日記・コラム・つぶやき

2011年8月20日 (土)

My GAL パリでブランド品を買い漁れ!

【羽田→パリ→マドリッド→リスボン→パリ→羽田】

 8月7日(日)から8月14日(日)までポルトガル4日間、パリ2日間の小旅行をしました。お盆前で裁判所も事務所も動いている時期でしたので少し気がかりな旅でした。海外に旅すると多くのことを考えさせられます。昨年11月5日~7日の香港旅行(事務所旅行)ではJapan Passing(日本通り過ごし)を実感しました。このところ高速鉄道事故と南シナ海の領有権問題で中国の威信が著しく低下し、日本が少し見直され、ちっぽけな日本人の私は正直なところほっとしています。今回のヨーロッパの旅の間マドリッドは予定外の行き先でした。パリからリスポンに直行する予定でしたが乗り継ぎに失敗し、パリからリスボン行きに乗れませんでした。これは私の責任ではなくパリのシャルル・ドゴール空港が大変混雑していてがんばったけれど間に合わなかったのです。旅行社の企画ミスとも言えますが、シャルル・ドゴール空港は年々大きくなり世界の利用者が増えていて予測を超えるところがあります。今回のパリから東京への帰りの便は3時間以上前に到着していますが、ギリギリ近くで間に合いました。旅行社が2時間前には搭乗手続きをして下さいと言っていましたが、そのとおりにしていると汗だくだったでしょう。シャルル・ドゴール空港は世界のハブ空港としてヨーロッパではだんトツではないかと思います。ハブ空港としては他にロンドンのヒースロー空港やドイツのフランクフルト空港がありますがパリほどににぎわっていないと思います。経済力という面ではドイツやイギリスの方がフランスより強い面がありますが、ショッピング・食事・文化という面からパリのような魅力に欠けています。パリの丘に画家がたむろしていたように一種のけだるさが今なお人々をパリにひきつけているのかもしれません。マドリッドのバラハス空港はエール・フランスの担当者が責任を感じ、パリ→マドリッド→リスボン便をとってくれたので予定外の地でした。パリ→リスボン便は満席とのことでした。この真偽のほどもわかりませんが、余分なルートを使っているので多分満席だったのでしょう。羽田、パリ、マドリッド、リスボンの各空港を比較すると、パリは世界を代表する空港で、マドリッド、リスボンはヨーロッパの地方空港、羽田は国際線としてはちっぽけな空港と思いました。アジアのハブ空港の役割はこれではちょっとねというのが残念ながら正直な感想です。

【リスボン2日、ポルト1日】

 パリの乗り継ぎの失敗でポルトガルで実際に過ごしたのはリスボン2日、ポルト(リスボンに継いで2番目の都市、ポートワインで有名)1日となりました。この春ギリシャに継いで経済危機の国としてポルトガルがクローズアップされました。しかしポルトガル人の生活は豊かで経済的貧乏国とはとても思えません。住居もレンガ造りの一戸建てが多くそれぞれの家が赤い屋根と暖炉のための煙突と庭があって羽田や成田の電車から見える日本の建物のみすばらしさとは雲泥の差があります。経済大国 米・中・日の国民よりも豊かな生活をしているように思いました。さすが大航海時代の先陣を切った国の厚みを感じました。EUの経済統合はEU内の国民が等しく豊かになることをめざして試みられているのでしょうが、経済力にもともと大きな開きがあった国々を同一歩調で成長させることを期待するのは無理があります。EU統合の失敗というよりも試行錯誤の過程だと私は信じたいと思います。

【パリの日本人】

 店舗経営をするパリ人にアンケートをとると一番評判の高いのが日本人だということが報道されていました。確かにパリで目にする日本人旅行者は家族づれが中心で、静かでおだやかで金払いがよい(値切らない)人々ばかりでした。バブル経済絶頂の時期に日本の若い女性たちがパリのルイヴィトン本店でバッグをたくさん買って帰ることに眉をひそめている人がいました。眉をひそめていたのはパリ人よりも日本人のオジサンやオバサンたちだったでしょう。でも今は日本の若い女性たちの姿がとても少なくなりました。これは必ずしも喜ばしいことと私は思いません。今の若者たちの多くは外国で遊ぶほど給料をもらえていないと思います。年収200万以下ではパリでブランド品を買うゆとりがある筈がありません。買物をし飲み食いするためだけの旅行であったとしても!日本から離れ外国の空気を吸うことに意味があると思います。日本の今の若者たちは、日本にいても男子より女子の方が活発です。女子が男子をひっぱっていると感じることが少なくありません。“あゝ、愛しの日本のギャルよ!パリのブランド店で好きなだけ買い漁っておくれ!”と叫びたい思いにかられました。

