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2011年5月 7日 (土)

憲法違反公務員給与1割下げと連合の真価

【曲がり角の連合系メーデー中央大会】

 今年は4月29日に連合系メーデー(チラシ:PDF)に、5月1日に全労協系メーデー(チラシ:PDF)に、5月3日に憲法集会(日比谷公会堂)に参加しました。いずれも私にとっては初参加ですが、労働運動も憲法集会も曲がり角にさしかかっているというのが私の感じたことです。

【メーデー】
            (Wikipedia「メーデー」より)

 メーデー(May Day、直訳すれば「5月の日」)は、世界各地で毎年5月1日に行われる祭典である。ヨーロッパでは春の訪れを祝う日である一方、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう日でもある。「労働(者)の日」"Labour Day"ともいうが、いくつかの国ではその国独自の「労働者の日」を定めているため、International Labour Day と言う必要がある。

<五月祭>

 ヨーロッパでは伝統的に、この日に春の訪れを祝う「五月祭」が催されてきた。「メーデー」とは元来は五月祭を開く日であった。

<労働者の日として>

 メーデーの労働運動が、五月祭と関係しているかどうかははっきりしない。

労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源。 1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行なわれた。

1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行なうことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された。以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日として継続・発展してきた。

なお、メーデー起源の国であるアメリカ合衆国と、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの旧イギリス植民地である4カ国は、"Labour Day"を5月1日ではなく9月または10月に設定している。

<日本におけるメーデー>

 日本では、1905年(明治38年)メーデーの先駆けとなる平民社の主催で茶話会というかたちで開かれ、引き続き1906年に横浜曙会の吉田只次・村木源次郎・金子新太郎らがメーデーを記念し街頭演説、ロシア二月革命後の1917年5月7日に在京社会主義者約30人がメーデー記念の集いを開催した。労働団体が挙行にいたるのは1920年5月2日日曜日に第1回のメーデー(主催:友愛会 司会者:鈴木文治)が上野公園(現在の東京都台東区)で行われ、およそ1万人の労働者が「八時間労働制の実施」「失業の防止」「最低賃金法の制定」などを訴えた。翌年からは5月1日となり、開催地や参加人数も増えていった。
   (中略)
アジア・太平洋戦争敗戦翌年の1946年、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年ぶりのメーデーが通算で17回大会として盛大に開かれた(別名「食糧メーデー」または「飯米獲得人民大会」)。
   (中略)
高度成長期には総評、同盟などの共催で統一メーデーが続けられ、1984年の第54回大会では特別決議としてメーデーの祝日化要求が採択された。
   (中略)
その後、労働組合の全国中央組織の再編による組織対立の激化で、1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなり、連合と非連合系の全労連や全労協による分裂開催となった。また、前後がゴールデンウィークで長期休暇を取る例が増え、労働組合活動が低調になってきて参加者数が減少したことを理由に、連合系メーデーは2001年以降4月29日や土曜日に行うようになり、一方で全労連や全労協のメーデーは5月1日開催を続けており、その分裂と対立の構図は解消されていない。  (後略)

【日本労働組合総連合会(連合)】
           (Wikipedia「日本労働組合総連合会」より)

 日本労働組合総連合会(にっぽんろうどうくみあいそうれんごうかい、英語: Japanese Trade Union Confederation, "JTUC")は、日本の労働組合におけるナショナルセンター。 略称は連合(れんごう、英語:RENGO)。
国際労働組合総連合(ITUC)に加盟している。

設立年月日  1987年(昭和62年)11月20日
組織形態  ナショナルセンター
加盟団体数  54単産
組合員数  約680万人
本部所在地  東京都千代田区神田駿河台3丁目2-11 総評会館内
加盟組織  国際労働組合総連合
支持政党  民主党、社会民主党

