書籍・雑誌

2012年11月12日 (月)

売れてる本 「新幹線お掃除の天使たち」

【新幹線お掃除の天使たち 「世界一の現場力」は
                        どう生まれたか?
  遠藤 功<著> 日本が誇る生活文化の結晶】

                  (2012年11月4日 朝日新聞 より)

 東京駅のホームで東北・上越新幹線を待っていると、列車の前で整列し、乗客に一礼するおそろいのユニホーム姿の人たちを目にする。彼らこそが本書で「お掃除天使たち」と呼ばれる新幹線の清掃フタッフだ。そのテキパキした素晴らしい清掃作業とホーム上での乗客案内などのおもてなし業務が多くの人に称賛されている。
 本書は、ただ列車内の清掃を請け負うだけだった地味なJR子会社が、いかにして変身したのかを心温まるエピソードとともに分析している。
 これは日本の誇る豊かな生活文化の象徴だ。コンビニで売っている安いお菓子がこれほど美味しい国はないし、安価で質の良い生活雑貨がどこでも手に入る。お店のスタッフはたいてい感じがいい。日本を訪れた海外の旅行者は口を揃えて日本のそうした豊かさを誉めたたえる。
 著者によれば、清掃スタッフたちの仕事を視察したフランスの国鉄総裁は「これをフランスに輸出してほしい」と溜め息を漏らしたという。欧米型のマニュアル接客とは異なり、日本の接客文化はスタッフの自律努力によって支えられているのだ。
 振り返ればバブルのころまでの日本には、これほど素晴らしい接客文化は存在していなかった。その後のバブル期の文化成熟を経て失われた二十年を過ごしてきた中で、日本社会はひっそりとこのような高度な生活文化を醸成してきたのだ。
 グローバリーゼーションの波に洗われ、産業界では失速する大企業が頻出し、そして社会の階層化も進んできている。この状況でいつまで豊かな生活文化を維持できるのか。「お掃除の天使たち」の素晴らしい接客を時代のあだ花で終わらせず、社会に広げていくためには何ができるのか。考えさせられる本だ。 (あさ出版、1470円=16刷7万部)
 佐々木 俊尚(ジャーナリスト)

【私の感想】Up63

1 日本人のお尻は世界一清潔
 日本人はお風呂が大好き。お湯にどっぷりつかって、浴槽の外で洗ってまたどっぷりつかる。外国人の中には体臭の強い人もいますが、ほとんどの日本人は臭いません。これは体質の違いよりもお風呂文化の影響が強いのではないかと思います。
 日本人の清潔のきわめつけがウォシュレット。お尻の穴のほこりまでとり払うのですから日本人のお尻は世界で一番清潔で美しい。なめても大丈夫!でも無菌は菌に対する耐性をなくすので、菌に強い体質にするためには菌との共生も大事で、無菌は果たしてよろこんでいいのかなというぜいたくな心配をする位です。

2 トイレの掃除
 トイレの掃除も日本の旅館・ホテルを利用してがっかりすることはほとんどありませんが、外国では日本ほどゆきとどいていません。30数年前にはじめてヨーロッパ旅行をしたとき、その違いを感じました。旅程の最後はニッコー・ド・パリというホテルで日本航空が経営するホテルに泊まることになっていて、今度は安心してお風呂やトイレを使えると期待したのですが、掃除をしたのはフランスの低所得者の人たちで期待どおりではありませんでした。
その点日本の女性たちは世界一清潔ですから、正社員であれ、パートであれ清潔の目標がきわめて高く、トイレ掃除で世界一の水準になるのだろうと思います。繊維製品にしても、料理にしても、日本のおばさんたちの要求水準は高く、ですから日本で評価される品物は世界で通用するのです。

3 著書「新幹線お掃除の天使たち」
 私も早速買って読みました。他人が汚したトイレの清掃は誰もやりたくありません。新幹線の清掃をする女性たちが「お掃除の天使たち」として愛されるようになったのは、現場を信頼する経営陣と、誰にも平等に保証された昇格・昇給システムと、その上で次々と新しいアイデアを生み出す現場で働く人たちのチームワークのたまものだろうと思います。「清掃」というどちらかというと負のイメージの仕事を全員の力で「さわやか、あんしん、あったか」サービスを届けるチームに進化させています。このところ個人の成果主義ばかりを重視する人事考課が幅をきかせてきましたが、現場の小集団のチームワークを大切にし、そこからの積み上げを尊重することの重要さを再認識させるレポートでもありました。もともと日本型経営の基本はここにあったと思います。日本人がすぐれた商品をつくりつづけ、ゆき届いたサービスを提供し続けるためには原点帰りをするべきだとあらためて思いました。

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2009年10月 4日 (日)

辻井喬・金子勝 自己愛に沈む日本社会

【未完の近代と自己愛に沈む日本社会 大転換期をどう乗り切るのか】
                                         (「世界」2009年10月号 より)

<辻井 喬>

 つじい・たかし 1927年東京都生まれ。詩人・作家、元セゾングループ代表。経営者・堤清二としての活躍が知られる一方、精力的な創作活動で多彩な作品を生み出す。著作に詩集『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青 わが黙示』(高見順賞)、『鷺がいて』(読売文学賞詩歌俳句賞)、小説『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の峠』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)など多数。『自伝詩のためのエスキース』にて第27回現代詩人賞を受賞。近著に『叙情と闘争』。

<金子 勝>

 かねこ・まさる 1952年生まれ。経済・財政学者。慶応義塾大学経済学部教授。著書に『世界金融危機』、『脱「世界不況」』、『反ブッシュイズム1~3』、『閉塞経済』、『地域切り捨て』、『環境エネルギー革命』、『戦後の終わり』、『粉飾国家』など多数。

【私のコメント】Up63

 辻井喬氏と金子勝氏はその立ち位置が全く異なりますが、両氏は異なった角度から鋭く日本社会を分析しています。両氏の対談はユニークな企画であり長文になりますが、その一部を以下に紹介させていただきます。

【記号消費から実需消費へ】

 辻井  まず日本のことをお話すれば、ちょうど1年ぐらい前から、驚くような変化が消費に出てきています。その最も象徴的な事例は、「クルマ社会」が、突然消えたことです。みんな車は持っていて、手放しはしないのですが、使う時間がものすごく減った。ですから、不動産価格の安いところ広い土地を買って、お客さんはみんな車を持っているから商圏も大きく、広い駐車場をつくって集客する、という「路線商売」が軒並み打撃を受けています。どの業種がというのではなしに、レストラン、スーパー、GMSと呼ばれる総合スーパーも一斉に下がり始めた。その下がり方が、都心部や市街地中心部よりは、あきらかに数%大きい、どうしても車を使っていかなければ手に入らないもの以外は、できるだけ近くで間に合わせているわけです。数字を見ると、都市の中心部、そしてごく隣接したところにあるコンビニだけが少し増えている。少し不便なところのコンビニは減っています。また、レストランサービスは間違いなく、それよりも少し強めに減っている。ということは、家庭で料理をして食べる、あるいは、コンビニで買ったもので間に合わせるという生活意識がまたたく間に全国を支配するようになったのです。
  (中略)
 消費は少しも増えていません。衣料品などは、百貨店がことにひどいのですが、ピーク時に比べて20%近く衣料の売り上げが減っています。絶対的にファッション性を追求して、もう去年の洋服は今年は着ていけないわというメンタリティはなくなりました。まあまあカッコウがつけば去年のものでも着てしまう。車の場合も、あの車に乗らなければ彼女の気持ちを引くことはできないという価値観はなくなってしまった。とにかく、輸送手段としてあればいい。それならばできるだけ燃費のいいものがいいということです。

【自己愛的メンタリティと不況の融合】

 金子  これは深刻な不況がもたらしている不況減少なのか、それとも、社会や消費のスタイル、価値観にまで及ぶ転換点なのか。どう見るかが大きな違いになると思います。
 「不況」でかなり説明できる部分もあります。しかし、家族構成の変化や、少子高齢化、正社員その他が過重労働を強いられているといった、ライフスタイルが「成熟」したからではない、負の変化がある。子どもをたくさん持って、郊外の広いところでのびのびと、そして車を使って移動するというライフスタイルを選ばず、鉄道の駅近辺の直結型マンションが売れている。みんな疲れているから電車を降りたらすぐ帰りたいのです。単身世帯、夫婦だけ、あるいは子どもがいても一人、という形態の家族構成になるとマンションがいい。かつてサンデードライバーという言葉がありましたが、いまは疲れた単身者やお父さんは寝ているのです。
 バブルの頃はみんな着飾っていましたが、いまはユニクロにたくさんの色があるお陰で、さしてファッション性がなくても着ていることが恥ずかしくなくなっている。
 そうしたいくつかの徴候の中に、私は最近の若い人の猛烈な自己愛を感じるのです。イデオロギーの時代には、社会をどうするかということが心のなかを占めていた。次に、オウムで宗教の時代が終わった。そうなると、残っているのは男女の恋愛と自己愛だけのような人間が多くなった。
 若い人たちの消費の変化でいうと、バブル崩壊の後遺症が長く続いて、雇用が不安定な状況に置かれているせいもあると思うのですが、最近草食系男子が増えたといわれますね。主張を交換するとか、積極的に伝えるというコミュニケーション能力は著しく低下しているにもかかわらず、他者を傷つけないコミュニケーション能力は異常に発達しているのです。それは自己愛の裏返しです。自分を傷つけることに対する恐怖と相手を傷つけることに対する恐怖が常に支配的で、嫌われないことがいちばん大事。そういう行動をとる人たちにとって、車を持って見せびらかすということは意味がない。

 金子  派遣労働とはつまり部品労働化です。男子も派遣化が一般化し就職が非常に厳しくなってくると、男は正社員になったことでホッとし、一生懸命そこからずり落ちないようにと考える。依然として男社会の残像が残っていて、女に食わしてもらえばいいとは思わない。そうすると、仕事そのものよりも生き残ることに最大の価値があるから守勢です。面接をしても、仕事について語ろうかという気概はない。
 一方でひたすら婚活して結婚に逃げたいと思っているけれど逃げ切れない、きわめて保守的な女性の層も生まれている。

【若者が根源的に活力を奪われた社会】

 金子  根源的に若い人の活力が生まれてこない、新陳代謝のない社会になっているのではないでしょうか。
  
 雇用を不安定にして若い人を未来が考えられない状態におくというのは、最大の愚民政策ではないでしょうか。バブル処理に失敗して構造改革をやってきた失敗組が政・官・財のトップを占めてきた。この支配が永続する近道は若い人の政治的な参加の動機が形成されないようにすることです。
 グローバリゼーション下で愚民政策をやれば、当然国力はヤセ細ります。それがこの10年間ですよ。だけど反省はない。いまもこんな状況で、景気底入れなどとバカな発表をくり返す。楽観論があってもいいが、根拠のない楽観論は危険です。それは、失敗を反省しなくていい、今のままでいい、というメッセージを送ることになるからです。

