その他

2013年1月28日 (月)

私たちに「死ぬ権利」は必要なのか?

【主催 臓器移植法を問い直す市民の会

 日時:2013年1月26日(土)午後2時~4時40分
 講演:私たちに「死ぬ権利」は必要なのか?
 講師:川口有美子さん(ALS患者会)
 会場:豊島区民センター第5会議室

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<川口 有美子さんプロフィール>

 1962年、東京生まれ。1995年、母親が神経難病のひとつ、ALS(筋委縮性側索硬化症)を発症し、在宅での介護を決断。その経験から2003年に訪問介護事業所ケアサポートモモを設立。同年、ALS患者の橋本操とNPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会を設立し、患者会や執筆活動に力を注いでいる。
 2004年、立命館大学大学院先端総合学術研究科に入学。
 2005年、日本ALS協会理事就任。
 2010年、『逝かない身体―ALS的日常を生きる』(医学書院)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
 2012年、「尊厳死の法制化を認めない市民の会」を立ち上げ、法律で人の死を決めることの問題を訴えている。

【主催者より】

 今回の講座には、「尊厳死法制化を認めない市民の会」を立ち上げられたALS患者会の川口有美子さんを講師にお招きします。
 川口さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症したお母さんを14年間介護され看取られました。その体験を記されたのが『逝かない身体-ALS的日常を生きる』(医学書院)です。この本は2010年、第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

 1月28日に開会が予定されている通常国会にいわゆる「尊厳死法案」が提出されると言われます。今なぜ「死ぬ権利」が叫ばれ、「尊厳死」法制化が必要なのか、その背景や目的について考えたいと思います。

“脳死”でない患者が“脳死”と診断されて生命維持装置が停止されたり、欧米では軽症の脳不全の患者もドナーにするなどの動きもあり、「尊厳死法制化」はいのちを切り捨てる対象を拡大する点で、脳死・臓器移植と同じ問題をはらんでいると思います。

【私の意見】Up63

1. 尊厳死法案は第1案と第2案があり、第1案は5条3項で「延命措置の不開始」だけをとりあげていたものを、第2案では延命措置の中止についても医師を免責しようとするものです。

  ■ 第2案 終末の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(pdf)

2. 第1案も第2案も生命を物質のように軽んじているものです。5条2項は両案とも「この法律において『延命措置』とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置をいう」としていますが、医療の根源的目的は「生命の維持」であり、これは「生存期間の延長」です。「生命の維持」を「疼痛の緩和」という付随的な事項より劣位に置くことは医の本質に反するものです。生存期間の終了は生命体の完全な終えんであり、法案は本末転倒しているといえます。

3. また5条1項は両案とも「終末期とは、(中略)回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。」としています。本当に死期が間近であれば延命措置の中止も不開始の措置も必要ではなく、自然の流れの中で死をむかえれば良い筈です。死期が間近といいながら中止や不開始に突き進むのは矛盾です。川口さんと一緒にALS患者会を創設した橋本操さんは、「私は20年以上終末期にある」と苦笑していたとのことです。

4. 豊かなこの日本で、どうしてこんなに患者の死を急がせる必要があるのでしょうか。死んだ人は尊厳死であろうが、見苦しい死であろうが死んだら終わり。無です。ほうっておけばやがて微生物に解体されるたんぱく質にすぎないのです。

5. 日本だけでなく、台湾や韓国も呼吸器をつけるALS患者の割合が高いと川口さんが言っていました。これはアジアの人々の人としてすぐれたところです。欧米は呼吸器をつけずALS患者は長くても数年後に死を迎えるということですが、この点においては欧米よりアジアの方がすぐれています。欧米が先進国というコンプレックスを捨て、アジアの人々の人としてすぐれたところを大威張りで世界に主張していくべきだと私は思います。

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2012年12月31日 (月)

SOS(心病む)教師のための弁護団

【2013年から弁護団を結成します】

弁護団名 SOS教師のための弁護団
事務局   東京都中央区銀座6-9-7近畿建物銀座ビル7階
        銀座通り法律事務所内
TEL    03-5568-7602
FAX    03-5568-7607
URL    http://kyoushi-sos.main.jp/
         (2013年1月15日までに開設)
MAIL    画像で表示しています

【弁護団結成の趣旨】

1 学校の先生の多くは長時間勤務を余儀なくされています。1時間目が午前8:30に始まるのに備え8時には登校し、授業終了後も事務作業が多く、午後8時から9時に下校する先生は少なくありません。

2 親は、私が子どもの頃は先生を絶対的なものとして尊敬もしていましたが、最近では親の学力も高くなり、先生を親が攻撃することが多くなりました。いじめや生徒の自殺の時はまず学校の先生が被告席に立たされます。

3 かつては教職は聖職と言われてきましたが、学校の先生だって人間です。長所もあるし短所もあるのは当然です。でも何か事件が起きると、担任が悪い、校長が悪い、教育委員会は何をしているんだ!という方向にエスカレートしていきます。

4 勿論、担任、校長に問題があるときは反省し是正しなければなりません。しかし、親は「うちの子や親に悪いことはない」と思いがちですが、公平に客観的に見ると、どうして“先生だけをあんなに追いつめるのだろう”と疑問のあるときも少なくありません。