【EU型労働契約法】

 EUは同一労働同一賃金の原則のもと女性労働者の権利を男子労働者と同じレベルにしようとしています。私は日本の若者たちが伸び伸びと働くことができるためには、アメリカ型ではなくEU型の労働関係法に変える必要があると感じました。ただEUでは若者の失業率が日本よりはるかに高くそれはそれで大きな問題となっています。でもEUの試みは基本に人間があります。それと比べ日米は経済とりわけ企業の生き残りを基本にすえており、その点に大きな違いがあると思います。
 私は29年前にはじめてパリを訪れました。その時と比べて弁護士としての私に残された時間はずいぶん限られてきました。でも、まだまだやらなければいけないことが山積していることを感じさせられた旅でもありました。

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2008年7月 4日 (金)

私の大好きな7月に入りました

 私のブログを時々のぞいて下さる皆さま、ごぶさたばかりをしてすみません。
 6月下旬に株主総会シーズンが終わり、そのことに触れようと思って多少記事を集めていましたが、日々の事務処理に追われているうちに、またあっという間に1週間が経ってしまいました。
 今は鉄建公団訴訟控訴審の尋問準備に追われています。原告側証人としては最も重要な証人ですので、高裁が与えてくれた貴重な時間を1分たりとも無駄にできません。効率的な尋問をするための証拠書類づくりのため、今日(3日)は私と事務所の事務局全員が遅くまでかかりっきりでした。
 もう7月に入ったのですね。私は7月が大好きです。特にこれという理由はないのですが、子どもの頃からもうすぐ夏休みという思いがしみこんでいるからかもしれません。夏は大好きです。
 私のブログについて、法律家という視点に立ったプロとしての発信に心がけるべきだとアドバイスをしてくださる方がいます。
それもそうだなと思いながらも、余りにもごぶさたが続いているので、一言たわいもない時節のごあいさつをさせていただきました。
 明日(4日)は鉄建公団訴訟のその重要証人との打ち合わせのため福井県の敦賀市に行ってまいります。これで3度目です。
 来週になると私も一段落してくると思いますので、よろしくお願いします。

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2008年6月18日 (水)

スペインから帰っててんてこまい

 スペインから15日(日)の朝帰ってきました。
 JALパックのツアーで27年前にはじめてスペインを訪れました。その時は独裁者フランコが亡くなり、民主主義政治を復権させて間もないときでしたので、流れの止まったヨーロッパの片田舎という雰囲気でした。今ではマドリッドはパリと変わらないにぎわいと明るさがあります。ピカソのゲルニカをみたのは二度目ですが、大画家の怒りと悲しみに満ちた偉大な作品に一人で向き合うことができたのはこの上ない感激でした。
 スペインのことで紹介したいことがたくさんありますが、日本に戻っててんてこまいの毎日を送っています。
 2006年12月27日のブログでご紹介した佐藤治さんの裁判が昨日仙台地方裁判所で勝利的和解で終了しました。後日紹介します。
 20日(金)から26日(木)は株主総会ラッシュで、私も4社の大企業の株主総会に顧問弁護士として出席します。企業もコンプライアンスや社会的責任(CSR)が求められる時代となりました。私の考えと私の顧問企業との間に矛盾はありません。私が顧問を受けるにあたって、もし仮に労働問題や環境問題が起きたときに私は代理人にならないことを了解してもらっています。
 スペインに行っているうちに秋葉原で殺傷事件があったのですね。コメントをお寄せいただきありがとうございました。おっしゃる通りと思います。別の機会に私の意見ものべさせていただきます。

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2008年2月10日 (日)

淋しく悲しい通勤風景 凍る日本人の心

【私の通勤ルート】

 私の事務所までの通勤ルートは朝(行き)は都営浅草線の西馬込駅まで15分位歩き、西馬込から23分乗って東銀座駅に着きます。東銀座から7分くらい歩いて銀座6丁目の事務所にたどり着きます。西馬込駅は都営浅草線の始発駅ですからゆっくりと座って日経新聞の朝刊を読むことができます。夜(帰り)は事務所からJR新橋駅まで8分位歩いてそこからJR大森駅まで15分位乗ります。大森駅からバスもありますが疲れているので最近はタクシーに7分位乗って帰ることが多くなりました。

【朝は障害物競走】

 他府県に行くときは早朝に家を出ますが、事務所に行くときは午前8時台に家を出ることが通常です。都営浅草線はあまり混まない線なので私にとりいろんな意味で楽ができる路線です。ただひとつ難点は西馬込駅の改札口からプラットホームまでかなりの階段があるということです。そのため発車間際になると若い男女がプラットホームまでの階段や通路を走り抜けます。女性のヒールがコンクリートをコツコツと打つ音は耳をつんざくほどです。一般の通勤時間から少し遅れているので混み具合はさほどではないのですが、朝の駅構内はまるで障害物競走です。老人や障がいをもった人は正に障害物で、私もその1つの存在です。