【中間組織化する国民国家 食い尽くされた戦後体制】

--いまの社会状況は不況だけで説明がつかないというお話でしたが、ヨーロッパも70~80年代の景気低迷があって、成長神話からの脱却が思想的にも語られてきた。日本は、曲がりなりにも豊かさを実現した後、長い不況、そしていまの危機を迎えたわけですが、なぜ成熟社会は生まれなかったのでしょうか。
 辻井  まさにそこのところが解明できたらいろいろな問題が見えてくると思うのです。ジャック・アタリの『21世紀の歴史』を読むと、こう威勢よく言えたら羨ましいわいと思う(笑)。主張はかなり目茶苦茶で、当たるも八卦・当たらずも八卦みたいで論理的でもないしがっかりしましたが、これだけアイデアを乱発してストーリーを語ろうとする。
 日本にはこういう言説はないですね。そういうのが影響力を持っている社会というのは、やはり羨ましい。
 それは日本全体が改革に失敗したからです。第二次大戦後、社会の本質的な枠はそのままにしておいて民主主義のカタチだけを作った。そうしておいて、政治、外交については日本はまさにアメリカの従順な僕となって、これなら安心だと、昔の日本のままアメリカに仕えればいいというかたちでの再建をやった。何が一番成功したかというと、高度経済成長政策です。安保改定でも存続でも棚に上げておいて、とにかく所得を倍増しよう、幸せになれるよと、みごとにそれで吸い取られましたね。
 そのときに革新側は、騙されるな、あれは独占資本の策略だ、とだけしかいわないのだから、やはり大衆は取られてしまいます。だから、1963、4年頃から、革新の力が軒並み崩れて、社会のなかでも、前近代的要素はむしろ充溢して、除去されていない。それで経済だけが豊かになったのですから、いまのような状況で、不況や閉塞を乗り越えるための熱烈な議論を言ってもダメだよとなってしまう。
 いろいろな社会の枠組み、例えば企業別組合や年金も直さなければいけなかった。
 金子  欧米に集団を横断的に貫くようなしくみができているのに対して、みんなが、小集団のなかに閉じ込められて、そこで忠誠を誓わないと安寧な生活が保たれない仕組み、そういう前近代性を残したことに目がいかなかった。天皇制もみんながいろいろ批判をしていたが、内なる前近代に気がつかなかったのだと思うのです。それは精神ではなくてシステムです。まだ、みんなが意識としての戦後民主主義を共有できる間はそういう制度的な壁に気づかなかった。

【温存された前近代的システムの恐ろしさ】

 金子  その前近代的しくみがいかに恐ろしいかには気がつかなかった。80年ぐらいからだと思うのですが、もう行き詰まっているのにそれを変えられなくなったのです。
  (中略)
 そういう社会が一方ではグローバル化した世界と向き合わなくてならない。そうすると、全部こわしちゃえというときに市場原理が一番いい。新自由主義が前近代を壊してくれる非常にいいものに見えたりするというのが、小泉改革で頂点に達した。バブル崩壊のあとも経営でさまざまな議論がされました。株主資本主義、外部監査役、コンプライアンス、次々とやった。われわれは実は経営の責任もとれないし、経営として意思決定を変えていかなければいけないはずだったのが、気がついてみたら何もチェックするものが働かない。それでいろいろアメリカの制度をまねして入れるけれども、うまくいかなかった。

【制度から「アジア的近代」を考える】

 辻井  私はなんとかして希望を見つけたい。どこか突破口にならないかと考えないわけにいかないのですが、これは、始終発言をして雰囲気を変えていく以外に方法が見つからない。いま中心的な思想がなくなってしまって、個別の主張だけが一人歩きする状況をなんとかしないといけない。
 金子  辻井さんは未完の近代と闘ってきたと思うのです。妙な自己愛がつくり出されるメカニズムを考えてみると、未完の近代と、個に徹底的に解体していく再帰的近代とが妙に重なり合ったところに生まれてきているように感じます。しかも、その中で社会全体が沈んでいくような感覚です。
 辻井  近代について西洋的なモノサシをいくら重ね合わせても絵が見えてこない。 アジア的な近代というものを考えださないと突破できないのではないかと、この頃非常に強く感じているのです。柳田邦男の言うような、日本の変革はジリジリダラダラと気づかないうちに進んでいる。日本の近代は若衆塾などに見るように江戸時代以前からあったというのはおかしいと思いますが、歴史的段階論もどうも日本にはあてはまらない。日本における近代とは何か、これは中国でもベトナムでも通じる問題設定です。ウィットフォーゲルなどを読み直してみる時期かもしれません。
 金子  アジアというときに、日本や中国という極東は、対称化しやすい。もう一つ重要な視点は、トルコやバルカン半島、旧共産圏のハンガリー、ルーマニア、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシという絶えず東洋と西洋の価値観がせめぎ合う場所がどうなっているかだと思います。いまEUが救いきれなくなっている状況で、IMFの問題になって、中国は、金を出すから発言権よこせというが、IMFのルール自体をアジア的なルールに変えようとはしない。人事ポストのパワーゲームだけです。本当の文化的なグローバリゼーションの問い直しが、具体的な地域で価値の衝突を通じて、どうあらわれるのかというのがまだよく見えてきません。

【理念ある政治が説得力を持つ】

 辻井  私は、それにしても政権を変えることはできた、われわれの一票で政権交代ができたことは大きいと思う。ああそうか、俺たちが本当は主人公だったんだ、という意識として定着できるか、変えてみたけれど、ほとんど同じだと落胆してもう政治に関心を持つのはやめようということになるか。だから、総選挙に勝ったあとの一年二年は非常に大事なのです。
    (中略)
 私は、今度の選挙は、自民幕府の崩壊を導くという意味はあったと思います。それが大連立みたいな大政翼賛会的発想で、自民幕府よりもっと自民的な幕府ができたら元も子もない。この三、四年がものすごく政治的な緊張を要する時代でしょう、でも、その間でも、長期的な日本の改造計画は進めてもらいたいですね。
 金子  2010年の参議院選挙が実は本番です。
 辻井  小分派が乱立して、わけのわからないものになる。ここ数年が、日本が今後どういう社会を選ぶかという非常に大きな分岐点になります。今度の政権交代は、志士のいない明治維新だと思う。志士がどこにも見当たらない。
 金子  ここにいるじゃないですか(笑)。
         (編集部・岡本厚、中本直子)

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2009年9月21日 (月)

弁護士大激変! 過払金請求訴訟の宴

【特集記事】

 週刊ダイヤモンドが2009年8月29日号で「弁護士大激変! -2万5041人の意外な実態」という特集記事を組みました。

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【弁護士大激変! 2万5041人の意外な実態】

 1950年に6000人足らずだった弁護士人口は、昨年2万5000人を突破した。少子高齢化にもかかわらず2029年には約7万5000人に増える見通しである。弁護士の劇的な増加、活動領域の広がり、そして意外な格差拡大。知っているようで知らない弁護士業界の内情を徹底調査、激変する法曹ビジネスの実態を浮き彫りにした。

【過払い金返還請求の宴】

 ~消費者金融などのいわゆるグレーゾーン金利分を返還させる「過払い金返還請求」。いまや一大ビジネスに成長した過払い問題を通じて、これからの弁護士のあり方を問う。~

<弁護士や司法書士の派手なCM>

 2006年1月。最高裁判所は事実上、「グレーゾーン金利」を認めないとする判決を出した。出資法による上限金利は29.2%(当時)。これを超えれば完全に違法だが、利息制限法の上限金利(15~20%)を超えたぶんについてはグレーゾーンとして曖昧にされてきた。
 ところが、最高裁判決が出たことで、グレーゾーン金利分を取り戻す過払い金請求が消費者金融会社・クレジットカード会社などに殺到した。
 過払い金返還請求に関しては、通常は債務者が弁護士や司法書士を通じて消費者金融会社などに過去の取引履歴を照会。グレーゾーン金利分を計算して、過払い分を請求する。
 かつては消費者金融側がすんなり履歴照会や返還に応じないケースも多かったが、最高裁判決が出たことで、今では裁判せずとも、和解であっさり交渉が成立する場合が多い。
 弁護士や司法書士にとって、これほど簡単で儲かるビジネスはない。面倒な手続や交渉はほとんど必要ないうえに、ほぼ確実におカネが戻ってくるのだから、成功報酬を取りぱぐれる心配もない。
 消費者金融大手4社(アコム・武富士・プロミス・アイフル)の過払い金返還額は約3500億円に達している。弁護士の報酬金は返還額のおよそ3割。とすれば、この4社だけで1000億円強のカネが弁護士・司法書士に転がり込んだ計算になる。
 宴が始まった。多くの弁護士が目の色を変えて過払いブームに群がった。
 かつては「テレビをつければ消費者金融のCMばかり流れる」という批判が巻き起こったが、皮肉なことに今では弁護士や司法書士がアイドルやキャラクターを使ったCMで派手なアピール合戦を繰り広げている。億円単位の広告宣伝費を投じる弁護士・司法書士事務所も珍しくない。
 弁護士業界では「あのセンセイは“過払い御殿”を建てた、このセンセイはベンツを買った」という類いのうわさ話が乱れ飛んだ。
     (中略)
 貸金業法改正でグレーゾーン金利が廃止されたため、過払い金返還は期限付きビジネス。「すでにピークを過ぎた」との認識が弁護士業界では一般的だが、最後の需要掘り起こしに躍起だ。

<弁護士の本質を問う価値観の対立が激化>

 過払い金返還請求の宴は、悪徳弁護士の跳梁跋扈のみならず、弁護士業界内にある価値観の対立をも浮き彫りにした。
「弁護士は社会正義実現のために働くべきであって儲けることを考えるべきではない」という伝統的な価値観に対して、「弁護士も商売なのだから儲けることは決して悪いことではない」という価値観が台頭している。
 そして、この価値観対立は弁護士業界のなかではますます激しくなるだろう。司法制度改革で法科大学院が設置され、社会人経験者や法学部以外の学部出身者が続々と法曹を目指し、現在のペースが続けば弁護士の数は29年には7万5000人に達する(現在は2万5000人)。
 大企業のM&A、海外進出、資金調達ニーズに伴って、10年前には考えられなかった数百人規模の大手法律事務所が次々に誕生。初任給1000万~1500万というエリート新人弁護士が肩で風を切る一方で、就職先さえ見つからぬ年収200万円台の弁護士も少なくない。
 これでは、従来の年間500人前後という超難関の司法試験をくぐり抜け、弁護士の誰もが食うに困らなかった価値観は共有できない。
 話を過払い問題に戻そう。最高裁判決(それが妥当なものかという議論は措く)によって、過払い金返還請求は現実問題として弁護士業界にとってビッグビジネスとなった。
 これを「ビジネスチャンス」として前向きに評価するのか、社会正義を実現させる弁護士の理念を墜落させる違法行為・悪質行為の温床として切り捨てるのか。あるいは、両者の価値観をアウフヘーベン(止揚)する新たな価値観が生まれてくるのか。
 司法制度改革によって弁護子数が急増する大激変。その渦中に降ってわいたような過払い金返還請求の宴で問われているのは、その一点である。

