その他

2009年11月 9日 (月)

和解から30年 09年度スモンの集い

【スモンの集い】

 09年度スモンの集いが11月7日(土)午後10時~午後4時20分まで日本大学会館(東京都千代田区九段南)でもたれました。主催は厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患克服研究事業)スモンに関する調査研究班です(以下この研究班を「スモン調査研究班」と略します)。スモンの集いという言葉からはスモン患者が集まり互いの情報を交換したり、親睦を図る集りのように思えますが、主催者はスモン調査研究班であり、スモン調査研究班の医療研究者が患者に報告する会です。3名の患者から発病後の経過や現状について報告もありましたが、基本は医療関係者が中心の会でした。主催者側はこの会はスモン患者のための会ですと言っていました。スモン裁判係属中は、私たち原告側弁護士はスモン調査研究班の報告書の中から訴訟に有利なものを求めて、常に目を通していて、間接的に患者の方にも伝わりました。訴訟が終わるとそれも途絶えてしまいました。その意味ではスモン調査研究班が研究成果をスモン患者に伝えるのは必要なことだと思います。スモンの集いは06年度は岡山、08年度は福岡という風に全国各地で順次開催され、09年度は東京でした。

【スモンとスモン裁判】

 スモン(Subacute Myelo-Optico Neuropathy亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害の略)は整腸剤キノホルムの副作用による健康被害で、中枢および末梢神経が侵されることによる全身病的な特徴を有する疾患です。1970年9月8日にキノホルム剤の販売停止措置がとられるまでに1万名を超える人がスモンを発症しており、未曾有の大規模な薬害事件です。スモン裁判は全国各地の患者や遺族が国と大手製薬会社を被告に33地裁、8高裁で闘い、原告数は7561名に達しました。原告団と国と製薬会社は1979年9月15日に和解のため確認書に調印し、これにそって各裁判所で和解が成立しました。私は1978年3月1日に最初の勝訴判決を勝ちとった北陸スモン訴訟の原告代理人の一人でした。北陸スモン訴訟の金沢地裁判決は国と製薬会社の責任を認めた画期的な判決でしたが、他方で原因としてウィルスを否定しきらず、認容額も低く、判決の日は北陸に雪が舞っていましたので原告らは「雪より冷たい判決」と評しました。その後引続く各地裁の判決が金沢地裁判決の負の部分を乗り越えていきました。(参照:法政大学大原社会問題研究所ホームページ 「日本労働年鑑」第50集 1980年版 第二部 労働運動 VII 公害反対闘争

【スモンとスモン患者の高齢化】

 キノホルム剤の販売停止措置から39年が経過しました。スモン患者の高齢化が進んでいます。スモン患者のうち64歳以下の人が11.2%、65歳~74歳の人が31.7%、75歳~84歳の人が41.6%、85歳以上の人が15.5%です。スモン患者の90%近くは65歳以上の高齢者が占めていることになります。

 日本の65歳以上の高齢者(平均年齢74.8歳、平成17年度国勢調査結果より算出)では、要介護・要支援の認定を受けている人が、6.2人に1人(平成17年度介護保険事業状況報告)であるのに対して、平均年齢が類似したスモン患者(平均年齢75.7歳、64歳以下も含む)では要介護・要支援の認定を受けている人は2.3人に1人であり、スモン患者の要介護・要支援認定率が高くなっています。スモン患者はスモンによる症状に加え、高齢による機能低下が加わり日常生活が深刻な人が少なくありません。

【スモンの集いに参加して弁護士として感じたこと】

 スモンの集いがあることは親しいスモン患者のBさんから聞いてはじめて知りました。09年度のスモンの集いにおいて弁護士としての参加者は私1人のようでした。会場ではかつて共に裁判闘争で闘った患者の方にもお会いしました。和解のための確認書を交わしてから丸30年が経過しました。調印当時の厚生大臣であった橋本龍太郎氏も亡くなり、患者の方も亡くなった方が少なくありません。元気な患者の方も私たち弁護士の側も30年の歳月がたち、ともに高齢化したのは事実です。しかし先にも触れましたようにスモン患者にとっての高齢化の影響は一般の人にとっての高齢化の影響よりはるかに深刻です。そのことを思うとこの30年間弁護士として私たちにもっとできることがあったのではないかという思いに駆られました。加害者のない難病患者ではなく、国や製薬会社に責任のある薬害被害者として国等にもっと改善を求め続けていくことができたのではないか、私たち弁護士の側に解決後のサポートに欠けるところがあったのではないか、厚生労働省やスモン調査研究班の研究者に訴える面でもサポートできることがあったのではないか、というさまざまな反省の思いをもちながら会場を後にしました。