【階段から突き落とされた障がいをもった青年】

 私の友人で運動機能に障がいがあって身体をゆり動かしながゆっくりとしか歩けない青年がいますが、彼は階段をおりるときに2度にわたって突き落とされたと言っていました。突き落とした側の人物もおそらく突き落とすことを企図して彼の身体に触れたのではないと思います。急ぐ気持ちが、ゆっくり歩く彼を行く手を阻む存在とみて振り払ったと思われます。急ぐ人物にとり、ここでも障がいをもった人や老人は障害物なのです。

【会社や学校に遅れない!】

 日本人は“会社の定時に遅れない!”“学校に遅刻しない!”というのが至上命令として生きてきました。そのためには前に居る人を払いのけても突き落としても前に進む必要がありました。日本人は自分の属する集団の規律を乱すことがあってはならないということを、何よりも優先させてきました。ところで、これほどまで集団を大切にするのにその集団の中で心の通った血の通った人間関係が築かれているでしょうか。集団の構成員相互の関係は最近とみに無機質な人間関係になっていると私は思います。

【金曜日の夜8時過ぎの電車の中で】

 2月8日(金)夜8時過ぎにJR新橋駅から京浜東北線に乗りました。新橋駅は山手線、京浜東北線、東海道線の上下計6線の乗客が同じ改札口を出入りするのでいつも混雑しています。私とは逆の東京方面行きの電車からはき出される乗客の列に遭遇しましたが人々は我先へと進み私に道を空ける人はいません。モタモタしていると後ろからきた女の人が荷物を私の肩にあてながら、謝ることなく先に突き進んで行きました。
 プラットホームで私の前にならんでいたある男の人が松葉杖をついてシルバーシートの前に立ちました。3人の男性が座っていましたが誰一人として変わる気配を示しませんでした。私が降りた大森駅でもまだその人は立ったままでした。“私はエーッ信じられない!”と思い、座っている人たちの顔を見ましたが何も感じていない素振りで本や新聞を読んだり前を見ていました。丁度車内放送がシルバーシートでは身体の不自由な方や妊娠をした方に変わってあげてくださいと放送していましたがそれも聞こえたのか聞こえなかったのか。座っている3人の男性は50代前後でしたが身体は不自由な人はいません。自分を老人と位置づけて座り続けることを自分の心の中で正当化したのでしょうか。私はとても淋しく悲しい思いをし、日本人であることを恥ずかしく思いました。今の大人に若者を非難する資格はないと思いました。

【孤立を深める一人ひとりの日本人】

 20数年前の朝日新聞で中国の水墨画の画家が日本の男性の顔はとても美しいとほめてくれていたことがありました。電車に乗ったときなどそっとスケッチすると書いていました。当時の日本の職場も企業戦士と言われたほどですから男性たちの生き方は決して人間的なものではなく、中国人の画家がほめすぎだと思います。でも今よりはまだ企業内での仲間意識があり、面倒見のいい男性もいて、そんな男性の表情には確かに一定の魅力がありました。その後リストラによる雇用不安の嵐が吹き、成果主義で選別される職場環境の下で多くの日本人が互いに競わされました。その結果一人ひとりが孤立を深め、他者を思いやるゆとりを失ってしまったことは否定しようがありません。JRの電車や地下鉄に揺られる日本人の男性は疲れはてています。残念ながら電車の中でも銀座の街角でも多くの女性からもやわらかな眼差しが減っています。グローバル競争でたとえ日本の企業が勝ち続けても、また日本経済が他国の経済を凌駕しても、日本人一人ひとりが孤立化し、他者を愛する気持ちをもてないのなら何の値打ちもありません。心の面から私たちの国の劣化をあらためて思い知りました。

【地獄に向かって突き進むだけ】

 私の尊敬する神野直彦東京大学大学院経済学研究所教授は、小泉「構造改革」がはじまった2001年1月「『希望の島』への改革」(NHKブックス)で次のように警告していました(19~20頁)

 「競争社会」を目指す日本では、企業のコストを低めることだけに目が向けられてしまう。そのため、労務コストを低め、課税負担を低め、社会保障負担を低め、企業負担の軽減による経済成長が目指されるため、雇用が悪化し、かつ財政も破綻してしまうのである。
 経済が活性化するためには、社会を構成する掛けがえのない人間が能力を高め、意欲をもって働かなければならないという、極めて常識的な真理が、日本では忘れ去られている。機械や土地がやる気を出すわけがない。
 いま日本は、血眼になって社会から人間を排除することに全力を挙げている。何のために社会から人間を追い出すのかを、立ち止まって再考しなければならない。
 人間の幸福のために、企業があり、政府があるはずである。人間を忘れた日本は、明らかにハンドルを切り間違えたのである。ハンドルを切り間違えたのであれば、アクセルを吹かせても、地獄に向かって突き進むだけである。早くハンドルを正しい方向へ切り替えなければならない。
 人間は、人間にとっての最高の存在である。経済のために人間があるのではなく、人間のために経済はある。ところが「競争社会」では、人間は経済の「手段」にしかすぎない。人間はコストを高める妨害物と見なされ、人間が共同生活を営む「場」である社会から人間を追放してしまう。
 しかし、人間中心の「協力社会」では、人間の能力を相互に高め合い、生産性を向上させることによって、経済成長を目指すことになるのである。
 今からでも遅くはない。生まれ出ずる痛みに耐え、人間を中心とする社会を目指して「歴史の峠」を越えていこうではないか。
 つまり、日本を「希望の島」に再生するため、「競争社会」に別れを告げ、「協力社会」への道を着実に歩み始めようではないか。