【30年前サラ金地獄と闘った私の経験】

-22歳の高校女性教師と60歳の母親との命をかけた闘い-

 私は30年前、私が30代前半の頃にサラ金地獄で苦しむ依頼者のために闘いました。
 その頃は刑罰を科される高利(出資法違反)の上限が高く、貸金業者は依頼者をおどしながらきわめて高い利息をまきあげていました。
 サラ金地獄に苦しんでいた私の最初の依頼者は新卒高校女性教師(Kさん22歳)とその母親(Tさん60歳)でした。お金を借りたのはTさんです。Tさんは生活資金にわずかな金額を借りたのですがそれが金利でどんどんふくれあがっていき、とても返せる金額ではなくなりました。KさんはTさんに頼まれ連帯保証人になっていました。借りて1年後Kさんが高校の理科の教師となりました。サラ金業者はKさんをターゲットにして学校の行き帰りにつきまとったり、学校宛に電報を打つなどKさんを追いつめました。KさんとTさんは母娘二人暮らしで、Tさんは年金しか収入がなく、毎月の利息すらも返せませんでした。母娘の住む家の前に金を返せという貼り紙をされ、2人は「私たちには明日はない」と言いながら死も考えていました。当時は最高裁判所の救済判決もなくサラ金業者との闘いは困難をきわめました。私が貸金業者に強く主張すると直ちにKさんを待ちぶせ「借りたのは弁護士ではなくお前たち親子だ。借りたものは返すのがあたりまえだろう。」と迫りました。当時は貸金業者に対する取り締まりもゆるく、今のように弁護士が代理人についた場合は本人から取り立ててはならないとの行政規制もありませんでした。私が貸金業者に強く出れば直ちに貸金業者はKさんに強く出て脅すということが繰り返されました。
 私はKさんの勤める学校(私立)の教頭あてに「貸金業者の請求は不当であり、払う義務のないものだから、Kさんをあたたかく見守ってやってほしい。」と手紙を出し、学校の理解を得ることができました。
 貸金業者もT・Kさんへの貸金回収に時間をかけることを無駄と思ったのか、粘っているうちに私の提案にそって次々と示談が成立していきました。最もタチの悪かった最後の業者と解決したとき「ああ、よかった。これで二人は救われる」と心から安どしたのがつい昨日のようです。
 それからTさんとKさんと私は家族同様のつきあいをしてきました。Kさんは独身のままTさんと2人の生活をしていましたが、3年前47歳でがんで亡くなりました。Kさん一人を頼りに生きてきた高齢となったTさんは認知症が一挙に進み、老人有料ホームに入所しました。その後Tさんからは連絡が途絶えてしまいました。どうしているのかなと時折思いますが連絡するすべを知りません。まだ施設にいるのか、亡くなられたのか・・・。Kさんが一生懸命働いて貯めた数千万円の貯金(Kさんの退職金も含む)はどうなったのだろうか・・・?幸薄かった母娘を思い出すと胸が痛くなります。
 K・Tさんに限らず私にとりサラ金業者との闘いは手間がかかる仕事であるとともに、依頼者の人生を左右する闘いでした。弁護士としてやりがいのある仕事でもありました。
 週刊ダイヤモンドの指摘はある面で正しく、弁護士のあり方について、今後私たちが考えていかなければならない大きな問題だと思います。ただ、弁護士の数が増えれば悪徳弁護士が跳梁跋扈すると単純化するのもまちがいだと思います。とは言え、私たち弁護士の真価が問われる時代に入ったことは確かです。

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2009年9月 1日 (火)

北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作

【著者 北村薫氏 略歴】

 1949年埼玉県生まれ、早稲田大学第一文学部卒業。
大学在学中はミステリ・クラブに所属。
高校で教鞭を執りながら、
84年、創元推理文庫版「日本探偵小説全集」を編集部と共同編集。
89年、「空飛ぶ馬」でデビュー。
91年、「夜の蝉」で日本推理作家協会賞受賞。
著書に、「秋の花」「六の宮の姫君」「朝霧」「冬のオペラ」「水に眠る」「スキップ」「ターン」「リセット」「街の灯」「ひとがた流し」「玻璃の天」などがある。
また、アンソロジーのシリーズ「謎のギャラリー」などにも腕をふるう≪本の達人≫である。
「鷺と雪」(さぎとゆき)が第141回直木賞受賞。

【「鷺と雪」より】

「今度、兄にね―― 」
と、ベッキーさんの背中にいった。始業式の日である。
「はい」
ベッキーさんは、フォードのハンドルを握りながら答える。
「映画に連れて行ってもらうの」
「それはよろしゅうございますね」
「今日、封切の日比谷映画」
いつも行く帝劇などとは違う。しかし、観たい新作がかかるのだ。
「はあ」
わたしは、わざと身を乗り出し、声をひそめて、
「それがね、ヒロインは≪多情、奔放の淫婦≫なのよ」
 ただでさえ、一人などでは行けないのに、これだから、余計、兄に連れて行ってもらう必要がある。驚くかと思ったベッキーさんは、しかし、あっさり答える。
「『虚栄の市』でございましょう?」
「何だ、知ってるの」
つまらなそうにいうと、ベッキーさんは笑い、
「新聞を読んでいるのは、お嬢様だけではございません」
映画評や広告も華やかだから、眼にはつくだろう。何しろ、≪初めから終わりまで総天然色≫≪映画史上に革命を巻き起こした≫というのが謳い文句だ。部分的に色が着くものは今までにもあったが、今度の作品の完成は、まさにひとつの事件だろう。
 物見高い―― といわれてしまえばそれまでだが、果たしてどんな具合になっているのか観てみたかった。
             〔略〕
 一月中も粉雪が舞うことはあった。二月に入ると舞うどころではなく、交通が途絶し学校が臨時休校になるほどの大雪が降った。
 日比谷公園の名物、鶴の噴水も凍ってしまい、お堀も厚い氷に覆われた。鴨の群れも寒そうに、石垣の下に固まっている。
 下旬になると、さらに白いものの降る日が続いた。
 雪を見ると、偶然の出会いをした陸軍の将校さん―― 若月英明さんのことを思い出す。若月さんからは、軍人さんにふさわしくないもの―― 詩集をいただいたことがある。山村暮鳥の『聖三稜玻璃』。美しい本だ。
             〔略〕
 寒気にやられたせいか、わたしはすっかり風邪をこじらせてしまった。
             〔略〕
 そろそろ、温かい格好をして本でも読んでみようかと思っていると小包が届いた。わたし宛である。
 誰から来たものかと、書かれた律儀な文字を見た時、はっとした。
 ―― 若月さんだ。
「お解きいたしましょうか」
と、お芳さんがいった。
「自分で開けるわ。鋏だけ持って来て」
 本だということは手触りで分かった。厳重な梱包を開くと、案の定、詩集だった。
 薄田泣董『白羊宮』、三木露風『廃園』、北原白秋『邪宗門』の三冊だ。
 そっけないほど簡単な手紙がついていた。―― 手元に残していた三冊だが、処分することになった。売ったり、読まぬ人に譲ったりするのも、本に可哀想な気がするので貴女に送る。突然のことで、大変失礼なのは分かっているが、受け取ってもらえたら嬉しい。
 こういう意味のことが書かれていた。
 ベッドの檻に閉じ込められ、何か読みたいと思っていたところに届いたので、やさしく手を差し伸べられたように嬉しかった。身内が熱くなり、下がりかけた熱がまた上がるようだ。
 おかげで、午後は退屈とは無縁に過ごすことが出来た。若月さんは、同じ将校でも陸軍大学校を出たような選ばれた人とは違う―― といっていた。乏しいお金の中から、やりくり算段をして集めた本の一部かもしれない。そう思いながら、それぞれの表紙を撫で、気がつくと気持ちよく眠りに落ちていた。
             〔略〕
 夢かうつつかという中で、あれこれ考えてしまった。
 軍人さんが―― 若月少尉が、身の回りのものを処分しようというのは、所属する隊が移動するのかも知れない。いや、しばらく東京暮らしが続いていたのなら、それはごく自然なことだ。
 今までも格別、近しかったわけではない。だが、半ば眠りの中にある時、心は思いがけないほど不安定になるものだ。若月さんが、兄のように身近な人に思え、その人が去ることが哀しくてならなかった。
 そこからは、完全に夢の世界に入っていた。雪が降り続けている。白い世界の中に、梅若万三郎の舞う鷺の姿が浮かんだ。舞台の上のシテは、いつもはかぶらない面をつけている。ふと見ると、舞台の床は消え、万三郎は宙にいる。夢の中のわたしには、それが不思議ではない。不思議なのは別のことだ。