<成立>

 1960年代後半から繰り返し志向されてきた社会党右派系の日本労働組合総評議会(総評)、民社党系の全日本労働総同盟(同盟)、全国産業別労働組合連合(新産別)、中間派だった中立労働組合連絡会議(中立労連)の労働4団体の統一を目指す「労働戦線統一」の動きは、1982年12月14日の全日本民間労働組合協議会(全民労協。初代議長は竪山利文・電機労連委員長)の結成により大きく進展した。 全民労協が1986年11月の第5回総会で翌年秋の連合体移行を確定したことを受け、まず同盟が1987年1月の第23回年次大会で解散方針を決定。 総評、中立労連、新産別の3団体も秋までに「連合」への合流を決定した。

1987年11月19日、同盟と中立労連が解散し、 翌日・11月20日に55単産、組合員539万人を集めた全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」。 初代会長・竪山利文)が発足した。 新産別も1988年10月に解散して合流。 総評は翌1989年9月の第81回定期大会で11月解散を最終的に確認した。

1989年11月21日、東京厚生年金会館で日本労働組合総連合会の結成大会を開き、初代会長に情報通信産業労働組合連合会(情報通信労連)委員長・山岸章を選出。 総評系単産を加えて78単産、組合員約800万人を結集させ、労働4団体の統一を完成させた。なお、山岸は“労働戦線統一の功績”により2000年4月に勲一等瑞宝章を受章した。

連合を反共産主義・労使協調路線と批判する日本共産党系労組はこれに対抗して連合結成と同じ1989年11月21日に全国労働組合総連合(全労連)を、社会党左派系労組は12月9日に全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成した。そのため、連合の結成は真の意味での「統一」とはいえないとする見方もある。

【全国労働組合総連合】
            (Wikipedia「全国労働組合総連合」より)

 全国労働組合総連合(ぜんこくろうどうくみあいそうれんごう)は、日本の労働組合ナショナルセンター。略称、全労連(ぜんろうれん)。「働く者の権利を守る唯一のたたかう階級的ナショナルセンター」であることを掲げている。

<政党との関係>

幹部の大半は日本共産党員及びその同調者で占められている。日本共産党と常に共同歩調を取り、他党との協力関係は稀であり、大会等に来賓として出席する政党関係者も殆ど日本共産党に限られている。日本共産党以外の政党にも招待状を送っているが、日本共産党、新社会党以外出席しない。国政選挙などでは、日本共産党への投票を事実上促す見解等を常に発表している。

こういった実状から日本共産党勢力以外からは、日本共産党と支持・協力関係にある組織と看做されており、朝日新聞は「共産党系の労組」と断定する。かつては各種マスコミ等から「共産党系」と表記されると抗議を行った。その後、「共産党の影響力の強い全労連」といった表記にも抗議を行った。

【全国労働組合連絡協議会(1989-)】
     (Wikipedia「全国労働組合連絡協議会(1989-)」より)

 全国労働組合連絡協議会(ぜんこくろうどうくみあいれんらくきょうぎかい)は日本のナショナルセンター。略称は全労協(ぜんろうきょう)。

<歴史>

 かつての二大労働組合連合体だった日本労働組合総評議会(総評)と全日本労働総同盟(同盟)が1989年に日本労働組合総連合会(連合)を結成し、労働戦線の統一を提唱する一方、これを右傾化と反発した左派の組合が日本共産党との関係が深い全国労働組合総連合(全労連)を結成した。その中で、連合も全労連もよしとしない組合が、「どちらにも行かない、行けない組織」として、総評元議長の太田薫、同元事務局長の岩井章、同元議長の市川誠達が総評から離れて作った労働研究センターが母体となって、「たたかう、まともな労働運動」をスローガンに掲げて全国労働組合連絡協議会を1989年12月9日に結成した。なお、総評や全労連と異なり、全労協は加盟組合の「連絡協議会」を自称し、自らをナショナルセンターとはしていないが、加盟組織が全国に広がる事からしばしばナショナルセンターとして扱われる。

