解し、多様な物差しで金融商品を評価する。こんな人が増えれば、金融資産を生かした新たな国づくりの扉を開くことができる。

【私の意見】Up63

 小豆島は私にとってとても思い出の多い島です。生まれは神戸ですが0歳から6歳まで広島県の小さな島ですごした幼少期の私にとり、小豆島は瀬戸内海に浮かぶ大きな島でした。小学校1年生の12月に私たち一家は再び神戸にもどり、小学校(神戸市立若宮(わかみや)小学校)6年生の時に全校生で映画「二十四の瞳」を観賞しました。主人公の大石久子先生の多くの教え子や小学生の娘が亡くなり、私には悲しい映画でした。中学(神戸市立鷹取(たかとり)中学校)3年生の時、修学旅行ではじめて小豆島を訪れました。紅葉した寒霞渓を名物のガイドのおじいさんがかん高い声で「ワガァー、カンカケイワァー」と自慢していました。大学(早稲田大学)3年生の夏、中央大学の学生の姉と一緒に経営していた小さな塾の塾生の小中学生を引率して、十数名で小豆島でキャンプをしました。海水浴をした土庄(とのしょう)海岸は青松白砂の美しい海水浴場でした。
 私にとり小豆島の人たちは素朴でおだやかで親切な人たちという印象しかありません。“えっ!小豆島が国際投資家の島?”とても驚きました。 
 そもそも「貯蓄から投資へ」はニッポン人が進むべき正しい道なのでしょうか。将来への不安をおカネがおカネを生む運用ではたして解消できるのでしょうか。“将来への不安”は政府が作り出した不安であり「貯蓄から投資へ」も政府が人為的に作り出した方向です。投資にはリスクをともないます。日経記事は「リスクを理解し、多様な物差しで金融商品を評価する。こんな人が増えれば、金融資産を生かした新たな国づくりの扉を開くことができる」としていますが、そんな器用な人はどんなにふえても全体の少数です。利に聡い一部の人たちだけは金融商品で利益を蓄積するでしょうが、多くの人々は小豆島の多くの住民と同じです。投資と言えばカッコよく聞こえますが簡単に言えば儲ける為におカネを賭けることです。投資に成功して仮に儲けたとしても、それは儲けた人個人の問題であって社会に新しいものを何も生み出しません。一方で儲ける人がいれば他方で損をする人がいます。おカネを必要とする人におカネを供給するのだから間接的に社会に貢献しているという弁明には私個人としてはとても賛同できません。日経新聞が推奨する“新たな国づくり”にも賛同できません。
 小豆島の人たちは、何も国際投資家にならなくとも美しい自然を生かして世界の島として生きていくことができます。小豆島が「グロソブ」でわきかえっていることを、二十四の瞳の著者の坪井栄さんや主人公の女教師大石久子先生が知ったらきっと嘆き悲しむと私は思います。

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2007年12月 5日 (水)

OECD15歳学力調査 応用力 日本続落

                      (12月5日 朝日新聞 より)

【数学6→10位 科学2→6位 読解力も14→15位】

 経済協力開発機構(OECD)は4日、15歳を対象に06年に実施した国際的な学習到達度調査(PISA)の結果を公表した。3回目となる今回は57カ国・地域が参加し、知識・技能を実生活に応用できるかどうかを主眼に合計40万人、国内は約6千人の高校1年が受けた。日本は、「読解力」で前回(03年)14位から15位、「数学的リテラシー(応用力)」では6位から10位に順位を落とした。
 先行して公表された「科学的リテラシー」でも2位から6位に下がっている。

 今回受験した生徒は現行の学習指導要領が施行された02年春に小学6年だった。文科省は順位が落ちたことを「課題として受け止める」とし、指導要領の改訂で理数の授業増や各教科で言語力の育成などを盛り込む方針。これが、調査で浮かんだ課題への対策の中心となる。
 国際的にみると、読解力では韓国が1位(前回2位)、数学的リテラシーでは台湾が初参加で1位、科学的リテラシーではフィンランドが前回に引き続き1位だった。
 今回最も力を入れて調べた科学的リテラシーを詳しくみると、日本は「証拠を用いる」能力で2位だったものの、「疑問を認識する」で8位、「現象を説明する」で7位と、自ら課題を設定し説明する力に弱点があった。
 PISAではアンケートも実施。科学に興味・関心や楽しさを感じている日本の生徒の割合は、さまざまな質問でOECD平均を軒並み下回った。

【科学への関心、日本最低】

 経済協力開発機構(OECD)による3回目の国際学習到達度調査(PISA)の結果が4日、公表された。科学的リテラシー(応用力)と数学的リテラシーの2分野で順位を4つ、読解力でも1つ下げた。全般的に見て、成績の低落傾向にまだ歯止めはかかっていない。成績上位国と比べ、理解度が低い層が目立ち、学習に対する意欲や関心は最低レベルといった課題も見えてくる。