 無邪気に空を走って駆け寄ると、白い人に向かっていう。
 ―― どうして、そんなものをかぶっていらっしゃるの?
 舞う人は、動きを止めぬまま面をはずす。
 ―― ああ、やはり・・・・。
 わけがわかって、わたしはにっこりする。その人は―― 若月さんだった。見てしまえば、納得し、その筈だと思った。
 ―― 分かっていたのです。
 わたしは、誇らしげに囁いて擦り寄り、若月さんの動きに合わせて袖を上げる。いつの間にか白い装束になっていた。二人は、共に舞った。どこまでも降り続く雪が、わたし達を覆った。限りなく静かだった。
 あまりの静寂に気が付くと、わたしは一人ぼっちだった。雪は、―― どこまでも続く鷺の羽になっていた。
 そこで、眼が覚めた。わたしは涙さえ流していた。おかしなことだと思った。
 外の天気は相変わらずだが、暗いなりに朝にはなっている。現実の世界に戻れば、それなりに現実的なことを考える。
 ―― これだけ頂き物をしたんだもの、お返しをさしあげても変ではないわ。
 どこに行っても身に付けられて、実用的なもの―― というと真っ先に腕時計が浮かんだ。若い男の人に差し上げるのには、どのくらいのどんなものがいいか。これは羞ずかしくて兄にも聞けない。
 ―― 服部時計店に電話すればいい。
             〔略〕
 下から責めてくる冷気のせいもあって、余計、指先が慄える。ダイヤルを回して、黒い受話器をしっかりと耳に当てた。ツーツー、カチャッと繋がる音がした。電話に出たのは若い男の人だった。
「はいっ」
「朝早くから失礼いたします。服部時計店さんでしょうか」
だが相手の反応は意外なものだった。
「いえ、こちらは・・・」
 いいかけて相手は絶句した。わたしも電気に触れたような何かを感じた。だが、そんなことはあり得ない。あり得ない。
 ややあって、声はいった。
「まさか・・・・、花村英子さんでは・・・・」
 なぜ分かるのだ。数年の間、二度会っただけのわたしの声が、しかもこの雪の日の電話を通して。
 ―― あなたはどなたですか?
 と、わたしは聞き返さなかった。
 風雨や豪雪の日、受話器を通した声は聞き取りにくくなる。電話線が影響を受けるからだ。声の色は定かではない。だが、それでも物言いの抑揚に、今、思っている人の姿が重なった。
「若月さん・・・・」
 どういう奇跡なのだろう。なぜ、そこにあの人がいるのか。店員ではなく、なぜあの人が受話器を取るのか。
「やはり・・・・」
 そこで声が雑音に紛れ、聞き取りにくくなった。引いた波が寄せるように、音がまた安定してきた。
「どうして、服部にいらっしゃるのですか?」
 若月さんは答えた。
「ここは服部時計店ではありません」
「え・・・?」
「・・・・こんなこともあるのですね。この世では何でも起こるものだ」
「・・・・はい?」
 一語一語、大切なものを運ぶように、確かにゆっくりと、若月さんはいった。
「あなたの声が聞けてよかった。・・・・長電話は出来ません。これで切ります。武運長久を祈って下さい」
 そこで電話が切れた。熱がわっと上がるような気がして、めまいがした。
 ―― 夢?・・・・まだ夢を見ているのだろうか。
 しばらくして、試してみるべきことに気が付いた。寒気に負けまいと、毛布をぐっと巻きなおす。そして改めて、間違いのないよう、一つ一つ確かめながらダイヤルを回した。
 今度出たのは、実直そうな中年男性の声だった。
「―― はい、服部時計店でございます」
 聞かぬ先にそういった。わたしは、息をつき、後は一気に聞いた。
「つかぬことを、おうかがいいたします。そちら様と勘違いして電話するような、―― そして軍人さんのいらっしゃるところはどこでしょうか?」
 実におかしな問いだ。分かりにくいだろう。しかし、様々な応対に慣れた声が、親切に答えてくれた。
「間違い電話でございますね」
「はい。今、そちらのつもりで掛けましたら、別なところに繋がったのです。知った方が、お出になったのですが、途中で切れてしまいました」
「さようでございますか。それは、お困りですね。番号が似ていると、よくいわれますのは、―― 首相官邸でございます」
             〔略〕
 ―― 若月さん。あなたはどうして、そこにいらっしゃるの?
 武運長久を祈って下さいという言葉が耳に響いた。
「お嬢様っ!」
 外から声が掛った。お芳さんだった。わたしは、ふっと力が抜けそうになった。
「何をしていらっしゃるのです。こんな日にっ!」
 電話室の戸が開けられた。支えられるようにして、廊下に出た。
 窓の桟の上は勿論、垂直の硝子の面さえ粉砂糖を吹き付けられたように白く飾られていた。見通せる透明なところから、大渦のように旋回しながら宙を流れて行く雪が見えた。
 ―― いつか、遠い昔にこういう眺めを見た。
 そう思った。それは不可解な、幻の記憶なのだろう。
 だがこれから自分は、この冷え冷えとした白い窓を、いつまでも生きた思い出として抱いて行くのだろうと予感した。
 その年、昭和十一年。―― 二月二十六日のことだった。

【選評】

<阿刀田高>

 受賞作「鷺と雪」は私にとって評価のむつかしい作品であった。この作品を支えるアイデアは、私自身が自分の小説に託している思案と似ているところもあるのだが、微妙に違う。それが悩ましい。「鷺と雪」は現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない。
「エンターテインメントは読者をエンターテインすることができれば、それで充分でしょう」
 と、この考えに私は大手を振って賛成するけれど、遠い時代のハイソサイアティの女学生を中心とするストーリーは大人の読者をほどよく楽しませてくれるだろうか。ミステリーとしても弱いように思われてならない。
 この作者の文学に対する見識や業績を勘案すれば、評価のできないまま“よい作品のはず”という分別も浮かんでくるのだが、それはかえって礼を失することになるだろう。私としては、
「多分、文学観のちがいでしょう。おおかたの意見に従います」
 そのうえで「おめでとうございます」と述べたい。

<渡辺淳一>

 今回の候補作については、いずれも失望した。
 むろん、それなりにいろいろ工夫され、アイデアを絞り、巧みにつくろうと努力していることはわかるが、いずれも頭書きというか、頭で書きすぎである。
 はっきりいって、小説は頭で書くものではない。それより体というか、実感で書くもので、実際、だからこそ、その小説独自のリアリティーが生まれてくる。
 小説の読みどころは、まさしくここにあるのだが、今回の候補作には、この、作家の内から滲むリアリティーが欠けている。
 当選作についても、舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない。
 直木賞の選考会は年に二回あり、ときに二作受賞もあるが、現在の選考基準は甘すぎる、というのが、わたしの実感である。

<五木寛之>

 紆余曲折のすえ、受賞作は北村薫さんの「鷺と雪」にきまった。これまでの安定した実績を踏まえて積極的に推す声もあり、また全面的に否定する声もあったが、受賞作にはそれなりの理由がある、というのが一貫した私の実感である。すんなりと圧倒的な支持で受賞しなかった、ということも、その作家の才能の一つなのだ。北村薫という書き手の存在感が、選考会を圧倒したともいえる、今回の直木賞だった。

<宮城谷昌光>

 北村薫氏の「鷺と雪」は、以前、候補作品となった「玻璃の天」の続編というべき作品である。前回も今回も、氏の作品について一言でいえば、優雅なミステリーである。優雅さとはかけはなれたミステリーが氾濫する現状において、氏の作品は独特な風合いをもっている。そのことは否めないが、問題は、その優雅さの対称となる醜悪さが淡白すぎて、その時代がもっているぬきさしならない悪の形がみえてこない。それゆえに作品の特性である優雅さが弱く、小説の構造も凡庸なものと映ってしまう。氏の小説観がどのようなものであるのかは、うかがい知ることはできないが、喜怒哀楽がはっきりとみえる形がのぞましい。端的に言えば、明暗を截然と書きわけるのが基本である。が、氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる。小説内の知識と認識における度合もぬるい。この程度では、読者はおどろかないし、喜びもしない。こうなると氏のサービス精神を問わねばならなくなってしまうが、答えを得られない問いを発しても無益であるので、やめておく。なにはともあれ、氏に再考してもらいたいことはすくなくないが、
 「後楽」
 の思想だけは小説家として肝に銘じて書きつづけてもらいたい。

【内容のない安直なミステリー】

 上記選者の「現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない」(阿刀田高)、「舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない」(渡辺淳一)、「氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる」(宮城谷昌光)、という意見に同感である。
 作品は、昭和初期の裕福な華族の娘である私花村英子と英子専用のフォードの女性運転手ベッキーこと別宮みつ子との会話を中心に展開されるベッキーさんシリーズの完結編である。松本清張は「昭和史発掘」の中で軍事裁判の記録などをもとに2.26事件を詳細にとりあげている。その中に首相官邸に侵入した陸軍皇道派の行動の記述の中に次のような記述がある。

 官邸の電話は一本だけ残して、みんな切った。
 「その残した電話が銀座の服部時計店の番号と似ていたらしく、ハットリですか、という間違いの電話がずいぶんかかってきた」(石川元上等兵談)
  〔松本清張「昭和史発掘」文春文庫7巻46頁〕

 北村薫氏は「オール讀物」2009年9月号誌上における岸本葉子氏との対談で、「最期の場面は、シリーズの書きはじめから、ずっと頭にありました。松本清張さんの『昭和史発掘』の中に二・二六事件の時に首相官邸にかかってきた、ある電話のことが一行だけ書かれているんです。そこからこの物語の構想が浮かびました。つくりごとでは、やっぱり面白くないでしょう。」と述べている。
 作品では能の上演の場面も多く登場し、主人公の夢の中でも主人公と青年将校若月英明が能を舞う描写があるが、作者は対談で次のように語っている。「実際に能のビデオを大学の図書館まで観に行きました。同行した編集者は『鷺』の映像を観て、頭上に鷺の作り物をつけている姿が滑稽だと、大笑いをしてたんですけどね(笑)。」と述べているが、作者の作風には、まず頭で作りあげたストーリーがあり、そのストーリーにそって手っとり早く題材を拾い集めるという安直さを感じる。

【「文学界も顔が幅をきかす世界?」】

 私は2008年2月25日のブログ「川上未映子と芥川賞受賞作『乳と卵』」で、「文学界の登竜門の公正さ、透明さ」と題して、 「 私は芥川賞にしろ、直木賞にしろ最近の小説はほとんど読んでいませんが、今回『乳と卵』を読んでみて、また川上氏の人となりを知って、文学界における選抜制度は結構公正で透明なのかなと思いました。歌舞伎の世襲制、お茶や踊りの家元制と比べると文学の世界では力さえあれば一気にトップに立つことができるのかなと思いました。勿論どの世界でも現実にはいろいろゴタゴタはあるのでしょうが。」 と書いた。
 私は今回の北村薫氏の受賞については、川上氏の受賞の場合とは逆に、文学界もその世界での顔やキャリアが幅をきかす世界なのだと思った。作品そのものが優れているというよりも文学界に長年かかわってきた北村薫氏にそろそろ受賞させてもいいんではないかという気づかいが選者の多数派を占めたと思われる。
 芥川賞も直木賞も1935年に菊池寛が創設したもので、菊池は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている(wikipedia「芥川龍之介賞」)。 その意味では芥川賞や直木賞に多くの期待を寄せる方がまちがいだということになるかもしれない。しかし、最近では文藝春秋社にかぎらず芥川賞・直木賞については広くマスコミが取りあげるようになっており、菊池寛の思いを越え一種の公的な色彩を帯びたものになってきている。選者は妥協せずに衿を正して選考にのぞんでもらいたい。

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2009年8月23日 (日)

「終の住処」 商社マン作家 芥川賞受賞作

【作者 磯崎憲一郎氏略歴】

 1965年千葉県我孫子市に生まれる。88年早稲田大学商学部卒業。同年三井物産株式会社に入社。現在同社人事部総務部次長。2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。「終の住処(ついのすみか)」第141回芥川賞受賞。

