2008年7月10日 (木)

福岡地方裁判所久留米支部で本人尋問

【思いがけず久留米で裁判】

 2007年11月8日のブログ記事で福岡県久留米市は私の継母のふるさとであり、私が幼少の頃継母に連れられて久留米を訪れたかすかな思い出について触れました。7月8日(火)は思いもかけなかったことでしたがその久留米で、交通事故で重傷を負った原告Aさん(私の依頼者)の本人尋問を行いました。
 訴訟は交通事故による損害賠償請求訴訟ですが、宮崎地方裁判所に私が仮処分申請や訴訟事件を提起した視覚障害教師解雇事件が縁で、交通事故によって視覚障害となった久留米市在住のAさんの事件を私が引き受けることとなりました。裁判は福岡地方裁判所(本庁)に提起しましたが、Aさんが出廷しやすいように裁判長の配慮で久留米支部で出張尋問ということになりました。

【真夏の久留米】

 九州は1週間ほど前に梅雨が明け、7月8日の久留米は正に真夏日でした。福岡から来た書記官の方が「いやあ久留米は暑いでしょう。福岡から来てもそう思う位ですから、東京からみえてびっくりしたでしょう。」という位でした。
 前のブログでは駅や車窓からながめた久留米が近代的な町に変わったと述べましたが、市内に入って一層その思いを強くしました。市役所も高層の近代的な建物になっていました。(60年前の久留米市役所がどんなだったかは知りませんが・・・)

【あわただしい一日でした】

 出張をするとその事件一つをすればよいので東京にいるよりものんびりできることが多いのですが、その日はあわただしい一日でした。羽田発8:30のJAL313便で10:00に福岡空港につきリレー特急つばめ9号で11:36に久留米に着きました。依頼者から預かった証拠書類を飛行機や列車内で読み返しているうちに依頼者の事故前の元気な写真と事故後の写真を証拠に出した方が裁判官に事故による影響をわかってもらいやすいと思い、駅前のコンビニであわててカラーコピーをとりました。自分でコピーをとってみてコピー代もずいぶん安くなったんだなとはじめて気がつきました。お昼は博多か久留米で博多ラーメンでも食べようと思っていましたが、時間がなくなりコンビニで買った三角形のおにぎり3つを久留米駅のベンチで急いで口にほうりこみました。
 本人尋問は原告の体調もあって十分にはできませんでしたが、裁判長より今後の立証について配慮をした方針を示唆していただきました。

【依頼人との意思疎通】

 原告の体調もあり、原告と会ったのは3年ぶりで、この間意思疎通が十分でなかった面がありました。遠方事件を担当することのむずかしさを感じましたが、本人尋問終了後今後の立証について原告と話すことができ、一定の方向性をつかむことができたのが何よりでした。

【旅に出るとさまざまなことを感じます】

 福岡地方裁判所久留米支部を午後4時過ぎに出てリレー特急つばめ号に乗って久留米から福岡にもどりました。前回に続き今回もリレー特急つばめ号に乗りましたが、列車全体が暗い色彩で、もっと明るい車輌にすればよいのにと思いました。鉄建公団訴訟の中で本州のJR3社は上場をはたし業績が順調ですが、JR北海道、JR九州、JR四国の業績が低迷したままであることを知っています。この列車の暗さでは余計客離れを起こすのではないのかな?と余分なことまで心配しました。17時過ぎに福岡空港に着きました。普段でしたら1時間位出発を遅らせて玄界灘の魚をおかずに空港でお酒を飲んで帰るのですが、この日は17:30発のANA264便が空いていたので急いで帰途につきました。急遽チケットをとったため帰りの飛行機代は定額の36,800円で、事故のためお金のない依頼者に負担してもらうのは気の毒になって、今後は早割り、特割を利用しなければと思いました。来るときのJAL便は小さな飛行機でしたがガラガラでした。帰りのANA便は大きな飛行機でしたがほぼ満席で、かつてはJALとANAとは格が違っていたのにと思うと、経営のかじとりのむつかしさ、厳しさを感じました。
 上場会社の東京大手デベロッパーが福岡県内で団地開発をしたときの土地権利者との係争で、30年前、私は、上場会社の代理人としてたびたび福岡県を訪れ、福岡地方裁判所でも裁判をしていました。30年前福岡空港をたった飛行機の中から機外をながめて思っていたことを思い出し、扱っている事件の違いや、30年という年月の経過の重さをあらためて感じました。
 あわただしい一日でしたが、さまざまなことを感じた一日でした。

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2008年6月 2日 (月)

自閉症児判決 市等に高度の安全配慮義務

【主文】

 2008年3月2日のブログ記事で紹介した自閉症児校内転落事故について東京地方裁判所八王子支部民事第3部(裁判長裁判官河合治夫、裁判官桑原宣義、裁判官佐藤哲郎)は5月29日午後1時15分次のとおり判決を言い渡しました。

[主文]
1 被告小金井市は、原告Aに対し、397万3564円及びこれに対する平成16年11月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告Aのその余の請求、原告B及び原告Cの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用中、原告Aと被告小金井市との間に生じたものはこれを4分し、その3を原告Aの負担とし、その余を小金井市の負担とし、その余の各費用は原告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

 判決が命じる結論の部分を主文と言い、河合裁判長はこの主文を読み上げました。原告Aが自閉症児のA君、原告BがA君の父親、原告CがA君の母親です。被告は小金井市と心身障害児学級の担任Dとその学校の校長Eです。
  判決は小金井市に397万3564円と事故日から支払いまでの年5分の割合の金員を付加して支払うよう命じたもので、約3年6ヶ月経過していますので計約470万円の支払いを命じたことになります。

【学校の校長及び地方公共団体は知的障害を有する児童の安全を確保すべき高度の注意義務を負う】

1 この判決の中で最も評価できる点は、校長及び地方公共団体の児童に対する安全配慮義務について、知的障害を有する児童に対する安全配慮義務は高度の注意義務を負うことを明らかにした点にあります。判決(67頁)は次のとおり述べています。