5 どの先生も志をもって教職を選んだものと思います。先生たちに本来の教育に全力を発揮していただくことを願って弁護団を結成することにしました。

6 先生たちを公正・公平・客観的に評価し、必要に応じてサポートする窓口としてご利用ください。ご自分に責任があると思われている場合でも遠慮せずに弁護団に相談をお寄せください。一人で悩まないことが大切です。完全無欠の人はいませんし、完全無欠の人ばかりですと、実は弁護士という職業も必要なくなります。

【関連記事 「心病む先生 なお高水準 公立小中高」】
              (2012年12月25日 日本経済新聞 より)

<昨年度休職5274人 多忙でストレス>

 鬱病などの精神疾患で2011年度に休職した公立小中高校などの教員が5274人と前年度に比べ2.4%減ったことが24日、文部科学省の調査で分かった。2年連続の減少で、都道府県が相談窓口を設けるなど心のケアを強化したためとみられる。同省は「心を病む教員数は依然として高水準。一層の支援策が必要」としている。

<40代以上が7割超>

 全国の公立小中高校などの約92万1000人について調査。精神疾患の休職者のうち50代以上が38.6%、40代が32.5%を占めた。年齢が上がるにつれて学校行事の取りまとめ役になるなど負担が増し、ストレスがたまるケースが多いという。いじめ問題や保護者への対応などで多忙感が増していることも背景とみられる。
 45.3%は、新しい学校に移ってから2年未満で休職していた。新しい職場になじめず、相談相手がいないことが影響しているとみられる。
 精神疾患の休職者は09年度の5458人をピークにやや減少したが、02年度と比べると約2倍の高水準。文科省は、相談しやすい雰囲気をつくるために経験豊富な教員を「メンター教員」としたり、復職支援のために段階的に訓練を施したりするなど対策を強化している。
 一方、11年度に免職などの懲戒処分を受けた教員は860人で前年度比4.9%減った。交通事故が326人と最多で、うち飲酒運転が84人。教え子らへのわいせつ行為は151人、体罰は126人だった。
 学校行事での国旗掲揚や国歌斉唱に絡んで懲戒処分を受けたのは減給と戒告を合わせて前年度の約2倍の47人。処分は北海道、東京都、大阪府、広島県の4都道府県で、このうち、昨年6月に式典での国歌斉唱時に起立を義務付ける条例が成立した大阪府が34人を占めた。
 子供とのコミュニケーション力に問題があるなど「指導力不足」と教育委員会が認定した教員は前年度比40人減の168人だった。ピークだった04年度(566人)の3分の1以下となった。

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2012年1月 1日 (日)

A HAPPY NEW YEAR, 2012!

 旧年中はひとかたならずお世話になりました。

 2012年は、私も銀座通り法律事務所もフル・モデルチェンジをします。
 空洞化ニッポンでリストラにあう可哀想な青年たち、経営難に苦しむ中小企業を法的にサポートするという思想を進化させ、青年たちや企業とともに海外とりわけアジアに飛び出てアジアの国々の人々とともに社会に貢献できる存在になることをめざします。そのために今私や銀座通り法律事務所にできることは海外で役立とうとする若者の応援です。

 弁護士登録者が3万人を超え、弁護士過剰の時代あるいは弁護士危機の時代とも言われています。危機の時代はチャンスの時代です。過剰と言われるマン・パワーを結集すれば新しい可能性が開けるものと期待しています。
 今の私にすぐできることは次世代の法律家の応援です。その意味で弁護士マイスターは今年も重要です。
 企業との関係もフル・モデルチェンジをし「良い会社」の応援にシフトしたいと思います。銀座通り法律事務所は事業再生や企業法務で企業とともに歩んできましたが、障がいをもって働く労働者やうつの労働者のサポートでは立場上対立関係が生じます。それは代理人弁護士としての責務であり当然のことで今後ともその姿勢は堅持していきます。
 ただ日本の企業の多くは労働者を大切にする創業者によって発展してきました。「当社の今日は社員の諸君のおかげである。」と言ってはばからないのが日本の創業者たちでした。その伝統を受け継ぎ、労働者を大切にする企業は今なおわが国において主流です。今年は企業と私及び銀座通り法律事務所の関係は対立関係ではなく、「良い企業」「良い企業をめざす企業」に役立つ弁護士業務にも力を入れていきたいと思います。

 本年もよろしくお願い申し上げます。
 2012年1月1日

 弁護士 清水建夫

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2011年6月21日 (火)

上野千鶴子さん“男に絶望 男は役立たず”

<婦人公論 5月7日号 より>

[うえの ちづこ]

1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。専門は女性学、ジェンダー研究。2011年3月、東京大学大学院教授を退職。『おひとりさまの老後』『ひとりの午後に』など著書多数。最新刊は『女ぎらい---ニッポンのミソジニー』。退職記念論文に千田有紀編『上野千鶴子に挑む』がある。