<科学的応用力 6位転落、意欲も課題>
 PISAでは問題の難易度や正答率を考慮し、解答者がどの程度の理解度を示しているか、段階分けしている。今回の06年調査でもっとも重点的に調べた科学的リテラシーの分野では、最も高いレベル6から1未満までの7段階。レベル2未満では日ごろの生活に適応できない心配があるという。
 日本は今回、レベル6が2.6%とOECD平均の1.3%の倍。この最上位層が最も多かったのはニュージーランド(4.0%)で、以下、フィンランド、イギリス、オーストラリア、日本と続く。一方、日本のレベル1未満は3.2%(OECD平均5.2%)、1は8.9%(同14.1%)だった。
 OECD平均との比較ではなお好成績と言えるが、成績上位国と比べると弱点が見えてくる。
 科学的リテラシーで前回に引き続き1位になったフィンランドは、レベル1未満が0.5%、1が3.6%。前回3位で今回は2位に上がった香港も、1未満が1.7%、1が7.0%にとどまる。日本の成績を上げるには、理解度の低い子どもたちをいかに減らすかが課題となる。
 
 PISAでは、テストに加え、科学に関する関心や意欲をアンケート方式で調べている。こちらの調査でも日本は低い結果となった。
 例えば、「科学についての本を読むことが好き」は36%で、参加した57カ国・地域中最下位。「科学に関するテレビ番組をみる」「科学に関する雑誌や新聞の記事を読む」はともに8%で、やはり最も低かった。
 理科の授業について、「習った考えを日常の問題に応用するよう求められる」11%、「クラス全体で討論などする」4%は、いずれも最下位。
 文部科学省は「小中ではかなり力を入れ各種調査で関心や意欲が上がっているが、高校はまだそこまで至っていない」と説明するが、「それにしても低すぎる」と課題があることは認める。カリキュラムにはなお見直すべき点がありそうだ。

<数学的応用力・読解力 低位層の多さ目立つ>
 点数はOECD平均で毎回500点になるよう調整されている。各国の得点の変動を統計処理してみると、数学的リテラシーでは、インドネシア、メキシコ、ギリシャ、ブラジルが前回より成績が上昇。逆に、日本、フランス、オランダなど9カ国は下がった。
 読解力では今回、香港、韓国、ポーランドが前回から上昇。特に韓国は22点伸びて556点となり、フィンランドを上回って首位に。一方、スペインやノルウェーなど6カ国は下がった。
 日本の読解力の得点は前回も今回も498点で、横ばいだった。ただし懸念もある。前回03年調査と共通で出題された28題をみると、平均正答率が62%から60%に低下。正答率が5ポイント以上変化した問題は7問あり、うち6問は下がった。
 数学的リテラシーと読解力でも、科学的リテラシーと同様に、成績上位国と比べた日本の低位層の多さが目立つ。
 レベル1未満とレベル1の合計は、数学的リテラシーで13.0%、読解力では18.4%となる。一方、2分野でそれぞれ1、2位を分けたフィンランドと韓国をみると、数学的リテラシーがフィンランド5.9%、韓国8.8%、読解力ではフィンランド4.8%、韓国5.7%。日本との差は明らかだ。

【私の意見】Up63

 2007年6月15日(金)のブログで1月14日の日本経済新聞の記事を引用して【小さな教育大国フィンランド学力世界トップ】としてとりあげました。その記事の一部をもう一度引用します。

 国際的な学力調査で、日本を上回る世界トップ水準を誇るフィンランド。人口わずか520万人、国土の4分の1は北極圏にある国が、学力で世界のトップに位置する原動力はどこにあるのか。少人数のクラスや集中的な補習でやる気を引き出す、受験競争とは正反対の「落ちこぼれ」を徹底的になくす取り組みが、小さな教育大国を支えている。

 「家庭の事情などで読解力が劣る子がいるのは当たり前」とカララハティ校長(62)が言うように、同国では補習は特別なことではない。全小中学生の2割が何らかの補習を受けており、幼稚園にも補習クラスがある。補習を受ける子も「私は勉強が遅れているのでこのクラスに入った」と恥ずかしがらずに話す。
 「重要なのは生徒のやる気をいかに引き出すか」ど同中学校で補習クラスを担当する教師、イハライネンさん(47)。補習での学習指導のみならず、生徒の集中力を高めるためのコンサルティングを行ったり、「生徒とのコミュニケーションが大切」と、インターネットなども使い家庭と連絡を取り合うことも。

教育省のピルフォネン部長は「資源のない小国なので人材を無駄にできない。問題を抱えた子どもを放っておかないことが最も重要だ」と強調する。

 日本も資源のない小国でしたが、外国の資源を活用しながら大国になりました。その間に私たちの足元が大きく崩れてしまいました。朝日新聞の社説は「十分な教員の数とともにその質を上げることが必要だろう」と述べていますが、これだけでは事の本質を見失うと思います。フィンランドの「問題の抱えた子どもを放っておかない」という考え方には、単に学力の問題としてとらえるのではなく、一人ひとりの子どもの尊厳を重んじ、一個の人間としての成長を後押ししようという気概があります。
 格差を容認し助長しているわが国のような社会では、成績の低い子どもたちについて“やる気のない、やっかい者”とのレッテルを貼りがちです。OECD15歳学力調査はわが国の社会が根の深いところから腐ってきている警告であることを、私たちは真剣に受けとめなければいけないときにさしかかっています。

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2007年5月24日 (木)

平岩元経団連会長死去 経済超えた見識

                        (5月23日 朝日新聞より)