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2009年3月 8日 (日)

父の33回忌を終えて

【33回忌】

 3月7日に父の33回忌を終えました。父は1898(明治31年)に生まれ、1977年(昭和55年)に79歳で亡くなりました。33回忌は33年目(亡くなった年を含めて)行う法要です。仏教では亡くなってから33年がたつとどんな人でも無罪放免となり、極楽浄土に行けるとされているそうです。そのため年忌法要は33回忌で弔い上げ(とむらいあげ)とするのが一般的だそうです。私の長兄は1986年に亡くなり、兄嫁や長兄の長男(私の甥)が主宰して兵庫県川西市で執り行ってくれました。私も含めて他のきょうだいは33回忌を忘れるところでしたが、兄嫁がしっかりと気にとめていてくれて、無事法要を終えることができました。これから見ても弔い上げといわれるのがわかります。

【パックスブリタニカ時代の外国航路の船乗り】

 父は高等小学校卒業後、日本郵船株式会社に入社し、外国航路の船乗りになりました。父の船員時代は大英帝国の最盛期でパックス・ブリタニカの時代です。独学で英語を勉強し、船友から「清水は寝言も英語でしゃべっている」とからかわれたそうです。父の口からロンドンの話題はたびたび出ましたが、サンフランシスコやニューヨークの話題はほとんどありませんでした。
 戦前は人もモノも船で運ばれていましたから、横浜と神戸は新しい文化の発信基地として町全体があか抜けていました。今では人は飛行機でやってきますので、港にはコンテナしか運ばれてきません。港町が文化の発信基地の地位を走るのは容易ではなくなっています。父は1944年に妻(私の母)を亡くし、船を降りますが、父の華やかな時代もここで終わります。そして第二次世界大戦を境にパックス・ブリタニカの時代は終わり、パックス・アメリカーナの時代となります。

【姪と甥の成長】

 長兄と兄嫁の間には、娘、娘、息子の3人の子供がいます。長兄が亡くなったときは、25歳、23歳、18歳でしたが、それぞれ今では、4児、2児、4児の親となっています。頼りなくみえた姪や甥が人の親として成長している姿は驚きであり喜びです。片や私たち7人きょうだいは長兄以外は今まで元気に過ごしてきましたが、老化の波が押し寄せてきています。世の常とは言え、世代交代を感じさせてくれた父の33回忌でした。

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2009年1月 1日 (木)

A Happy New Year,2009

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 あけましておめでとうございます。
 今年も私のブログをのぞいていただきありがとうございます。
    

【世界金融危機】

 2008年は、2007年に発生した米国のサブプライムローン問題が、世界同時金融危機へと発展しました。100年に1度の出来事とか、世界大恐慌の再来とも言われていますが、実体経済と離れた金融資本主義が破綻し、その虚構性が白日のもとになったと思います。その中で、日本の銀行や証券会社は比較的軽傷であったとして、米英の金融機関やファンドに食指を伸ばそうとする動きがあります。

【銀行の公共性】

 しかし、私は今こそ日本の銀行は銀行法の求める公共性のある機関に立ち戻るべきだと思います。銀行法第1条は銀行法の立法目的を次のように規定しています。

 「この法律は、銀行の業務の公共性にかんがみ、信用を維持し、預金者等の保護を確保するとともに金融の円滑を図るため、銀行の業務の健全かつ適切な運営を期し、もつて国民経済の健全な発展に資することを目的とする」

 銀行法は広く国民から預金を預かり、これをお金を必要とする企業や個人に貸付け金利の回収を図ることを銀行の基本としています。かつて預金にも5%前後の金利がついていたため、老人等にとって重要な生活の原資でした。ところが、小泉・竹中改革は中小企業等への貸付はほとんどを不良債権に位置づけ、その貸はがしを金融機関に求め続けました。“間接金融から直接金融へ”のキャッチフレーズのもと企業等には、資金調達を銀行から借りる間接金融ではなく、証券市場から調達する直接金融を求めてきました。また、国民には“貯蓄から投資へ”と呼びかけて、銀行や郵便局に預けるのではなく証券投資を勧めてきました。しかし、中小企業や個人に証券市場から資金を調達することは不可能です。お金は経済活動をする上での血液と言われてきましたが、血液の供給が止まると破綻もしくは廃業しか残されていないのです。