【人生の一大事に直面するとき友達の“在庫”が量れます】

 私はお友だちイコールただの仲よし、とは思いません。もっと深い信頼関係で結ばれた存在。困難に直面すると、人のふるまいってよく見えます。

【女であるだけでわかりあえる】

 友情というのは長期にわたる信頼関係の賜物です。そして信頼関係というのは、時間と経験の共有の賜物。一緒にある行動をした、とりわけ苦難を共にしてそれを一緒に乗り越えてきた、という経験は大きいと思う。
     (中略)
 自分自身の女性性との折り合いが悪く、男がいれば十分だと思っていた私が、女の友情に目覚めたのは20代の後半です。それまでは、自分の人生に女友だちなんかいらないと思っていたし、実際、男とつるんでいるとセックスも含めて暇がつぶせた。でも、学生運動で男との関係に絶望してからは、男って何の役にも立たない、とだんだんわかってきました。
 どこまでいっても、男は“異文化”なんです。たとえば月のものがこなくて胸が締めつけられるような気分なんて、男に言ったってわからない。私も一度、もしかして、とういときがありました。同居していた男に話したら、「君が決めたことだったら僕はどんなことでもサポートするよ」と言われ、深く深く失望しました。ああ、あんたにとっては他人事だったのか、と。自分にとって非常に切実な問題を、どんなに身近な男でも決して共有することはできない。にもかかわらず、どんなに嫌いで疎遠な女でも、女であるというだけの理由でわかり合えることがある。
     (後略)

【どんな愛情も友情もみんな「拾いもの」】

 こう言うと笑う人がいるだろうけど、きっと欲がないんだと思います。学生運動を含めてさまざまな絶望や失望を経験しているので、基本は誰にも頼れない、ひとりだというのが私の核にあります。どんな愛情も友情も、私にとってはみんな「拾いもの」。期待がないから、思いがけず与えられると贈り物のようにうれしい。
     (中略)
 それでも「一生ものの友情とは?」と問われて思うのは、自分の深い理解者が先立つことを考えるとき。どんな人間関係も代替はききません。親しい人がいなくなれば、一緒に、その人と共有していた記憶がもぎとられていきます。私には、その人が亡くなることを想像するだけで胸が締め付けられる人が何人かいます。現代アーティストのイチハラヒロコさんの作品に「私のことは、彼にきいて。」というとても面白い作品がありますが、人間っていうのは人との関係の集合。そういう意味では、私は友人に恵まれたと思います。
 これまで、教師と研究者と文筆業の三本柱で仕事をしてきました。学生は子どもと一緒でエネルギーをもぎとっていく存在ですが、しだいにくたびれてきて、十全のテンションで彼らと向かい合うことができなくなったと感じて、教師をやめました。ピークを過ぎる前に引退するスポーツ選手のような気分でしょうか。あとの二つの仕事はそのままで、高齢社会やケアについて考えることはこれからも研究主題でありミッションでもあります。4月から女性のためのポータルサイト、NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」の理事長に就任しました。もともと野にあった人間が野に戻っただけ。今度はウェブ上で、女性の世界を広げていきます。

【私の意見】Up63

 上野千鶴子さんは私より5歳若い女性で、私の40代の頃常に上野千鶴子旋風を巻き起こして、話題の女性でした。著書も「女という快楽」「女選び」「スカートの下の劇場---ひとはどうしてパンティにこだわるのか」のように題名を見ただけでどきどきさせてくれました。著書の中味は題名とは違い社会学的な研究ものですが、最近の「おひとりさまの老後」に象徴されるように題名からして嵐を呼ばない上野さんになってしまって一寸さびしいかぎりです。今回の婦人公論で「でも、学生運動で男との関係に絶望してからは、男って何の役にもたたない、とだんだんわかってきました」と言い切っているところは「上野さん本当にそう思っているのですか?」と尋ねてみたい気がします。日本の学生運動は所詮、実生活に地を置いてないものの運動。そんな運動の中で男にがっかりしたからといって、早々と男全般について○か×に決めるのは少々早すぎではないでしょうか。今の時代、男が役立たずであるとすれば、私は女も役立たずと思います。私が小さい頃の大人の女たちは男たちよりも立派でした。みんな寝静まってから子どもたちのほころびた衣服をつくろい、一番最後にお風呂に入って火を消して眠りについていました。朝は誰よりも早く起きてかまどに火を入れて、朝げの準備をした当時の母親たちの多くは、自分のこどもだけではなく他人の子も同じように慈愛のまなざしで大切にしていました。それにひきかえ今の女たちは・・・。ここまでくるときっと上野さんの猛攻撃を受けるでしょうね。とにもかくにも一度お話を聞いてみたい人ですね。東大大学院教授を退職されたからお願いすれば講演していただければ良いのですが。チャレンジしてみたいと思います。

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2011年1月 1日 (土)