【平岩外四氏死去】

 経団連(現日本経団連)会長や東京電力社長、会長を務めた平岩外四(ひらいわ・がいし)さんが22日午前10時56分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。

【政治献金のあっせんを廃止】

 経済同友会代表幹事を務めた木川田氏の影響もあって、早くから財界活動を始め、90年代に第7代の経団連会長に就き、94年5月まで3年半務めた。公益事業出身の会長は初めてだった。
 細川内閣当時の93年9月、正副会長会議で経団連が続けてきた政党への政治献金のあっせんを廃止することを決めた。非自民の細川連立政権が発足し、自民党の一党支配体制が崩れるなか、企業献金を批判する世論に配慮した。平岩氏自身は企業献金は廃止すべきだとの考えだったが、副会長には慎重論が強く、経団連のあっせんを廃止した上でうえで一定期間ののちに廃止を含めて見直しを求めていくことになった。

【地球環境憲章・企業行動憲章をつくる】

 91年に経団連の地球環境憲章を作成。証券・金融不祥事を受けて企業行動憲章もつくり、企業が守るべき指針を示した。米欧との経済摩擦を解消するための考え方として「共生」を前面に打ち出し、社会や環境にも広げようとした。また、副会長が重厚長大産業に偏していたのを改め、流通や食品など消費者に近い産業からも選んだ。

【政治献金の復活に疑問視】

 日本経団連は奥田碩会長になり、04年、政治献金を復活。ただ、経団連が政党の政策を評価して、各企業が献金する仕組みになり、平岩氏は「寄付に注文をつけるのか」と疑問視していた。

【靖国神社に参拝しない】

 平岩氏の原点は第2次世界大戦。東京帝大を卒業、東京電灯に入社したが、40年に出征。ニューギニア戦線の部隊117人のうち生還したのは7人。その中の1人だ。
 平岩氏は、靖国神社を参拝しない。「多くの若者の死は惨めなものだった。飢えたり、おぼれたり。靖国の玉砂利の上にいるとは思えない」

【経済に愛国心などの強権の論理は入っていない】

 小泉前首相の靖国参拝に批判的で「ナショナリズムの高まりには注意しないといけない。昭和初期の空気に似てきている」と語った。安倍首相が進める憲法や教育基本法の改正にも「どうするつもりなのか」と首をかしげ、同調する経団連にも「経済には愛国心など強権の論理は入っていない」と批判的だった。

【労働市場改革に批判的】

 献金見直しと並ぶ平岩氏の功績は、93年の「平岩リポート」だ。細川首相(当時)の私的諮問機関「経済改革研究会」の座長として3ヶ月余で経済改革の方向性をまとめあげた。だが、最近の労働市場改革には批判的だった。「労働の基本形に派遣や請負を位置づけるの良くない。雇用契約は正社員が基本だ。財界から、敗戦直後の労働運動の記憶が薄れつつある」
 労働争議が激しくなる中、東電の労務係長として労組幹部の説得に奔走した。今のままだと労働者の反発が強まるおそれがあると心配していた。

【私の意見】Up63_27

 朝日新聞は「企業倫理を的確に判断 巨星墜つ」との中見出しをつけていました。同感です。平岩氏は企業のあり方を広い視点から追求した人であり、現在だけではなく未来を見据えて提言し、実行した人だと思います。すぐれた人を亡くしてとても残念です。長い間ご苦労さまでした。

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2007年5月21日 (月)

国民の血が流れる首相の有識者懇談会

                        (5月19日 朝日新聞より)

【首相「悲願」へ一歩】

 安倍首相が指示した集団的自衛権の研究が18日、有識者懇談会で本格的に始まった。日本の安全保障の体系を抜本的に見直すことにつながる可能性があるだけに、議論の行方に内外の関心が集まる。安倍首相は憲法改正の手続を定める国民投票法を手にしたことに加え、安倍路線のもう一つの骨格を鮮明にしようとしている。

<首相発言要旨>

 北朝鮮の核開発や弾道ミサイル、国際テロ、地域紛争など我が国を取り巻く安全保障環境は格段に厳しさを増している。PKOなど国際的な平和活動に一層積極的に関与する必要がある。日米同盟がより効果的に機能することが重要で、強固な信頼関係なしに同盟関係は成り立たない。
 新たな安保政策には明確な歯止めが必要だ。これまでの政府の見解を念頭に置きつつ、国民を守るための最良の方向性について提言してほしい。

<首相が示した集団的自衛権、4類型イメージと論点、課題>

 ① 公海上で米軍艦船への攻撃に対して自衛隊が
   対処する。
 ② 米国に向けて発射された弾道ミサイルを自衛隊
   のMDシステムで迎撃する。
 ③ 多国籍軍による人道復興支援やPKOで共に行
   動する他国軍への攻撃に自衛隊が対処する。
 ④ 前線への武器輸送を認めるなど後方支援の範
   囲を広げる。

 懇談会設置をチャンスとみるメンバーも多い。
 この日、首相が示したのは4類型に過ぎないが、懇談会の雰囲気は、安全保障体系全体の見直しだ。柳井俊二座長は記者会見で「常識にかなった結論に到達したというのが、多くの委員の発言だ」と説明。集団的自衛権の行使容認が大勢を占めたことを明かした。