「一般に、公立小学校の設置者である地方公共団体と在学する児童との間には、在学関係類似の法律関係が存在し、この法律関係のもとに、教師らは、学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係において児童らを指導するのであるから、公立小学校の校長及び当該地方公共団体の教育委員会は、上記法律関係の付随義務として小学校における教育活動につき児童の安全に配慮すべき義務を負うと解される。そして、学校教育法81条が、特別支援学級を設置できる旨規定し、学校教育法施行規則140条2号が、「特別の指導を行う必要がある」ものの中に『自閉症者』を規定していることに鑑みれば、特別支援学級の設置されている学校の校長及び当該地方公共団体は、自閉症児をはじめとする知的障害を有する児童の安全を確保すべき高度の注意義務を負っているものと解するのが相当である。」

 この判示は知的障害児の安全確保について学校関係者に警告を発するもので、知的障害児の安全確保のためにきわめて重要な指摘です。

2 判決は、学校の建物に転落防止のための柵などを設けていなかった瑕疵があると原告が主張した点に関し、次のように判示しています。(78-79頁)

「国家賠償法2条1項にいう営造物の設置又は管理に瑕疵があったと認められるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきであるところ、本件学校のように、心身障害児学級を併設する学校においては、健常児に比べて危険認知能力に乏しい児童も在籍していることから、これらの心身障害児学級の児童が日常使用する施設については、特に高度の安全性が要請されるというべきである。」

 これは学校の建物についても高度の安全性の確保が必要であることを指摘するものです。本件では学校建物の設置又は管理の瑕疵は認められませんでしたが、この判示部分はきわめて重要です。

【2階倉庫3の窓から落下した際負傷と認定】

 被告らは最後までA君がどこでどのような態様で負傷したか特定できないと争いました。担任DはA君は2階の窓から安全に降りてから走っているときに転倒して負傷した可能性があるとまで主張しました。2階倉庫の窓は地上から5.21メートルの高さがあり、負傷なく降りることなど考えられないにもかかわらず、根拠を欠く無責任な主張を平然と行っていました。裁判所はこの点については関係証拠から「原告Aの傷害は、原告Aが倉庫3の腰高窓から出て地面に落下するまでの間、若しくは地面に落下した際に生じたものと認められる」と明確に事故の態様を認定しました(56頁)。A君の両親(B氏、C氏)が訴訟に踏み切らざるを得なかったのは、事故の発生状況をあいまいにしようとする担任D、校長E、小金井市の不誠実な対応に対し、A君の将来のためにもどういう状況で負傷したかを明確にする必要があると考えた点にあります。この点も判決により明確となりました。

【心身障害児学級の担任は、障害をもつ児童一人一人の行動の特質に対し日頃から注目し、危険を回避すべく十分な指導や配慮をすべき義務がある】

1 判決は心身障害児学級の担任の注意義務について次のように述べています(58頁)。

「一般に、公立小学校の担任の教員は、学校教育法の精神や教師としての職務の性格、内容からの当然の帰結として、学校における教育活動及びこれと密接不離な関係にある生活関係より生ずる恐れのある危険から児童を保護すべき義務を負うものであるところ、被告Dは、心身障害児学級の担任として、学校における教育活動及びこれと密接不離な生活関係に関する限り、障害を持つ児童一人一人の行動の特質に対し日頃から注目し、自ら危険行為に出るおそれのある児童については、かかる結果の発生を回避すべく十分な指導や配慮をすべき義務があると解される。もっとも、かかる義務も、心身障害児学級における集団教育の場における注意義務であるから、心身障害児学級の教育の場において教育者として通常予見し、又は予見可能性がある事故についてのみ責任があるものと解するのが相当である。」

2 判決は本件について担任Dの注意義務違反、予見可能性について次のように述べています(59-63頁)。

「原告Aが、被告Dから、倉庫3内において、少し強い口調で怒っていることを示すようにして『倉庫に入ってはいけないと言ったでしょう。そんなに入っていたければ入っていなさい』と叱責された上、倉庫3の扉を閉められ倉庫3内に一人の状態に置かれたことによって、原告Aに相当程度の不安や混乱が生じたことは容易に推認できる。」
「倉庫3内において、被告Dから、少し強い口調で怒った態度を示すようにして、『倉庫に入ってはいけないと言ったでしょう。そんなに入っていたかったら入っていなさい』と叱責された原告Aが、原告Aにとって未知の場所、もしくはほとんど入ったことのない場所である倉庫3内に一人の状態にされ、しかも被告Dの注意の内容を理解していない状態で不安や混乱を生じ、パニックに陥った原告Aが倉庫3内から逃げ出そうとして、倉庫3の腰高窓から外に出たか、あるいは、原告Aがパニックに陥っていなかったとしても、多動という自閉症の特徴を持つ原告Aが、不安や混乱の中で倉庫3内から逃げ出そうとして、倉庫3の腰高窓から外に出たことは、十分推認することができるというべきである。」
「そうである以上、被告Dとすれば、被告Dの前記言動により、原告Aに不安や混乱が生じて、倉庫3から脱出するために倉庫3の腰高窓から外へ出ることは十分予見可能であったというべきである。なお、証拠によれば、原告Aが自閉症児として高いところに登ってしまうなどの危険行為に出る特性を有することを被告Dにおいて具体的に認識していたとの事実は認められないが、たとえそうであったとしても、自己の言葉の意味や意図を理解していない様子の原告Aが、不安や混乱に陥り、被告Dにおいてその行動を監視できない状況下で倉庫3の腰高窓から出てしまうことは、約5年という少なからぬ経験を有する心身障害児学級の担任教諭であれば、当然予見すべきであったというべきであって、かかる事実をもって被告Dの予見可能性を否定する事情とは解されない。」
「被告Dが、倉庫3に入った原告Aに対し、倉庫に入ってはいけないことや倉庫3から出ることを原告Aに確実に伝わるよう説明して、原告Aを倉庫3から出すことは十分可能であったと認められる。」
「以上によれば、被告Dには本件事故につき不法行為上の過失が認められる。」