【株価暴落と円高】

 株価が暴落しました。今回の暴落は多くの人の予想をはるかに超えるもので、多くの国民が痛手をこうむる結果となりました。また、損はしているけれど株価の下がっているうちに買い増して損を取り戻そうとしている人もいます。“貯蓄から投資へ”は日本人の生き方を変えているようで一寸淋しい思いがします。円高は日本の輸出産業を直撃しています。日本の自動車メーカーはアメリカの自動車メーカーを追い抜き世界の勝ち組みになったことを2008年12月16日のブログで触れましたが、日本でも世界でも起こっている自動車離れは日本のメーカーもあわてさせています。

【派遣切り、期間工切り】

 2008年の残酷物語は、派遣切り・期間工切りです。今や雇用労働者の3分の1以上が非正規雇用労働者です。労働者派遣法を改正し製造業にまで派遣を許したのは小泉内閣でした。派遣工や期間工の多くは、彼らが学校を卒業して就職しようとする時期が就職氷河期にぶつかり、常に社会からはじきだされてきました。30代という本来人生の最も充実している時期に、日本の有為な青年たちが生活の糧を失い、家を追われています。物があふれ、自然にも恵まれているわが国において、正規と非正規という差別構造をつくった政治家や経済人の罪には深く重いものがあります。

【額に汗する労働の価値】

 私たちは、額に汗する労働の価値を見直し、実体経済をより堅実に育てていくべきです。米国にかわって世界の金融資本主義の覇者になろうなんてとんでもないことで、また、なれるわけでもありません。良質のモノをつくり、良質のサービスを提供しながら、この島に住むすべての人々が、日本人も外国人も、貧しくもなく、ぜいたくでもなく、ほどほどの生活ができる社会を築いていきたいものです。また、世界に誇れる日本国憲法第9条を大切にして、私たちは世界の平和大使の役割を担っていきたいものです。

【私と弁護士生活】

 この4月で、私は弁護士になり丸40年となります。1969年4月青雲の志をいだいて全く縁のなかった石川県(金沢市)で弁護士としての第一歩を踏み出しました。早速4大公害事件の一つのイタイイタイ病公害訴訟事件(富山)の常任弁護団の末席に加わらせていただけたことは幸運でした。40年がたち“少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。”を身をもって感じる今日この頃です。

 2008年の後半から、事務所に寄せられるメール相談を私が積極的に担当してアドバイスするように心がけています。事務所の相談窓口は、銀座通り法律事務所の一般事件の他に、働く障害者の弁護団障害児・者人権ネットワーク働くうつの人のための弁護団働く市民の弁護団、があります。労働相談は毎日のように寄せられます。非正規雇用の雇用契約は事業者が合法的に解雇できる(雇用契約を打ち切ることができる)ため、弁護士サポートをしようにもできずに歯ぎしりすることが少なくありません。弁護士サポートができず、うつ病が深刻化している人も少なくありません。

 今年の春には、わが国最大の労働事件である鉄建公団訴訟事件の控訴審判決があります。最後の集団労働事件とも言われています。また、新年早々から個人の解雇撤回を求めて企業交渉を行うことになっています。私が監督委員をつとめる民事再生事件も大きなヤマをむかえます。のんびりとした生活をしたいのですが、またあわただしく一年が過ぎていきそうです。

 2009年はおだやかで、あたたかい一年でありますよう願ってやみません。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。

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2008年12月 1日 (月)

08年11月後半の私の弁護士日誌

 前回11月14日にブログ記事を書いてもう16日がたちました、今週も事件準備に追われ、まとまった記事を書くゆとりがありません。11月14日以降の私の弁護士日誌を公開させていただくことで替えさせていただきます。

〔11月14日(金)〕 
午前
 コンプライアンスの確立について顧問企業と相談
 私はいくつかの企業のコンプライアンス委員会の外部相談窓口を担当しています。私はコンプライアンス確立のためには“上からのべからず集の徹底”では不十分で、コンプライアンスの確立は働きやすい職場につながることを社員の側から確信することが大切だという考えをもっています。暗い重たいコンプライアンスではなく、社員の側に立った明るいコンプライアンスを提唱しています。
 セクシュアルハラスメントについても男性の管理職による男性に対するべからず集ではなく、女性社員の側からの女性にとって働きやすい職場とは何かという視点から考えることが大切だと思います。顧問企業の担当者(男性)も私の考えに賛同していただきました。

午後
 東京高裁第17民事部 鉄建公団訴訟についての今後の進行協議
 08年12月17日 双方最終準備書面を提出
 08年12月24日  最終弁論の上結審
 このスケジュールでいくと09年3月頃に判決の見通しです。

〔11月15日(終日)〕
 赤城山麓富士見村より日本の農業を考える
 群馬県勢多郡富士見村は赤城山頂を含む豊かな農村で、銀座通り法律事務所のベテラン事務局員小野清美さんの実家のある村です。11名が参加し小野さんのご両親や弟さんご家族のお世話になりながら農の重みをずしりと受け止めました。