【懇談会の人選に偏り 解釈変更は改憲が筋
                   秋山・元内閣法制局長官】 

                    (5月18日 朝日新聞 論考より)

 -有識者懇談会の人選をどう思いますか。
 非常に偏っていると思う。従来の政府解釈に批判的な立場の人ばかり。安倍首相と異なる主張の人は見あたらない。
 -なぜ政府は集団的自衛権の行使を容認していないのですか。
 政府見解では日本が自衛権を行使するには三つの要件が必要だ。①わが国への急迫不正の侵害 ②他の適当な手段がない ③必要最小限度の実力行使にとどめる の3要件だ。特に「わが国への」という点が重要で、他国が攻撃されても自衛隊が応戦できるという解釈はできない。
 -かつて安倍首相の質問を受けていますね。
 首相が自民党幹事長だった04年1月の衆院予算委員会で、「集団的自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最小限の範囲を超え、憲法上許されない」という81年の政府答弁書について「『必要最小限』というのは数量的な概念であり、行使を研究し得る可能性はあるのではないか」と聞かれた。
 内閣法制局長官だった私は誤解を解くいい機会と思った。答弁書は自衛権行使の3要件を満たすことを前提としており、それは数量的ではなく質的な概念だということを丁寧に説明した。だが、首相は当時の疑問が今も解けていないのだろう。
 -与党には内閣法制局の憲法解釈は硬直的だという批判もあります。
 政策論として集団的自衛権の行使を認めるべきだ、という主張は理解できる。だが、それは法律論ではない。憲法9条は、自衛隊の行動に国際法の基準以上の厳しい制約を課している。強引に解釈を広げれば、国際法と憲法の解釈が一致し、憲法の意味がなくなる。
 -政府解釈の変更はやはり無理だと。
 内閣法制局は憲法の規範的な意味を守ってきた。首相はそうした積み重ねを無視しないで欲しい。時の政府の判断で解釈を変更できるなら、公権力を縛る憲法の意味が失われてしまう。歴代首相が集団的自衛権の行使を「真っ黒」(違憲)と言ってるのを「真っ白」(合憲)にするのは至難の業だ。解釈変更をしたいのなら、憲法改正で正面から対応するのが筋だ。

【集団的自衛権研究 「日中関係に影響」山崎氏が首相批判】
                    
(5月18日 朝日新聞より)

 自民党の山崎拓・元幹事長は17日の自民党の集団的自衛権に関する特命委員会(中川昭一委員長)で、安倍首相が「集団的自衛権の研究」を掲げて安全保障上の制約見直しを進めていることについて、「参院選を控えた時期に、日中関係にも一石を投じるような議論をわざわざする必要があるのか」と批判した。
 山崎氏は4月末に訪中した際に中国共産党幹部が中国の軍備拡大の狙いについて「台湾開放への備え」と説明したことに触れ、「(中国は)靖国問題より台湾問題に敏感と知ったうえで議論を進める必要がある」と指摘。首相の私的諮問機関に関して「必ず台湾問題の議論が出る。自衛隊の活動を広げるための周辺事態法の改正となれば、日中関係に大きな影響を及ぼす」と懸念を示した。

【私の意見】Up63_26

 安倍首相が示した4類型は日本を米軍の後方支援どころか、日本を米軍の前線基地として米本土を守るための戦場と化そうとするものです。日本国憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と明記しています。有識者懇談会は安倍晋三が首相という立場にありながら偏った人たちを集めて議論をさせることそのものが憲法違反です。
 それにしても安倍首相は日本が前線基地となったときに多数の日本国民の血が流れるということについて思いが及ばないのではないのでしょうか。有識者懇談会を立ち上げるのならまずそのことから始めるべきでしょう。

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2007年5月11日 (金)

仏バスチーユ広場のデモと戦後レジーム

【サルコジ氏に反発 暴動やまず】
                       (5月9日 朝日新聞より)

 フランス大統領選で当選したサルコジ氏に反発する若者らの暴動は、開票日翌日の7日夜も収まる気配をみせなかった。パリではバスチーユ広場に結集したデモ隊が警官隊と衝突。商店が壊されるなどの被害が出た。
 サルコジ氏は移民や犯罪に厳しい態度で知られ、反発する左派系若者たちが6日夜、仏各地で騒ぎを起こした。治安当局によるとこの夜だけで730台の車が燃やされ、逮捕者592人。警察官78人がけがを負った。
 騒動は7日夜も続き、小規模なデモの群れがバスチーユ広場に集まって数百人に膨張。周囲の商店や看板を壊し、車両を焼いた。いったん解散したものの、深夜になって再び若者らが結集。警官隊とぶつかり、200人以上が一時拘束された。
 西部ナントでも数百人規模の反サルコジ・デモが暴動に発展。ショーウィンドーを壊すなどし、警官隊が介入した。リヨンやカーンといった主要都市でも数百人規模のデモがあった。
本人は保養地 家族とヨット
 当のサルコジ氏は休養宣言し、7日から行方をくらました。当初はコルシカ島に行ったとのうわさが流れ、仏メディアが一斉に島内を捜索する騒ぎに。実は地中海の島国マルタのヨットの上で家族と優雅に過ごしていることが同日夕わかった。