【素因減額ないし過失相殺】

 担任DはA君が自閉症児であることを理由に損害賠償額について大幅な素因減額ないし過失相殺がなされるべきであるという不当な主張をしました(32-33頁)。これについて判決は、次のように判示して担任Dの主張を相手にしませんでした(86-7頁)。

「被告市は、原告Aが自閉症児であることを前提に、原告Aを本件学校のさくら学級(注;心身障害児学級)に入学させて受け入れており、本件学校に原告Aが入学して以降、自閉症の特質や原告Aの特徴等を十分把握する機会があった以上、本件において、原告Aが自閉症児であることを理由に素因減額ないし過失相殺することは、損害の公平な分担という素因減額ないし過失相殺の制度趣旨に反することが明らかである。したがって、本件では素因減額ないし過失相殺は認められない。」

 判決は当然であり担任Dがこのような主張をすること自体反省を欠くことを示すもので、その見識が疑われます。

【この判決の知的障害のある児童に関する判例史上の意義】

 原告らは担任Dが虚偽の事実を述べたこと、校長EがDをかばう言動に終始し、事故の態様についての調査・報告が客観性・公平性を欠いていたことについて主張しましたが、この点は判決は認めるまでに至りませんでした。原告らの請求額についても一部が認められていません。これらについて控訴をするか否かについてA君の両親B氏、C氏と検討中ですが、全体としてこの判決を評価すれば、この判決は知的障害のある児童の安全を確保するため、担任、校長、地方公共団体に高度の注意義務を求めたものであり、また児童一人一人の障害特性に応じた十分な指導、配慮を求めています。その意味でこの判決は知的障害のある児童の学校における安全を確保する上で画期的な判決であり知的障害のある児童に関する判例史上意義ある判決に位置づけられると思います。

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2008年3月16日 (日)

JRにも旧国鉄にも労働者敗訴の裁判

【JR不採用 国労組合員ら敗訴 東京地裁 「損賠請求は時効」】

                  (3月13日 日本経済新聞 より)

 国鉄分割・民営化に伴いJRに採用されなかった国労組合員ら35人が不採用は組合差別が原因として、国鉄清算事業団を引き継いだ「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」に損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、東京地裁であった。中西茂裁判長は「損害発生はJRに採用されなかった1987年。訴えは時効(3年)」として原告の請求を退けた。
 原告はJRを相手取った訴訟が最高裁で敗訴した2003年12月以降、旧事業団を相手に賠償請求訴訟を起こした。同裁判長は「事業団ではなくJRを相手にしたのは原告らの選択の結果。時効までに賠償請求できたのに権利を行使しなかった」と指摘した。
 判決によると、原告は87年の国鉄分割・民営化の際、JRへの採用を希望したが採用候補者名簿に登載されなかった。87年4月に旧国鉄清算事業団に移り、90年4月に解雇された。
 JR不採用訴訟では、別の国労組合員と旧全国鉄動力車労働組合が旧事業団を提訴。東京地裁判決はいずれも時効を認めず、同機構に500万~550万円の賠償を命令。双方が控訴している。

【私のコメント】Up63

 国労組合員が原告となりすでに第1審判決のあった鉄建公団訴訟については、このブログの2008年2月18日の記事2007年11月8日の記事で記述しました。日経新聞に記述されていますように、同種の事件について過去2つの判決があり、被告の時効の主張を認めず原告らの請求の一部を認めました。ところが今回は組合差別には踏み込まず、分割・民営化(1987年4月)の3年後には請求権が時効で消滅したという理由で労働者側の請求を全く認めませんでした。徹底した差別を受けて鉄道の職場から追い出された労働者に対し、けんもほろろの判決です。21年間苦しまされ続けた労働者や家族に対する配慮が微塵もない不当判決です。この事件にあたっても私は原告側常任弁護団の一員で、原告団は控訴の上不当判決の取消しを求めていきます。

【判決に登場する中曽根康弘元総理と橋本龍太郎元運輸大臣】

 この判決は国労壊滅の中曽根総理(当時)の意図を認定しながら、橋本運輸大臣(当時)の発言を引用して中曽根総理の不法な意図を打ち消すという、主・従逆転した珍妙な論法を次のとおり展開しています(判決37-39頁)

 「次に、国鉄改革関連8法が国労組合員の団結権を侵害するものか検討する。証拠(甲13.226)によれば、雑誌『AERA』平成8年12月30日号や、雑誌『文藝春秋』平成17年12月号に、中曽根元総理がインタビューを受け、国鉄改革を振り返り、『総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです』『国鉄民営化は、国鉄労組を崩壊させました。国鉄労組の崩壊は総評の崩壊、つまり社会党崩壊につながります。だから国鉄改革は、日本の基盤に大きな変革を与えたんですよ。もちろん私はそれを認識して実行に移しました』と発言している記事が掲載されていることが認められ、中曽根元総理が、国鉄改革が国労崩壊につながることをも意識して国鉄改革に臨んだことは明らかである。しかし、他方で、証拠(甲141、287、454(添付疎甲415))及び弁論の全趣旨によれば、国鉄改革関連8法が審議された第107回国会日本国有鉄道改革に関する特別委員会において、橋本元大臣が、『新たな会社の職員は、国鉄職員の中から新会社の設立委員が提示する採用の基準に従い新規に採用される仕組みとなっておるところでありまして、この場合においても所属組合等による差別があってはもちろんならないでありましょう。』『あくまでもこの基準というものは設立委員などがお決めになるものではありますけれども、私はその内容について、所属する労働組合によって差別が行われるようなものであってはならないと思います。』と答弁しているほか、第107回国会日本国有鉄道改革に関する特別委員会(参議院)において、昭和61年11月28日、『各旅客鉄道株式会社等における職員の採用基準及び選定方法については、客観的かつ公正なものとするよう配慮されるとともに、本人の希望を尊重し、所属労働組合等による差別等が行われることのないよう特段の留意をすること』との附帯決議がされていると認められるように、国鉄改革関連8法が、国労や国労組合員を初めとしていかなる労働組合に対しても不利益取扱いをしないことを前提として制定されたことは明らかである。現に、国鉄改革関連8法の各条文の内容をみても、特に国労や国労組合員に対する差別意図を窺わせる条文も存在しない。 (中略) 
 以上によれば、国鉄改革関連8法自体が、国労の団結権を侵害するものであるともいえない。
 したがって、国鉄改革関連8法が憲法に違反する法律であり、これらの法律に基づいて行われた本件解雇が無効であるとの原告らの主張は採用できない。」