<現状>

 年に1回の定期大会を開催し、最近では2008年8月に第20回大会を開催した。

組合員は自称約30万人、厚生労働省による調査[1]では2008年6月時点で12万8千人(地域組合のみの加盟者除く)、前年比で5千人の減少となっている。組合員数は連合の約40分の1、全労連の約6分の1であり、労働運動に与える影響力は国鉄問題などの例外を除いて小さい。ただし、全国に加盟組織を持つ運動体であり、連合や全労連との協力により「労働組合の完全統一行動」という象徴的な意味を与える事ができる。

政治面ではかつての日本社会党左派との関係が深く、現在ではその流れを汲む社会民主党と新社会党を支持している。ただし総評時代の反省から、組織を挙げてのカンパ活動や傘下組合員へ支持の強制はしていない。運動方針の柱は護憲・反戦・反在日米軍基地・平和運動と国鉄闘争(国労加盟員1047人のJR不採用問題)支援を中心とした反解雇・合理化などの要求獲得闘争としている。また、一部の問題などでは連合や全労連との協力も行っている。

【第82回連合系メーデー中央大会】

20110501mday_2 

<第82回メーデー中央大会 東日本大震災「つながろうNIPPON救援宣言」>

 この宣言は、日本政府の声明に置きかえても十分通用するもので、一部を赤字のように変更するだけで政府声明の体裁が整います。(宣言は リンク先の連合ホームページ内関連情報:pdfファイル〕)で参照できます)

 「政府は、地震発生直後に菅総理を本部長とする「緊急災害対策本部」を設置し、激
甚災害地域の指定や大規模な自衛隊の災害出動をはじめとする、被災者救援の施策を
展開している。壊滅的な被害となった史上稀に見る大災害に対して、今こそ与野党の
壁を越え、すべての英知と行動力を結集して、復旧・復興に向けた希望のもてる日本
経済・社会の道筋を国民に示すべき(→ 決意)である。
また、福島第一原発の事故も国民に不安を生じさせている。政府は万全の対策を講
じるとともに、情報の一元化と公開の徹底が求められる(→ に努める所存である)。
さらに、政府に対して(→ 削除)は、労働者保護・雇用確保に向けた対策として、安全衛生対策の強化をはじめ、震災により休業・離職等を余儀なくされた労働者の救済、企業等
に対する各種支援策の実施、復興に向けた雇用の創出と各種就職支援対策を積極的に
取り組むことを引き続き求めていく(→ 決意である)。」

 次の宣言部分は連合が取り組む最大の活動はボランティア活動であることを示しています。

 「連合は、被災地の救援・復興に向けてみんなでチームを組み、この甚大被害に対して救援カンパや救援物資の輸送、現地へのボランティア団の派遣を行ってきた。今後も被災地の救援・復興に向けて全力を傾注するとともに、復興の妨げとなる風評被害や自粛から被災地を守り支えるため、取り組みを強化していく。
今後の救援活動が長期間になることも視野に入れ、今こそ労働組合とNGO・NPOおよび関係組織の仲間は『つながろうNIPPON』を合言葉にみんなで立ち上がり、さらに連携を密にして、計画的な救援活動に積極的に参加しよう。」

 日本最大の中央労働組織が日本政府やボランティア団体と変わりがない目標設定でよいか甚だ疑問です。

【国家公務員給与1割下げ 政府提示3000億円、復興財源に】
            (2011年4月30日 日本経済新聞 より)

 政府は国家公務員の給与を引き下げる方針を固めた。下げ幅は10%前後で調整しており、5月にも主要労組に提示する。実現すれば人件費を約3000億円圧縮できる。公務員給与は人事院の勧告に基づいて決めるのが慣例で、勧告を待たずに労使協議で引き下げるのは戦後の混乱期を除けば例がない。東日本大震災の復興や財源確保の一環だが、労組から削減幅を巡り反発が出る可能性もある。

