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2009年9月 1日 (火)

北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作

【著者 北村薫氏 略歴】

 1949年埼玉県生まれ、早稲田大学第一文学部卒業。
大学在学中はミステリ・クラブに所属。
高校で教鞭を執りながら、
84年、創元推理文庫版「日本探偵小説全集」を編集部と共同編集。
89年、「空飛ぶ馬」でデビュー。
91年、「夜の蝉」で日本推理作家協会賞受賞。
著書に、「秋の花」「六の宮の姫君」「朝霧」「冬のオペラ」「水に眠る」「スキップ」「ターン」「リセット」「街の灯」「ひとがた流し」「玻璃の天」などがある。
また、アンソロジーのシリーズ「謎のギャラリー」などにも腕をふるう≪本の達人≫である。
「鷺と雪」(さぎとゆき)が第141回直木賞受賞。

【「鷺と雪」より】

「今度、兄にね―― 」
と、ベッキーさんの背中にいった。始業式の日である。
「はい」
ベッキーさんは、フォードのハンドルを握りながら答える。
「映画に連れて行ってもらうの」
「それはよろしゅうございますね」
「今日、封切の日比谷映画」
いつも行く帝劇などとは違う。しかし、観たい新作がかかるのだ。
「はあ」
わたしは、わざと身を乗り出し、声をひそめて、
「それがね、ヒロインは≪多情、奔放の淫婦≫なのよ」
 ただでさえ、一人などでは行けないのに、これだから、余計、兄に連れて行ってもらう必要がある。驚くかと思ったベッキーさんは、しかし、あっさり答える。
「『虚栄の市』でございましょう?」
「何だ、知ってるの」
つまらなそうにいうと、ベッキーさんは笑い、
「新聞を読んでいるのは、お嬢様だけではございません」
映画評や広告も華やかだから、眼にはつくだろう。何しろ、≪初めから終わりまで総天然色≫≪映画史上に革命を巻き起こした≫というのが謳い文句だ。部分的に色が着くものは今までにもあったが、今度の作品の完成は、まさにひとつの事件だろう。
 物見高い―― といわれてしまえばそれまでだが、果たしてどんな具合になっているのか観てみたかった。
             〔略〕
 一月中も粉雪が舞うことはあった。二月に入ると舞うどころではなく、交通が途絶し学校が臨時休校になるほどの大雪が降った。
 日比谷公園の名物、鶴の噴水も凍ってしまい、お堀も厚い氷に覆われた。鴨の群れも寒そうに、石垣の下に固まっている。
 下旬になると、さらに白いものの降る日が続いた。
 雪を見ると、偶然の出会いをした陸軍の将校さん―― 若月英明さんのことを思い出す。若月さんからは、軍人さんにふさわしくないもの―― 詩集をいただいたことがある。山村暮鳥の『聖三稜玻璃』。美しい本だ。
             〔略〕
 寒気にやられたせいか、わたしはすっかり風邪をこじらせてしまった。
             〔略〕
 そろそろ、温かい格好をして本でも読んでみようかと思っていると小包が届いた。わたし宛である。
 誰から来たものかと、書かれた律儀な文字を見た時、はっとした。
 ―― 若月さんだ。
「お解きいたしましょうか」
と、お芳さんがいった。
「自分で開けるわ。鋏だけ持って来て」
 本だということは手触りで分かった。厳重な梱包を開くと、案の定、詩集だった。
 薄田泣董『白羊宮』、三木露風『廃園』、北原白秋『邪宗門』の三冊だ。
 そっけないほど簡単な手紙がついていた。―― 手元に残していた三冊だが、処分することになった。売ったり、読まぬ人に譲ったりするのも、本に可哀想な気がするので貴女に送る。突然のことで、大変失礼なのは分かっているが、受け取ってもらえたら嬉しい。
 こういう意味のことが書かれていた。
 ベッドの檻に閉じ込められ、何か読みたいと思っていたところに届いたので、やさしく手を差し伸べられたように嬉しかった。身内が熱くなり、下がりかけた熱がまた上がるようだ。
 おかげで、午後は退屈とは無縁に過ごすことが出来た。若月さんは、同じ将校でも陸軍大学校を出たような選ばれた人とは違う―― といっていた。乏しいお金の中から、やりくり算段をして集めた本の一部かもしれない。そう思いながら、それぞれの表紙を撫で、気がつくと気持ちよく眠りに落ちていた。
             〔略〕
 夢かうつつかという中で、あれこれ考えてしまった。
 軍人さんが―― 若月少尉が、身の回りのものを処分しようというのは、所属する隊が移動するのかも知れない。いや、しばらく東京暮らしが続いていたのなら、それはごく自然なことだ。
 今までも格別、近しかったわけではない。だが、半ば眠りの中にある時、心は思いがけないほど不安定になるものだ。若月さんが、兄のように身近な人に思え、その人が去ることが哀しくてならなかった。
 そこからは、完全に夢の世界に入っていた。雪が降り続けている。白い世界の中に、梅若万三郎の舞う鷺の姿が浮かんだ。舞台の上のシテは、いつもはかぶらない面をつけている。ふと見ると、舞台の床は消え、万三郎は宙にいる。夢の中のわたしには、それが不思議ではない。不思議なのは別のことだ。