’11年 正夢 青年の年収200万円UP

【A Happy New Year,2011】 Iu_dorei_usa_1_2 

 私の新年の初夢は青年世代の年収が一律200万円UPされたことでした。これが正夢であることを祈ります。日本の15歳以上の労働力人口は総務省統計局労働力調査2010年11月分によると失業者も含めて6570万人です。そのうち青年・中堅を中心とした3000万人の年収を200万円UPすると60兆円必要です。これを赤字国債を発行して調達することは可能ですが、それでは日本経済の短期的なカンフル注射で終わります。日銀の資金循環統計によると、民間企業が保有する現金・預金の残高は2010年9月末時点で205兆9722億円です。前年同月から5%増え、過去最高水準です。思い切って最低賃金制度を年令別に変え、20代~40代の賃金が現状より年収200万円UPするように改正します。企業にとり一時的に人件費が高騰しますが、内需が拡大し海外に依存しなくとも売上高が増大します。企業にとり決してドブに金を捨てる話ではないのです。輸出に頼らずとも人に投資することによって、企業も労働者も潤い、日本という島に住む人々は栄えます。沈みゆく島ではなくにぎやかな島に変わると外国から人も企業も集まってきます。極東の沈みゆくニッポンからの脱出です。
 池田勇人内閣は1960年国民全員の所得倍増10年計画を立て、7年で実現しました。私の提案する年収200万円UPはそれと比べるとささやかな提案です。要は政府がやる気をもつか否かにかかっています。
 私の2011年は若者の応援隊にシフトしたいと思います。弁護士マイスターを立ち上げ私と同じ職業の若手弁護士に応援歌を送ることを手始めに、広く働く若者たちへ応援歌を送り続けたいと思います。これが新年の抱負です。
 私の今年の年賀状です。

      

               ■2011年 年賀状

 関連記事を以下引用します。

【企業マネー じわり動く】
                (12月27日 日本経済新聞 より)

 日本企業が現預金の形で抱える200兆円のマネーがじわりと動き始めた。中堅・中小企業を中心に設備投資が上向く兆しがあるほか、収益改善で人件費も下げ止まりつつある。大企業は余剰資金で海外のM&A(合併・買収)に乗り出した。企業が「守り」を重視する経営から一歩踏み出す動きだが、円高など不安要素もあり新卒採用など本格的な事業拡大にはなお慎重だ。

 日本銀行の資金循環統計によると、民間企業(金融機関を除く)が保有する現金・預金の残高は9月末時点で205兆9722億円。前年同月から5%増え、過去最高水準だ。2008年の金融危機後は前年比で増加基調にあり、企業が資金繰り対策などで手元に置くお金を厚くする姿が浮かぶ。

<私のコメント>

 企業が海外のM&Aや設備投資に余る資金を使っても労働者に還元しないかぎり内需は盛り上がりません。今の株主重視の流れは、富裕層をより豊かにするだけです。

【戦略 そこが知りたい 「H&Mなど大手にどう対抗? 世界に通ずる人材育成」 ファーストリテイリング会長兼社長柳井 正氏】

 〔柳井 正〕1972年、小郡商事(現ファーストリテイリング)入社。84年社長、02年に会長に就いたが、05年から社長を兼務。61歳。

 2011年も企業経営をめぐる環境は厳しそうだ。円高や内需縮小で国内景気は力強さを欠き、海外では新興市場を巡る競争が激しさを増す。シリーズで成長戦略をどう描くのかを聞く。初回は衣料品専門店「ユニクロ」を運営するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。H&M(スウェーデン)やインディテックス(スペイン)という世界最大勢力にどう対抗していくのかを聞いた。
 ---衣料品店で世界4位につけたが、H&Mなど流行品を低価格で提供するファストファッションも世界で勢力を伸ばしている。
 「H&MやZARA(インディテックスのブランド)以上に成長するには、海外中心に年間300店(現在ユニクロは国内約820店、海外約150店)を新設する必要がある。実行できなければ、20年に連結売上高5兆円(10年8月期は8148億円)の目標を達成できない。(今期は国内外約100店の)出店速度を上げるための基盤をどうつくるかが課題だ」
 「日本の政治や経済は劣化し、危機的状況だ。政治家は日本人がお金を安心して使える未来を提示しなければならないが、そうなってはいない。当社は日本に頼らずに世界中で商売しないと生き残れなくなった。グローバル企業への脱皮が欠かせない」
   (後略)

<聞き手から一言  国内消費不振  基盤に揺らぎ>

 ファアストリは1990年代末の「フリース」ブーム後に販売が低迷するなど、苦境を経験してきた。そのたびにヒット商品で復活して成長してきたのは、米国に続く世界第2位の消費市場である日本に立脚していればこそだった。だが少子高齢化と消費不振で足元の基盤は揺らぎつつある。
 H&Mは自国スウェーデンの売上高は全体の1割以下にすぎず、世界で稼ぐ体制をいち早く築いた。ファストリは国内の立て直しはもちろん、世界展開の成果を早期にあげないと業績の長期低迷は避けられないかもしれない。

【中国の消費動向は 懐深く質にも敏感に セブン&アイHD会長鈴木敏文氏】
                 (12月27日 日本経済新聞 より)

<日本暗さ払しょくを> 
 
すずき・としふみ「バブルの崩壊以降、日本の消費は今が一番厳しい」78歳。

 ---日本産品の需要はどうですか。
 「良質な日本の商品は人気が高い。青森県産のリンゴは1個900円。新潟のコシヒカリは中国産の10倍の価格でも富裕層を中心に売れている。味がよい日本産へのニーズは強く、農産品のチャンスは大きい」
 「1980年以来、中国へは10回行ったが、そのたびに変化している。品ぞろえよりもファッショナブルで新しいものへと変えていく必要がある。そういうものを提供していかないと、お客さんは喜ばない。以前はただ陳列すればよかった」
 ---一方、日本の消費はどうですか。
 「全体として沈滞ムードが漂っている。メーカーが利益を出しているといっても、経費節減の成果で、消費や輸出が伸びた結果ではない。経済が沈滞してきている中、やっと利益を絞りだしているのが現状だ」
 「そうは言っても、日本は非常に恵まれた状態にある。食べ物に困り、失業者があふれかえるような状況にはない。肝心なのは世の中の明るさだ。政治が沈滞し、明るさがなさすぎる。民主党はもっと地に足の着いた政策を出してほしい」

