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2013年3月26日 (火)

ベトナム経済 高まる日本の存在感

                     ( wikipedia 日越関係 より)
【両国の比較】

Vietnam

【日本軍の仏印進駐】

 1940年9月22日、日本は北部仏印に進駐し、東南アジアの連合国を攻撃するための軍事基地の建設を始めた。日本軍は連合国に降伏した1945年まで、ベトナムにとどまった。
 1944年には、凶作による飢饉に加え、米軍の空襲による南北間輸送途絶や、フランス・インドシナ植民地政府及び日本軍による食糧徴発などが重なり北部(トンキン)を中心に200万人以上(諸説あり)が餓死したとされる。
 1945年3月11日、 保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言した。

【国交樹立】

<南ベトナムとの国交樹立と戦争賠償>

 1951年に日本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年5月13日には岸信介政権(第2次岸内閣)がベトナム共和国政府と140億4000万円の戦争賠償支払いで合意した。

<ベトナム戦争から北ベトナムとの国交樹立>

 ベトナム戦争が勃発した1960年代から1970年代にかけて、日本は一貫して出来るだけ早い戦争の終結を促した。戦争が終息すると間もなく、ベトナム民主共和国(北ベトナム)政府との間で契約が交わされ、1973年9月、国交を樹立することで合意に至った。 しかしながら、北ベトナムが日本に要求し、「経済協力」という形がとられることになった2年間で4500万ドル相当の賠償金の支払いの履行は遅れた。ベトナムの要求に応え、日本は賠償金を支払い、南北ベトナムの統一によるベトナム社会主義共和国の誕生後の1975年10月11日、ハノイに大使館を設置した。1975年、ベトナムはカンボジアの共産主義者によるクメール・ルージュ政権を承認し、両国は1976年8月に国交を樹立した。

【現代】

 ODAは日本が最大の支援国であり、日本のODAによってタンソンニャット国際空港やカントー橋、ハイヴァントンネルなどベトナムの基幹インフラを建設・支援をしている。
 2002年にJICAプロジェクトとしてベトナム日本人材協力センター(VJCC)が開設され、2008年には国際交流基金のベトナム日本文化交流センターが開設された。

【日本の法整備支援】

 ソフト面でのインフラストラクチャーともいうべき法律分野でも、日本の法整備支援が大きな役割を果たしている。ベトナムは、1986年のドイモイ以後、市場経済システムへの移行のため、市場経済に適合した法制度の整備が重要な課題の1つとなったが、ここに1994年以来日本の法整備支援が関与している。その結果ベトナムは、改正民法、民事訴訟法、民事判決執行法といった法律を次々と成立させるなど、法制度の整備に大きな前進を見せてきた。この分野でのベトナムの日本に対する評価は高く、2007年3月28日には、ベトナムに約3年常駐したJICA長期専門家が、ベトナム司法大臣から、「司法事業記念賞」を授与されている。

【岐路に立つベトナム経済】
              (2013年3月24日 日本経済新聞 より)

 1月16日、安倍首相は就任後初の外遊先としてベトナムを訪問した。首相は、「戦略的なパートナーシップ」という言葉で日越関係強化の重要性を改めて強調した。
 しかし、パートナーたるベトナムの経済に、ポストBRICsともてはやされた一時期ほどの勢いがない。昨年の成長率は5.0%にまで落ち込んだ。リーマン・ショック以降続く不安定なマクロ経済状況から脱する兆しがようやく見え始めたが、銀行の不良債権比率が60%を超えているともいわれており、本格的な回復にはもう少し時間がかかりそうである。
 経済停滞の直接の原因は、欧米経済の停滞や政府の財政・金融政策の失敗に求められるが、毎年7~8%台の高成長を続けていた2000年代半ばに重要な経済制度の改革を後回しにしたことも、大きな要因である。

<制度改革に遅れ>

     (中略)
 このような問題を解決するために、日本は重要な役割を果たし得る。
 昨年、ベトナムへの外国直接投資が大幅に減少する中にあって、日本からの直接投資額は認可ベースで前年から倍増し、最大の投資国となった。中小企業の進出が増え、これまで制約の多かった不動産や小売業の進出も目立っている。また、間接投資の分野でも、日本の大手銀行によるベトナム四大国有商業銀行の株式取得が相次いでいる。
     (中略)
 文化交流や留学生受け入れなどを通した相互理解の進展を背景とした日本企業のプレゼンスの拡大は、技術や経営ノウハウの移転にとどまらず、経済制度改革を促進する作用ももたらすだろう。
 また、近年の日越経済関係は、援助者・被援助者の一方的な関係ではもはやなく、互恵的な色合いが強くなっている。日本企業の進出増加は、急速に進んだ円高や日本国内の市場の縮小により、多くの企業がベトナム進出で生き残りを図ろうとした結果でもある。同様に、原子力発電所や高速鉄道といった日本政府による「インフラ輸出」案件に対しては、ベトナム国民だけでなく、日本の経済界も大きな期待を寄せる。

【私の意見】Up63

 多くの日本人はベトナム人に親近感をいだいています。米国とベトナムの戦争については私を含めて当時の20~30代の若者はベトナムびいきでした。ジョーン・バエズの歌をうたいながら“We Shall Overcome!”と叫んだものです。今ベトナム人の多くは日本に親近感をもってくれています。しかしベトナムについても第2次世界大戦中に日本軍は多くのベトナム人を死に追いやっています。私たちは暗い歴史に目をつむるのではなく正面を見すえながら、新しいベトナムとの関係を築きたいものです。原子力発電所は日本国内で安全性に疑いがもたれているのに、外国に輸出することに大きな疑問があります。

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