<人勧前、異例の労使協議>

 与野党はすでに国会議員歳費の22億円削減で合意しており、政府は28日に国会に提出した第1次補正予算案に盛り込んだ。国家公務員にも過去最大となる10%の引き下げ幅を提示することで、歳出削減を目指す。納税者から増税への理解を得たいとの思惑もある。
 労使交渉には政府側から関連省庁の政務官らが出席する。組合側は連合系の公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)などが参加する意向だ。
 幹部職員と若手職員では給与格差が大きく、一律削減では給与水準の低い若手にしわ寄せが行きかねない。そのため、幹部の削減幅を大きくし、若手職員は下げ幅を抑え、全体で10%程度削減する案を軸に協議する見通しだ。
 政府は金融システム不安とデフレで揺れた1999年から人事院勧告に基づいて公務員給与を断続的に減らしてきた。ただ下げ幅は最大でも2%台。人事院の勧告を待たずに平均で10%前後という削減幅を示すことに「削減率に異論はあるが、給与下げはやむを得ない」との受け止めが中央省庁で広がっている。
 人事院勧告に法的な拘束力はなく、政府は行政改革が課題だった82年に給与引き上げを求めた勧告の実施を見送ったことがある。今回の引き下げ交渉も震災後の措置として実施する。
 交渉の妥結を受けて、政府は給与の引き下げを目的とした給与法改正案を今国会に提出。月給が下がるのは法案成立の翌月からとなる。これとは別に、今後は労使交渉で給与を決められるようにする内容を含んだ国家公務員制度改革関連法案も提出する予定だ。
 ただ、一部の労組が反発するなど給与引き下げの実現に向けては流動的な要素も残る。民主党は連合系の官公労組を支持基盤に持つが、マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ人件費2割削減は政権交代後も大きく進んでいない。10%削減は民主党内の調整が難航する可能性もある。

【労働基本権制約の代償措置性としての人事院勧告】
              
  (Wikipedia「人事院勧告」より)

 「日本の国家公務員は争議行為が全面一律に禁止され、加えて非現業職員は団体協約締結権が認められていないなど、労働基本権が大きく制限されている。したがって、勤務条件を私企業のように労使交渉を通して決定することができず、人事行政の改善、特に勤務条件を社会一般の情勢に適応させる機能は人事院勧告が担っている。

公務員の労働基本権制約・剥奪は1948年7月31日の「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合國最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(昭和23年政令第201号)に端を発している。この政令に基づく国公法一次改正の際、同時に人事院勧告制度が導入された。

このような状況と経緯から、人事院や最高裁の判例(全農林警職法事件など)は、人事院勧告を労働基本権制約の主な代償措置と位置づける見解を採用している、これは「人勧代償措置論」とも呼ばれ、公務員の労働基本権制約の正当化や、給与勧告の完全実施要求の根拠として援用されることもある。」

【国家公務員給与の1割下げは憲法違反の可能性大】

 私は国家公務員給与の1割下げは憲法違反の可能性が大きいと思います。国会議員の歳費を削減するのは自由ですが、給与を唯一の生活の糧としている公務員給与を国会決議で一方的にしかも1割下げるなんてとんでもないことです。労働基本権が保障されている民間企業でも給与の一方的な切り下げは違法とされることが少なくありません。労働基本権の保障がされていない国家公務員の労使協議はセレモニーのようなもので、憲法違反の可能性が大きく、国家公務員は断固闘うべきです。私はこれまで菅内閣を好意的に見てきましたが、ここまで人権感覚が欠如しているとは思いませんでした。憤りすら感じます。これに連合もやむを得ないとして労使協議に参加するのでしょうか。これでは戦時中の大政翼賛会と変わりがありません。連合には日教組や自治労のような公務員の労働組合があります。この二つの組合はそれなりの理念をもった労働組合でした。しっかりと闘わないと組織自体がもたなくなるでしょう。連合はナショナルセンターとしての大きな曲がり角に立っていると思います。

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