<私のコメント>

 ユニクロは日本の最優良企業と私は思っていますが、日本の消費が盛り上がらないため海外展開をしなければ生き残れないと知り驚きました。鈴木敏文氏の「肝心なのは世の中の明るさだ。」というのは全く同感です。企業が海外で稼いでも、雇用が減少し、収入が減少すれば国民は明るく生活できません。輸出型企業最優先と株主配当重視の政策を根本から変えるべき時と思います。

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2010年12月20日 (月)

弁護士マイスター 志ある弁護士の自立支援

【弁護士数、初の3万人台に 15年で倍増 司法修習1949人合格】
                 (12月15日 日本経済新聞 より)

 最高裁は15日、司法修習を終えた2039人を対象にした卒業試験(考試)で、1949人が合格したと発表した。日弁連によると、今月1日時点での弁護士数は2万8868人。今回の合格者の多くが弁護士登録するとみら、弁護士数は初めて3万人の大台に乗ることになる。
 合格者数を大幅に増やした新司法試験の導入をはじめ、司法制度改革は法曹人口の増加を中核に据えている。弁護士数は1995年の約1万5千人から、15年でほぼ倍増した。
 ただ競争激化で弁護士の就職難も目立ってきており、宇都宮健児日弁連会長は法曹人口について「ペースダウンが必要」と指摘。
 財政負担増を理由に11月から廃止されることになっていた司法修習生への国費による給費制度は、日弁連の反対などの結果、1年間の継続が決まった。
 今回の考試で不合格になったのは90人で、受験者数に占める割合は約4.4%。最高裁は「真に必要な能力を測った結果」と説明している。

【マイスター】
                 (ウィキペディア(wikipedia)より)

マイスター (Meister) 制度はドイツの産業発展に大きな役割を果たしてきたとされる資格制度である。

<概要>
マイスターになるには見習い工として就職しながら職業学校に通い若しくは1年間のワルツ(放浪修行)で専門知識や技術を習得し、次段階の熟練工の試験を受け、熟練工になった後も3 - 5年間技術の研修を積んでマイスター試験を受ける。

<現状>
現在のドイツではほとんどの職種でマイスター制度は廃止されている。しかし、現在でも電気工事士や煙突掃除夫など市民生活の安全に関連した職種については法律によりマイスターの資格が無いと開業できない。
ワルツ期間中はいかなる事情・理由があろうとも出身地の半径50km以内には立ち入れない規定まであり(親族の死に目にさえ立ち会えない)、最近では「ワルツ義務は時代遅れでは」との声が上がり始めている。

<日本>
日本においては、労働者の技能を検定する国家検定制度として技能検定制度があり、技能検定に合格したものは技能士と称することができる。社団法人全国技能者会連合会は、特級、1級、あるいは単一等級の技能士で、20年以上の実務経験があり、すぐれた技能実績を持ち、後進の育成および技能伝承に熱心なものを全技連マイスターと認定している。さらに技能が卓越しており、全国で第一人者と認められる者は、厚生労働大臣によって「現代の名工」として表彰される。

【弁護士マイスター】

 弁護士マイスターは若い弁護士が志のある「名工」として自立することを支援する制度として私が造った新語です。ただし○○マイスター法律事務所というのはすでにあります。私自身は若い人たちに偉そうなことを言えるような立場にはなく、若い弁護士の中に私より優秀な弁護士は少なくありません。ただ私も経験だけは弁護士歴が42年目です。亀の甲より年の功ということわざもあります。若手弁護士にとって就職難の時は先輩弁護士にもゆとりがありません。私たちの世代は先輩弁護士の仕事ぶりを見ながら育つことができましたが、そんな機会にも恵まれない弁護士も少なくありません。弁護士相互の経験交流ができるようになればそれだけでも意味あることと思って、まずは試験的に研究・交流会をもってみようかと思いました。

<第1回研究・交流会>

 ■日  時 2011年1月15日(土) 午前9:30~12:00(受付9:10~)
 ■場  所 月島区民館 3階5号室
        (東京都中央区月島二丁目8番11号)  
 ■参加者 弁護士または司法修習生
        ※若手弁護士に限りません。法律家以外の方も興味があればご参加ください。
 ■申込先 銀座通り法律事務所までメールかFAX・電話にてお問い合わせください。
        TEL:03-5568-7601 FAX:03-5568-7607
        E-mail:画像で表示しています 
 ■その他 参加者はA4 2枚程度で自己紹介と現在扱ってい
        る案件や勉強したい内容をまとめ、前日までに
        事務局までお送りください。配布は弁護士だけに
限定 しますが、配付を希望されない
        方はその旨お申し出ください。

