« 退職勧奨・退職強要の横行と弁護士交渉 | トップページ | 北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作 »

2009年8月23日 (日)

「終の住処」 商社マン作家 芥川賞受賞作

【作者 磯崎憲一郎氏略歴】

 1965年千葉県我孫子市に生まれる。88年早稲田大学商学部卒業。同年三井物産株式会社に入社。現在同社人事部総務部次長。2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。「終の住処(ついのすみか)」第141回芥川賞受賞。

【小説の書き出し】

 彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった。

【小説の終りの箇所】

 正式な買収が完了したのち、ようやく彼は日本に帰ってきた。渡米するまえ最後に見たときには彼の胸のあたりの高さだった玄関脇の金木犀は、見上げるほどに育っていたが、それ以外はとくに変わったところはないようだった。晴れた春の日の朝だった。家のなかも、壁や床板や家具も、まだ新築のままのように丁寧に手入れされていた。だが、あきらかに何かが足りなかった。─ 娘がいなかった。彼は妻に尋ねた。「去年からアメリカへ行ってるのよ」彼は愕然とした。何ということだろう!自分が昨日までいたのと同じ国に、じつは俺の娘も住んでいたというのか!留学だろうか、長期の旅行か、まさか結婚じゃないだろうな?それにしたって、実の父親に黙ったままで、子供が外国へ移り住んでしまうなどということが起こりうるものだろうか?いったい何が隠されているのか。「もうずっといないわよ」どうしたことか、妻の態度はまるで平然としていて、娘などそもそも最初からこの家にはいなかったといわんばかりなのだ。驚きのあまり次の質問が継げずにいる彼は、まず自分の頭をしっかりと固定し、朝日がまだら模様を描く居間の床板を一歩ずつ踏みしめながら前に出て、妻の両肩を思い切り強く掴んだ、そしてその顔を正面から見つめた。妻は臆することなく彼の目を見返していた。すると、もう二十年以上前にこの女と結婚することを決めたときに見た、疲れたような、あきらめたような表情がありありとよみがえってきた、不思議なことに彼も妻も、ふたつの顔はむかしと何ら変わっておらず、そのうえ鏡に映したように似ているのだった。その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。

【主人公と家族】

 この小説では主人公の「彼」の30才過ぎから、50数才までのことが書かれている。新婚の時から彼と妻の乾いた関係が始まり、その後ある日突然妻が彼に口をきかなくなり、会話が完全に途絶した空白の11年間が続く。彼は家で食事をせず、朝は妻と娘が起きる前に家を出て駅の売店でパンと飲み物を買う。帰宅は妻や娘が寝静まった深夜である。それでも彼にとっての唯一の救いは一人娘であった。幼稚園にあがる前から妻との仲介役をやり遂げてくれた。11年の間に彼は8人の女と付き合った。
 11年経ったある日突然彼の心の中のひとつの時代が終わり、家を建てる決意をし、妻との会話も自然と復活する。

【主人公と作者】

 主人公は製薬会社の社員であり、作者は三井物産の恵まれた社員である。作者は妻とは28歳で結婚し、年収も「彼」よりずっと高い。作者の会社における役職も44才という年令からすると相応の地位にあり、また作家活動についても、作者が尊敬する同社会長以下社を挙げて祝福してくれている。作者は子供をこよなく愛し、もし子供が病気になったら、臓器でも何でも移植するし自分の一生が終わっても悔いはないと思っている。妻と11年間会話が途絶えたのは友人から聞いた話であり作者自身ではない。このように作者は大手商社のエリートサラリーマンであり、家族にも、経済的にも恵まれている。作者の現実の生活と主人公の屈折した生活歴との間には大きな違いがある。そのためか、主人公と妻との乾いた関係についての作者の描写が唐突であり、現実味・人間味を感じられない。登場人物はほとんどがひとではなくモノと化している。黒いストッキングを穿いた女も、サングラスを掛けた女も一時的にかかわった一個のモノであり、どちらかというと彼の人生の妨害物との位置づけである。女への息づかいが伝わってこない。

【人生55年?】

 作品は時間と過去にテーマを求めているとされているが、作品から伝わる作者の時間軸は“人生55年”である。これは小説が「その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。」というところで終わるところにもあらわれている。大手商社マンとしての旬の時期は短く早いという作者の人生観を反映しているのであろうか。社長という頂点にたどりつける幸運な男は6~8年に1人であり、その棲み分けは40代でほぼ決まると言われている。
 受賞者インタビューで「自分でも不思議なほど達成感や高揚感がないんです。44才という年令も大きいのでしょう。二十二、三なら世界が変わったかもしれませんが」と述べている。松本清張が第28回芥川賞を受賞したのは43才の時であり、これから比べても作者の作家生活は今からである。作品からも作者の会見からも作者の年令に比し老成すぎる。会見では商社マンとしての防衛反応としての自己顕示抑制が働いたのであろうか。作者は自己に似て非なるものを主人公に演じさせたつもりかも知れないが、意識しようがしまいが、結局主人公は作者の投影像となってしまった。商社マンとしての殻を突き破って成長することを期待したい。

【選評】

 肯定的な選者も少なくなかったが次の二氏は厳しい。

<石原慎太郎  未知の戦慄を求めてはいるが>

 昔の芥川賞の候補作を眺めると、選にもれた作品であろうとその質の高さが印象づけられる。第一回の受賞者石川達三に破れた太宰治のそれとか。
 あるいはかなりの作品で受賞してもその後作者個人の人生の理由で、例えば零細企業の経営者としての腐心などでそのまま消えてしまった作者たちとか。
 彼等にとって小説を書くという作業はそれぞれの人生にとって、ある不可欠な動機に裏打ちされていた証左といえるだろう。その意味でかつての頃の作家なるものは、文学の世界もいかにも狭く、それ故にも厳しく選ばれた、というよりも自らを物書きとして選んだ人間たちだったに違いない。ということで、この今を眺めなおすと、文学賞もやたらに増えはしたが、新人作家なるものがどれほど、狂おしいほどの衝動で小説という自己表現に赴いているかはかなり怪しい気がする。
 それは、作家の登竜門ともいわれている芥川賞の候補作品なるものが、年ごとに駄作の羅列に終わっているのを見てもいえそうだ。彼等は彼等なりに、こちらは命がけで書いているのだというかも知れないが、作品が自らの人生に裏打ちされて絞りだされた言葉たちという気は一向にしない。
    (中略)
 受賞作となった磯崎憲一郎氏の『終の住処』は結婚という人間の人生のある意味での虚構の空しさとアンニュイを描いているのだろうが、的が定まらぬ印象を否めない。これもまた題名がいかにも安易だ。
 選者に未知の戦慄を与えてくれるような作品が現れないものか。

<村上龍>

 受賞作となった『終の住処』には感情移入できなかった。現代を知的に象徴しているかのように見えるが、作者の意図や計算が透けて見えて、わたしはいくつかの死語となった言葉を連想しただけだった。ペダンチック、ハイブロウといった、今となってはジョークとしか思えない死語である。

             Book_tsuinosumika

|

« 退職勧奨・退職強要の横行と弁護士交渉 | トップページ | 北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「終の住処」 商社マン作家 芥川賞受賞作:

« 退職勧奨・退職強要の横行と弁護士交渉 | トップページ | 北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作 »