〔11月19日(水)〕

 労働問題事例検討
 個人加盟の地域ユニオンの組合員の方々と現に緊迫している労働問題の事例の検討会を行いました。

〔11月22日(土)〕
午前
 全国働く障害者ユニオン執行委員会
 私はこのユニオンで顧問の立場にありますが、執行委員と11月30日(日)の「労働・雇用分野における障害者権利条約の国内法化を推進するネットワーク」(仮称)設立準備会のもち方について相談しました。
午後
 映画「蟹工船」を見ながら考える会
 映画を見たあと蟹工船当時の他の職場の労働環境(富岡製糸工場など)とわが国の現在の労働環境について意見交換をしました。

〔11月25日(火)〕
午後
 金沢大学法科大学院で「障害のある人の人権」というテーマで講演

〔11月27日(木)〕
午後
 東京都労働委員会
 労働組合の団交拒否事件についての調査期日


 鉄建公団訴訟弁護団会議

〔11月28日(金)〕
午前
 東京簡易裁判所墨田で労働事件に関する調停(第2回)

午後
 東京地裁民事20部で民事再生事件について申立代理人や裁判所と協議(2件)。私は監督委員の立場にあります。

〔11月29日(土)〕
 顧問会社の創立35周年のパーティーに出席。中小企業ですが、緊張感をもちながらも社員全員が前向きな姿勢をもっていて会社の将来の明るさを感じました。

〔11月30日(日)〕
午後
 「労働・雇用分野における障害者権利条約の国内法化を推進するネットワーク」(仮称)設立準備会
 障害をもって働く労働者の厳しい現実を変える力をもつ兵(つわもの)どもが勢揃いした感があり、うれしく思いました。
 
 

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2008年11月 4日 (火)

今週のブログはお休みします

 実は本日付で長編ブログ記事を作成したのですが、もう少し吟味したい点があり一旦削除しました。今週は7日(金)と8日(土)が事務所旅行となっていて新たに記事を書くゆとりがありませんので、申し訳ありませんが今週はお休みとさせて下さい。

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2008年10月27日 (月)

橋下徹 弁護士・知事としての資質を問う

【タレント弁護士】

 私は、普段はテレビについては衛星第一放送(BS1)をはじめとしてNHK(総合テレビ)、民放のニュースを中心に見ている。テレビ番組「行列のできる法律相談所」も橋下氏が刑事弁護人の懲戒請求を扇動した「たかじんのそこまで言って委員会」も見たことがない。参議院議員となった丸山和也氏も橋下氏も弁護士としては勿論、タレントとしても全く知らなかった。ただ橋下氏の懲戒請求扇動発言については直感的に「えっ?こんなこと扇動して橋下という弁護士が逆に懲戒を受けることにならないか?」という懸念をいだいた。広島地裁が10月2日橋下氏に対し刑事弁護人をつとめた4人の弁護士に1人あたり200万円計800万円の損害賠償を命じる判決を言い渡したことがきっかけで、橋下氏の当時の発言とその後の発言がクローズアップされ、私も多少関心をもつに至った。

Wikipediaより

 てっとり早く橋下氏の人物像を知るためウィキペディアで橋下徹を検索した。弁護士としての生き方においても思想・信条においても私とは全く相いれないことがわかりがっかりした。ブログにとりあげる意味を感じられず意欲が一気にしぼんだ。しかし、広島地裁が刑事弁護人の使命・職責について述べる点は重要な視点であり、とりあげることにした。

【広島地裁判決】

 広島地裁判決は次のように判示し、刑事弁護人の使命・職責を歪曲して無責任な発言をした橋下徹弁護士の責任を厳しい姿勢で明確にした。

<橋下氏の懲戒請求発言の内容>

 広島地裁判決は橋下氏の発言を次のように判示している(広島地裁判決全文 光市事件懲戒請求扇動問題弁護団ホームページより)。

 被告は大阪弁護士会に所属する弁護士であり、いわゆるテレビタレントをも業とする者であるところ、平成19年5月27日讀賣テレビ放送株式会社制作の「たかじんのそこまで言って委員会」と題する番組(以下「本件番組」という)に出演し、共演者らが本件弁護団の活動を批判する中で次のとおり発言した(以下順次「本件発言ア」ないし「本件発言オ」といい、併せて「本件各発言」という)(甲1の①及び②、弁論の全趣旨)。
  ア 「死体をよみがえらすためにその姦淫したとかね、それから赤ちゃん、子どもに対しては、あやすために首にちょうちよ結びをやったということを、堂々と21人のその資格を持った大人が主張すること、これはねぇ、弁護士として許していいのか」(本件刑事事件において本件弁護団がしたという主張の内容を摘示するもの)
  イ 「明らかに今回は、あの21人というか、あの安田っていう弁護士が中心になって、そういう主張を組み立てたとしか考えられない」(上記主張を本件弁護団が創作したという事実を摘示するもの)
  ウ 「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」
  エ 「懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」
  オ 「懲戒請求を1万2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」
  本件番組は、讀賣テレビのほか全国18の地方テレビ局により放送された。