【小説の書き出し】

 彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった。

【小説の終りの箇所】

 正式な買収が完了したのち、ようやく彼は日本に帰ってきた。渡米するまえ最後に見たときには彼の胸のあたりの高さだった玄関脇の金木犀は、見上げるほどに育っていたが、それ以外はとくに変わったところはないようだった。晴れた春の日の朝だった。家のなかも、壁や床板や家具も、まだ新築のままのように丁寧に手入れされていた。だが、あきらかに何かが足りなかった。─ 娘がいなかった。彼は妻に尋ねた。「去年からアメリカへ行ってるのよ」彼は愕然とした。何ということだろう!自分が昨日までいたのと同じ国に、じつは俺の娘も住んでいたというのか!留学だろうか、長期の旅行か、まさか結婚じゃないだろうな?それにしたって、実の父親に黙ったままで、子供が外国へ移り住んでしまうなどということが起こりうるものだろうか?いったい何が隠されているのか。「もうずっといないわよ」どうしたことか、妻の態度はまるで平然としていて、娘などそもそも最初からこの家にはいなかったといわんばかりなのだ。驚きのあまり次の質問が継げずにいる彼は、まず自分の頭をしっかりと固定し、朝日がまだら模様を描く居間の床板を一歩ずつ踏みしめながら前に出て、妻の両肩を思い切り強く掴んだ、そしてその顔を正面から見つめた。妻は臆することなく彼の目を見返していた。すると、もう二十年以上前にこの女と結婚することを決めたときに見た、疲れたような、あきらめたような表情がありありとよみがえってきた、不思議なことに彼も妻も、ふたつの顔はむかしと何ら変わっておらず、そのうえ鏡に映したように似ているのだった。その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。

【主人公と家族】

 この小説では主人公の「彼」の30才過ぎから、50数才までのことが書かれている。新婚の時から彼と妻の乾いた関係が始まり、その後ある日突然妻が彼に口をきかなくなり、会話が完全に途絶した空白の11年間が続く。彼は家で食事をせず、朝は妻と娘が起きる前に家を出て駅の売店でパンと飲み物を買う。帰宅は妻や娘が寝静まった深夜である。それでも彼にとっての唯一の救いは一人娘であった。幼稚園にあがる前から妻との仲介役をやり遂げてくれた。11年の間に彼は8人の女と付き合った。
 11年経ったある日突然彼の心の中のひとつの時代が終わり、家を建てる決意をし、妻との会話も自然と復活する。

【主人公と作者】

 主人公は製薬会社の社員であり、作者は三井物産の恵まれた社員である。作者は妻とは28歳で結婚し、年収も「彼」よりずっと高い。作者の会社における役職も44才という年令からすると相応の地位にあり、また作家活動についても、作者が尊敬する同社会長以下社を挙げて祝福してくれている。作者は子供をこよなく愛し、もし子供が病気になったら、臓器でも何でも移植するし自分の一生が終わっても悔いはないと思っている。妻と11年間会話が途絶えたのは友人から聞いた話であり作者自身ではない。このように作者は大手商社のエリートサラリーマンであり、家族にも、経済的にも恵まれている。作者の現実の生活と主人公の屈折した生活歴との間には大きな違いがある。そのためか、主人公と妻との乾いた関係についての作者の描写が唐突であり、現実味・人間味を感じられない。登場人物はほとんどがひとではなくモノと化している。黒いストッキングを穿いた女も、サングラスを掛けた女も一時的にかかわった一個のモノであり、どちらかというと彼の人生の妨害物との位置づけである。女への息づかいが伝わってこない。

【人生55年?】

 作品は時間と過去にテーマを求めているとされているが、作品から伝わる作者の時間軸は“人生55年”である。これは小説が「その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。」というところで終わるところにもあらわれている。大手商社マンとしての旬の時期は短く早いという作者の人生観を反映しているのであろうか。社長という頂点にたどりつける幸運な男は6~8年に1人であり、その棲み分けは40代でほぼ決まると言われている。
 受賞者インタビューで「自分でも不思議なほど達成感や高揚感がないんです。44才という年令も大きいのでしょう。二十二、三なら世界が変わったかもしれませんが」と述べている。松本清張が第28回芥川賞を受賞したのは43才の時であり、これから比べても作者の作家生活は今からである。作品からも作者の会見からも作者の年令に比し老成すぎる。会見では商社マンとしての防衛反応としての自己顕示抑制が働いたのであろうか。作者は自己に似て非なるものを主人公に演じさせたつもりかも知れないが、意識しようがしまいが、結局主人公は作者の投影像となってしまった。商社マンとしての殻を突き破って成長することを期待したい。

【選評】

 肯定的な選者も少なくなかったが次の二氏は厳しい。

<石原慎太郎  未知の戦慄を求めてはいるが>

 昔の芥川賞の候補作を眺めると、選にもれた作品であろうとその質の高さが印象づけられる。第一回の受賞者石川達三に破れた太宰治のそれとか。
 あるいはかなりの作品で受賞してもその後作者個人の人生の理由で、例えば零細企業の経営者としての腐心などでそのまま消えてしまった作者たちとか。
 彼等にとって小説を書くという作業はそれぞれの人生にとって、ある不可欠な動機に裏打ちされていた証左といえるだろう。その意味でかつての頃の作家なるものは、文学の世界もいかにも狭く、それ故にも厳しく選ばれた、というよりも自らを物書きとして選んだ人間たちだったに違いない。ということで、この今を眺めなおすと、文学賞もやたらに増えはしたが、新人作家なるものがどれほど、狂おしいほどの衝動で小説という自己表現に赴いているかはかなり怪しい気がする。
 それは、作家の登竜門ともいわれている芥川賞の候補作品なるものが、年ごとに駄作の羅列に終わっているのを見てもいえそうだ。彼等は彼等なりに、こちらは命がけで書いているのだというかも知れないが、作品が自らの人生に裏打ちされて絞りだされた言葉たちという気は一向にしない。
    (中略)
 受賞作となった磯崎憲一郎氏の『終の住処』は結婚という人間の人生のある意味での虚構の空しさとアンニュイを描いているのだろうが、的が定まらぬ印象を否めない。これもまた題名がいかにも安易だ。
 選者に未知の戦慄を与えてくれるような作品が現れないものか。

<村上龍>

 受賞作となった『終の住処』には感情移入できなかった。現代を知的に象徴しているかのように見えるが、作者の意図や計算が透けて見えて、わたしはいくつかの死語となった言葉を連想しただけだった。ペダンチック、ハイブロウといった、今となってはジョークとしか思えない死語である。

             Book_tsuinosumika

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2009年5月 4日 (月)

三橋貴明著 本当はヤバくない日本経済

                 (2009年4月25日 幻冬舎

〔著者紹介〕三橋貴明 1994年、東京都立大学(現・首都大学東京)経済学部卒。外資系IT企業をはじめNEC、日本IBMなどに勤務後、2004年中小企業診断士の国家資格を取得。企業の財務分析で培った解析力をマクロ経済に応用し、経済指標など豊富なデータをもとに国家経済を多面的に分析する「国家モデル論」が注目される。著書に『本当はヤバイ!韓国経済』『本当にヤバイ!中国経済』『ドル崩壊!』(以上、彩図社)、『崩壊する世界 繁栄する日本』(扶桑社)など。

【著書についての全般的感想】

 題名からどうせ日本経済団体連合会「希望の国、日本」(07年1月)、安倍晋三「美しい国へ」(06年7月)、麻生太郎「とてつもない日本」(07年6月)の類の単細胞思考の日本絶賛論の本だろうと思って読みました。そういう面もありましたが、著者はデータをもとに、多くの日本人がマスコミによって植えつけられ常識化していたことが事実と異なるのではないかという疑問をもたせてくれました。

【今までの常識の変更を迫る】

 この著書で今までの常識の変更を迫られた点は次のことです。

1.日本の輸出依存度は言われるほど高くない。
 輸出依存度=製品の輸出額÷GDP(国内総生産)
 7カ国の比較
  ドイツ(40.0%)、韓国(38.3%)、中国(37.4%)、
  ロシア(27.3%)、イギリス(15.9%)、日本(15.5%)、
  アメリカ(8.4%)

2.日本は世界で2番目に大きい内需を持つ経済大国である。
 07年 日中の名目GDP構成比率
  日本 個人消費56.6%、純輸出18.1%、固定資本形成23.2%
  中国 個人消費35.3%、純輸出13.7%、固定資本形成40.2%
日本は輸出が減っても、内需はそれほど縮小しない(外需依存国ではないため)。
日本は輸出と設備投資の落ち込みを内需が下支えしている。個人消費がそこそこ堅調だったからこそGDPの落ち込みがこの程度で済んだ。

3.実質実効為替レート(各国の物価変動も加えて算出)で見ると円高とは言えない。
 ドル円の適正為替レートは1ドル80円台前半と考えられている。

4.日本の輸出の主役は耐久消費財(自動車・家電など)ではなく工業原料や資本財である。
 消費財 一般消費者が購入。日本の輸出総額の18%程度(08年)を占めているに過ぎない。
 資本財 企業が消費財を生産するために購入。機械や装置などの工場設備、精密部品などの最終消費財の材料となる財。
 ・資本財は通貨高(円高)に強い。
 ・資本財の競争力の根源は価格ではなく品質に依存している。価格の安さに魅かれて品質の悪い資本財を購入してしまうと、自分の企業が製造する製品の品質が落ちてしまい競争力に多大なるダメージが生じてしまう。
 ・外国の消費財企業が一度日本の資本財メーカーからの購入を決定すると余程のことが無い限り同じメーカーからの購入を継続するのが一般的。

5.日本や韓国の輸出企業を苦しめているのは為替レートの上下ではなく、需要の縮小である。主要輸出品が耐久消費財ではなく資本財であるのも日本の輸出を減少させる一因となった。
 韓国や中国などの耐久消費財輸出国の製造プロセスは、①資本財の輸入、②加工、③耐久消費財の輸出、という流れになっている。そのため、世界的な需要激減を受け、耐久消費財輸出国はまず日本からの資本財輸入をストップしたのである。

6.日銀が円高対策の為替介入を行うと介入金額分だけ日本政府の債務が増加する。為替介入の結果、外貨準備が積み上がると、その多くは米国債で運用される。米国債の購入とはアメリカ政府への融資そのものである。

7.政府が借金して支出を増やすのであれば、為替介入ではなく、日本国内の景気対策に費やすべきである。政府が早急に実施しなければならないのは雇用対策である。

8.アメリカは常に海外から資金が流れ込むしくみの維持と努力をしてきた。ついに行き着くところまで行き着いたのが、住宅ローンなどの債権を証券化し金融商品として海外へ販売する、すなわちアメリカ国民の借金の輸出だった。

9.アメリカ政府が米国債をこれまで以上に乱発しようとしている。
 米国債が無制限に発行され信用や価格が下落すると、ドルの信用が揺らぐ。逆にドルが必要以上に供給され価格が大きく下落すると今度はドル建てで売買と利回りが支払われる米国債の信用も砂上の楼閣のごとく崩れ落ちる。そして、今、アメリカは米国債をこれまで以上に発行する必要があり、実際に発行しようとしている(アメリカ政府によるドル紙幣印刷~プリンティング・マネー~によって、アメリカは自国の経済危機からの脱出をもくろんでいる)。