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2008年1月 1日 (火)

A Happy New Year,2008

【アフリカの子どもたち】

 2007年1月1日のブログで「アフリカの子どもたちが今この瞬間にも飢えと病気でとても短い生涯を終えています。」と記述しました。2007年9月29日アシックスの創業者である鬼塚喜八郎氏が逝去され、鬼塚氏のご家族は「青少年の育成」に一生をささげた鬼塚氏の志を何かかたちにできないものかと考えるなかで、世界には今なお幼くして命の危機にさらされ、短い生涯を終えていく子どもたちの存在に気づきました。ご家族は、鬼塚氏と縁の深かったマラソンランナーアベベ・ビキラ選手の母国であるエチオピアの子どもたちを支援するために、ユニセフへ100万ドル(約1億1000万円相当)を寄付することを決めました(2007年11月24日ブログ記事)。私はこの寄付について、ご家族と一緒に考える機会に恵まれ、私にとってははるか遠い存在だったアフリカの子どもたちをとても身近に感じるようになりました。

【最大の敵は日本人の心の中】

 2007年1月1日のブログで、「私たち国民があきらめて拱手傍観することはとても危険なことです。」「私は、この国を人にやさしい社会に変える上で最大の敵はわが同胞、つまり日本国民そのものだと思っています。」「私があきらめが危険と言いましたが、日本人は政治はダーティーであり、政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。障害者自立支援法にしろ、教育基本法の改悪にしろ多くの国民が他人事です。私は“あゝそうなの”という日本国民の無関心な心が最も危険だと思います。」と記述しました。この点については私は1年前以上に日本人の心というか考え方というかに危機感を深めています。1年前は「日本人は政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。」「日本国民の無関心な心」という風に「潔い」「無関心」という程度にしか見ていませんでしたが、この1年で、私は日本人は私が思う以上に現実主義者であり、保守主義者であり、明確な自分の考えで今の政治や社会を肯定していると思うに至りました。

【自由・平等・博愛】

 日本は世界で最も富める国であり、世界に冠たる資本家国家であり、日本人総体は世界に冠たる資本家集団です。日本政府が推し進めてきた「貯蓄から投資」の流れは、日本人の政治・経済・社会に対する考え方を根本的に変えつつあります。米国発の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)の問題は日本人の持つ株価を直撃しますし、インド株など外国株を積極的に買っている日本人も少なくありません。その結果普通の日本人が投資家、投機家の目線で日本や世界の政治・経済・社会のありようを選択します。18世紀末の近代市民革命とともに近代的な人権宣言が誕生し、“自由・平等・博愛”が宣言されました。しかし、今の日本人の行動をみると自由は求めても、平等や博愛について“そんなきれいごとを言っても”と無視する傾向があると思います。自分の目先の経済的損得が優先され、飢えやささいな病気で亡くなっている外国の子どもたちのことはおよそ思いもよらないのが私たち日本人の総体なのではないでしょうか。政治に無関心ではなく、飢えと病気に苦しむ人々に無関心なのが日本人の現実なのだと思います。

【感覚が知らず知らずにまひ】

 それやこれやを考えるとふーっとため息が出ます。私も含めて日本という物があふれ安全で居心地のいい環境に身を置くと、いろんな感覚が知らず知らずのうちにまひしています。私は日本国内における格差問題に関心はありましたが、日本とアフリカや南アジアの国々との格差問題には無関心でした。イラク、アフガニスタン、パキスタンなどの紛争地域の子どもたちの現状も悲惨です。世界に目を転じたからと言って、一個の人間に何ができるのかという疑問は残ります。そうであるにしても、この民族間格差は恵まれない国々の人々が自力で解消できる域をはるかに越えており、恵まれた国々の国民の意識改革なくして格差を縮めることは不可能です。

【2008年私は・・・】

 とは言っても、私に直接できることは日本国内のこと。今法律家として関心のあることは難病患者と家族への法的サポート体制の確立、国民の立場に立った司法の改革などです。法律家を離れて文学書も読みたいのですが、多分時間がないでしょうね・・・。2008年は2007年より良い年にしましょう。

          Nedorei2
 

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2007年11月27日 (火)