 急な企画なのでどの程度の人数の方が参加するか未定ですが、たとえ少人数でも試験的にやってみたいと思います。

 

 

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2010年7月19日 (月)

脳死と心臓死は大ちがい、命の取捨選択

【本年7月17日から改正法が施行された】

 「臓器の移植に関する法律」(以下「臓器移植法」と略します)が2009年7月17日改正され、本年7月17日から施行されました。改正前は臓器を移植術に提供することについて本人の書面による明示の意思表示が必要でしたが、改正後は本人の意思表示がなくとも家族の書面による承諾でよいことになりました。15歳以上というこれまでの年齢制限がなくなり、脳死かどうか判定できる生後12週以上の子どもも親の承諾で臓器提供の対象になりました。しかし、日本では臓器提供者は一向にあらわれません。

【心臓死とは生命体の完全な終わり】

 心臓死と脳死は生物学の視点からみると根本的にちがいます。私の生物学の知識は中学生のレベルですが私は次のように理解しています。私の心臓が止まると細胞に血液の供給が止まるので、外形上は心臓が止まる前の私が静かに横たわっているようでも、それは元私の蛋白質等のかたまりが横たわっているにすぎません。このかたまりはほっておけば微生物が侵食しやがて解体(腐敗)がはじまります。心臓が止まるとその生物体のすべてはそこで完全に終わるのであって、死後の世界はありません。神も仏もこの世に生きている人々があの世という架空世界に心のよりどころを求めているもので実在していないと考えます。来世がないから、現世を精一杯生きるというのが私の思想です。私は無神論者と言えます。

【脳死は人工死であり有用な命のために無用な命が切り捨てられている】

 これと比べ、脳死というのはひとがつくった死であって細胞には血液が供給されていてそのひとは生きています。交通事故で脳死判定を受けたアメリカの若者は血色が良くひとりのひととして呼吸をし、栄養補給を受けているのに、脳死判定を受けて心臓が取り去られると途端に青白い解体される蛋白質等のかたまりに変わりはてました。

【アメリカの子どもの心臓はとっても、日本の子どもの心臓は提供しない現実】

 日本人はたくさんの人から寄付を募ってアメリカで心臓移植を受けに成田空港を飛び立つ小さな子どもの手術の成功を祈る視点しかありませんでした。でも日本の子どものために人為的に死亡させられる子どもがアメリカにいるのです。脳死臓器移植法が改正されて日本の子どもが心臓の提供者になるという現実に直面して、はたと止まっているのが現実です。日本人の美学はこの程度のものです。人の命を奪って別の命の存続に走る医学は医学としては本流ではないと私は考えます。医学の進歩も止まる可能性があります。脳死判定そのものがあいまいであり、脳死と宣言された人が今は元気で働いているという例は少なくなりません。脳死判定をして心臓を取り去ることは生命体としてのその人には何のプラスもありません。その人を死なせて別の人の命を長らえさせるというのは不要な生命(人)を有用な生命(人)の犠牲にすることであり、無用と有用の冷徹な取捨選択が行われています。

【重い患者を国が最後まで責任をもつ体制の必要】

 脳死と言われるほど重い疾患の患者について国が最後まで責任をもつ医療体制が築かれていれば、どの親もわが子の生命の短縮を望まないと思います。人の臓器の移植を受けないと生命を維持できないという患者の方の置かれた立場を考えなくてはいけませんが、心臓の移植は他の臓器の移植と本質的な違いがあることを重く受け止めなければなりません。

 

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2010年3月 9日 (火)

ある中小企業社長夫妻との思い出

【私にとってははじめての個人依頼者】

 3月6日(土)12:30~すでに亡くなった私の継母の妹のFさんの告別式に参列しました。享年80歳でした。
 彼女の夫K氏は13年前に71歳で亡くなりました。私にとりK氏夫妻とは親戚というよりも、私が29歳で石川県金沢市から東京にもどり東京弁護士会に登録換えをした頃からの私にとって重要な依頼者でした。
 私は東京にもどって4年間余り実兄の弁護士清水直が所長として経営する法律事務所でイソ弁として働きました。イソ弁ですから実兄から給料をもらっていました。実兄の了解のもとK氏からの依頼は個人事件として私の収入となりました。金沢市で4年間左翼的弁護士として公害事件や労働事件をしてきた私にとり、東京での依頼者などある筈がありません。K氏はおそらく私にとって最初の個人事件の依頼者だったと思います。K氏はS社を創業し、お肉屋さんやお寿司屋さんが店舗に陳列するつくりつけの冷蔵庫を作っていました。従業員は10名にもみたない規模でしたが、当時47歳のK氏は精力的で経営者としての自信と力にあふれていました。ひよわい29歳の私はK氏のバイタリティにいつも圧倒されていました。

