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2008年10月

2008年10月27日 (月)

橋下徹 弁護士・知事としての資質を問う

【タレント弁護士】

 私は、普段はテレビについては衛星第一放送(BS1)をはじめとしてNHK(総合テレビ)、民放のニュースを中心に見ている。テレビ番組「行列のできる法律相談所」も橋下氏が刑事弁護人の懲戒請求を扇動した「たかじんのそこまで言って委員会」も見たことがない。参議院議員となった丸山和也氏も橋下氏も弁護士としては勿論、タレントとしても全く知らなかった。ただ橋下氏の懲戒請求扇動発言については直感的に「えっ?こんなこと扇動して橋下という弁護士が逆に懲戒を受けることにならないか?」という懸念をいだいた。広島地裁が10月2日橋下氏に対し刑事弁護人をつとめた4人の弁護士に1人あたり200万円計800万円の損害賠償を命じる判決を言い渡したことがきっかけで、橋下氏の当時の発言とその後の発言がクローズアップされ、私も多少関心をもつに至った。

Wikipediaより

 てっとり早く橋下氏の人物像を知るためウィキペディアで橋下徹を検索した。弁護士としての生き方においても思想・信条においても私とは全く相いれないことがわかりがっかりした。ブログにとりあげる意味を感じられず意欲が一気にしぼんだ。しかし、広島地裁が刑事弁護人の使命・職責について述べる点は重要な視点であり、とりあげることにした。

【広島地裁判決】

 広島地裁判決は次のように判示し、刑事弁護人の使命・職責を歪曲して無責任な発言をした橋下徹弁護士の責任を厳しい姿勢で明確にした。

<橋下氏の懲戒請求発言の内容>

 広島地裁判決は橋下氏の発言を次のように判示している(広島地裁判決全文 光市事件懲戒請求扇動問題弁護団ホームページより)。

 被告は大阪弁護士会に所属する弁護士であり、いわゆるテレビタレントをも業とする者であるところ、平成19年5月27日讀賣テレビ放送株式会社制作の「たかじんのそこまで言って委員会」と題する番組(以下「本件番組」という)に出演し、共演者らが本件弁護団の活動を批判する中で次のとおり発言した(以下順次「本件発言ア」ないし「本件発言オ」といい、併せて「本件各発言」という)(甲1の①及び②、弁論の全趣旨)。
  ア 「死体をよみがえらすためにその姦淫したとかね、それから赤ちゃん、子どもに対しては、あやすために首にちょうちよ結びをやったということを、堂々と21人のその資格を持った大人が主張すること、これはねぇ、弁護士として許していいのか」(本件刑事事件において本件弁護団がしたという主張の内容を摘示するもの)
  イ 「明らかに今回は、あの21人というか、あの安田っていう弁護士が中心になって、そういう主張を組み立てたとしか考えられない」(上記主張を本件弁護団が創作したという事実を摘示するもの)
  ウ 「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」
  エ 「懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」
  オ 「懲戒請求を1万2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」
  本件番組は、讀賣テレビのほか全国18の地方テレビ局により放送された。

<当裁判所の判断1「橋下発言は刑事弁護人の名誉を棄損する」>

(1)本件発言イについて
  ア 名誉毀損に該当するかどうかについて
    
 原告らを含む本件弁護団が本件被告人の弁解として虚偽の事実を創作して主張したという事実は、原告らがその人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであると判断される。
  イ 違法性阻却事由について
    本件全証拠を検討しても、原告らが本件刑事事件において本件被告人の主張として上記①及び②の主張を創作したことを認めるに足りない。
    
刑事事件において被告人が主張を変更することはしばしばみかけられることであるし、本件でも原告らが選任される前の従前の弁護人の方針により上記主張をしなかったことも十分に考えられるから、原告らが創作したものであるかどうかについては弁護士であれば少なくとも速断を避けるべきことである。
   
  以上によれば、本件発言イは原告らの名誉を毀損し、不法行為に当たるというべきである。
 (2)本件発言ウないしオについて
  
  本件発言ウないしオは原告らを含む本件弁護団に属する弁護士について懲戒請求をすべきことを呼ぴかけるものであり、原告らが懲戒に相当する弁護活動を行っていることをその前提とするものである。
  懲戒に相当する弁護活動を行っていることは原告らが弁護士として社会から受ける客観的評価を低下させるものであることはいうまでもない。
  