 本件で重要なことは、橋本運輸大臣が当時どのように述べたか、附帯決議がどうであったかということよりも、現実に組合差別があったのか否かなのです。ところがこの判決はその最も重要な部分についての判断をすることなく時効で労働者の請求を切り捨てました。
 故橋本龍太郎氏は当時中曽根氏の意図を知らず、本気で組合差別があってはならないと考えていましたが、その後実態を知り、ピエロの役割を演じさせられていたことを、大変後悔していたと聞いています。

【JRに対しても旧国鉄に対しても国鉄労働者の請求を認めない裁判所】

 鉄建公団訴訟の提訴が2002年で、今回の事件の提訴が2004年です。採用差別をされたのが1987年4月1日であり、解雇されたのが1990年4月1日ですから採用差別から今日まで21年が経過しています。どうして今頃と思われるかもしれませんが、この間国労や国労組合員は闘い続けてきました。1987年4月1日付で国鉄は国鉄清算事業団となり、鉄道事業はすべてJR各社に移行しました。組合差別によって不採用となった労働者はJR各社を相手に採用を求めて各都道府県の労働委員会に救済申立をしました。すべての全国の都道府県労働委員会は1988年~1989年に組合差別を認定しJR各社に原告ら組合員を採用するよう命令を出しました。これを不服としてJR各社は中央労働委員会に各地方労働委員会の命令の取消しを求めましたが、中央労働委員会は同様に組合差別(不当労働行為の存在)を認め、公正な選別を行うよう各JRに命じました。ところがJRは中央労働委員会の命令に従わず、これの取消しを求めて東京地裁に命令取消しの行政訴訟を提起しました。驚いたことに東京地裁は採用名簿を作成したのは旧国鉄であり、別の法人であるJR各社は不当労働行為の責任を負う主体ではないとして命令を取り消しました。しかし、橋本運輸大臣は国会で、国鉄とJR設立委員の関係について「国鉄は設立委員の採用事務を補助する者で民法上の準委任に近いものである」旨繰り返し答弁しています。先に引用したと同様に、本判決が橋本元運輸大臣の発言を立法者意思として重視する立場をとるならば、国鉄の採用差別は当然JR各社の採用差別となります。そもそも採用差別をした旧国鉄の幹部たちは国鉄清算事業団ではなく、JR各社の幹部となり、常務、社長、会長と出世階段を昇りつめ、JR各社を仕切ってきました。その上、国鉄清算事業団はJR各社の100%株主です。判例法上確立している法人格否認の法理からしても旧国鉄の不当労働行為はJR各社の不法労働行為に該当することは明らかです。ところが、東京地裁は形式的に法人格が別であることを根拠にJR各社の責任を認めず、それは東京高裁、最高裁でも踏襲されました。

【最高裁 2003年12月22日判決】

 JR採用差別事件で2003年12月22日最高裁第一小法廷判決は3対2の僅差で中労委の救済命令の取消を認めた原審判決を支持し、次のように述べて中労委と組合側の上告を棄却しました。

 「(国鉄)改革法は、設立委員自身が不当労働行為を行った場合は別として、専ら国鉄が採用候補者の選定及び採用候補者名簿の作成に当たり組合差別をしたという場合には、労働組合法7条の適用上、専ら国鉄、次いで事業団にその責任を負わせることとしてものと解さざるを得ず、このような改革法の規定する法律関係の下に置いては、設立委員ひいては承継法人が同条にいう『使用者』として不当労働行為の責任を負うものではないと解するのが相当である。」

 ところで最高裁の多数意見も、本来この判決に記載不要であるにもかかわらず、旧国鉄とこれを承継した清算事業団の責任についてわざわざ次のように言及しています。

 「承継法人の職員に採用されず国鉄の職員から事業団の職員の地位に移行した者は、承継法人の職員に採用された者と比較して不利益な立場に置かれることは明らかである。そうすると、仮に国鉄が採用候補者の選定及び採用候補者名簿の作成に当たり組合差別をした場合には、国鉄は、その職員に対し、労働組合法7条1号が禁止する労働組合の組合員であることのゆえをもって不利益な取扱いをしたことになるというべきであり、国鉄、次いで事業団は、その雇用主として同条にいう『使用者』としての責任を免れないものというべきである。」

【改革法の合憲解釈をする上で、最高裁多数意見も不当労働行為の責任を負う者が誰もいないという「怪談」で終わらせることができなかった】

 ジャーナリストや労働法学者は国鉄改革法23条の形式的な文言解釈に終始した1998年5月28日の東京地裁判決に対し、「JR採用差別事件は、不当労働行為の責任を負う者が誰もいなくなるという『怪談』で決して終わらせてはならない」と指摘しました(中野隆宣「法の番人」週刊労働ニュース1998年7月6日号。西谷敏「国鉄改革とJRの使用者責任-東京地裁民事第11部・第19部判決をめぐって-」ジュリスト1998年10月15日号)。上告審では改革法の合憲性が上告理由で問題とされました。さすがの最高裁多数意見も改革法23条の合憲判断をする上で不当労働行為の責任を負う者が誰もいなくなるという「怪談」で終わらせることができず、「国鉄、次いで事業団の『使用者』としての責任を免れない」と断じざるを得なかったのです。

