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2009年10月 4日 (日)

辻井喬・金子勝 自己愛に沈む日本社会

【未完の近代と自己愛に沈む日本社会 大転換期をどう乗り切るのか】
                                         (「世界」2009年10月号 より)

<辻井 喬>

 つじい・たかし 1927年東京都生まれ。詩人・作家、元セゾングループ代表。経営者・堤清二としての活躍が知られる一方、精力的な創作活動で多彩な作品を生み出す。著作に詩集『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青 わが黙示』(高見順賞)、『鷺がいて』(読売文学賞詩歌俳句賞)、小説『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の峠』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)など多数。『自伝詩のためのエスキース』にて第27回現代詩人賞を受賞。近著に『叙情と闘争』。

<金子 勝>

 かねこ・まさる 1952年生まれ。経済・財政学者。慶応義塾大学経済学部教授。著書に『世界金融危機』、『脱「世界不況」』、『反ブッシュイズム1~3』、『閉塞経済』、『地域切り捨て』、『環境エネルギー革命』、『戦後の終わり』、『粉飾国家』など多数。

【私のコメント】Up63

 辻井喬氏と金子勝氏はその立ち位置が全く異なりますが、両氏は異なった角度から鋭く日本社会を分析しています。両氏の対談はユニークな企画であり長文になりますが、その一部を以下に紹介させていただきます。

【記号消費から実需消費へ】

 辻井  まず日本のことをお話すれば、ちょうど1年ぐらい前から、驚くような変化が消費に出てきています。その最も象徴的な事例は、「クルマ社会」が、突然消えたことです。みんな車は持っていて、手放しはしないのですが、使う時間がものすごく減った。ですから、不動産価格の安いところ広い土地を買って、お客さんはみんな車を持っているから商圏も大きく、広い駐車場をつくって集客する、という「路線商売」が軒並み打撃を受けています。どの業種がというのではなしに、レストラン、スーパー、GMSと呼ばれる総合スーパーも一斉に下がり始めた。その下がり方が、都心部や市街地中心部よりは、あきらかに数%大きい、どうしても車を使っていかなければ手に入らないもの以外は、できるだけ近くで間に合わせているわけです。数字を見ると、都市の中心部、そしてごく隣接したところにあるコンビニだけが少し増えている。少し不便なところのコンビニは減っています。また、レストランサービスは間違いなく、それよりも少し強めに減っている。ということは、家庭で料理をして食べる、あるいは、コンビニで買ったもので間に合わせるという生活意識がまたたく間に全国を支配するようになったのです。
  (中略)
 消費は少しも増えていません。衣料品などは、百貨店がことにひどいのですが、ピーク時に比べて20%近く衣料の売り上げが減っています。絶対的にファッション性を追求して、もう去年の洋服は今年は着ていけないわというメンタリティはなくなりました。まあまあカッコウがつけば去年のものでも着てしまう。車の場合も、あの車に乗らなければ彼女の気持ちを引くことはできないという価値観はなくなってしまった。とにかく、輸送手段としてあればいい。それならばできるだけ燃費のいいものがいいということです。

【自己愛的メンタリティと不況の融合】

 金子  これは深刻な不況がもたらしている不況減少なのか、それとも、社会や消費のスタイル、価値観にまで及ぶ転換点なのか。どう見るかが大きな違いになると思います。
 「不況」でかなり説明できる部分もあります。しかし、家族構成の変化や、少子高齢化、正社員その他が過重労働を強いられているといった、ライフスタイルが「成熟」したからではない、負の変化がある。子どもをたくさん持って、郊外の広いところでのびのびと、そして車を使って移動するというライフスタイルを選ばず、鉄道の駅近辺の直結型マンションが売れている。みんな疲れているから電車を降りたらすぐ帰りたいのです。単身世帯、夫婦だけ、あるいは子どもがいても一人、という形態の家族構成になるとマンションがいい。かつてサンデードライバーという言葉がありましたが、いまは疲れた単身者やお父さんは寝ているのです。
 バブルの頃はみんな着飾っていましたが、いまはユニクロにたくさんの色があるお陰で、さしてファッション性がなくても着ていることが恥ずかしくなくなっている。
 そうしたいくつかの徴候の中に、私は最近の若い人の猛烈な自己愛を感じるのです。イデオロギーの時代には、社会をどうするかということが心のなかを占めていた。次に、オウムで宗教の時代が終わった。そうなると、残っているのは男女の恋愛と自己愛だけのような人間が多くなった。
 若い人たちの消費の変化でいうと、バブル崩壊の後遺症が長く続いて、雇用が不安定な状況に置かれているせいもあると思うのですが、最近草食系男子が増えたといわれますね。主張を交換するとか、積極的に伝えるというコミュニケーション能力は著しく低下しているにもかかわらず、他者を傷つけないコミュニケーション能力は異常に発達しているのです。それは自己愛の裏返しです。自分を傷つけることに対する恐怖と相手を傷つけることに対する恐怖が常に支配的で、嫌われないことがいちばん大事。そういう行動をとる人たちにとって、車を持って見せびらかすということは意味がない。