【サルコジ氏豪華休日に波紋】
【地中海でプール付きヨット・・・】

                    (5月10日 日本経済新聞より)

 フランス次期大統領ニコラ・サルコジ氏(52)が選挙の疲れを癒すためにとった「休暇」が豪華すぎると波紋を広げている。6日夜、パリのシャンゼリゼ通りに面した高級ホテルに宿泊。翌朝、地中海のマルタ島へプライベートジェット機で飛び、プール付き豪華ヨットで一晩を過ごした。
 プライベートジェット機はメディア関連企業を傘下に置く仏ボレロ社が所有。ヨットも同社のトップ、ヴァンサン・ボレロ氏から借りたという。仏紙パリジャンの試算では合計費用は最低でも20万ユーロ(約3200万円)。「派手すぎる」との批判が噴出した。
 ボレロ氏は仏紙ルモンドに対し「個人的に招待した」と表明。サルコジ氏はマルタ島で「何が問題なのかわからない。ボレロ社は政府の仕事を請け負ったこともない」と癒着の疑いを否定した。
 一方パリの一部大学では学生がサルコジ氏が掲げる大学改革に反対してキャンパス封鎖とストの実施を決めた。サルコジ氏の当選以来、車への放火などの騒ぎが相次いでいるが、同氏はこうした混乱についてはコメントしなかった。

【私の意見】Up63_23

 バスチーユ広場はフランス革命(1789年)の際民衆が最初に蜂起した場所です。フランス国民はアンシャン・レジーム(旧制度)をこわし自分たちの手で人間の自由、平等や人民主権の原則および私有財産権の不可侵を勝ちとりました。多くの日本人は小泉前首相が“改革!”“改革!“と叫ぶと簡単にそうだ改革は必要だと信じ、小泉前首相が“抵抗勢力!“というレッテルを貼れば簡単にそうだあいつらは悪い奴だと簡単に思いこむ傾向があります。安倍首相が戦後レジームを大胆に見直すと言えば中味を吟味することなく“いつまでもGHQの押付け憲法でしばられることはない“という議論に走る傾向があります。フランス人はサルコジ次期大統領が“改革!““改革!“と叫んでも改革の中味を自分たちの目と耳で吟味する慎重さがあります。ましてやサルコジ氏がアンシャン・レジーム後の新レジーム(新制度)の大胆な見直しなどを本気で言えば革命になるでしょう。フランス人は政治的・社会的成熟度において日本人よりはるかに高いものをもっていると思います。日本の戦前こそアンシャン・レジームなのに、安倍首相が戦後の民主制度を戦後レジームと呼ぶのはフランス語ならびに戦後制度を冒とくするものだと思います。

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2007年4月21日 (土)

視野の狭い経団連「希望の国,日本ビジョン」

【希望の国、日本ビジョン2007】 
           
((社)日本経済団体連合会、2007年1月より)

 社団法人日本経済団体連合会(経団連)は2007年1月「希望の国、日本 ビジョン2007」を発表しました。その内容を紹介します。

【はじめに】

 21世紀に入ってから日本は改革を進めてきた。道のりは苦しく険しいものだったが、ようやくその成果が現れてきている。
 嵐の日々は過ぎ、そこここに木漏れ日が射している。眼差しを上げて行く手を望めば、明るい青空も見える。

 バブルの崩壊の後、長く低迷していた経済は力強さを取り戻している。2002年度以来、実質成長率は4年連続プラスとなっている。雇用情勢も大きく改善している。長引いたフロー、ストック両面でのデフレもようやく終息しつつある。
 企業部門の立ち直りはめざましい。ヒト、モノ、カネの三つの過剰にあえいでいた1990年代とはさま変わりし、引き締まった筋肉質の企業体質が形成されている。
 政府部門の改革も進んでいる。難攻不落に思えた郵政事業は民営化されることになった。年金など社会保障制度の見直しもようやく始まり、地方分権改革も動き出した。

 そして今、われわれの前で道は大きく二手に分かれている。一方には、先行きをさまざまに思い悩み、弊害が最も小さくなる道を進むことを主張するひとびと(弊害重視派)がいる。弊害重視派は、所得格差の拡大、都市と地方間での不均衡など不平等の問題を厳しく指弾する。そして、改革を中断しても、その是正を急ぐことを訴える。税や社会保障を通じた所得再分配の拡充や公共事業の拡張が弊害重視派の処方箋である。

 他方には、ベストのシナリオにチャレンジするひとびと(成長重視派)がいる。成長重視派は、いわゆる弊害は、グローバル化や少子化などがもたらす歪みであり、改革の手綱を緩めれば、かえって事態は悪化すると考える。改革を徹底し、成長の果実をもって弊害を克服する、これが成長重視派の基本スタンスである。
 もちろん、現実には、折衷的な立場が最も多い。しかし、いずれを重視するかで、道は分かれる。矢が的のすぐ傍らを通り過ぎるのと、的に命中するのでは結果は大きく異なる。
 経団連は、現実を重視し、冷静慎重に制度設計を行うことが必要と考える。その上で、2006年5月の定時総会において、「INOVATE日本」の旗印の下、科学技術を基点とする狭義のイノベーションのみならず、経済や社会のシステム、そしてその根底にある教育や国・地方のあり方、憲法などの改革(広義のイノベーション)に勇敢に取り組み、より豊かな経済社会を実現する、との方針を打ち出したように、弊害重視派の指摘に耳を傾けつつも、基本的に成長重視の選択を提言する。
 今後10年間を視野に入れた本ビジョン「希望の国、日本」では、なぜ経団連が成長重視の選択をするのか、その目標はなにか、目標の実現のためになにをなすべきか、を明らかにする。
                        (1~3頁)