 無邪気に空を走って駆け寄ると、白い人に向かっていう。
 ―― どうして、そんなものをかぶっていらっしゃるの?
 舞う人は、動きを止めぬまま面をはずす。
 ―― ああ、やはり・・・・。
 わけがわかって、わたしはにっこりする。その人は―― 若月さんだった。見てしまえば、納得し、その筈だと思った。
 ―― 分かっていたのです。
 わたしは、誇らしげに囁いて擦り寄り、若月さんの動きに合わせて袖を上げる。いつの間にか白い装束になっていた。二人は、共に舞った。どこまでも降り続く雪が、わたし達を覆った。限りなく静かだった。
 あまりの静寂に気が付くと、わたしは一人ぼっちだった。雪は、―― どこまでも続く鷺の羽になっていた。
 そこで、眼が覚めた。わたしは涙さえ流していた。おかしなことだと思った。
 外の天気は相変わらずだが、暗いなりに朝にはなっている。現実の世界に戻れば、それなりに現実的なことを考える。
 ―― これだけ頂き物をしたんだもの、お返しをさしあげても変ではないわ。
 どこに行っても身に付けられて、実用的なもの―― というと真っ先に腕時計が浮かんだ。若い男の人に差し上げるのには、どのくらいのどんなものがいいか。これは羞ずかしくて兄にも聞けない。
 ―― 服部時計店に電話すればいい。
             〔略〕
 下から責めてくる冷気のせいもあって、余計、指先が慄える。ダイヤルを回して、黒い受話器をしっかりと耳に当てた。ツーツー、カチャッと繋がる音がした。電話に出たのは若い男の人だった。
「はいっ」
「朝早くから失礼いたします。服部時計店さんでしょうか」
だが相手の反応は意外なものだった。
「いえ、こちらは・・・」
 いいかけて相手は絶句した。わたしも電気に触れたような何かを感じた。だが、そんなことはあり得ない。あり得ない。
 ややあって、声はいった。
「まさか・・・・、花村英子さんでは・・・・」
 なぜ分かるのだ。数年の間、二度会っただけのわたしの声が、しかもこの雪の日の電話を通して。
 ―― あなたはどなたですか?
 と、わたしは聞き返さなかった。
 風雨や豪雪の日、受話器を通した声は聞き取りにくくなる。電話線が影響を受けるからだ。声の色は定かではない。だが、それでも物言いの抑揚に、今、思っている人の姿が重なった。
「若月さん・・・・」
 どういう奇跡なのだろう。なぜ、そこにあの人がいるのか。店員ではなく、なぜあの人が受話器を取るのか。
「やはり・・・・」
 そこで声が雑音に紛れ、聞き取りにくくなった。引いた波が寄せるように、音がまた安定してきた。
「どうして、服部にいらっしゃるのですか?」
 若月さんは答えた。
「ここは服部時計店ではありません」
「え・・・?」
「・・・・こんなこともあるのですね。この世では何でも起こるものだ」
「・・・・はい?」
 一語一語、大切なものを運ぶように、確かにゆっくりと、若月さんはいった。
「あなたの声が聞けてよかった。・・・・長電話は出来ません。これで切ります。武運長久を祈って下さい」
 そこで電話が切れた。熱がわっと上がるような気がして、めまいがした。
 ―― 夢?・・・・まだ夢を見ているのだろうか。
 しばらくして、試してみるべきことに気が付いた。寒気に負けまいと、毛布をぐっと巻きなおす。そして改めて、間違いのないよう、一つ一つ確かめながらダイヤルを回した。
 今度出たのは、実直そうな中年男性の声だった。
「―― はい、服部時計店でございます」
 聞かぬ先にそういった。わたしは、息をつき、後は一気に聞いた。
「つかぬことを、おうかがいいたします。そちら様と勘違いして電話するような、―― そして軍人さんのいらっしゃるところはどこでしょうか?」
 実におかしな問いだ。分かりにくいだろう。しかし、様々な応対に慣れた声が、親切に答えてくれた。
「間違い電話でございますね」
「はい。今、そちらのつもりで掛けましたら、別なところに繋がったのです。知った方が、お出になったのですが、途中で切れてしまいました」
「さようでございますか。それは、お困りですね。番号が似ていると、よくいわれますのは、―― 首相官邸でございます」
             〔略〕
 ―― 若月さん。あなたはどうして、そこにいらっしゃるの?
 武運長久を祈って下さいという言葉が耳に響いた。
「お嬢様っ!」
 外から声が掛った。お芳さんだった。わたしは、ふっと力が抜けそうになった。
「何をしていらっしゃるのです。こんな日にっ!」
 電話室の戸が開けられた。支えられるようにして、廊下に出た。
 窓の桟の上は勿論、垂直の硝子の面さえ粉砂糖を吹き付けられたように白く飾られていた。見通せる透明なところから、大渦のように旋回しながら宙を流れて行く雪が見えた。
 ―― いつか、遠い昔にこういう眺めを見た。
 そう思った。それは不可解な、幻の記憶なのだろう。
 だがこれから自分は、この冷え冷えとした白い窓を、いつまでも生きた思い出として抱いて行くのだろうと予感した。
 その年、昭和十一年。―― 二月二十六日のことだった。