  原告らの弁護活動が懲戒に相当するものでなく、摘示された事実の重要部分について真実であることの証明があったとはいえないし、被告においてそのように信じたことについて相当な理由があることを認めることができない。

<当裁判所の判断2「少数派の人権を保護すべき弁護士の使命」「被告の主張は弁護士の使命・職責を正解しない失当なもの」>

弁護士法1条1項に、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とすると規定されていることから明らかなように、弁護士は議会制民主主義の下において、そこに反映されない少数派の基本的人権を保護すべき使命をも有しているのであって、そのような職責を全うすべき弁護士の活動が多数派に属する民衆の意向に沿わない場合がありうる。多数の者が懲戒請求をしたことをもって懲戒相当性を認めるということは、弁護士が上記のような使命・職責を果たすべきこととは相容れない。また、本件が本件刑事事件における原告らの弁護活動に対する批判をめぐる事件であることに鑑み、これを刑事手続における弁護人の役割についてみても、憲法及び刑事訴訟法等の諸規定に照らせば、被告人は有罪判決が確定するまでは無罪の推定を受け、弁護人はそのような被告人の保護者としてその基本的人権の擁護に努めなけれぱならないのであっで、その活動が違法なものではない限り、多数の者から批判されたことのみをもって当該刑事事件における弁護人の活動が制限されたり、あるいは弁護人が懲戒されることなどあってはならないことであるし、ありえないことである。
  したがって、弁護士に対する懲戒事由の存否について多数決で決することは本来許されるぺきことでなく、懲戒請求の多寡が弁護士に対する懲戒の可否を判断するに当たり影響することはない。被告の主張は上記のような弁護士の使命・職責を正解しない失当なものである。

<当裁判所の判断3「被告の損害賠償義務」>

上記のとおり、本件番組は、全国19のテレビ局において放送され、本件放送後平成20年1月21日ころまでに申し立てられた懲戒請求の件数は、原告足立に関するもの639件、原告井上に関するもの615件、原告今枝に関するもの632件、原告新川に関するもの615件であったことがそれぞれ認められる。

いずれも弁護士として相応の知識・経験を有すべき被告の行為によってもたらされたものであることにも照らすと、これらの原告らの精神的ないし経済的損害を慰藉するには被告から原告ら各自に対し200万円の支払をもってするのが相当である。
  被告はほかにもるる主張するが、いずれも全く失当であり理由がない。

【橋下知事「間違っていた」と謝罪 控訴理由、詳しく説明せず】
                  (10月2日 日本経済新聞 より)

 大阪府の橋下徹知事は2日、庁内で取材に応じ「自分の判断が間違っていた」と繰り返し頭を下げた。「何よりご遺族に迷惑かけました」と述べ、終始硬い表情だった。
 控訴する理由について「判決が不当だというわけではないが、ちょっと高裁の意見をうかがいたい」と詳しい説明を避ける一方、高裁で逆転勝訴した場合でも「僕が一線を越えていたのは間違いない」と強調した。

【橋下TV発言 弁護士資格を返上しては】
                     (10月3日 朝日新聞 社説より)

 歯切れのよさで人気のある橋下徹・大阪府知事のタレント弁護士時代の発言に、「弁護士失格」といわんばかりの厳しい判決が言い渡された。
 
 その発言をきっかけに大量の懲戒請求を受けた弁護団が損害賠償を求めた裁判で、広島地裁は橋下氏に総額800万円の支払いを命じた。判決で「少数派の基本的人権を保護する弁護士の使命や職責を正しく理解していない」とまで言われたのだから、橋下氏は深く恥じなければならない。
 
 そもそも橋下氏は、みずから携わってきた弁護士の責任をわかっていないのではないか。弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない。

 偏った番組作りをした放送局が許されないのは当然だが、法律の専門家として出演した橋下氏の責任はさらに重い。問題の発言をきっかけに、ネット上で弁護団への懲戒請求の動きが広がり、懲戒請求は全国で計8千件を超える異常な事態になった。
 橋下氏は判決後、弁護団に謝罪する一方で、控訴する意向を示した。判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう。