【労働市場改革】

 労使の果たすべき役割も大きい。遅々としたものであったが、これまでの規制改革の結果、企業の外では、専門的技能や知識を適正に評価する流動性の高い労働市場が形成されつつある。「格差是正」の名目の下に、これを年功型賃金、定期昇給に代表される旧来型の枠組みに抑え込むようなことがあってはならない。労使も、労働の流動性を高め、再チャレンジのチャンスを拡げる観点から、もはや形骸化した「春闘」や、正規・非正規の区別にとらわれることなく、多様な就労・雇用ニーズへの対応、役割や仕事、業績に応じた人事・報酬制度の整備をはじめ、それぞれの企業において「内なる改革」を進めていかなければならない。
                        (73~74頁)

【教育再生、公徳心の涵養】

 自らの国を愛する心がなければ、他国の国民感情を理解し、尊重する心は生まれない。愛国心を持つ国民は、愛情と責任感と気概をもって、国を支え守る。しかし、愛国心は、侵略や軍国主義とは無縁である。むしろ、諸国民が、健全な愛国心を持ち、他国の国民と対等に接し、協力・強調することが正義と秩序を基調とする国際平和につながる。
 愛国心は、改革を徹底していく前提でもある。これからわれわれが進む道は決して平坦ではない。石くれやいばらも多く、痛みも覚悟しなければならない。国民に国を愛する心がなければ、「希望の国」に至る道筋を歩み続けることはできない。
                        (82~83頁)

【政治への積極的参画】

 経団連は、役職を問わず広く企業人の政治意識の深化・向上に努め、積極的な投票を呼びかけていく。また、民主政治を支え、真摯に政策の企画・立案・実施に取り組む政党を支援するため、政党の政策評価を実施するとともに、会員企業にCSRの一環として自発的な政治寄付を促していく。さらに、政党との政策対話をより深めていくとともに、政策人材や政治任用者などの育成の場を充実させていく。
                        (88頁)

【憲法改正】

 政治の基本的な枠組みは憲法である。戦後、日本は、現行憲法の下、自由と民主主義に基づく開かれた社会を築き、奇跡的な復興と経済発展を成し遂げた。しかし、現行憲法が一度も改正されずにきたなかで、規定と現実の乖離、国際平和に向けた主体的活動の制約など、多くの問題が生じている事実を直視しなければならない。
 まず、安全保障の問題が挙げられる。東西冷戦の終了後も、日本を含む東アジア地域においては、北朝鮮の核開発・ミサイル実験など、安定的な安全保障環境が必ずしも確保されていない。また、国際テロなど新たな脅威に対して国際社会が団結して取り組む必要が高まっている。国民の安心・安全を確保するために必要な安全保障政策を再定義し、その展開を図っていくことが求められている。しかし、自衛隊や集団的自衛権の憲法上の位置づけが不明確であり、実効ある安全保障政策の展開が制約されている。
 自衛隊による国際貢献活動にも影響が出ている。日本は、国際社会の一員として、世界平和や国際社会が抱える課題解決に主体的にかかわっていくことが求められている。しかし、国際貢献に関する基本的な考え方が不明確で、問題が起こるたびに特別措置法を制定していたのでは、国際社会の期待や情勢の変化に応じて積極的かつ機動的に対応することもままならない。自衛隊が国際社会と協調して国際平和に寄与する活動に貢献・協力できる旨を、憲法上、明示する必要性が高まっている。
 1946年の制定当時と比較し、内外情勢も、国民意識も大きく変化している。憲法の歴史的価値をたな卸しし、引き継ぐべきもの、新しく創造するもの、変えるものを整理し、より国家理念にふさわしい憲法に改正していく必要がある。経団連は、2010年代初頭までに憲法改正の実現をめざす。
                        (89~90頁)

【キャノンの今期純利益5200億円 8期連続最高益更新】
                  
(日本経済新聞 4月20日より)

 キャノンの収益拡大が続いている。2007年12月期の連結純利益(米国会計基準)は前期比14%増の5200億円前後と8期連続で過去最高を更新する見通しだ。従来予想を約250億円上回り、初めて5000億円を超える。複写機やデジタルカメラなどの販売が好調なため。純利益が5000億円以上の国内企業(05年度実績、金融機関は除く)は、トヨタ自動車、NTTドコモ、ホンダ、日産自動車の4社にとどまっている。