【選評】

<阿刀田高>

 受賞作「鷺と雪」は私にとって評価のむつかしい作品であった。この作品を支えるアイデアは、私自身が自分の小説に託している思案と似ているところもあるのだが、微妙に違う。それが悩ましい。「鷺と雪」は現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない。
「エンターテインメントは読者をエンターテインすることができれば、それで充分でしょう」
 と、この考えに私は大手を振って賛成するけれど、遠い時代のハイソサイアティの女学生を中心とするストーリーは大人の読者をほどよく楽しませてくれるだろうか。ミステリーとしても弱いように思われてならない。
 この作者の文学に対する見識や業績を勘案すれば、評価のできないまま“よい作品のはず”という分別も浮かんでくるのだが、それはかえって礼を失することになるだろう。私としては、
「多分、文学観のちがいでしょう。おおかたの意見に従います」
 そのうえで「おめでとうございます」と述べたい。

<渡辺淳一>

 今回の候補作については、いずれも失望した。
 むろん、それなりにいろいろ工夫され、アイデアを絞り、巧みにつくろうと努力していることはわかるが、いずれも頭書きというか、頭で書きすぎである。
 はっきりいって、小説は頭で書くものではない。それより体というか、実感で書くもので、実際、だからこそ、その小説独自のリアリティーが生まれてくる。
 小説の読みどころは、まさしくここにあるのだが、今回の候補作には、この、作家の内から滲むリアリティーが欠けている。
 当選作についても、舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない。
 直木賞の選考会は年に二回あり、ときに二作受賞もあるが、現在の選考基準は甘すぎる、というのが、わたしの実感である。

<五木寛之>

 紆余曲折のすえ、受賞作は北村薫さんの「鷺と雪」にきまった。これまでの安定した実績を踏まえて積極的に推す声もあり、また全面的に否定する声もあったが、受賞作にはそれなりの理由がある、というのが一貫した私の実感である。すんなりと圧倒的な支持で受賞しなかった、ということも、その作家の才能の一つなのだ。北村薫という書き手の存在感が、選考会を圧倒したともいえる、今回の直木賞だった。

<宮城谷昌光>

 北村薫氏の「鷺と雪」は、以前、候補作品となった「玻璃の天」の続編というべき作品である。前回も今回も、氏の作品について一言でいえば、優雅なミステリーである。優雅さとはかけはなれたミステリーが氾濫する現状において、氏の作品は独特な風合いをもっている。そのことは否めないが、問題は、その優雅さの対称となる醜悪さが淡白すぎて、その時代がもっているぬきさしならない悪の形がみえてこない。それゆえに作品の特性である優雅さが弱く、小説の構造も凡庸なものと映ってしまう。氏の小説観がどのようなものであるのかは、うかがい知ることはできないが、喜怒哀楽がはっきりとみえる形がのぞましい。端的に言えば、明暗を截然と書きわけるのが基本である。が、氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる。小説内の知識と認識における度合もぬるい。この程度では、読者はおどろかないし、喜びもしない。こうなると氏のサービス精神を問わねばならなくなってしまうが、答えを得られない問いを発しても無益であるので、やめておく。なにはともあれ、氏に再考してもらいたいことはすくなくないが、
 「後楽」
 の思想だけは小説家として肝に銘じて書きつづけてもらいたい。