<当裁判所の判断1「橋下発言は刑事弁護人の名誉を棄損する」>

(1)本件発言イについて
  ア 名誉毀損に該当するかどうかについて
    
 原告らを含む本件弁護団が本件被告人の弁解として虚偽の事実を創作して主張したという事実は、原告らがその人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであると判断される。
  イ 違法性阻却事由について
    本件全証拠を検討しても、原告らが本件刑事事件において本件被告人の主張として上記①及び②の主張を創作したことを認めるに足りない。
    
刑事事件において被告人が主張を変更することはしばしばみかけられることであるし、本件でも原告らが選任される前の従前の弁護人の方針により上記主張をしなかったことも十分に考えられるから、原告らが創作したものであるかどうかについては弁護士であれば少なくとも速断を避けるべきことである。
   
  以上によれば、本件発言イは原告らの名誉を毀損し、不法行為に当たるというべきである。
 (2)本件発言ウないしオについて
  
  本件発言ウないしオは原告らを含む本件弁護団に属する弁護士について懲戒請求をすべきことを呼ぴかけるものであり、原告らが懲戒に相当する弁護活動を行っていることをその前提とするものである。
  懲戒に相当する弁護活動を行っていることは原告らが弁護士として社会から受ける客観的評価を低下させるものであることはいうまでもない。
  
  原告らの弁護活動が懲戒に相当するものでなく、摘示された事実の重要部分について真実であることの証明があったとはいえないし、被告においてそのように信じたことについて相当な理由があることを認めることができない。

<当裁判所の判断2「少数派の人権を保護すべき弁護士の使命」「被告の主張は弁護士の使命・職責を正解しない失当なもの」>

弁護士法1条1項に、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とすると規定されていることから明らかなように、弁護士は議会制民主主義の下において、そこに反映されない少数派の基本的人権を保護すべき使命をも有しているのであって、そのような職責を全うすべき弁護士の活動が多数派に属する民衆の意向に沿わない場合がありうる。多数の者が懲戒請求をしたことをもって懲戒相当性を認めるということは、弁護士が上記のような使命・職責を果たすべきこととは相容れない。また、本件が本件刑事事件における原告らの弁護活動に対する批判をめぐる事件であることに鑑み、これを刑事手続における弁護人の役割についてみても、憲法及び刑事訴訟法等の諸規定に照らせば、被告人は有罪判決が確定するまでは無罪の推定を受け、弁護人はそのような被告人の保護者としてその基本的人権の擁護に努めなけれぱならないのであっで、その活動が違法なものではない限り、多数の者から批判されたことのみをもって当該刑事事件における弁護人の活動が制限されたり、あるいは弁護人が懲戒されることなどあってはならないことであるし、ありえないことである。
  したがって、弁護士に対する懲戒事由の存否について多数決で決することは本来許されるぺきことでなく、懲戒請求の多寡が弁護士に対する懲戒の可否を判断するに当たり影響することはない。被告の主張は上記のような弁護士の使命・職責を正解しない失当なものである。

<当裁判所の判断3「被告の損害賠償義務」>

上記のとおり、本件番組は、全国19のテレビ局において放送され、本件放送後平成20年1月21日ころまでに申し立てられた懲戒請求の件数は、原告足立に関するもの639件、原告井上に関するもの615件、原告今枝に関するもの632件、原告新川に関するもの615件であったことがそれぞれ認められる。

いずれも弁護士として相応の知識・経験を有すべき被告の行為によってもたらされたものであることにも照らすと、これらの原告らの精神的ないし経済的損害を慰藉するには被告から原告ら各自に対し200万円の支払をもってするのが相当である。
  被告はほかにもるる主張するが、いずれも全く失当であり理由がない。

【橋下知事「間違っていた」と謝罪 控訴理由、詳しく説明せず】
                  (10月2日 日本経済新聞 より)

 大阪府の橋下徹知事は2日、庁内で取材に応じ「自分の判断が間違っていた」と繰り返し頭を下げた。「何よりご遺族に迷惑かけました」と述べ、終始硬い表情だった。
 控訴する理由について「判決が不当だというわけではないが、ちょっと高裁の意見をうかがいたい」と詳しい説明を避ける一方、高裁で逆転勝訴した場合でも「僕が一線を越えていたのは間違いない」と強調した。