【私の意見】Up63_18

 財界も日本政府も成長重視、愛国心教育、労働の規制改革(非正規雇用の拡大の容認)、憲法9条改革と正に瓜二つです。キャノンは空前の利益を挙げる中、偽装請負や派遣労働者を増やし続け民主党が御手洗富士夫氏(経団連会長、キャノン会長)の証人喚問を求めていました。「希望の国、日本」が述べるように確かに大企業には明るい青空が見えているかもしれませんが、中小企業は視界不良で倒産が今なお増えています。大企業の好業績と国民の幸福が一致しないことは、大企業において働き盛りの正社員に増え続けているうつ病、低賃金で働かされる請負、派遣労働者の拡大からも明らかです。残念ながら今の大企業経営者の中に幅広い視野をもつ人が少なくなってしまい、自企業の目先の利益しか考えられない人が多数派となりました。経済界や日本政府に卓越した識見と幅広い視野をもったリーダーが登場するのは一体いつの日なのでしょうか。

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2007年4月20日 (金)

全家連について破産手続開始を申立

 新聞・テレビ等で報道されましたが、去る4月17日精神障害者の家族の方を中心とした全国組織である財団法人全国精神障害者家族会連合会(全家連・ぜんかれん)について、私他 銀座通り法律事務所の弁護士が代理人として破産手続開始の申立をしました。
  全家連は精神障害者のための最大の障害者団体でした。1994年(平成6年)7月精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第51条の2に基づき,厚生大臣(当時)から「精神障害者社会復帰促進センター」(全国を通じ1個に限る)の指定を受けるなど国もその存在を認知していました。
 補助金の目的外使用が発覚して全家連が存亡の危機を迎えた4年前から私は相談を受けてきました。家族は苦しい中で2000円募金をして8000万円位になりましたが負債の返済には到底届かず今回力尽きて破産手続開始申立という苦渋の選択をしました。
 全家連は4月17日をもって41年余の歴史を閉じたことになります。“ぜんかれん誌”は孤立しがちな全国の精神障害者と家族の心の支えの役割を果たしてきました。全家連が閉じたのちも,精神障害者及びその家族にとって,心の支えとなる全国的な組織が不可欠です。
 特に今日,障害者自立支援法の施行など,障害者福祉制度の改革が進むなか,全国の精神障害者及びその家族は連携をとって制度の改善に取り組む必要があります。

 近い将来,全家連に代わる新たな全国組織が結成されることを期待しています。

【お詫び】

 この手続き等のためブログの更新ができなかったことをお詫びします。

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2007年4月 8日 (日)

景気回復と無縁の中小企業経営と倒産

【東京地方裁判所民事20部(破産・再生部)】

 東京地方裁判所には、行政部、労働部、知的財産部、交通部等の専門部があります。企業や個人の破産事件を扱う破産専門部が民事20部です。企業や個人の再生(再建)を図る法的手続きを定めた民事再生法が2000年4月1日に施行され、これも民事20部が扱うことになりました。それまで民事20部のことを破産部と称していましたが、名称も破産・再生部に変更されました。企業再建のための法的手続きとしては別に会社更生法にもとづく会社更生手続があり、これは主として大型の企業が経営危機に陥ったときの再建手続で東京地方裁判所では民事8部(商事部)が扱っています。しかし、民事再生法施行後は大型の企業再建事件についても民事再生手続が利用されるようになりました。現に私が裁判所から選任されて監督委員(再生手続が公平・誠実に行われているか監督する者)に就任した株式会社池貝、株式会社川奈ホテル、ジャパン石油開発株式会社をとってもいずれもビッグな会社の再建事件です。

【ある中小企業の民事再生申立事件】

 私個人として3月22日にヘビーな労働事件の証人尋問が終わりやれやれ少しゆっくりできるかなと思っていましたが3月下旬から4月にかけて企業や個人の再建や破産で民事20部に頻繁に足を運ぶことになりました。
 ある中小企業(A社)が3月末の手形決済資金が足りず、再生手続開始の申立てをしました。ある都市の歴史ある企業であり、工場をもち経営者も真面目な人柄で取引先からも信頼されていましたが、力尽きて法的再建の道を選ぶ結果となりました。その都市も歴史の深い静かな都市で、裁判所に申立てた日は丁度桜が満開で、落ちついたまちなみと桜の花の美しさに一瞬みとれました。国は大企業や大銀行だけを手厚く保護しておきながら、こんな静かなまちのこんな真面目な中小企業まで存亡の危機に追い込む国の政策に強い憤りを覚えました。

【中小企業の開廃業・倒産の動向】
        (2006年版「中小企業白書中小企業庁編より)

 中小企業白書にもとづいて、中小企業の現状を見てみます。

【中小企業の減少】             (同書28~29頁より)

 我が国の廃業率は、近年は上昇傾向にあり、中でも2001年から2004年の期間においては企業数ベースで年平均6.1%と過去最高の水準になっている。この結果、開業率がわずかに上向いてることを差し引いても、廃業率が開業率を大きく上回り、その差は事業所数ベースで2.2%、企業数ベースでは2.6%と更に拡大し、この統計が取り始められた1947年以降いずれも最大となっている。
 こうした開廃業の動向を実際の企業数ベースでも見てみよう。開業企業数は1994年から1996年に年平均14.3万社まで減少した後増加に転じ、2001年から2004年には年平均16.8万社となっている。一方、廃業企業数は同じ期間で年平均17.2万社から29.0万社に増加しており、2001年から2004年をとるとその差は実に12.2万社にのぼっている。この結果、1986年のピーク時には535.1万社を数えた我が国企業数(全企業数ベース)も、2004年では433.8万社まで減少している。同じく1986年から2004年の間に、中小企業数も532.7万社から432.6万社まで減少した。