【怪談が現実に登場】

 ところが今回の判決はJRも旧国鉄を承継した本件被告も責任を負わないという怪談を、時の経過を大上段に振りかざして堂々と登場させました。しかし旧国鉄は不採用を決めたのはJRの設立委員であるとして自らの責任を否定し続け、国家機関(国労委・地労委・中労委・地裁・高裁・最高裁)の判断自身も2転3転しており、21年前にお前たち労働者が旧国鉄を訴えなかったのだから、お前たちの責任だということが通用すれば労働者にとって救われる余地が全くありません。
 私は2005年8月10日発行の労旬1605号で「この裁判で問われているのは日本の司法そのものである」と論述しました。
   (論文:「不当労働行為と1990年解雇の無効」)
 私たちは、国家の行為を疑う姿勢を欠く日本の司法を、国民の基本的人権を守る司法に変えるため、例え時間がかかっても根気よく取組んでいかなければなりません。

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2008年3月 2日 (日)

自閉症児 校内転落事故、5月29日判決へ

【両親司法判断を求めて】

 2004年11月26日に発生した自閉症児校内転落事故について、自閉症児(A君)と両親(B氏・C氏)が原告となり、小金井市、担任教師(D氏)及び校長(E氏)を被告として、東京地方裁判所八王子支部に2006年11月1日に提訴しました。これは民事事件(損害賠償等請求事件)ですが、その審理が去る2008年2月28日結審され、5月29日午後1時15分に判決が言渡されます。
 私はこの事件に原告代理人として他の5名の弁護士とともに深くかかわってきました。この事件では単に事故発生というだけでなく、真実そのものが教師らによって歪められ事実と異なる説明がされていることを私たちは訴えています。A君の両親はA君が在籍していましたし、学校側を相手に法的手続をとることなど思ってもいませんでしたが、すべてをA君の責任にし、事故の発生の事実関係をもごまかそうとした対応にやむをえず法的手続きをとりました。A君が将来事故の後遺症で苦しむこともあり得ます。両親は真実は何かを司法によって判断してもらうことがA君に対する親の義務と思うようになりました。
 私は私のまわりにも教師の方がたくさんいて、“今の先生は気の毒だな”と思うことが少なくありません。教育委員会、校長、PTA、保護者、生徒の板ばさみで、うつ病を発症する教師も少なくありません。“うつ病教師のための弁護団”を特別につくろうかと思うぐらいです。しかし本件をみると学校関係者の障害児に対する理解度や障害児と向きあう姿勢に多いに問題があることを実感しました。許せないと思われる点も多々あります。

【自閉症児に対する威かく教育の過ち】

<D教師は十分な担任歴があった>
 担任Dは新任の時からこの小学校の心身障害児学級の担任を5年間続けていました。A君についても入学以来3年間担任を続けていました。担任といっても受けもつ生徒の数は少なく、事故の起きた2004年度はA君を含めて3名を担任しているだけですので本来A君の障害特性が十分理解できている筈です。したがってA君の障害特性にあわせた教育ができる筈です。

<自閉症の「3つの障害特性」>
 自閉症は、脳の障害によるもので、乳幼児期の早い時期に症状が明らかになる発達障害の一つです。自閉症の児童・生徒には、さまざまな障害特性がありますが、共通するものとして、①社会性・対人関係の障害「対人関係がうまくもてない」、②コミュニケーションの障害「コミュニケーションがうまくとれない」、③強いこだわりや固執的な行動「独特の行動パターンをもつ」などとされています。

<A君について>
 A君はとてもかわいらしく活発な小学生です。いろんなことに興味をもって学校でも職員室や他の教室をのぞくことが時々あります。A君は自分で自分の気持ちや考えを言葉で表現することが十分にはできません。

<事故発生の経過>
 ① この事故が起きたのは、2階の体育館で体育の授業が始まる前のときです。体育館には4つの倉庫がありました。倉庫1はバレーボールなどが入っていて生徒は自由に出入りできました。窓にも生徒の転落防止のためのフェンスがつけてありました。倉庫2~4はいろんな道具が置かれていて普段は生徒が出入りすることは余りなく、転落防止のフェンスもありませんでした。A君は倉庫1に入ったあと、倉庫2に入りました。

 ② A君が倉庫2から出てきたとき、D教師はA君に「倉庫に入ってはいけません」と注意しました。ところがA君は次に倉庫3に入りました。倉庫の扉は自動的に閉まるようになっていました。D教師は扉を開け「倉庫に入ってはいけないと言ったでしょう。そんなに入っていたければ入っていなさい。」と言って強く怒った態度で扉を閉めました。A君は悲しそうな顔をしてアーアーと言って手を前にさしだす仕草をしましたがこれを無視しD教師は怒っているという態度を示すことを意図して扉を閉めました。

 ③ D教師は扉の前に立っていたとのことですが、扉を閉めて20~30秒たってもA君は出てこず、反応がありませんでした。D教師が扉を開けたところA君の姿が見えず、窓が開いていました。D教師はあわてて窓の下を見ると生徒の上履きが片方落ちており、A君らしい泣き声が遠くで聞こえました。D教師は1階におりてその上履きを拾ったところA君の名前が書いてありました。D教師が再び体育館にもどったところA君が保健室にいるという連絡がありました。A君はあごを強打し歯を6本折って体育着の前は血だらけで泣いていました。D教師が抱っこするとA君は片方上履きをはいていませんでした。A君が体育館下を泣きながら血に染まった体育着で走っているのを給食調理員の女性や用務主事の男性が目撃していました。
 
 ④ A君はD教師により倉庫内にとじこめられ、混乱状態となって窓から脱出しようとして大きなケガをしたことは明らかです。東京都教育委員会発行の「自閉症児の障害特性に応じた指導の考察」という教師向けのパンフレットに「くどくどした叱責や、感情的な叱責は児童・生徒にとって混乱のもとになり、子どもへの適切な指導とは言えません」と記述されています。D教師は感情的な叱責をした上、A君を倉庫に閉じ込めたのですからA君が混乱するのは当然です。