【日本の強み】

 著者は日本の強みを次のとおり、列挙しています。

1.内需が大きく、外需依存が小さい。
2.円高による国民や企業の購買力向上。
3.GDPあたりエネルギー効率が世界一
4.治安が維持され、犯罪件数も減少中
 ~世界で最も安全な国で犯罪件数が減少している現実~
5.①企業の技術力が高く、裾野も広い。
  ②国民の革新性が世界一
  ③文化的・技術的なオリジナリティが高い。
6.①家計の金融資産(純資産)が大きい。
  ②世界最大の対外純債権国

【著者に賛同できない点】

 著者は、日本で犯罪件数が減っているのに外国人犯罪、特に来日した中国人と韓国人それにブラジル人による犯罪が高止まりしたままであることを指摘しています。そして、中国人や韓国人が日本を世界に悪い影響を与えている国と評価していることと絡めて次のように述べています。

 「マスメディアや政治家が、どれほど口先で日中友好やら日韓友好やらを唱えたところで、現実は変えられない。これらの事実をどう受け止め、どう対処するべきなのか。
 中韓両国が日本をどう評価するのかは、もちろんあちらの勝手である。だが、こと日本国内における犯罪件数の問題となると、話は全く別だ。我々日本人の日常生活の安全に直結する以上、絶対に看過することはできないだろう。
 しかも今後、少子高齢化がさらに進展し、日本が移民政策について最終的判断を下す時期が来る可能性がある。その際には、犯罪件数が多い国からの移民をどう受け入れるのか、それとも件数の少ない国からの移民についてのみ、解禁するのか。
 マスメディアが日本についてネガティブなことを語る際は、『日本人は』と主語をやたらと大きくする。その割に、こと外国人犯罪の問題となると『中国人は』『韓国人は』とひとくくりにすることに対し、差別だの何だの屁理屈をこねるから困ったものだ。」

 データを駆使した著者の力作もこのあたりになると冒頭で揚げた単細胞的思考の本と変わらなくなり、値打ちを一挙に下げてしまった感があります。著者はまだ若いのですから国粋主義者としてではなく幅広い国際感覚をもった研究者として大成することを願ってやみません。

 

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2008年2月25日 (月)

川上未映子と芥川賞受賞作「乳と卵」

【乳(ちち)と卵(らん)】

 8月の暑い日に39歳の姉巻子が豊胸手術のため初潮まじかの娘緑子をつれて独身のわたしの東京のアパートにやってくる。巻子は十数年前に男と別れ、緑子は物心ついてから自分の父親と同居したことがない。巻子は豊胸手術のことで頭がいっぱいである。緑子は同級生の話から初潮を厭なことだと思っている。最近では巻子との対話はなく巻子の話しかけに対し緑子はノートに書いて自分の意志をつたえている。巻子の豊胸手術には“うそのものなんかいれておっきい胸にすんなんて信じられへん”と批判的である。ただ、大阪の場末のスナックで働いて疲れきっている巻子をいとおしいという気持ちをもっている。お金もないのに東京までやってきた2人をわたしはやさしくそっと包んでやりたい。寝ているときわたしにいつもより早く生理がおとずれ、シーツに血の痕が大きく残ってしまい、あ、めんくさいと思う。翌日巻子は一人で豊胸手術のコンサルタントを受けに銀座に出て行く。5時に戻ってくると言っていた巻子は6時を過ぎても7時を過ぎても9時を過ぎても戻ってこない。わたしと緑子がもしかしてと心配していると突然巻子が帰ってくる。巻子は酔っぱらっている。「緑子のおとんとこに行ってたんよ」と言ってうつぶせになる。緑子が台所にいるところに巻子が起きてきて緑子が口を開かないことに絡みはじめる。緑子は突然“お母さん”と大きな声を出して「お母さん、ほんまのことをほんまのことをゆうてよ」と搾り出すような声でいった。巻子は、はははははっはっはと大きな声で笑い出した。緑子は卵を自分の頭に叩きつけて砕きながら「お母さんは、なにがいいの、痛い思いして」「あたしを生んで胸がなくなってしもうたなら、しゃあないでしょう、それをなんで」「あたしはお母さんが大事、でもお母さんみたいになりたくない」巻子は体を震わせて泣き続ける緑子に「緑子、ほんまのことってね、ほんまのことってね、みんなほんまのことってあると思うでしょ」「でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで」と言いながら巻子はハンカチを取り出して緑子の頭についた卵を拭って、ぐしゃぐしゃになった髪の毛を何度も耳にかけてやり、ずいぶん長い時間を黙ってその背中をさすり続けた。2泊して2人は大阪に帰った。2人を送って家に着くとわたしは急に眠気がやってきた。目が覚めて浴室に入って暑い湯を浴びながら、顔以外の全部を鏡に映してみた。夕方の光と蛍光灯の光が交差する湯気のなか、どこから来てどこに行くのかわからぬこれは、わたしを入れたままわたしに見られて、切り取られた鏡の中で、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようだった

【女の体って何なの】

 「乳(ちち)と卵(らん)」という題名にぎょっとする感がありましたが、読み終えて作者が女性として女の体って何なのと問いかけたものなのかなと思いました。女性の体といっても男性との恋愛とは切り離していわば生物としての女の体を3人の女性の3日間の動きを通じて浮きぼりにしています。初潮や卵子や乳房のことが文章の大半を占めていて、多くの女性にとって楽しい小説とは言えないかもしれません。男性にとってもワクワクする“女の体”の本ではありません。

【地に足のついた作家】

 文芸春秋3月号に掲載された受賞者インタビューをあわせて読んで、私は川上未映子氏(31歳)はなかなか地に足の着いた作家だと思いました。川上氏は歌手でもあり、大阪の北新地の一流クラブのホステスでもあったということから、派手な人生を歩んできた人物かのように一部マスコミではとりあげられていましたが、インタビュー記事からどんな場面でも生まじめに生きてきた人物だろうと思いました。巻子の働いているスナックと川上氏が勤めていた北新地のクラブでは客層もホステスとしての収入も全く違っています。大阪の裕福でない家庭に育った川上氏(本人談)はラグビーの代表選手であった高校生の弟を明治大学に進学させるために北新地でホステスをします。このような話は昔はよくありました。えっ今時と私も思いました。しかし川上氏の場合は、けなげな姉が弟のために犠牲になるのではなく、姉は姉でその後小説家として大成するのですから見事です。31歳という年齢は明治、大正、昭和の作家では決して若い登場ではないのですが,現在ではとても若い作家の部類です。川上氏にとり、大阪の場末でボロ雑巾のようにすり切れて働く巻子は、自分と等身大の人物であり、決して高いところからあわれむような目で見ていません。31歳にしては川上氏の歩んだ人生の幅の広さと哲学等を究めたいという意欲から今後どのような作品を発表するのか、楽しみな人材と思いました。

【文学界の登竜門の公正さ、透明さ】

 私は芥川賞にしろ、直木賞にしろ最近の小説はほとんど読んでいませんが、今回「乳と卵」を読んでみて、また川上氏の人となりを知って、文学界における選抜制度は結構公正で透明なのかなと思いました。歌舞伎の世襲制、お茶や踊りの家元制と比べると文学の世界では力さえあれば一気にトップに立つことができるのかなと思いました。勿論どの世界でも現実にはいろいろゴタゴタはあるのでしょうが。

【石原慎太郎氏・宮本輝氏の選評】

 川上氏に最も手厳しい評価をしたのは石原慎太郎氏のようです。参考までに石原氏の選評をご紹介します。

 受賞と決まってしまった川上未映子氏の『乳と卵』を私はまったく認めなかった。どこででもあり得る豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。前回の作品の主題の歯と同じだ。一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。

 宮本輝氏の選評は次のとおりです。

 受賞となった川上未映子さんの作家としての引き出しの多さが『乳と卵』によってはっきりした。その引き出しのなかに転がっているものがガラクタであればあるほど、作家としての資本は豊かだということになる。前作のいささかこざかしい言葉のフラグメントは『乳と卵』では整頓されて、そのぶん逆に灰汁が強くなった。女性が書く小説の素材としては、ある意味で陳腐だが、三人の登場人物には血肉がかよっていて、それぞれの吐息が聞こえる。諸手をあげてというわけにはいかなかったが、最終的に私も受賞に賛成票を投じた。

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2008年1月12日 (土)

「国家の品格」「女性の品格」の品格度

【藤原正彦著「国家の品格」(2005年11月 新潮新書)】

著者紹介(著書の巻末の記載より)

藤原正彦(ふじわら・まさひこ)  1943年(昭和18)年旧満州生まれ。東京大学理学部数学科、同大学院修士課程修了。コロラド大学助教授等を経て、お茶の水女子大学理学部教授。作家新田次郎、藤原ていの次男。著書に『若き数学者のアメリカ』『天才の栄光と挫折』等の他、共著に『世にも美しい数学入門』。

 私はこの本を2006年12月25日付の39刷版で購入しています。日本人に「品格」を問い220万部突破!と強調した赤い背表紙がついていました。この本を読めばまるで日本人の品格が高まるかの如きです。この本がつけた品格ブームに乗っかったのが前回のブログで触れた坂東眞理子著の「女性の品格」です。
 日本人に品格が欠けている部分が多いと私も思っていますが、「国家の品格」も「女性の品格」も安っぽい品格論の押しつけで、品格を欠く品格本ブームというのが私の率直な感想です。 

【第三章 自由・平等・民主主義を疑う】

<ジョン・ロック批判>
 著書「国家の品格」は欧米批判を第三章「自由・平等・民主主義を疑う」として人権思想に対して攻撃しています(65~94頁)。

 「すなわち国家とは、人民が自由を放棄した状態を言うのです。どんな自由もないというのは言い過ぎですが、次の世代のジョン・ロックのように『他人の自由と権利を侵害しない限り自由』という考えよりは、ホッブズの方が本質を衝いている。ロックの説が正しければ援助交際もオーケーとなります。」

 「ロックというのは、大物中の大物思想家です。
 個人は自由に快楽を追求してよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから、と述べました。何と無責任でデタラメな発言でしょう。ロックこそは、民主主義、功利主義、近代資本主義の祖と呼んでも過言ではない人です。」

ジョン・ロック (wikipedia より)

 ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 - 1704年10月28日)はイギリスの哲学者、社会契約論者、ピューリタン信仰者。ウェストミンスター校およびオックスフォード大学出身。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。

彼は、王権神授説を否定し自然状態を牧歌的・平和的状態と捉え、公権力に対して個人の優位を主張した。政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた。抵抗権の考え方はのちにバージニア権利章典に受け継がれていく。