【橋下TV発言 弁護士資格を返上しては】
                     (10月3日 朝日新聞 社説より)

 歯切れのよさで人気のある橋下徹・大阪府知事のタレント弁護士時代の発言に、「弁護士失格」といわんばかりの厳しい判決が言い渡された。
 
 その発言をきっかけに大量の懲戒請求を受けた弁護団が損害賠償を求めた裁判で、広島地裁は橋下氏に総額800万円の支払いを命じた。判決で「少数派の基本的人権を保護する弁護士の使命や職責を正しく理解していない」とまで言われたのだから、橋下氏は深く恥じなければならない。
 
 そもそも橋下氏は、みずから携わってきた弁護士の責任をわかっていないのではないか。弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない。

 偏った番組作りをした放送局が許されないのは当然だが、法律の専門家として出演した橋下氏の責任はさらに重い。問題の発言をきっかけに、ネット上で弁護団への懲戒請求の動きが広がり、懲戒請求は全国で計8千件を超える異常な事態になった。
 橋下氏は判決後、弁護団に謝罪する一方で、控訴する意向を示した。判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう。

【「朝日なくなれば世のためになる」橋下知事が批判】
                 (10月21日 日本経済新聞 より)

 大阪府の橋下知事は20日、山口県光市の母子殺害事件の弁護団への懲戒請求を呼び掛けたことを巡り訴訟で敗訴した際、朝日新聞が社説で弁護士資格の返上を求めたことに対し「朝日新聞は事実誤認があったら廃業するのか。(同新聞が)なくなったほうが世の中のためになる」などと批判した。東京で開いた機関投資家向けの府債の説明会後に記者団に述べた。
 橋下知事は社説について「からかい半分で本気ではないと思う」とした上で、「全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」などとまくし立てた。
 知事は19日に兵庫県伊丹市で行われた陸上自衛隊中部方面隊の記念式典の祝辞でも「人の悪口ばかり言う朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」などと発言していた。

【376人の弁護士、市民が橋下徹弁護士を懲戒請求 元“親弁”の樺島弁護士が呼びかけ】

 橋下氏自身に対する懲戒請求が現実に呼びかけられていることをインターネットで知った(浅野健一 ゼミへようこそ)。
 橋下氏の懲戒請求を呼び掛けた橋下氏の親弁樺島正法弁護士は私と同期であり、許せないと思ったら後に引かない弁護士である。

【私の意見】Up63

 朝日新聞の社説は判決にそったごく自然な意見である。タレント弁護士としてマス・メディアを利用して発言した立場として、また大阪府知事という公職にある立場として、このような批判を謙虚にうけとめるべきである。ましてや、「(朝日新聞が)無くなったほうが世のためになる」というのは言論の自由、報道の自由を否定するものであり、恐怖政治につながる。単に弁護士としてだけでなく、政治家としての発言としても看過できない発言である。
 判決後表面的には謝罪しながら控訴を表明するというのも朝日新聞でなくともこの謝罪は何なのだろうかと思わざるを得ない。語れば語るほど後味の悪さしか残らず、やるせない気分に陥る。

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2008年10月19日 (日)

脳性まひの数学教師ガクちゃんがんばれ!

 ガクちゃんこと三戸 学(さんのへ まなぶ)さんについて何回かに分けてご紹介します。

[三戸 学] 1976年、秋田県生まれ。出生時に脳性マヒとなり、手足や言葉などに障害がある。秋田市立日新小学校、秋田市立秋田西中学校、秋田県立秋田南高等学校、山形大学教育学部を卒業。教員採用試験に三度目の挑戦で合格する。秋田市の土岐中、秋田西中を経て、2007年4月から由利本荘市の本荘東中に赴任、現在に至る。担当教科は数学。「生徒と一緒に」がモットー。2007年11月には、秋田県で開催された秋田わか杉大会(第7回全国障害者スポーツ大会)に卓球選手として出場。上肢に不随意運動のあるブロックで金メダルを獲得する。「子ども向けバリアフリー学習のガイドライン作成に向けた有識者検討会(国土交通省)」委員。

【関原美和子 著「がんばれ!ガクちゃん先生」 03年7月 小学館】

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 この本は、教育専門紙記者、出版社編集者を経てフリーランスとなった関原美和子さんが、ガクちゃんが生まれてから教師3年目のはじめまでを書いたものです。
 