【法的倒産件数の増加】          (同書40~41頁より)

 我が国の倒産件数自体は、2001年の19,164件をピークに低下を続けてきており、2005年には12,998件と大きく減少、バブル崩壊後の最低水準となった。これを形態別に見ると、近年は銀行取引停止処分による倒産件数の減少が大きく、全体的に手形をはじめとする企業間信用が減少している中、不渡り手形を出して銀行取引停止処分となる企業が減少している可能性も考えられる。
 全体として倒産件数に一服感が出ていることは事実であろうが、一方で法的申立による倒産件数自体は破産を中心に増えていることからも、先に見た足下の倒産件数の減少をただちに倒産件数の改善であると直結して判断するには注意が必要である。

 注) 手形の利用が激減し、東京地方裁判所でも手形部という専門部を縮小しました。手形を利用しないため手形不渡りという倒産事件は減りましたが、実質的に破綻した企業は減っていないと言えます。

【私の意見】Up63_17

 多くの中小企業は金融機関の不良債権処理でなぎ倒されました。不良債権の発生には金融機関の側にも大きな責任がありましたが、金融庁は金融機関の保護を最優先し徹底した貸しはがしを指示しました。それでも生き残ってきたA社のような中小企業も大企業ばかりが強くなって厳しい経営を続けさせられてきました。A社はバブル期も踊ることもなく、堅実な経営を続けていました。しかしゆとりのできた大企業が自社で製造するなどにより取引額が大幅に減少しました。その上、原油価格の高騰により仕入れ価格が高騰しましたが買い手は価格の上乗せを認めてくれず、働いても働いても損失が拡大していきました。A社ではこの間都内の本社社屋を売却し、地方都市にある工場の3分の1の土地を売却してしのいできましたが、それでも自力で生き延びることはできませんでした。日本の製造業の強みはいぶし銀のような中小企業が創意・工夫のもとにすぐれたモノづくりを支えていたところにありました。今存続している中小企業も大企業の顔色をうかがいながらなんとか生きているというのがほとんどです。働いている日本人の7割が中小企業で働いています。個人だけでなく企業も明らかな格差社会となってしまいました。輸出型大企業やメガバンクばかりを保護する日本政府の政策では、多くの人々に笑顔がもどることはありえないことでしょう。

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2007年1月17日 (水)

阪神・淡路大震災から12年

【阪神淡路大震災】     ウィキペディア(Wikipedia)より

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生したマグニチュード7.3、震源の深さ14K(大都市)直下型の大地震による災害です。

淡路島、列びに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・池田など)を中心に大きな被害をもたらし、特に神戸市街地は壊滅状態に陷りました。

死者:6,436名、行方不明者:3名、負傷者:43,792名、避難人数:30万名以上という被害となりました。

【阪神大震災と私】

私は神戸の出身ですので、私の親戚、友人、知人が大きな被害を受けました。叔父(当時故人)の家が全壊し私と同じ年のいとこが亡くなりました。
多くの友人の家が全・半壊しました。長田区から発生した火災は須磨区、兵庫区にもひろがり私の出身中学である鷹取中学のまわりは焼け野原のような状況になりました。
神戸のまちを歩くと1階がつぶれ、車が下じきとなっている家がすぐ目につきました。阪神間は地震の少ない地域と考えられていましたので、信じられない情景ばかりでした。

【美しい神戸物語】

大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などライフラインは寸断され広範囲で全く機能しなくなりました。極限の状況の中で、神戸市民は助け合い美しい神戸物語をつくりあげました。
子どもの服や靴の小売業をしている、同級生のAさん(女性)は経営不振で途方に暮れている時に大震災に遭遇しました。Aさんは商品である子ども向けの服や靴をもって避難所になっている学校の体育館をまわり子供たちに無償で配って歩きました。
Aさんが3歳の女の子に靴をあげたところ、その女の子が母親に見せにいきました。ところがその母親がだいていた赤ちゃんはすでに死んでいました。ボランティアの若者も全国から集まりました。
アメリカなどでは震災や水害の直後に略奪、強奪が報道されていますが、神戸ではそのようなことは発生しませんでした。

【イラン地震のときにもしも日本政府が
          神戸市民と自衛隊を派遣していたならば】

2003年12月26日午前5時30分(日本時間午前11時)、イラン南東部でマグニチュード6.5の強い地震が発生しました。この地震で4万人を超える人が死亡しました。
このイラン地震について日本政府は人も物もほとんど送らず、援助しませんでした。小泉首相(当時)はブッシュ大統領の顔色をうかがい、見てみぬふりをしました。もし、日本政府がこのときに神戸市民をはじめとするボランティアと自衛隊を派遣していれば、世界における日本の信頼感は高まっていたことでしょう。
現在問題となっているイランの核開発問題についても米政府の陰でイランを非難するのではなく、独自の平和外交を展開できたに違いありません。狭い識見しかない無能なリーダーをいだくことは国民にとってとても不幸なことです。

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草島市議会日記

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