 金子  派遣労働とはつまり部品労働化です。男子も派遣化が一般化し就職が非常に厳しくなってくると、男は正社員になったことでホッとし、一生懸命そこからずり落ちないようにと考える。依然として男社会の残像が残っていて、女に食わしてもらえばいいとは思わない。そうすると、仕事そのものよりも生き残ることに最大の価値があるから守勢です。面接をしても、仕事について語ろうかという気概はない。
 一方でひたすら婚活して結婚に逃げたいと思っているけれど逃げ切れない、きわめて保守的な女性の層も生まれている。

【若者が根源的に活力を奪われた社会】

 金子  根源的に若い人の活力が生まれてこない、新陳代謝のない社会になっているのではないでしょうか。
  
 雇用を不安定にして若い人を未来が考えられない状態におくというのは、最大の愚民政策ではないでしょうか。バブル処理に失敗して構造改革をやってきた失敗組が政・官・財のトップを占めてきた。この支配が永続する近道は若い人の政治的な参加の動機が形成されないようにすることです。
 グローバリゼーション下で愚民政策をやれば、当然国力はヤセ細ります。それがこの10年間ですよ。だけど反省はない。いまもこんな状況で、景気底入れなどとバカな発表をくり返す。楽観論があってもいいが、根拠のない楽観論は危険です。それは、失敗を反省しなくていい、今のままでいい、というメッセージを送ることになるからです。

【中間組織化する国民国家 食い尽くされた戦後体制】

--いまの社会状況は不況だけで説明がつかないというお話でしたが、ヨーロッパも70~80年代の景気低迷があって、成長神話からの脱却が思想的にも語られてきた。日本は、曲がりなりにも豊かさを実現した後、長い不況、そしていまの危機を迎えたわけですが、なぜ成熟社会は生まれなかったのでしょうか。
 辻井  まさにそこのところが解明できたらいろいろな問題が見えてくると思うのです。ジャック・アタリの『21世紀の歴史』を読むと、こう威勢よく言えたら羨ましいわいと思う(笑)。主張はかなり目茶苦茶で、当たるも八卦・当たらずも八卦みたいで論理的でもないしがっかりしましたが、これだけアイデアを乱発してストーリーを語ろうとする。
 日本にはこういう言説はないですね。そういうのが影響力を持っている社会というのは、やはり羨ましい。
 それは日本全体が改革に失敗したからです。第二次大戦後、社会の本質的な枠はそのままにしておいて民主主義のカタチだけを作った。そうしておいて、政治、外交については日本はまさにアメリカの従順な僕となって、これなら安心だと、昔の日本のままアメリカに仕えればいいというかたちでの再建をやった。何が一番成功したかというと、高度経済成長政策です。安保改定でも存続でも棚に上げておいて、とにかく所得を倍増しよう、幸せになれるよと、みごとにそれで吸い取られましたね。
 そのときに革新側は、騙されるな、あれは独占資本の策略だ、とだけしかいわないのだから、やはり大衆は取られてしまいます。だから、1963、4年頃から、革新の力が軒並み崩れて、社会のなかでも、前近代的要素はむしろ充溢して、除去されていない。それで経済だけが豊かになったのですから、いまのような状況で、不況や閉塞を乗り越えるための熱烈な議論を言ってもダメだよとなってしまう。
 いろいろな社会の枠組み、例えば企業別組合や年金も直さなければいけなかった。
 金子  欧米に集団を横断的に貫くようなしくみができているのに対して、みんなが、小集団のなかに閉じ込められて、そこで忠誠を誓わないと安寧な生活が保たれない仕組み、そういう前近代性を残したことに目がいかなかった。天皇制もみんながいろいろ批判をしていたが、内なる前近代に気がつかなかったのだと思うのです。それは精神ではなくてシステムです。まだ、みんなが意識としての戦後民主主義を共有できる間はそういう制度的な壁に気づかなかった。