【K氏没後S社の事業の廃止】

 K氏は私より17歳上でエネルギッシュでした。K氏は甲府出身で、甲府での裁判も時折ありました。K氏は自慢のクラウンを運転して私を送り迎えしてくれました。当時は中小企業の社長はクラウンに乗っていた人が多かったと思います(因みに私はカムリより上等なクラスの車を持ったことがありません)。K氏は経営者としての自信にいつもあふれ、私はいつも圧倒されました。裁判の終わったあとはK氏の自宅でK氏夫人のFさんがつくってくれた手料理とお酒をいただいて帰りました。K氏はあらゆることに積極的で時に失敗することもありましたが、その法的処理はいつも私に依頼がありました。K氏は13年前に亡くなり長男のS君があとを継ぎました。S君は7年前このまま会社を続けると倒産すると判断し事業の廃止を決めました。私はK氏が創業し、これまできた事業なので、K氏の思いを慮り「もう少しやってみたらどうか」という意見を言いましたが、小泉・竹中による中小企業潰しの嵐真っただ中であり、今はS君の選択が正しかったと思います。

【K氏夫妻の思い出】

 K氏夫人は面倒見のいい人で中小企業のやさしいおかみさんにぴったりでした。子供たちには人とのつながりを大切にするようにと言って育てました。私がK氏宅に寄った頃の3人の子供たちは一番上のS君が小学生でしたが、今回告別式に参列してそれぞれが親としてしっかりとした子育てをしているのを見て感心しました。K氏夫妻の背中を見てこの子たちは育ったのだと思いました。それにしてもK氏のような元気のいい中小企業経営者に会うことがほとんどなくなったのは残念です。

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2010年3月 1日 (月)

CJ!篠原孝議員と日本の農業勉強会

【チェンジ・ジャパン!(CJ!)ってまだあるの?】

 こんな質問をいただいても当然なほど、昨年のチェンジ・ジャパン!は開店休業状態でした。運営委員会は年6回位開きましたが対外活動は映画観賞会程度しかせずサロン的な会になっていました。チェンジ・ジャパン!は小泉純一郎内閣の弱者切り捨て、強者保護政策に対する怒りから出発しましたが民主党政権になり、鳩山由紀夫内閣の友愛政治(これも迷走していますが)にどう向きあっていいのか私自身迷走していました。私の中でこのあたりで休眠もしくは解散した方が良いのではないかという思いもありましたが、他の運営委員の方の多くは、「こんな時こそチャンジ・ジャパンの存在意義がある」という意見で、そうなのかな?と思いながら第8回総会を開催しました。代表である私がこんな状態ですからチェンジ・ジャパン!てまだあるのという質問があっても当然です。

【記念講演会 民主党 しのはら孝衆議院議員
             「これからの日本の農業と食の安全」】

 総会に先立ち民主党の衆議院議員(長野選挙一区)のしのはら孝議員に「これからの日本の農業と食の安全」という演題で講演していただきました。しのはら孝議員は農水省に30年近く勤めていた農林水産行政のプロで2006年9月から民主党のネクスト農林水産大臣をつとめました。しのはらさんは日本ほど村を離れ都会(特に東京)に集中している国は世界でもないと強調していました。また日本は資源小国で貿易立国を子供のころからしのはらさんも頭にたたきこまれてきたが、日本は植物と水に恵まれており太陽の力(光合成)で食物をつくり出すことができる資源大国であると日本人の考えを変えてほしいと言っていました。
 しのはらさんはチェンジ・ジャパン!の1人のSさんの高校の同級生でその縁で講演会をもつことができましたが、国会議員でありながらとても謙虚でしかも真実に向きあう姿勢に感動しました。

【たんぽぽ舎の柳田真さんの励ましのメッセージ】

 たんぽぽ舎は劣化ウラン弾や原子力発電炉もんじゅの危険について精力的にしかも地道に取り組んでいる傑出した市民団体でwikipediaにも掲載されています。たんぽぽ舎で中心的役割をしている柳田真さんから「清水さん!チェンジ・ジャパンさんは日本に数少ない市民団体で貴重ですよ!会員の皆さん一人一人の意識は高くそれぞれ問題意識をもっている方々ですね」と言われ驚きました。私がへこんで折角の集いを小さなものにしてはいけないと思い責任を感じると同時に少し嬉しくなりました。

【イタイイタイ病対策協議会名誉会長の小松義久さんのお通夜・告別式に参列しました】

 2月15日(月)のお通夜と2月16日(火)の告別式に参列しました。「決して怒ることのなかったリーダー」の人柄を参列者が異口同音に語っていました。
 驚いたのは私が参加しなくなったこの35年の間に神通川のカドミウム汚染はなくなり、他の河川と変わらない数値になったこと、土壌の汚染も改良が年々進み2年後にすべての改良が終わるとのことです。また、2月16日の新聞で富山県知事がイタイイタイ病資料館を県費でつくることが報じられていました。裁判の頃にはカドミウム米のことを富山県は隠そうとしていたことと比べると隔世の感があります。小松義久さんというすぐれたリーダーのもと農民らしく粘り強く汚染源の徹底排除まで手綱をゆるめなかった神通川流域の方々の偉業に頭が下がります。常任弁護団の先輩の先生には4人しかお会いできず、話ができたのは2人だけだったのが残念です。すでに4名の方々が亡くなられており、一層さびしく思いました。