【小学校1年生の運動会】

 お母さんの慶子さんは固い決意でガクちゃんを小学校1年生のときから普通学校に通わせました。
 この本の中でガクちゃんの小学校1年生のときの運動会の様子について次のように書かれています。

[先生によってこんなに変わるなんて!]
<ビリでもいいんだよ>
 「順位を気にしているかも知れないけれど、最後まで走ることが大切なのよ」
 担任の女性教師が、不安げなガクちゃんにそっと声をかけた。
 もうすぐ1年生の80メートル競走が始まる。かけっこをしてもいつもビリなのは、今に始まったことではない。それでも走りたいという思いと、初めて、運動会で全校生徒やたくさんの大人たちの前で走る不安とで、ガクちゃんの胸ははち切れそうだった。
 担任のことばに少し安心したのもつかの間、いよいよ出番が回ってきた。六人がスタートラインに並ぶ。
「位置について、ヨーイ、ドン!」
 スタートラインから、あっという間に差がついてくる。20メートルを走った辺りで、他の子たちがゴールするのが見えた。あとの60メートルは、自分との闘いだ。
・・・・と思ったら、周りから大きな声が聞こえてきた。
「がんばれ! がんばれ!!」
 高学年のお兄さんお姉さん、友だち、見学しているお父さんやお母さん、いつの間にか、校庭にいる全ての人が、ガクちゃんを応援しているのがわかった。
 ゴールに近づけば近づくほど大きくなる声援に、背中を押されながら、無事ゴール。教師たちが再び張ってくれていたテープを無我夢中で切ると、担任が力いっぱい、ガクちゃんを抱きしめた。
 自分の力を出しきったからこそ、自分を誇れる。そう、たとえビリだって。
 家に帰ると、ガクちゃんはさっそく母親に報告した。
「お母さん、ぼくが走っているとき、みんなが応援してくれたよ」
「うん、お母さんも見ていた。とてもうれしかったね」
 実は、運動会の前日に担任から「学君のことを多くの人たちに理解してもらうためにも、ビリでもいいから走ってほしい」と電話があったことを母から告げられた。
 さっき抱きしめてくれた担任の温かさが、じーんとよみがえってきた。

 この担任の先生との出会いは、三戸学さんのその後の人生にとって大きな励ましとなっています。でも世の中このような人はむしろ例外で、三戸さんは生まれてから今日まで差別・偏見・いじめの中で生きてきました。関原さんは大学時代の三戸さんのことについても触れています。大学1年生だったガクちゃんは家庭教師を目指し、苦い体験をしています。

【「きみみたいな人は困るんだ」】

 家庭教師。
 教師を目指すガクちゃんにとって、そのアルバイトは何とも魅力的に感じられた。周りの友だちから家庭教師の話を聞くうちに、自分としてもやってみたいという気持ちが大きくなっていった。
 そこでさっそく、家庭教師の斡旋所に行ってみた。
 ところが応対した職員の反応は冷たかった。
「いろいろ問題がありますね。まずことばの問題。あなたの言っていることを、子どもたちは聞き取れますか?」
「今、あなたが聞き取れているんだから、大丈夫じゃないでしょうか」
「あなたは障害がありますよね?」
「はい。脳性まひです」
「そうですか。こちらの信用問題もあります。きみのような人間を斡旋して、信用を損ねたらどうするのですか?」
 何を言っても、「困る」の一点張り。
「きみみたいな人に家庭教師になってもらうのは困るんだよな」
 そこまではっきり言わなくてもいいのに・・・。履歴書すら受取ってもらえず、ガクちゃんは屈辱感を抱いたまま、家路についた。
 友だちが一緒に出向いてくれたこともあったが、結局、山形市内にある四か所の斡旋所全てから、体よく断られてしまった。中には履歴書を預かってくれた斡旋所もあったが、実際に話が来ることはなかった。ガクちゃんより後に斡旋を頼んだ友だちが、先に紹介されている事実を目の当たりにすると、さすがに落ち込んでしまう。
「どうしておまえに来て、おれに来ないんだよ」
 -友だちに当たってもしかたがないことは充分わかっている。ただ、やり場のない気持ちをガクちゃんはずっと持てあましていた。

【無料で家庭教師やります!】

 これでめげないのが三戸さんの底力です。大学の友人の力を借りて家庭教師の依頼が殺到するようになりました。最初に家庭教師の依頼を受けるまでの様子を関原さんの本で見てみたいと思います。

 (友人との)話し合いの結果、まずは、ガクちゃんが家庭教師先を見つけるための具体的な方法として、街頭でビラを配ることに決まった。
 最終的に残った男子六人、女子四人とともに、六月半ばには、サークル「障害と共に歩む会」を結成し、大学にサークルの届けを出した。

