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2009年5月12日 (火)

あきらめずに再び総中流社会をめざそう!

【私の主張】Up63

【中進国ではダメなの?】

 日本はGDP(国内総生産)が世界第2位の経済大国です。ですが中国がもうすぐ追い越し、GDPを基準にすれば日本は世界第3位に落ちるのは時間の問題です。2007年の人口でみると中国13.3億人(世界人口の19.9%)、インド11.7億人(同17.5%)、アメリカ合衆国3.1億人(同4.6%)に対し、日本は1.3億人(同1.9%)で人口面から見ても大国ではありません。
 私たち日本人は1945年8月の敗戦で世界一貧乏な国民になったと思っていたのに、1960年代以降世界から経済大国と言われるようになり、私たち自身もそう思うようになりました。しかし、経済大国ニッポンが私たち一人ひとりの日本人にどんな幸せを運んだのでしょうか。明治政府以来欧米に追いつけ追い越せとがむしゃらに走らされてきていざ追いついてみると、今度はマスコミに韓国や中国に追い抜かれると更に尻をたたかれています。でも翻って考えてみて、国民一人ひとりにとって、GDP世界第2位がなんぼのものなのでしょうか。経済大国が国民一人ひとりにとってなんぼのものなのでしょうか。仮にこの日本が経済大国から経済中進国にすべり落ちたとしたら、私たち日本人は不幸な国民になるのでしょうか。

【人を愛する喜びを忘れた日本人】

 たびたび私が述べてきたことですが、日本人は世界で冠たる貧相な表情の国民です。私も同じなので「日本人は・・・」という資格はないのですが、現実問題として町を歩いていても電車に乗っても豊かでほのぼのとした表情をもった日本人に出くわすのはとても困難です。わかりやすい言葉で言えば、はっきり言って日本人はみんな目つきが悪いのです。日本国民の目つきの悪さはおそらく世界のトップクラスです。私はこの目つきの悪さはどこからくるのだろうと時々考えます。経済的に貧ししいから目つきが悪くなったということはありえません。ほとんどの国は経済的に日本より貧しいのですが、他の国の国民の表情は日本人よりくったくがなく、日本人より底抜けに明るいものがあります。
 私は日本人の表情が貧相で暗いのは、人を愛する喜びをすっかり忘れてしまったからだと思います。他者に役立つことを感じたときに人として「ああ、自分は生きているんだ!」と喜びを感じることができます。どんなにお金があっても、どんなに大きな家に住んでいても、どんなにおいしい料理を食べても、それが自分(家族を含めて)のためだけであればそのうちあきてくるものだと思います。
 1945年最貧国から出発した日本国民は物質的豊かさが満たされることを単純に幸福と思ってきました。しかし、豊かさを現実に手に入れてみると更なる豊かさを追い求めてもそれだけではむなしいものがあります。
 今の日本人の多くはそのむなしさの中にあって、自分と自分の家族あるいは自分と恋人との閉ざされた世界だけに閉じこもってしまっていると思います。

【再び総中流社会をめざそう】

 米国発の世界同時不況を理由に大手企業が派遣切り・期間工切りを当然の如く実行し、多くの労働者が住むところもなく寒空に放り出されました。昨年末から日比谷公園に急遽作られた派遣村に助けを求めた労働者たちはその典型です。日本の企業がグローバル競争で勝ち残れば、日本人も幸せになるという大企業や政府やマスコミの言うことがでたらめであったことを事実が証明しています。日本でも富裕層と富裕層でない人々との間の経済的格差は拡大しています。米国社会と同じように日本でも階層分化が急ピッチで進んでいます。しかしこのような階層分化は下位層の人々は勿論のこと上位層の人々にとっても人間本来の幸福をもたらすとは私には思えません。
 日本でも確実に階層分化が進んでいますが、米国やヨーロッパ社会ほどの階層社会の歴史はありません。日本の富裕層は他国と比べると越えがたいほどの絶大な権力をもっているわけではありません。日本は今からでもまにあうと私は思います。
 小泉内閣以降顕著になったお金持ち優遇政策をやめ、中低所得者層が明日の生活を心配しないでよいようなしっかりとしたセーフティーネットを張りめぐらしましょう。そのセーフティーネットのレベルは日本における生活保護レベルではなく、ヨーロッパ諸国や米国国民の中位の国民レベルに置くべきです。それは日本の豊かさからすると容易に実現できるレベルです。若者も老人もシングルマザーの女性も欧米国民の中位のレベルの生活が保障されるならば、一人ひとりがのびのびと生きていくことができ、健康で文化的な生活を享受することができます。自分にゆとりをもつことができれば、他者(社会)に役立つ生き方を追い求めるゆとりも出来てきます。

【再び美しい顔をとり戻そう】

 このように述べると私の言っていることは夢物語のように、あるいは道徳訓話のように思われるかもしれません。私は夢物語を語っているのでもなければ、道徳訓話を述べているつもりもありません。今の日本人の追い求めている(あるいは追い求めさせられている)生き方は明らかにまちがっているということです。私が強調したいのは、私たち日本人は経済大国をめざす必要はないし、日本人一人ひとりが競う必要はないということです。経済的中位の国であったとしても他者のことを思いやるゆとりのある社会の方が私たち一人ひとりにとってははるかに幸せだということです。
 敗戦で最貧国となった戦後の日本人をニュース映像で見た方は多いと思います。食べものにもこと欠いていたのに子どもたちの目はキラキラと輝いていました。お母さんたちは清潔で理知的で、でも他人の子どもたちも慈愛のまなざしで見つめるやさしさがありました。一方男性の多くは自信を失っていました。30年前中国人の水墨画家は日本に来て日本の男性の表情には歴史があり、美しいと言ってくれました。25年前アメリカ人は私に日本人はpolite(礼儀正しい)と言ってくれました。21年前日本に来たスペイン人は日本人はいつもニコニコしていて電車の中では寝ているのを不思議がっていました。8年前に日本を旅行した韓国人が老人に席を譲らない日本人のことを韓国に帰って両親に話したところ、戦前の日本にいた両親からそんなことは日本人に考えられないと言われました。あらためて3人で日本に来て「お前の言うとおりだ」と両親は納得しました。
 これまでも日本人が他者を思いやるゆとりをもてていたとは思いません。その時々にいろんな問題をかかえていました。でも今よりもいい顔をしていたことは確かです。
 私たちは少しでも他者を思いやることのできるゆとりある社会を築き、少しでも美しい顔をとりもどしたいものです。そのためにも、お互いが意味のない競争をしないですむ総中流社会のニッポンを再びめざそうではありませんか。

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