 ⑤ その上、倉庫2からA君が出てきたときのD教師の「倉庫に入ってはいけません」の注意はA君には何のことかわからず、「注意」になっていません。A君は倉庫という抽象的な言葉が理解できません。倉庫1は入ってよいのに抽象的に「倉庫に入ってはいけません」と言われても何のことがわかりません。教師としては指や腕などを使って×印をつくるなどして「この倉庫はダメ」ということを具体的に指導しなければA君には伝わらないのです。ですから、倉庫3に入ってもA君はD教師に逆らったという意識はありません。それなのにD教師が怒って扉を閉めればA君が混乱を起こすことは当然です。転落防止のフェンスのない倉庫に数十秒も閉じ込めておくことが危険であることは教師として当然認識している筈です。D教師としてはA君を安全・確実に倉庫の外に出すことをまず第一に考えなければなりません。扉を開けたまま“A君、さあ出てきて体操をしましょう”と声かけをするべきだったのです。D教師の対応は自閉症児に対する「注意」でも「指導」でもなく、教師が自ら危険な状況を作り出したもので、自閉症児教育についてまちがいにまちがいを重ねたと言えます。

【教師が事実と異なる説明をする等学校側の態度が悪い特殊な事件】

<教師対自閉症児>
 判例法上、学校事故について、学校側の責任が認められた事例はたくさんあります。それらは教師対生徒が対峙するというよりも、児童・生徒間同士の悪ふざけやけんかで児童・生徒の片方が怪我したような事例で、教師の不作為を不注意があったとして学校側の責任を認めています。最近では最高裁が雷に生徒がうたれて死亡した事故で教師の責任を認めています。判例は教師、校長に「生徒・児童の身体の安全について万全を期すべき高度の義務」があるとしています。これら他の事案と比べると本件は教師と小学校3年生の自閉症児が直接対峙して教師自身が発生させた事故です。教師・学校側に弁解の余地はないと思います。

<教師による事実と異なった事故説明>
 ところが本件について更に容認できないのは、教師が事故発生状況について事実と異なった説明をしたということです。D教師は「扉を閉めてドアの外に立っているとガシャンと音がした。A君が扉から外に出て行った。倉庫3内では一輪車のスタンドが倒れ一輪車が散らばっていた。A君は一輪車からとびおりるときにけがをした」という事実と明らかに異なる説明を校長・副校長・A君の保護者らに説明し、保護者会でも平然と事実と異なる説明をしています。D教師はA君が事故状況を自分で話せないことを知っていますから、平気で事実と異なる説明を多くの人の前で行ったと思わざるを得ません。 

<警察の捜査>
 たまりかねてA君の両親が事実を調べてもらうため、警察に被害届けを出しました。警察が実況見分をした結果、D教師の述べることは事実を異なることが明らかになりました。D教師は警察の実況見分に立ち会ったのち、これまでの説明を一度訂正しました。しかし、刑事事件としては起訴までは至らなかった以降、再び倉庫内の転倒を言い出し、裁判ではA君が自分の自由意思で行動し、ケガをしたのだから因果関係がないとまで主張しています。

【学校に根強い障害児に対する差別意識】

 E校長は倉庫2、倉庫3における「D教師の注意・指導は正しかった」「D教師はまじめで、やさしい将来ある青年である」として絶賛しています。E校長は事故の発生場所や発生原因は特定できない旨の報告書を小金井市教育委員会に提出していますが、その第1の理由はA君が事故状況を話せないことにあるとしています。A君が話せないことをいいことにD教師は事実と異なる事故発生状況を平然と多数の前で説明しました。A君が多少でも話せればこんなことはできなかったと思います。A君には何の非もないのに、教師の「注意・指導に従わない聞きわけのない生徒」というシナリオが学校側でつくりあげられた事件であることを私たちは裁判所に訴えています。障害児の両親が学校側を相手に訴訟を提起することは子どもを人質にとられているような状況の下ですから決してできることではありません。多くの親は泣き寝入りしています。この事件の判決が障害児や障害児の親たちに勇気を与え、学校関係者に猛省を促すような判決であってくれるよう祈ってやみません。
 

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2008年2月18日 (月)

高裁、中曽根元総理の労組壊滅政策にメス

【中曽根康弘元総理の反労働組合主義】

 中曽根康弘氏は戦後の歴代首相の中でも最も右翼的な政治家と言えます。私が戦後の首相の中で右翼的な政治家を挙げるとすれば、岸信介、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三の4名です。その中でも岸信介と中曽根康弘は筋金入りと言えます。中曽根は1982年11月田中派の後押しで首相の座に躍り出ましたが、旧帝国海軍あがりの改憲論者で、首相就任の初会見で第二次世界大戦を<大東亜戦争>と発言、「レーガン詣で」をした時には<不沈空母>発言、靖国神社への<首相参拝>を強行して、中国などに「日本帝国主義の復活」と激昂させました。しかし当時の自民党の中で改憲論議は活発ではなく、靖国参拝もその後とりやめました。
 中曽根氏は改憲論者であるとともに反労働組合主義者で総評を中心とする当時の労働組合運動を徹底的に忌み嫌っていました。

【中曽根氏の公言 国労壊滅・総評崩壊を意識しその一念で国鉄分割・民営化を断行した】

 総理大臣として国鉄の分割・民営化を強行した中曽根氏は、分割民営化(1987年4月)の10年後位から雑誌やNHKインタビューなどで「国鉄分割・民営化」は、国労を崩壊させれば総評が崩壊し、55年体制を終末に導くことを意識し、その一念で強行したことを、自己の歴史に残る業績として随所で誇らしげに公言しています。

<AERA1996年12月30日号>

 「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評が崩壊する(国鉄分割民営化は)そのことを明確に意識してやったのです」

<中曽根康弘著「自省録 歴史法廷の被告として」(新潮社、2004年)>

 「中曽根内閣」といえば、業績の大きな柱として、国鉄の分割・民営化、税制改革、教育改革、行政改革は、大きく語られ記憶されてよいと考えています。

 なかでも、国鉄分割民営化は、国労の崩壊、総評の衰退、社会党の退潮に拍車をかけて、55年体制を終末に導く大きな役割を果たしたのです。

<「文藝春秋」2005年12月号>
 中曽根氏は以下のような発言をしています。

 「国鉄民営化は、国鉄労組を崩壊させました。国鉄労組の崩壊は総評の崩壊、つまり社会党の崩壊につながります。だから国鉄改革は、日本の基盤に大きな変化を与えたんですよ。もちろん私はそれを認識して実行に移しました。私が三木内閣の幹事長をしていた時、国鉄労組が8日間のゼネストをやった。私は徹底的に戦ってストを破った。そして202億円の損害賠償を要求して以降、法廷闘争となった。その時以来、国鉄の民営化と総評・国鉄労組の崩壊を狙っていたのです。」