【「朝日なくなれば世のためになる」橋下知事が批判】
                 (10月21日 日本経済新聞 より)

 大阪府の橋下知事は20日、山口県光市の母子殺害事件の弁護団への懲戒請求を呼び掛けたことを巡り訴訟で敗訴した際、朝日新聞が社説で弁護士資格の返上を求めたことに対し「朝日新聞は事実誤認があったら廃業するのか。(同新聞が)なくなったほうが世の中のためになる」などと批判した。東京で開いた機関投資家向けの府債の説明会後に記者団に述べた。
 橋下知事は社説について「からかい半分で本気ではないと思う」とした上で、「全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」などとまくし立てた。
 知事は19日に兵庫県伊丹市で行われた陸上自衛隊中部方面隊の記念式典の祝辞でも「人の悪口ばかり言う朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」などと発言していた。

【376人の弁護士、市民が橋下徹弁護士を懲戒請求 元“親弁”の樺島弁護士が呼びかけ】

 橋下氏自身に対する懲戒請求が現実に呼びかけられていることをインターネットで知った(浅野健一 ゼミへようこそ)。
 橋下氏の懲戒請求を呼び掛けた橋下氏の親弁樺島正法弁護士は私と同期であり、許せないと思ったら後に引かない弁護士である。

【私の意見】Up63

 朝日新聞の社説は判決にそったごく自然な意見である。タレント弁護士としてマス・メディアを利用して発言した立場として、また大阪府知事という公職にある立場として、このような批判を謙虚にうけとめるべきである。ましてや、「(朝日新聞が)無くなったほうが世のためになる」というのは言論の自由、報道の自由を否定するものであり、恐怖政治につながる。単に弁護士としてだけでなく、政治家としての発言としても看過できない発言である。
 判決後表面的には謝罪しながら控訴を表明するというのも朝日新聞でなくともこの謝罪は何なのだろうかと思わざるを得ない。語れば語るほど後味の悪さしか残らず、やるせない気分に陥る。

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2008年10月20日 (月)

第16回職業リハビリテーション研究発表会

 本年も、12月4日・5日の両日、幕張(千葉市)のOVTAと障害者職業総合センターにて、第16回職業リハビリテーション研究発表会(主催:独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構)が開催されます。
 私は、12月5日(金)、口頭発表の第2部(13:00~)の第11分科会(メンタルヘルス・復職支援)で「退職等を迫られたうつの労働者の復職と復職後の職場環境」というテーマで発表をします。
 企業、研究者、障害者の雇用、福祉、医療・保健、教育等に携わる各方面の方々が参加され、職業リハビリテーションに関する調査研究や実践経験の成果等の発表・意見交換・経験交流が行われます。
 参加費は、研究発表会、基礎講座とも無料ですが、事前の参加申込みが必要ですので、ご出席いただける方は、10月31日(金)までに銀座通り法律事務所までご連絡下さい。

※詳細について、独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構のホームページにてご覧いただけます。
「第16回職業リハビリテーション研究発表会ご案内」
(PDF: http://www.nivr.jeed.or.jp/download/vr/k16-annai2.pdf
(TEXT:  http://www.nivr.jeed.or.jp/download/vr/k16-annai2.txt) 

■日時/場所
 12月4日(木) 財団法人海外職業訓練協会(OVTA) 
 12月5日(金)  障害者職業総合センター
  ※私の発表:12月5日(金)  障害者職業総合センター
    第2部(13:00~)第11分科会(メンタルヘルス・復職支援)
    テーマ
         「退職等を迫られたうつの労働者の復職と復職後の職場環境」

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2008年10月19日 (日)

脳性まひの数学教師ガクちゃんがんばれ!