清水ブログを始めて1年がたちました

【今日で満1歳】

 清水ブログは2006年11月27日にスタートしましたので今日で満1歳となりました。面白くもない内容なのにたびたびブログをのぞいて下さったことに心より感謝申し上げます。
 1年前、ブログを始める動機を次のように述べさせていただきました。 
 「さまざまな事件を担当する中で、日本の社会は、一歩ずつ明るく人にやさしい社会に進歩しつつあると感じてきました。
 ところがこの十数年をみると、このくには、暗く人に冷たい社会に退化しつつあるように思えてなりません。
 私がこのブログをはじめたのは、私の意見を述べるとともに、多くの方々と一緒に考え、この社会の流れを明るく人にやさしい方向へ大きく変えていければという思いからです。」

【社会のこの1年の流れ】

 この1年間にこの社会がはたして明るく人にやさしい方向へ大きく変わったでしょうか。
 日本全体の景気という意味では回復基調にあります。上場企業は5期連続で最高益を更新しています、日本企業はグローバル化の中で、国内では非正規雇用を拡大しながら人件費を抑制し、海外では最も人件費の安い国に生産拠点を移し、低コスト体制を構築しました。トヨタにしろキャノンにしろ今や世界の勝ち組となりつつあります。
 その一方で小泉政権以来政府は中小企業切り捨て政策を断行し続けました。祖父の時代から3代続けて真面目に働いてきた中小企業が金融政策の変化で倒産や廃業に追い込まれています。日本人の雇用労働者の70%は中小企業で働いており、日本人の多くは大企業の好決算とはおよそ無縁のところで生活不安におびやかされています。
 強いものはより強く、弱いものはより弱く、富めるものはより富み、貧しきものはより貧しくという社会の流れはこの1年間でほとんど変わっていません。

【世界の中の日本人】

 目を世界に転じると総体としての日本人は世界の資本家集団と言えます。外国の資源と労働力によって日本の現在の繁栄は成り立っています。日本の富の蓄積は、かつての働き者へのごほうびという域をはるかに超えています。アフリカでは多くの子どもたちが5歳の誕生日をむかえることなくこの世を去っています。日本人は世界の舞台でも弱肉強食を疑うことすらなく繰り返しているというのが私の思いです。弱肉強食の論理は食う方も食われる方も肉体も心もボロボロになってしまいます。恵まれたというよりもむしろ恵まれすぎている日本人は国内においても、海外においても弱肉強食をくりかえす必要は全くないと私は思います。1年前と比べ変わりばえのしない日本の現状を考えるとふーっとため息が出ますが、それぞれの持ち場から、私の場合は弁護士という立場から明るく人にやさしい社会をめざして発信を続けることしか道はないとあらためて思いました。今後とも清水ブログを時折のぞいて下さるようお願い致します。

【お知らせ】

 12月2日(日)午後1時20分から月島区民館にて『蟻の兵隊Ant_2  』の上映会を行います。現在とこれからの日本と中国との関係を考えたいと思います。どうぞふるってご参加ください。詳細はこちらをご覧下さい。

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2007年11月19日 (月)

台湾(高雄・台北)を旅して

【80名のマンモス合同事務所旅行】

 20余りの法律事務所が毎年、1年に1回合同で事務所旅行を行っている。通常は1泊2日の国内旅行であるが、3~4年に1度海外旅行を企画している。今年は11月8日(木)17時55分発の日本アジア航空279便で成田を立ち11月11日(日)18時25分着の日本アジア航空206便で成田に戻った。参加者は弁護士53名(内女性4名)、事務局員27名(内女性18名)計80名(内女性22名)のマンモス海外旅行である。自由行動時間はあるが、これだけの人数になると、どうしても“団体サーン”旅行になってしまうのが残念である。
              Img_0163
                高雄にて

【中華民国】
                   (ウィキペディアwikipediaより

 1912年に中国国民党により、中国大陸を中心とする中国を統治する国家として成立した。しかし、日中戦争を経て第二次世界大戦後に、ソビエト連邦が支援する中国共産党との内戦において、国民党の腐敗、それに起因する民心の離反及びアメリカ合衆国による支援が減ったことなどから1949年頃には一旦崩壊状態となったが、その後中国国民党政府が台湾島に遷都し、台湾地域及び金馬地区などのみを統治する国家として1950年までに再編成され、現在は、議会制民主主義を主体とした共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)、および福建省沿岸の金門島・馬祖島(金馬地区)、南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の太平島を実効統治している。