【国鉄の分割・民営化と徹底的な組合差別】

 1987年4月国鉄は民営化され地域別に6つのJR各社と全国1つのJR貨物に分割されました。国鉄職員は公共企業体の職員として公務員並みの身分保障がされていたのですが、中曽根元総理や国鉄当局は分割・民営化にあたり新事業体であるJRに採用されない労働者数として41,000人を意図的に作出し、国鉄当局は、当局に従順に従わないとJRに採用されないとおどし、国鉄労働組合(国労)からの脱退を執ように求めました。現実にも最後まで国労を脱退しなかった労働者はJRに採用されず、国鉄清算事業団に残され、3年後の1990年3月に解雇されました。解雇された国労所属の労働者295名が、国鉄を承継した日本鉄道建設公団を被告として2002年に提訴したのが鉄建公団訴訟で、私はその常任弁護団の1人です。これについては2005年年9月15日に第1審判決がありました。

<第1審判決>
 第1審判決は次のように述べて、国鉄の不当労働行為(組合による採用差別)を認定し、不法行為にあたると断じました。

 「国鉄が、原告らをJR北海道、JR九州の各採用候補者名簿に記載しなかったのは、主として、これら原告らが、国労に所属していることないし国労の指示に従って組合活動を行っていることを嫌悪して、国労組合員に対する能力、勤労意欲、勤務態度等の評価を恣意的に低く行い、不利益に取り扱ったことによるものであると強く推認することができる。」

 「以上によれば、国鉄がJR北海道、JR九州の各採用候補者名簿に記載しなかったのは、同原告らが、主として、国労に所属していることないし国労の指示に従って組合活動を行っていることを理由として、採用基準を恣意的に適用し、勤務成績を低位に位置付けたこと(以下「本件加害行為」という。)によるものと認められ、不法行為と評価するのが相当であり、当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。」

 第1審判決は不当労働行為は認めましたが、1990年解雇については時限立法にもとづく解雇でやむをえないとして解雇無効を認めず、原告らについてわずか1人500万円の慰謝料のみを認めました。これについては原告、被告双方とも不服として控訴し東京高等裁判所第17民事部で現在審理されています。

【鉄建公団訴訟で東京高裁は葛西敬之JR東海代表取締役会長の証人採用を決定】

 2月15日鉄建公団訴訟の控訴審で東京高等裁判所第17民事部の南敏文裁判長は次の4月18日の口頭弁論期日に現JR東海の代表取締役会長である葛西敬之(かさい よしゆき)氏の証人尋問を行うことを決定しました。葛西氏は国鉄が分割民営化するにあたって職員局次長の地位にあり、東京高裁は不当労働行為(組合差別)の実体と原告ら労働者の解雇の正当性の有無について、旧国鉄の指揮官を尋問する必要があると判断したことによるものです。
 葛西氏はJR東海の代表取締役会長であるほか、国家公安委員会委員、政府の教育再生会議の委員でもあり、政財界に発言力の強い人物です。地裁でも葛西氏の証人尋問を求めていましたが、東京地裁の第36民事部でも、第19民事部でも採用されませんでした。組合対策の功績が認められ、出世階段を昇りつめ、今ではすっかり大物となった葛西氏の尋問を東京高裁が決定したことに、事実解明に向けての東京高裁の強い決意を感じて、私は一瞬心がふるえました。

【中曽根元総理の意を受けて】

 中曽根内閣が誕生したのは1982年11月ですが、この頃から国労潰しの動きが鮮明になってきています。国鉄分割・民営化の直前である1985年6月から1987年1月にかけては国鉄職員29万人をまきこんだ不当労働行為(組合差別)が国鉄当局によって白昼堂々と行われました。これは時の内閣総理大臣のお墨付きがあったから国鉄当局幹部が何臆することなく、強引に組合潰しを実行しました。日本の労働運動史上前代未聞の組合潰しであり、この過程で多くの国鉄労働者が路頭に迷ったり、自殺で亡くなったりしました。血塗られた1頁として労働運動史上消し去ることができないものとなりました。

【闘う労働組合が壊滅した今 日本の社会におきていること】

 中曽根元総理や葛西氏らの企図したとおり、わが国から使用者と対立しても労働者の権利を守る労働組合が激減しました。労働組合の組織率は18%を割り、その労働組合もほとんどが御用組合で、わが国ではストライキは死語と化しています。このような国は世界でも極めてまれで、もともと労働者の権利に関する法的な秩序が存在していなかった日本の企業秩序社会において、使用者の一方的な支配に黙々と従う労働者群という構図がほぼパーフェクトな形でできあがってしまいました。
 その結果日本の社会に何が起こったでしょうか。リストラによる中高年労働者の自殺、30代を中心とするうつ病の増加、過労死、うつ病を苦にした自殺、ワーキングプア化した非正規雇用労働者等々。今やKAROSHIは日本の労働者の現状を表現する国際語と化しています。正当な労働組合活動を行う労働組合が消滅することによって、日本の労働者の屍が累々と積みあがっています。
 中曽根元総理や葛西氏は勝ち誇った如く自伝を出版していますが、彼らには日本の社会がかけがえのないものを失ったことが理解できていないと思います。葛西氏の証人採用は、中曽根元総理の労働組合潰しに裁判所がメスを入れることにつながります。健全な社会をとりもどすためにもきちんとした成果を勝ち取りたいと念じています。

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2006年12月27日 (水)

視覚障害・うつ病の労働裁判

【うつ病になった視覚障害者佐藤治氏の労働裁判】
                - 仙台地方裁判所に現在係属中 -

<視覚障害>
 佐藤さんは1962年生まれで、1983年(20歳のとき)Y社会福祉協議会(以下「Y社協」と略します)に就職しました。佐藤さんは就職のときにすでに「両網膜色素変性症」という視覚障害がありましたが、担当の総務、経理をきちんとこなしていました。佐藤さんは度の強い眼鏡で今でも普通の文字を読むことができ、私の知っている視覚障害の方の中でも軽度に属すると思います。