<無料で教えます!>
 「家庭教師やります」
 ガクちゃんの似顔絵を載せたビラに、大きく書いた八文字。まずは、夕方の繁華街で、母親と子どもたちをターゲットにビラを配ることにした。
 実はガクちゃんには、大きな“ウリ”がある。
 家庭教師料、100パーセントオフ!これ以上の価格破壊はない。斡旋所と対抗するには、安さで勝負というわけだ。「子どもに勉強を教えてみたい」という目標を達成するためなら、無料でもかまわないと考えたのだ。
 「えっ!? 無料でやるんですか?」
 だれもが信じられないという反応を示す。
 
 ビラを配ってから二週間。少し落ち込みかけたとき、電話が鳴った。
「あのー、家庭教師のことでお聞きしたいことがあるんですけれど・・・。今日の夕方五時にお会いできませんか?」
 小学二年生のお母さんからの電話だった。喜びのあまり、電話を持つガクちゃんの手が震えた。

【「ガクちゃん先生から教えてもらいたい!」】

 「こんにちは」
 少女を連れた両親が(三戸さんに会いに喫茶店に)やって来た。
「夏休みの間、勉強を教えてくれる人を探していたんです。・・・・ただうちの子は三戸さんのことばを理解できるかしら?」
 お母さんは正直に疑問をぶつけてきた。
「確かに、最初のうちは聞き取りにくいかも知れないけれど、慣れるとまったく問題ありませんよ」
 隣に座っていた仲間の答えに、両親は納得したようだった。

 お母さんが、横にいる少女に問いかけた。
「ねえ、エリナ。ガクちゃん先生から、お勉強ならってみたい?」
「うん。ガクちゃん先生から教えてもらいたい!」
エリナちゃんがうれしそうに答えた。

「なぜ、ぼくを選んだのですか?」
お父さんが答えた。
「ちょうどだれかに頼もうとしていたときに、あなたのビラを見たんです。あちこちにビラが貼ってあるのを見ているうちに、そこまで家庭教師をやりたいというなら、その熱意にかけてみようと思ったんです」
 ガクちゃんは胸が熱くなった。「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
 夏はもう目の前にきていた。

【私と三戸さん】

 私は06年2月8日教師5年目の三戸さんの願いを実現するため、秋田県教委員会、秋田市教育委員会、秋田市立西中学校校長に会いに行きました。三戸さんの願いは3つありました。①学級担任をもつこと ②1年生、2年生、3年生と持ち上がりの経験をすること ③障害のある教師が働きやすい職場環境に改善すること。3つのうち②は、06年4月から2年生に持ち上がりとなりました。修学旅行で生徒を引率して上京することを私に伝えてきたときの三戸さんのうれしそうな声が忘れられません。③はかなり改善されました。三戸さんは今エレベータのある学校で勤務しています。①はまだ実現していません。
081020book_myvector_2 三戸学さんは、今年の3月「マイ・ベクトル 夢をあきらめないで」(グラフ社) を出版しました。この本から三戸さんの辛抱強くて明るい生き方がじんじんと伝わってきます。この本のことで、久しぶりに三戸さんの声を聞き尋ねたところ、担任はあいかわらず持たされていないということでした。三戸さんのようなすばらしい先生を担任にしないのはおかしいと思い、あらためて三戸さんを法律家としてサポートすることにしました。三戸さんのことや担任を持つための今後の動きなどについてまた時々ブログでご紹介します。

Sannohephoto1 10月13日(月)銀座通り法律事務所にて  

 Sannohephoto2 10月13日(月)銀座中央通りにて

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2008年6月 6日 (金)

来週のブログはお休みします

【来週のブログはお休みさせていただきます】

 6月6日(金)の夜から6月15日(日)までスペイン人の友人を訪ねて旅をします。サパテイロ政権下でのびのびと生きる人々の生活に接し、元気をもらいたいと思います。来週のブログはお休みさせていただきます。

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2008年2月 4日 (月)

誤字についてのおわび

 2月3日の記事(急減速の米経済とEU・中国・日本の経済)で誤字がありました。
 私の意見内の文章について、「米会社大手10社が07年後半だけで14億ドルの損失を出したのと比べると日本の主要4行で6000億円(56億ドル)は桁が2つ以上違います」となっていましたが、正しくは「米金融大手10社が07年後半だけで1億ドルの損失を~」でした。(現在記事は訂正済みです)
 訂正前の米10社が14億ドルで日本4行が56億ドルであれば日本の損失の方が大きいことになります。1千とすべきところを14としたため何だか訳の分からない文章になってしまいました。
 訂正させていただくとともに、お詫び致します。

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