また彼は、名誉革命期、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権の分離を説いた。また、対内的な行政権を執行権、対外的な行政権を連合権と呼んだ。これがのちにモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)まで発展する。

その他、政教分離を説いたり、フィルマーの家父長的政治を批判したりと、現実主義的な考えを展開している。

 正にジョン・ロックは人権思想の祖です。ロックの思想を歪曲して「ロックの説が正しければ、援助交際もオーケーとなります」という藤原氏の品格度はどう測ればよいのでしょうか。

<トマス・ジェファーソン批判>
 著者はアメリカ合衆国の独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンを「ジェファーソンの偽善」と題して次のように批判しています(73頁)。

 「自由と平等はアメリカ合衆国の独立宣言に再登場となりますが、こちらはほとんどコメントしようもありません。『我々は次の事実を自明と信ずる。すべての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の追求など侵すべからざる権利を与えられている』と聞かされても、私は『32歳のヴァージニア州議会議員トマス・ジェファーソンはそう思ったんだな』と思うだけです。
 自明と思うものにまで神を持ち出されたら、『それはジェファーソンの信仰でしょ』というしかありません。ちなみに自由と平等のチャンピオンとも言うべきジェファーソンは、後に第三代アメリカ大統領になりますが、アメリカ先住民を大々的に迫害し、黒人奴隷を100人以上も所有していました。最近、ジェファーソン家で働いていた奴隷の子孫がジェファーソンの子孫であるらしいことがDNA鑑定により判明し、一流科学雑誌にも発表されて話題を呼びました。」

 最後のくだりについて、松山大学法文学部教授田村譲氏のサイト、多夢太夢(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jefasonn)によると次のように記述しています。

 「なお、ジェファーソンが夫人の没後、混血黒人奴隷のサリー・ヘミングス(Sally Hemings)との間に3人の子供をもうけていたとの風説が大統領在任時からあったが、後年、ヘミングスの子供の1人の子孫の遺伝子分析とジェファーソンの血筋のそれが一致した。そのため、嫡流(ちゃくりゅう=正統の家系)の人々で結成するジェファーソン協会(Monticello Association of the Descendants of Thomas Jefferson)の99年の年次会合にヘミングスの末えい35人が招待された。 」

 私はジェファーソンの嫡流の人々がヘミングスの末えい35人を招待したことに品格を感じますが、著者の品格の視点は全く別のところにあるのが残念です。

<日本も民主国家だった>

 「日本は少なくとも、昭和12(1937)年の日中戦争勃発までは民主主義国でした。普通選選挙法は大正14年(1925)に可決されています。アジアでは最初、イギリスより7年遅れただけです。反資本主義を掲げる社会大衆党は、昭和11年と12年の2つの選挙を経て、それ以前の5議席から36議席にまで大躍進しているのです。この頃、民政党の斉藤隆夫は国会で反軍、反戦演説をしています。日米戦の期間中は東条英機の独裁でしたが、それはルーズベルト大統領のアメリカも、チャーチル首相のイギリスも同じです。」

 著者の民主主義の認識の程度はこんなものなのでしょうか。
 1890年(明治23年)11月26日に施行され、ポツダム宣言を受諾した1945年8月15日まで効力があった大日本帝国憲法は次のように規定していました。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第1条)。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)。「天皇ハ陸空軍ヲ統帥(とうすい)ス」(第11条)。国民は「日本国民」ではなく、「日本臣民」と既定されていました(第3章)。王権神聖説そのものの憲法であり民主主義のかけらもありません。1925年(大正14年)には普通選挙実施と引き換えに、労働運動、民主主義運動弾圧のためあの恐ろしい治安維持法が制定されています。反民主主義の体制は東条英機個人に矮小化できるものではありません。

<「真のエリート」が必要>
 「国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。」
「昔はいました。旧制中学、旧制高校はこうした意味でのエリート養成機関でした。真のエリートには、俗世に拘泥しない精神性が求められます。」(85~86頁)

 一中、一高、東大が昔のエリートの常道。著者もエリートの流れを組む人? エリート主義は坂東眞理子著「女性の品格」と共通するものがあります。他人に「品格論」を論じる人には、高いところからしかものが見れないという共通したところがあるように思います。

【傲慢で根拠のない日本礼賛】

 著者の結論は荒廃した今の世界を救うのは日本の武士道精神であり、日本人のもつ惻隠の情であるということのようです。

<日本の神聖なる使命>

 「卑怯を憎む心があれば、弱小国に侵攻することをためらいます。惻隠の情があれば、女、子供、老人しかいない街に大空襲を加えたり、原爆を落としたりするのをためらいます。占領した敗戦国の文化、伝統、歴史を粉々にしてしまうようなこともためらいます。
 美的感受性があれば、戦争がすべてを醜悪にしてしまうことを知っていますから、どんな理由があろうとためらいます。故郷を懐かしみ涙を流すような人は、他国の人々の同じ想いもよく理解できますから、戦争を始めることをためらいます。」
 「欧米人の精神構造は『対立』に基づいています。
 精神に『対立』が宿る限り、戦争をはじめとする争いは絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある『自然との調和』も、戦争廃絶という悲願への鍵となるものです。
 日本人はこれらを世界に発信しなければなりません。欧米をはじめとした、未だ啓(ひら)かれていない人々に、本質とは何かを教えなければいけません。それこそが『日本の神聖なる使命』なのです。」

 数学者という立場にありながら、日本人がアジアの民衆の命をうばい、アジアの女性たちの人権をじゅうりんした客観的事実にほおかむりをして、このような論陣をはる神経の太さは一寸信じられません。

<世界を救うのは日本人>

 「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです」
 「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです」

【学者としての品格を捨てた本 ベスト・セラーはつくられる】

 「国家の品格」は数学者という品格をかなぐり捨て、好き勝手なことを書いている非数学的、非論理的な著書と言えます。
 著者の好きな旧制中学、旧制高校のエリートたちの時代にこの本が仮に出版されていれば、数学者が自己の専門分野を超えて非論理的な本を世に出すのですからおそらく学者生命の終わりになったでしょう。今の時代はそれを許す社会となっています。著者はそれを見越して論理性がないのを承知の上で、日本人にただようナショナリズム的傾向に受ける文を書き散らしているとしか思えません。著者が非難する「自由」を著者が一番満喫しているのではないでしょうか。新潮社がつけたのか著者がつけたのか中味よりも「国家の品格」という書名があたりました。ベスト・セラーなんて中味ではなく、所詮つくられた仕掛け次第ということを目のあたりに見る品格本ブームです。

【政治家・経済人による日本礼賛ブーム】

 この本をきっかけに政治家や経済人による日本礼賛の大合唱がはじまりました。
  * 安倍晋三 「美しい国へ」-自信と誇りのもてる日本へ
                         (2006.7.20 文藝新書)
  * 「希望の国、日本」-ビジョン2007
                   (2007.1.1 日本経済団体連合会)
  * 麻生太郎 「とてつもない日本」-日本の底力はまだまだ凄い
                         (2007.6.6 新潮新書)

 自国礼賛論者に日本の政治や経済を託すのは危険なことです。

【坂東眞理子著「女性の品格」の品格の程度】

 「国家の品格」は賞味期限切れで、今は「女性の品格」が飛ぶように売れています。「女性の品格」の品格度について私の意見を述べます。坂東氏は品格について次のように述べています(3頁)。

 「では人間としての品格とは何でしょうか。
 正義感、責任感、倫理観、勇気、誠実、友情、そして忍耐力、持続力、節制心があり、判断力、決断力に富み、優しく思いやりがあるなどという美徳は、品格ある人間であるための重要な要素です。」

 坂東氏は内閣府初代男女共同参画局長に就任し女性官僚として男女共同参画のトップの責任者でした。にもかかわらずわが国の女性たちの社会進出度は世界の中でも著しく低いレベルにとどまっています。坂東氏に責任感、倫理観があれば、この現実を率直に認め日本の女性たちにトップ官僚としていたらなかったことをわびるのが品格ある女性のとるべき姿勢ではなかったでしょうか。坂東氏が不均等・不平等で苦しむ女性の立場からこれを改善するにはどのようにすればよいかを自らの反省をまじえて論じれば著書に自ずと品格がにじんできたことと思います。残念ながら坂東氏は自分のやり方がベストと言っているのと変わらず目線もどちらかというと男性上司と同じ目線です。「女性の品格」から処世術を学ぶことができても「倫理観」「誠実」「優しい思いやり」を女性たちが感じることはないでしょう。
 この著書もつくられたベスト・セラーといえます。藤原正彦氏と新潮社がつくり出した「品格」ブームに坂東氏とPHP研究所がちゃっかり乗っかり、品格のある女性になりたいという女心受けをねらったと思われます。それに男性が、どれどれと買ったのが加わりたちまちのうちにベスト・セラーとなりました。この本が中味に正直に例えば、「女性リーダーになるための処世術」という題名であれば、ほとんどの人は手にとることがなかったと思います。ベスト・セラーというものがつくられるものであることを「品格」本ブームからあらためて感じました。

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2008年1月 5日 (土)

坂東眞理子「女性の品格」と男女共同参画

【坂東眞理子著「女性の品格」(2006.10.3 PHP新書)】

著者紹介(著書の巻末の記載より)

坂東眞理子(ばんどう・まりこ) 1946年富山県生まれ。東京大学卒業。69年総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事を経て、98年女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)。2001年内閣府初代男女共同参画局長。04年昭和女子大学教授を経て、昭和女子大学副学長、同大学女性文化研究所長。2007年4月より同大学学長。
著書に『副知事日記-私の地方行政論』『ゆとりの国オーストラリア-ブリスベン総領事見聞録』(以上、大蔵省印刷局)、『男女共同参画社会へ』(勁草書房)、『新・家族の時代』(中公新書)などがある。

 著者について私は面識がありませんが、上記記述並びにウィキペディアの記事から、著者は女性官僚としてのトップ・エリートとしての道を常に歩んだ人と言えます。
 私は2006年にベストセラーになっていた藤原正彦氏の「国家の品格」(2005年11月新潮新書)を2006年末に購入しましたが、著者の論旨に賛同できず途中まで読んで放っていました。「女性の品格」は2007年のベストセラーで知人から聞いて2007年に購入しました。両著とも1年で200万部を超えるベストセラーになり正に今“品格ブーム”と言えます。今回「国家の品格」についても何とか読みましたのでこれについては後日触れさせていただきます。

【著書の中味は女性のトップエリートとしての処世訓】

 「女性の品格」という題名に男性としての興味半分でワクワクとした思いで手にとったのですが、中味はトップ・エリートとして歩んできた著者が足を踏みはずすことなく歩んできた処世訓と言う風に受けとめました。女性に対する現代道徳書とも言え、中味は地味で当初期待したワクワク感は残念ながら消えてなくなりました。
 目次を一部紹介すると次のとおりです。