<うつ病の発症>
 Y社協は2000年4月から始まった介護保険事業に参入することになり、佐藤さんは1999年から介護保険業務の認可を得るための膨大な書類の作成等の業務を命じられました。佐藤さんは極度の超過勤務を余儀なくされ、加えて、会長、事務局長等より「赤字になったときは責任をとってもらう。」とのプレッシャーを受け続け、更に障害者差別の言動も受け、うつ病を発症しました。うつ病発症の状況について佐藤さんは次のように述べています。

「私は常にものごとを前向きに解決するよう務め、目のことも障害をバネにし、今までがむしゃらに仕事をしてきました。妻やヘルパーさんから『やせたんじゃない。疲れてるみたい。』と言われました。そう言えば眠れないし食欲も無い、だんだんやせてきて、平成12年6月16日頃、夜一人で仕事をしている時、突然発狂し泣き出し、自分で制御不能となりました。まさか私が『うつ病?』最初はテレビドラマみたいで受け入れられませんでした。たまりかねて6月17日にS中央病院に駆け込み(妻も心配して同伴)診察してもらったら、「うつ病」と診断されました。」佐藤さんはそれでもうつ病に耐えて働き続けました。介護保険は黒字となり、佐藤さんのがんばったお陰です。Y社協にとり重要な収入源としてY社協に大きく寄与しました。

<不適切な職場への異動命令>
 佐藤さんがほっとしていたのもつかの間、Y社協は佐藤さんを視覚障害者に不向きな職場への異動を命じました。視覚障害者は視覚障害のため物理的移動にある程度の苦労を伴いますがが、知的活動にはほとんど影響がなく、むしろ他の感覚や努力により健常者以上の知的活動を行っている視覚障害者が少なくありません。佐藤さんもそうです。ところがY社協は細かな文字を直ちに読みとらなければならない職場に佐藤さんの異動を命じました。佐藤さんは職場環境の改善を求めましたが、聞き入れてもらえず、むしろ減給処分などの厳しい扱いを受けました。Y社協は佐藤さんを退職させることしか考えていない対応をとり続けました。

<死の危機>
 佐藤さんはたび重なる降格、降級、言葉のハラスメントに耐えられず、死ぬ事しか考えられなくなりました。奥さんから「笑顔が消えた。じっと考え込んでばかりいる。仕事をやめて下さい。障害者を守るべきはずの社協が障害者いじめ。そんな所になんかいないで下さい。」とさとされました。そして奥さんに社協をやめていいかと改めて聞くと「いいですよ。生きてさえいれば何とかなりますから。」と言われ佐藤さんの心が決まりました。心配しているお母さんやお兄さんに報告に行き、お兄さんに長生きしたいので社協をやめたいと相談しました。お兄さんは、「病休をとって心の病を治してから今後の事を考えろ。今は正常な判断が出来ないのだから療養しろ。家族を守る為にも必要なんだ。」と言われ、思い切って病休を取り休む事にしました。

        Img_0496
      仙台高等・地方裁判所前にて 佐藤治,文代夫妻

<自然退職扱い>
佐藤さんはその後6ヵ月の病休と1年間の休職をしました。Y社協は佐藤さんが不適切な職場で病休中に改訂した就業規則を盾にとり、1年の休職期間満了を理由として2004年10月退職扱いにしました。

<裁判の争点>
 Y社協は佐藤さんの主張について全面的に争っています。争点は次のとおりです。

1.休職期間満了による退職扱いは有効か

 これが要は結論部分です。有効であれば、佐藤さんはY社協の労働者ではないので佐藤さんの請求は棄却となります。無効であれば佐藤さんは労働者としての地位が認められ、賃金を支払われることになります。

2.佐藤さんのうつ病発症は労災(公傷病)か私傷病か
 これについて労働基準監督署は2006年3月労災である旨の認定をしました。公的に労災認定をされたことは強い援軍ですが、裁判所はうつ病が業務に起因するのか否かを独自に判断しますので、その立証が必要です。

3.労災が認定されれば退職扱いは無効となるか

 労働基準法は「使用者は労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、療養のため休業する期間は解雇してはならない」と規定しています(19条1項)。ただ佐藤さんは解雇ではなく就業規則を適用して休職期間満了による自然退職扱いとされたもので、この法文がそのまま適用できません。これについてはエール・フランスが被告となった事件で東京地裁1984年1月27日判決は「使用者が従業員の復職を否定して休職期間満了による自然退職扱にする場合にあっては、・・・使用者が当該従業員が復職することを容認しえない事由を主張立証してはじめてその復職を否定して自然退職の効果の発生を主張しうるものと解するのが相当である。」としています。したがって解雇と同等の主張・立証責任が使用者側にあると言え、うつ病が労災であれば自然退職扱いが無効となると思います。

4.佐藤さんに対する減給処分は有効か

 佐藤さんは減給による損害額として6,196,381円の支払を求めています。病休、休職が業務に起因していればこの請求も認められてしかるべきです。

5.佐藤さんの職場復帰は可能か

 うつ病の労働者の場合、職場環境が変わらなければ、復職が難しいことが少なくありません。佐藤さんの場合、復職の条件としてY社協の職場環境並びにこれまでの姿勢の改善を求めていきます。

<次回予定>
 ・ 日時:2007年3月19日(月) 午後2時~午後5時
 ・ 場所:仙台地方裁判所 308号法廷
 ・ 予定:Y社協会長の本人尋問と佐藤さんの本人尋問

証人・本人調べに入るのは次回が初めてです。証人を調べてから原告や被告の本人尋問をすることが多いのですが、訴訟の迅速化のため、本人尋問を先にやって必要があれば証人尋問をするよう裁判所に要望し採用されました。裁判は、いきなり核心に入ります。
お時間のある方は,傍聴して佐藤さんを応援してあげてください。

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