【河内谷さんとともに視覚障がい者の雇用を実現する会での講演】

 2月20日(土)京都での「障がい者の権利条約」の実効性を求める集いで2時間講演をさせていただきました。京都・大阪にはすぐれた弁護士がたくさんいるので、東京からわざわざ私を呼ばなくてもいいのではないかと言いましたが、縁があって講演の機会をもたせていただきました。参加者は10名余りでしたが河内谷さんをはじめ参加された方の意識が高く、私は率直に「この会はすぐれた人たちの集まっている会ですね」と感想を述べました。今度厚生労働省と話し合いをもつときは呼んで下さいと伝え別れました。

【感想】Up63

 この他にあれやこれやあわただしい2週間でした。私自身このところ少しスランプ気味でしたが、いろいろな方から元気をわけていただきました。何となくスランプを脱出できそうな気配がします。

 

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2009年11月 9日 (月)

和解から30年 09年度スモンの集い

【スモンの集い】

 09年度スモンの集いが11月7日(土)午後10時~午後4時20分まで日本大学会館(東京都千代田区九段南)でもたれました。主催は厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患克服研究事業)スモンに関する調査研究班です(以下この研究班を「スモン調査研究班」と略します)。スモンの集いという言葉からはスモン患者が集まり互いの情報を交換したり、親睦を図る集りのように思えますが、主催者はスモン調査研究班であり、スモン調査研究班の医療研究者が患者に報告する会です。3名の患者から発病後の経過や現状について報告もありましたが、基本は医療関係者が中心の会でした。主催者側はこの会はスモン患者のための会ですと言っていました。スモン裁判係属中は、私たち原告側弁護士はスモン調査研究班の報告書の中から訴訟に有利なものを求めて、常に目を通していて、間接的に患者の方にも伝わりました。訴訟が終わるとそれも途絶えてしまいました。その意味ではスモン調査研究班が研究成果をスモン患者に伝えるのは必要なことだと思います。スモンの集いは06年度は岡山、08年度は福岡という風に全国各地で順次開催され、09年度は東京でした。

【スモンとスモン裁判】

 スモン(Subacute Myelo-Optico Neuropathy亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害の略)は整腸剤キノホルムの副作用による健康被害で、中枢および末梢神経が侵されることによる全身病的な特徴を有する疾患です。1970年9月8日にキノホルム剤の販売停止措置がとられるまでに1万名を超える人がスモンを発症しており、未曾有の大規模な薬害事件です。スモン裁判は全国各地の患者や遺族が国と大手製薬会社を被告に33地裁、8高裁で闘い、原告数は7561名に達しました。原告団と国と製薬会社は1979年9月15日に和解のため確認書に調印し、これにそって各裁判所で和解が成立しました。私は1978年3月1日に最初の勝訴判決を勝ちとった北陸スモン訴訟の原告代理人の一人でした。北陸スモン訴訟の金沢地裁判決は国と製薬会社の責任を認めた画期的な判決でしたが、他方で原因としてウィルスを否定しきらず、認容額も低く、判決の日は北陸に雪が舞っていましたので原告らは「雪より冷たい判決」と評しました。その後引続く各地裁の判決が金沢地裁判決の負の部分を乗り越えていきました。(参照:法政大学大原社会問題研究所ホームページ 「日本労働年鑑」第50集 1980年版 第二部 労働運動 VII 公害反対闘争

【スモンとスモン患者の高齢化】

 キノホルム剤の販売停止措置から39年が経過しました。スモン患者の高齢化が進んでいます。スモン患者のうち64歳以下の人が11.2%、65歳~74歳の人が31.7%、75歳~84歳の人が41.6%、85歳以上の人が15.5%です。スモン患者の90%近くは65歳以上の高齢者が占めていることになります。

 日本の65歳以上の高齢者(平均年齢74.8歳、平成17年度国勢調査結果より算出)では、要介護・要支援の認定を受けている人が、6.2人に1人(平成17年度介護保険事業状況報告)であるのに対して、平均年齢が類似したスモン患者(平均年齢75.7歳、64歳以下も含む)では要介護・要支援の認定を受けている人は2.3人に1人であり、スモン患者の要介護・要支援認定率が高くなっています。スモン患者はスモンによる症状に加え、高齢による機能低下が加わり日常生活が深刻な人が少なくありません。

【スモンの集いに参加して弁護士として感じたこと】

 スモンの集いがあることは親しいスモン患者のBさんから聞いてはじめて知りました。09年度のスモンの集いにおいて弁護士としての参加者は私1人のようでした。会場ではかつて共に裁判闘争で闘った患者の方にもお会いしました。和解のための確認書を交わしてから丸30年が経過しました。調印当時の厚生大臣であった橋本龍太郎氏も亡くなり、患者の方も亡くなった方が少なくありません。元気な患者の方も私たち弁護士の側も30年の歳月がたち、ともに高齢化したのは事実です。しかし先にも触れましたようにスモン患者にとっての高齢化の影響は一般の人にとっての高齢化の影響よりはるかに深刻です。そのことを思うとこの30年間弁護士として私たちにもっとできることがあったのではないかという思いに駆られました。加害者のない難病患者ではなく、国や製薬会社に責任のある薬害被害者として国等にもっと改善を求め続けていくことができたのではないか、私たち弁護士の側に解決後のサポートに欠けるところがあったのではないか、厚生労働省やスモン調査研究班の研究者に訴える面でもサポートできることがあったのではないか、というさまざまな反省の思いをもちながら会場を後にしました。

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