 第一章 マナーと品格
   礼状をこまめに書く
   相手に喜ばれる物の贈り方
 第二章 品格のある言葉と話し方
   ネガティブな言葉を使わない
   乱暴な言葉を使わない
 第三章 品格のある装い
   流行に飛びつかない
   勝負服をもつ
 第四章 品格のある暮らし
   行きつけのお店をもつ
   得意料理をもつ
 第五章 品格のある人間関係
   怒りをすぐに顔に出さない
   家族の愚痴を言わない
 第六章 品格のある行動
   人の見ていないところで努力する
   時間を守る
 第七章 品格のある生き方
   恋はすぐに打ち明けない
   倫理観をもつ

 著者がもとめるとおりのマナーを実行できるのは、おそらく女性の中でもごくかぎられたほんの一部の人でしょう。これを実行できる人が品格があり、できない人が品格がないというのもいささか性急すぎるように思います。その意味ではこの本からワクワク感を感じない女性も多いかもしれません。著者と自分では置かれている状況が違うと感じるだろうと思います。著者はあとがきで「有能な中間管理職をめざす女性ではなく真のリーダーとなる女性になってほしい」と結んでいますが、私が著者に期待するのは、一部のエリート女性の育成ではなく、大多数の女性を対象とする女性総体の社会参画の引上げです。

【著しく低水準のわが国における男女共同参画の現状】

 国際比較でみた男女共同参画の状況-女性の活躍とワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和) (内閣府男女共同参画局:H19男女共同参画白書より) によると国際比較でみた男女共同参画の現状は次のとおりです。

1.政治・行政
○女性の国会議員割合は,ここ10年ほどの間に増加しているが,国際的に見ると日本はアジア諸国を含めた諸外国と比べて低い水準にある(189か国中131位)。
○国家公務員の管理職に占める女性割合を見ると,日本は1.8%で各国と比べて低い。

2.働く場
○働く場における女性の参画も低水準にとどまっている。女性の就業割合は,一部のアジア諸国よりも高い水準にあるが,管理的職業従事者に占める女性の割合は,韓国とともに著しく低くなっており,他国と比較して伸びも小さい。
○日本の女性の労働力率を年齢階級別にみると,子育て期に当たる30歳代前半で低下するM字カーブを描くが,外国の女性の1970年代からの年齢別労働力率の推移をみると,欧米諸国を中心にM字カーブの底が解消して逆U字カーブを形成している。
○日本のパートタイム労働者の比率は他の先進諸国と比べて高い水準にあるが,特に女性のパートタイム労働者の割合が増えており,フルタイム労働者との賃金格差・処遇格差が男女の賃金格差の一因となっている。

3.生活
○男性の家事・育児時間は,諸外国と比較して著しく短い。
○日本では,固定的性別役割分担意識の変化にも関わらず,労働時間は諸外国と比較して長く,その分,家庭や地域で過ごす時間が短くなっている。

【男女共同参画の女性総体の水準の引き上げを期待】

 著者は男女共同参画室長を経て、2001年内閣府初代男女共同参画局長に就任。2003年8月埼玉県副知事選に出馬したため退任しましたが、それまでの間官僚として男女共同参画に関し、常にトップの地位にあったと言えます。現在は昭和大学学長の地位にあり官僚時代と違ってそれこそ自由に発言できる立場にあります。
 ところでこの点に関する著書の論調はどちらかと言うと抑制的と言えます。

 「私は女性が社会に進出し活躍することが必要だと信じていますが、それは従来の男性と異なる価値観、人間を大切にするよき女性らしさを、社会や職場に持ち込んでほしいと思うからです。女性が社会に進出しても、『できる女』を目指し有能なやり手ばかり増えるのはさびしいことです。」(6頁)
 
 「しかし私は福祉が整い国民皆年金、皆保険の制度が整った国になったからこそ、その制度を安定的に持続するためにも、とことん保険を利用して自分が得しようというのではなく、本当に必要な人が必要なときに利用するようにするのが品格ある国民だと思っています。」(210頁)

 「『育児休業は私たちの権利です』と正論を言うと、そういう人たちの気持ちを逆なでします。同じことが雇用機会均等法にもいえます。均等法がない時代は、男性のみの求人が当たり前だったというと『うっそー』といわれる時代です。それでもいろいろな形で女性に対する差別は残っています。若くて、素直で、地位が低いうちは重宝がられても、女性がしっかり責任のある仕事をするようになると反感をもつ人もいます。差別は許されません。差別するほうが間違っているのはいうまでもありません。しかし個人の生き方としては自分の権利を振り回すより、皆さんのお陰でという感謝を表しながら黙って実力を蓄え、一目おかれる存在になるほうが、スムースに運びます。」(211~212頁)

 日本における男女共同参画の水準が女性にとり満足いくものになっていれば著者の抑制的な姿勢もうなずけます。しかし、現状は先に述べたとおり、国際的に見ても著しく低水準にあります。不均等・不平等で苦しんでいる多くの女性たちにとって著者の姿勢にはおそらく満足しないと思います。
 ひるがえって日本の男性は20代も30代も40代も50代も60代もみんな疲れはてています。女性が元気で活躍してくれることは男性としてもウェルカムです。著者の目線をトップ・リーダーの高い位置ではなく、女性一般の普通の位置に下げ、その位置から是非とも女性総体の社会参加の水準の引上げに尽力していただきたいと、男性の立場からも強く願わざるを得ません。

 

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2007年4月29日 (日)

地理から見えてくる「日本」のすがた

【佐藤裕治監修「地理から見えてくる日本のすがた」】
                      (2007年4月 中経出版

 日本という国を小・中・高で習う地理から見つめるという本でとても面白い本です。私が講演でしゃべっていたことの中にまちがいがあることにも気づきました。100のテーマに分けて楽しく読めるように工夫がしてあります。この本のデータをタネに物知り顔にしゃべることができますのでお手元に置くと便利です。1冊1680円です。私もこの本をタネに何回かブログでしゃべらせていただこうと思っていますが、今回は日本の自然についての客観的な記述をご紹介します。
  Tenki01
【世界の北限と南限の日本】

☆南北差の大きな日本

 日本における領土の南北に渡る広がりは、およそ北緯20~45度と約25度に及び、実際に人が住んでいる島でみると20度の緯度差がある。日本より南北の緯度差の大きな国土をもつ国には、アメリカ合衆国、ロシア、カナダ、中国、ブラジルなどの広大な国やチリ、ノルウェー、アルゼンチンなど南北に長い国などがある。しかし、これらの国のうち、サンゴ礁の海と氷で覆われた海の両方をもつ国は、日本のほかはアメリカ合衆国のみである。
 日本は亜熱帯から亜寒帯まで、南北の気候環境が大きく異なる。北緯30度以北でサンゴ礁が見られるのは、鹿児島の種子島付近と大西洋のバミューダ諸島のみであり、北緯45度以南で氷に覆いつくされた海が見られるのは、北半球では北海道沿岸のオホーツク海のみである。すなわち、日本は「北」の要素と「南」の要素が圧縮された位置にある。

【日本の川と自然特性】

☆まるで滝のような日本の河川

 明治政府が招聘した外国人の土木工学技師ヨハネス・デ・レーケ(オランダ、1842~1913)は、洪水後間もない常願寺川(富山県)を見て「これは川ではない、滝だ」と叫んだと伝えられている。最近の研究ではデ・レーケはそんなことを言ったわけではないようだが、この言葉が示すように日本の河川は勾配が急で、普段は水量が少ないものの、一度大雨が降るとまさに滝のように一気に流れ落ちる。常願寺川のような日本の河川を「河況係数が大きい」という。河況係数は最大流量を最小流量で割ったもので、これが大きい川は流量変化が厳しく、治水や利水に相当の努力を要する。信濃川(小千谷付近)での河況係数は「117」で、日本の河川としては小さな値だが、海外を見ると、例えばドナウ川(ウィーン付近)で「4」とケタ違いに小さい。なお、乾季に水が流れない乾燥地域の河川では河況係数が「∞」(無限大)となるが、常願寺川なども∞となっている。

【森林大国日本】

☆世界有数の森林率を誇る日本

 日本の国土の約2/3は森林であり、日本より森林率が高い国は10カ国程度に過ぎない。世界的にみると森林率の高い国は、ほとんどが熱帯や、亜寒帯にあり、温帯で森林質の高い日本は例外的である。これは、モンスーン地帯にあたる日本が温帯としてはきわめて降水量が多いため、森林の生育に必要な水が豊富であることのほか、山地面積割合が大きいためである。日本の森林はその大半が山地にみられ、山はほとんど森林におおわれている。平地は山裾まで水田、畑、集落などが広がり、盛り上がった山地は高山を除けば山頂まで森で覆われている。世界的には山が森でないところが多い。乾燥地域の山地は森林が形成されず岩がむき出しで、山麓の湧水がみられる地域でのみ樹木が生育している。ヨーロッパでも、アルプスなどの高山は森林限界を超え、岩肌が露出し、低山は山頂まで放牧地が広がる。タイガとよばれる針葉樹の純林やアマゾン川などの流域に広がる熱帯雨林はいずれも平地林である。

【日本の気温】

☆なぜ日本の四季ははっきりしているか

 日本は四季がはっきりしていて、それぞれの季節で独特の現象が生じる。これは、地球の自転軸である地軸が23.4度傾いた状態で365日周期で太陽の周りを回っている(公転)ため、太陽が直射する位置は、地球が公転する間に赤道を中心として南北に移動することと関係がある。日射が最も強い点が高緯度に達する限界は、緯度にして23.4度(地軸の傾きと同じ)、つまり南北の回帰線である。北緯25~45度付近に位置する日本は、夏には太陽が直射する位置に近く、冬にはこの位置から遠ざかる。そのため、私たちは日本にいながらにして1年の間に熱帯から寒帯までの天気を体感できる。

【日本の降水量】

☆世界平均の2倍も雨が降る日本

 日本の平均年降水量は1700~1800㎜であり、北陸地方や東海以西の西南日本では2000㎜を超える。これは、700~1000㎜とされている世界の平均年降水量と比べると2倍前後の値である。緯度別の平均降水量と比べると、日本の平均年降水量は熱帯と大差なく、しかも日本海側の地方を除いて夏を中心とする季節に集中する。これは温帯の大陸東岸に共通してみられるが、要因の一つは海からの高温多湿な夏の季節風である。また、降水量について特筆すべきは「数時間~数日の降水量の最大値は世界最高クラス」という点である。こうした激しい雨をもたらすのは、日本では特に梅雨や秋霖、台風の時期に発達しやすい積乱雲である。

【御礼】

 たいして面白くもない私のブログを時折覗いて下さりありがとうございます。おかげさまでアクセスしていただいた回数が1万回を超えました。

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