【台湾の人々】

 私は台北は2度目である。故宮博物院も2度目の訪問である。故宮博物院に納まっている歴史的遺品は本来北京の故宮博物院に納まるべきものであろう。蒋介石が台湾に持ち去ったために北京の故宮博物院にある歴史的遺品はわずかしかない。蒋介石の偉業をたたえた中正紀念堂はそのまま残されているが国父としてはむしろ孫文が強調されていた。
 台湾の人々は穏やかで町も安全である。アジアの国々の中で最も親日的と言われている。高雄-台北間を走る“新幹線”には日本の車輌が採用された。台湾の人々にとりオランダ、次いで日本から侵略を受け、日本が戦争に負けると蒋介石率いる国民党がやってきて支配し、そして民主化が進んだ今では中華人民共和国(中国)という巨大な国家と対峙し、日本や日本人を恨む間もなかったというのが現実であろう。親日ということに甘えて、侵略し直接統治した事実を私たち日本人があいまいにしていないかと思う。
 起業家が多いといわれる台湾であるがグローバリゼーションの中で豊富な資金力を持つ日本やアメリカの企業に太刀打ちするのが容易ではなく、台湾経済は中国大陸との結びつきに活路を見出さざるを得ない側面がある。政治においても経済においても自力で自由活達に生き抜くことを制限されており、あきらめに似た思いが台湾の人々の穏やかさとつながっているように思えてならない。
 公園では家族や恋人同士が日本人よりも静かに時を共有しているのが印象的であった。
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  蒋介石執務像(中正紀念堂)       公園にて(台北)

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2007年11月 8日 (木)

北原白秋の生家(柳川市)を訪れる

ブログの内容を少し軌道修正します】

 これまで政治・経済・社会に関する新聞記事を中心としてブログをつづってきました。これからは弁護士清水建夫日誌としての内容や私が個人的に経験したり、感じた内容の比重を少し増やして行きたいと思います。勿論日々感じた政治・経済・社会問題も今後ともとりあげていきたいと思いますが、これまでより私的な内容が増えることをご了承下さい。

【鉄建公団訴訟】

 11月4日(日) 偶然にも福岡県柳川市にある北原白秋の生家(北原白秋記念館)を訪ねることができた。その日は鉄建公団訴訟原告団との打ち合わせのため福岡県みやま市瀬高町を訪ねた。
 1987年4月1日、旧国鉄はJR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州とJR貨物の7社に分割され、民営化された。この分割・民営化について時の総理中曽根康弘は、国鉄労働組合(国労)を壊滅させ、総評を崩壊させることを意識し、その一念で行ったことを1996年頃からNHKや雑誌のインタビュー、あるいは自らの自叙伝で勝ち誇ったように公言している。中曽根は気にくわない国鉄総裁の首をすげかえてまで、国鉄当局に憲法28条、労働組合法7条が禁じている不当労働行為を徹底的に行わせた。この組合差別の結果JRに採用されず、1990年4月1日国鉄清算事業団から解雇された人たちのうち第一次訴訟の原告が鉄建公団訴訟原告団である。原告団は第一次訴訟が労働者数287名であったが、追加提訴もあり、全体で労働者数919名となり、今わが国で最大の労働事件となっている。2005年9月15日東京地方裁判所民事第36部は第一次訴訟について国鉄に不当労働行為(組合差別)があったことを明確に認めた。鉄建公団訴訟は現在東京高裁に係属中である。この訴訟事件と中曽根元総理の謀略については改めて触れることとしたい。

【はかたとくるめ】

 11月4日は日帰りの強行日程。私の自宅は羽田空港と同じ大田区内にあり(大田区南馬込)、早朝であればタクシーで15分以内で着く。羽田発6時25分のANA1番機に乗るため朝5時20分に家を出た。11月の朝5時台は外は暗い。空港には予定どおりスムーズにつき搭乗手続きまで30分位ゆとりがあった。福岡までの飛行時間は1時間40分位で午前8時に福岡空港に着いた。福岡は晴で明るかった。福岡空港からは地下鉄2駅(10分)でJR博多についた。博多からリレー特急つばめ5号で久留米にむかった。リレー特急つばめ号は開通した九州新幹線の新八代駅から鹿児島中央駅までを走るつばめ5号とつなぐための在来線特急で、九州新幹線はかつての国鉄のエース特急号の名称つばめ号を列車名に使用している。それとつなぐ在来線特急がリレー特急つばめ号で、リレー特急つばめ1号はつばめ1号とつなぐという様に同じ番号が付されている。リレー特急つばめ5号は博多を9時10分に出発し、9時37分に久留米についた。私は5歳の頃継母に連れられて、継母の実家である久留米を訪れたことがある。当時私たち一家は父の故郷である瀬戸内海にある広島県の小さな島(安芸郡下蒲刈島三之瀬村、現呉市下蒲刈町三之瀬)に住んでいて、私と継母は船で呉線仁方(にがた)駅までわたり、呉線で呉、広島を経て山陽本線で関門トンネルをくぐって博多につき、博多から久留米についた記憶がある。関門トンネルでは海(関門海峡)の下を列車が走ったこと、“はかた”は九州では大きな町であったことを子供心なりに感じていた。久留米では鶴乃子という甘いお菓子があったこと、買い物かごを下げて買い物をするかしこい犬がいたことも思い出した。継母とは5歳から7歳までの3年間しか一緒にすごさなかったが、6歳のとき私が結核(肋膜炎)になった4ヵ月間つきっきりで看病してくれた。父が事業に失敗した中で、7人の子どもたちの間で、継母は3年間精一杯母親役をがんばったが、力尽きて私たちと別居し、その後父と離婚した。60代半ばで肝硬変で亡くなった継母の決して幸せとは言えなかった生涯を思うと胸が痛んだ。今では久留米は人口30万人を超える九州8番目の大都市となり、昔の面影はなくなっていた。久留米から9時43分に2輌のワンマン電車に乗り、10時12分に瀬高町についた。駅には福岡・佐賀・長崎地区の原告の責任者である原田亘さんがむかえにきてくれていた。