【温存された前近代的システムの恐ろしさ】

 金子  その前近代的しくみがいかに恐ろしいかには気がつかなかった。80年ぐらいからだと思うのですが、もう行き詰まっているのにそれを変えられなくなったのです。
  (中略)
 そういう社会が一方ではグローバル化した世界と向き合わなくてならない。そうすると、全部こわしちゃえというときに市場原理が一番いい。新自由主義が前近代を壊してくれる非常にいいものに見えたりするというのが、小泉改革で頂点に達した。バブル崩壊のあとも経営でさまざまな議論がされました。株主資本主義、外部監査役、コンプライアンス、次々とやった。われわれは実は経営の責任もとれないし、経営として意思決定を変えていかなければいけないはずだったのが、気がついてみたら何もチェックするものが働かない。それでいろいろアメリカの制度をまねして入れるけれども、うまくいかなかった。

【制度から「アジア的近代」を考える】

 辻井  私はなんとかして希望を見つけたい。どこか突破口にならないかと考えないわけにいかないのですが、これは、始終発言をして雰囲気を変えていく以外に方法が見つからない。いま中心的な思想がなくなってしまって、個別の主張だけが一人歩きする状況をなんとかしないといけない。
 金子  辻井さんは未完の近代と闘ってきたと思うのです。妙な自己愛がつくり出されるメカニズムを考えてみると、未完の近代と、個に徹底的に解体していく再帰的近代とが妙に重なり合ったところに生まれてきているように感じます。しかも、その中で社会全体が沈んでいくような感覚です。
 辻井  近代について西洋的なモノサシをいくら重ね合わせても絵が見えてこない。 アジア的な近代というものを考えださないと突破できないのではないかと、この頃非常に強く感じているのです。柳田邦男の言うような、日本の変革はジリジリダラダラと気づかないうちに進んでいる。日本の近代は若衆塾などに見るように江戸時代以前からあったというのはおかしいと思いますが、歴史的段階論もどうも日本にはあてはまらない。日本における近代とは何か、これは中国でもベトナムでも通じる問題設定です。ウィットフォーゲルなどを読み直してみる時期かもしれません。
 金子  アジアというときに、日本や中国という極東は、対称化しやすい。もう一つ重要な視点は、トルコやバルカン半島、旧共産圏のハンガリー、ルーマニア、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシという絶えず東洋と西洋の価値観がせめぎ合う場所がどうなっているかだと思います。いまEUが救いきれなくなっている状況で、IMFの問題になって、中国は、金を出すから発言権よこせというが、IMFのルール自体をアジア的なルールに変えようとはしない。人事ポストのパワーゲームだけです。本当の文化的なグローバリゼーションの問い直しが、具体的な地域で価値の衝突を通じて、どうあらわれるのかというのがまだよく見えてきません。

【理念ある政治が説得力を持つ】

 辻井  私は、それにしても政権を変えることはできた、われわれの一票で政権交代ができたことは大きいと思う。ああそうか、俺たちが本当は主人公だったんだ、という意識として定着できるか、変えてみたけれど、ほとんど同じだと落胆してもう政治に関心を持つのはやめようということになるか。だから、総選挙に勝ったあとの一年二年は非常に大事なのです。
    (中略)
 私は、今度の選挙は、自民幕府の崩壊を導くという意味はあったと思います。それが大連立みたいな大政翼賛会的発想で、自民幕府よりもっと自民的な幕府ができたら元も子もない。この三、四年がものすごく政治的な緊張を要する時代でしょう、でも、その間でも、長期的な日本の改造計画は進めてもらいたいですね。
 金子  2010年の参議院選挙が実は本番です。
 辻井  小分派が乱立して、わけのわからないものになる。ここ数年が、日本が今後どういう社会を選ぶかという非常に大きな分岐点になります。今度の政権交代は、志士のいない明治維新だと思う。志士がどこにも見当たらない。
 金子  ここにいるじゃないですか(笑)。
         (編集部・岡本厚、中本直子)

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