【内容のない安直なミステリー】

 上記選者の「現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない」(阿刀田高)、「舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない」(渡辺淳一)、「氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる」(宮城谷昌光)、という意見に同感である。
 作品は、昭和初期の裕福な華族の娘である私花村英子と英子専用のフォードの女性運転手ベッキーこと別宮みつ子との会話を中心に展開されるベッキーさんシリーズの完結編である。松本清張は「昭和史発掘」の中で軍事裁判の記録などをもとに2.26事件を詳細にとりあげている。その中に首相官邸に侵入した陸軍皇道派の行動の記述の中に次のような記述がある。

 官邸の電話は一本だけ残して、みんな切った。
 「その残した電話が銀座の服部時計店の番号と似ていたらしく、ハットリですか、という間違いの電話がずいぶんかかってきた」(石川元上等兵談)
  〔松本清張「昭和史発掘」文春文庫7巻46頁〕

 北村薫氏は「オール讀物」2009年9月号誌上における岸本葉子氏との対談で、「最期の場面は、シリーズの書きはじめから、ずっと頭にありました。松本清張さんの『昭和史発掘』の中に二・二六事件の時に首相官邸にかかってきた、ある電話のことが一行だけ書かれているんです。そこからこの物語の構想が浮かびました。つくりごとでは、やっぱり面白くないでしょう。」と述べている。
 作品では能の上演の場面も多く登場し、主人公の夢の中でも主人公と青年将校若月英明が能を舞う描写があるが、作者は対談で次のように語っている。「実際に能のビデオを大学の図書館まで観に行きました。同行した編集者は『鷺』の映像を観て、頭上に鷺の作り物をつけている姿が滑稽だと、大笑いをしてたんですけどね(笑)。」と述べているが、作者の作風には、まず頭で作りあげたストーリーがあり、そのストーリーにそって手っとり早く題材を拾い集めるという安直さを感じる。

【「文学界も顔が幅をきかす世界?」】

 私は2008年2月25日のブログ「川上未映子と芥川賞受賞作『乳と卵』」で、「文学界の登竜門の公正さ、透明さ」と題して、 「 私は芥川賞にしろ、直木賞にしろ最近の小説はほとんど読んでいませんが、今回『乳と卵』を読んでみて、また川上氏の人となりを知って、文学界における選抜制度は結構公正で透明なのかなと思いました。歌舞伎の世襲制、お茶や踊りの家元制と比べると文学の世界では力さえあれば一気にトップに立つことができるのかなと思いました。勿論どの世界でも現実にはいろいろゴタゴタはあるのでしょうが。」 と書いた。
 私は今回の北村薫氏の受賞については、川上氏の受賞の場合とは逆に、文学界もその世界での顔やキャリアが幅をきかす世界なのだと思った。作品そのものが優れているというよりも文学界に長年かかわってきた北村薫氏にそろそろ受賞させてもいいんではないかという気づかいが選者の多数派を占めたと思われる。
 芥川賞も直木賞も1935年に菊池寛が創設したもので、菊池は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている(wikipedia「芥川龍之介賞」)。 その意味では芥川賞や直木賞に多くの期待を寄せる方がまちがいだということになるかもしれない。しかし、最近では文藝春秋社にかぎらず芥川賞・直木賞については広くマスコミが取りあげるようになっており、菊池寛の思いを越え一種の公的な色彩を帯びたものになってきている。選者は妥協せずに衿を正して選考にのぞんでもらいたい。

             Sagitoyuki_book  

 

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「鷺と雪」(北村薫) 文藝春秋「オール読物」掲載 齢60のミステリー作家北村薫の直木賞受賞作である。 解説などによれば、これは作者の2003年開始のベッキーさん三部作の最終編であるとのこと。 また、作者は当初から、昭和11年の二・二六事件を結末とする予定だったとのこと。 知らない。 そんな決まりごと知らない。 文学賞受賞作というものに、そんな、作者の決めごと なんか 関係あるのか? ただ、単独にその作品を読んで、評価するべきではないでしょうか。 主な登場人物は、... [続きを読む]

受信: 2009年9月21日 (月) 00時13分

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