【北原白秋】
                 (ウィキペディア(Wikipedia)より)

 北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日) は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。
 生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、日本を代表する詩人である。

 1906年、新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知る。「明星」で発表した詩は、上田敏、蒲原有明、薄田泣菫らの賞賛するところとなり、文壇の交友はさらに広がる。
 1909年、「スバル」創刊に参加。木下らと詩誌「屋上庭園」創刊。また処女詩集『邪宗門』上梓。官能的、唯美的な象徴詩作品が話題となるも、年末には実家が破産し、一時帰郷を余儀なくされた。

 1910年、「屋上庭園」二号に掲載した白秋の詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受けた(同誌は年内に廃刊)。またこの年、松下俊子の隣家に転居。1912年、白秋は隣家にいた松下俊子と恋におちたが、俊子は夫と別居中の人妻だった。2人は夫から姦通罪により告訴され、未決監に拘置された。2週間後、弟らの尽力により釈放され、後に和解が成立して告訴は取り下げられた。人気詩人白秋の名声はスキャンダルによって地に堕ちた。この事件は以降の白秋の詩風にも影響を与えたとされる。1913年春、俊子と結婚。三崎に転居するも、父と弟が事業に失敗。白秋夫婦を残して一家は東京に引きあげる。『城ヶ島の雨』はこのころの作品であるという。

 1914年、父母と俊子との折合いが悪く、ついに離婚に至る1916年、江口章子と結婚し、葛飾紫烟草舎に転居。筆勢いよいよ盛んにして『白秋小品』を刊行する。1917年、阿蘭陀書房を手放し、出版社アルスを創立。この前後、家計はきわめて困窮した。

 1920年、家庭内の対立により章子と離婚。1921年(大正10年)、佐藤菊子(国柱会会員、田中智學のもとで仕事)と結婚。信州滞在中想を得て、『落葉松』を発表する。

 1937年、糖尿病および腎臓病の合併症のために眼底出血を引きおこし、入院。視力はほとんど失われたが、さらに歌作に没頭する。1938年にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことである。1942年、小康を得て病床に執筆や編集を続けるも、11月2日逝去。享年57。

【落葉松】


 からまつの林を過ぎて、
 からまつをしみじみと見き。
 からまつはさびしかりけり。
 たびゆくはさびしかりけり。

二           
 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。


 からまつの林の奥も
 わが通る道はありけり。
 霧雨のかかる道なり。
 山風の通ふ道なり。


 からまつの林の道は、
 われのみか、ひともかよひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。
 さびさびといそぐ道なり。


 からまつの林を過ぎて、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 からまつはさびしかりけり、
 からまつとささやきにけり。


 からまつの林を出でて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。


 からまつの林の雨は、
 さびしけどいよよしづけし。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 からまつの濡るるのみなる。


 世の中よ、あはれなりけり。
 常なれどうれしかりけり。
 山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。

【北原白秋と宮沢賢治】

 宮沢賢治については以前にブログで触れた。賢治も白秋も商家に生まれ、自由な雰囲気の中で詩や童話や童謡の世界に没頭することができた。明治期の青少年としては2人とも恵まれていたと言える。賢治は成人になるにつれ清貧な生活に努め、「雨ニモマケズ」の詩は賢治の生き方そのものであった。一方白秋は姦通罪で告訴されたのを典型として清らかな詩と白秋の実生活は必ずしも一致していない。しかし、青年期の私の心にしみたのは白秋の「落葉松」であって賢治の「雨ニモマケズ」ではなかった。線の細かった青年期の私にとり「雨ニモマケズ」は正直言って重たかった。清らかさではなく、白秋のもつ“影”が人の心にしみ入る詩を生んだのではないだろうか。

  

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2007年1月 7日 (日)

コメントありがとうございます

【宮沢賢治と星の王子さま】へのコメントありがとうございます。
私のブログのこの部分の記事については、場違いとのご批判もあるかなと心配していました。「大好きな宮沢賢治が語られていてうれしくなりました」と言っていただいてほっとしました。
また、私の1月1日の記事と澤地久枝さんをつないでいただきありがとうございます。
澤地さんは1月4日の 朝日新聞 私の視点 で戦地で死が目前にせまる経験をした大岡昇平氏と五味川純平氏の言葉をかみしめながら「憲法60年 明るい年にしていくために」という題で意見を述べています。
その一部を紹介させていただきます。

「 国内の民情悪化とその疲弊は避けがたくなった。選挙で議席を失えば、政治家はタダの人。確実に政治は変わる。政治のあまりの悪さ、露骨さに、危機感をもつ市民が全国に生まれた。もうこれ以上の逆コースは認めない。悪法は押し返し、
憲法本来の国にもどろうという市民の意志。悪政はおとなしい市民たちを揺さぶり、無視できない運動を拡大しつつある。希望のタネ、希望の灯は、市民運動によって守られる。市民は自衛する。武器なきたたかいだ。考えて思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、あやうい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決意にこそかかっている。『憲法を泣かせるな』を施行60年目にあたる今年の合言葉にしよう。
歴史の犠牲となった死者たちを生かす道は、私たちの掌中にある。いかに状況が錯綜し、本質をかくしても、二人の文学者の言葉は、本質を見抜く鍵、真理として私たちを支えている。」

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2007年1月 1日 (月)

A Happy New Year,2007

【A Happy New Year にするために】  Thumbnail_
21世紀になって6年が経ちました。
ほんとうに今年こそはA Happy New Year にしたいものです。
A Happy New Yearにつなげるために何をすれば良いのでしょうか。

【アフリカの子どもたち】
アフリカの子どもたちが今この瞬間にも飢えと病気でとても短い生涯
を終えています。
この子どもたちに私たちのなしうることはかぎられていますし一瞬のものでしかありません。
日本人である私たちになしうる現実的で永続性のあることは、日本という世界で最も富める国を人にやさしい国に変えることだと思います。

【新自由主義・規制緩和・自己責任】
新自由主義・規制緩和・自己責任を強調した小泉・竹中改革はこの国の人々に競争社会を奨励しました。彼らは常に国民の中にスケープゴートをつくり、国民に無意識のうちに足のひっぱりあいをさせました。世界で最も富める国であるにもかかわらず、この国の人は、暗く険しい表情をしています。

【安倍首相】
日本のトップリーダーは小泉さんから安倍さんにかわりました。安倍さんは岸信介元総理の孫であり銀のスプーンをくわえて生まれた生まれながらの右翼的政治家です。安倍首相はおだやかな表情で教育基本法の改悪や防衛庁の防衛省への格上げをたんたんとこなし(!)ました。憲法9条もたんたんと変える底力をひめています。
小泉首相は私とほぼ同世代であり、腹の底からその改革に憤りを感じましたが、安倍首相になると憤りよりもあきらめが先行しています。でも私たち国民があきらめて拱手傍観することはとても危険なことです。

【最大の敵は日本人の心の中】
私は、この国を人にやさしい社会に変える上で最大の敵は小泉さんでも竹中さんでも安倍さんでもなくわが同胞、つまり日本国民そのものだと思っています。“日本を変えよう!”と言いながら敵は日本国民と言っていればそれこそあちらからもこちらからも石のつぶてや卵がとんできそうです。
私はそれを覚悟であえて言っています。
私があきらめが危険と言いましたが、日本人は政治はダーティーであり、政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。
障害者自立支援法にしろ、教育基本法の改悪にしろ多くの国民が他人事です。私は“あゝそうなの”という日本国民の無関心な心が最も危険だと思います。

【流れを変えよう!】
日本政府は大企業や富める人々を保護し、労働者をはじめ国民の権利を不安定化させる政策をさらに進めようとしています。私たち一人ひとりが自分の世界に埋没しているうちに、日本の社会は富める一部の企業・人とその他大勢の企業・人々に分裂してしまいました。
そろそろ、その他大勢組が目をさますときではないでしょうか。そのために何をすればよいのか? とても月並みなことですが自分のまわりから、自分のできることから変えていくしかないと思います。大切なことは、自分のまわりを変えながら常にこのことが日本社会を変える上でどのようにつながるかを同時に考えていくことだと思います。先にも言いましたが、日本人は清く正しくという言葉が好きで、政治から距離を置くのを“尊し”とする傾向があります。でもそれでは自己満足に終わると思います。
日本が人にやさしい国に変われば世界も大きく変わります。希望をもって2007年をむかえたいと思っています。

【私は】
私は、弁護士として38年経ちます。弁護士として仕上げのときにさしかかっています。
私自身はこの社会で一番困っている人にあたたかく力強いサポートができるよう心がけながら人にやさしい社会を追い求めていきたいと思っています。

本年もどうぞ宜しくお願いします。
   Kadomatu07     Kadomatu07_1

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