 ガクちゃんこと三戸 学(さんのへ まなぶ)さんについて何回かに分けてご紹介します。

[三戸 学] 1976年、秋田県生まれ。出生時に脳性マヒとなり、手足や言葉などに障害がある。秋田市立日新小学校、秋田市立秋田西中学校、秋田県立秋田南高等学校、山形大学教育学部を卒業。教員採用試験に三度目の挑戦で合格する。秋田市の土岐中、秋田西中を経て、2007年4月から由利本荘市の本荘東中に赴任、現在に至る。担当教科は数学。「生徒と一緒に」がモットー。2007年11月には、秋田県で開催された秋田わか杉大会(第7回全国障害者スポーツ大会)に卓球選手として出場。上肢に不随意運動のあるブロックで金メダルを獲得する。「子ども向けバリアフリー学習のガイドライン作成に向けた有識者検討会(国土交通省)」委員。

【関原美和子 著「がんばれ!ガクちゃん先生」 03年7月 小学館】

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 この本は、教育専門紙記者、出版社編集者を経てフリーランスとなった関原美和子さんが、ガクちゃんが生まれてから教師3年目のはじめまでを書いたものです。
 

【小学校1年生の運動会】

 お母さんの慶子さんは固い決意でガクちゃんを小学校1年生のときから普通学校に通わせました。
 この本の中でガクちゃんの小学校1年生のときの運動会の様子について次のように書かれています。

[先生によってこんなに変わるなんて!]
<ビリでもいいんだよ>
 「順位を気にしているかも知れないけれど、最後まで走ることが大切なのよ」
 担任の女性教師が、不安げなガクちゃんにそっと声をかけた。
 もうすぐ1年生の80メートル競走が始まる。かけっこをしてもいつもビリなのは、今に始まったことではない。それでも走りたいという思いと、初めて、運動会で全校生徒やたくさんの大人たちの前で走る不安とで、ガクちゃんの胸ははち切れそうだった。
 担任のことばに少し安心したのもつかの間、いよいよ出番が回ってきた。六人がスタートラインに並ぶ。
「位置について、ヨーイ、ドン!」
 スタートラインから、あっという間に差がついてくる。20メートルを走った辺りで、他の子たちがゴールするのが見えた。あとの60メートルは、自分との闘いだ。
・・・・と思ったら、周りから大きな声が聞こえてきた。
「がんばれ! がんばれ!!」
 高学年のお兄さんお姉さん、友だち、見学しているお父さんやお母さん、いつの間にか、校庭にいる全ての人が、ガクちゃんを応援しているのがわかった。
 ゴールに近づけば近づくほど大きくなる声援に、背中を押されながら、無事ゴール。教師たちが再び張ってくれていたテープを無我夢中で切ると、担任が力いっぱい、ガクちゃんを抱きしめた。
 自分の力を出しきったからこそ、自分を誇れる。そう、たとえビリだって。
 家に帰ると、ガクちゃんはさっそく母親に報告した。
「お母さん、ぼくが走っているとき、みんなが応援してくれたよ」
「うん、お母さんも見ていた。とてもうれしかったね」
 実は、運動会の前日に担任から「学君のことを多くの人たちに理解してもらうためにも、ビリでもいいから走ってほしい」と電話があったことを母から告げられた。
 さっき抱きしめてくれた担任の温かさが、じーんとよみがえってきた。

 この担任の先生との出会いは、三戸学さんのその後の人生にとって大きな励ましとなっています。でも世の中このような人はむしろ例外で、三戸さんは生まれてから今日まで差別・偏見・いじめの中で生きてきました。関原さんは大学時代の三戸さんのことについても触れています。大学1年生だったガクちゃんは家庭教師を目指し、苦い体験をしています。

【「きみみたいな人は困るんだ」】

 家庭教師。
 教師を目指すガクちゃんにとって、そのアルバイトは何とも魅力的に感じられた。周りの友だちから家庭教師の話を聞くうちに、自分としてもやってみたいという気持ちが大きくなっていった。
 そこでさっそく、家庭教師の斡旋所に行ってみた。
 ところが応対した職員の反応は冷たかった。
「いろいろ問題がありますね。まずことばの問題。あなたの言っていることを、子どもたちは聞き取れますか?」
「今、あなたが聞き取れているんだから、大丈夫じゃないでしょうか」
「あなたは障害がありますよね?」
「はい。脳性まひです」
「そうですか。こちらの信用問題もあります。きみのような人間を斡旋して、信用を損ねたらどうするのですか?」
 何を言っても、「困る」の一点張り。
「きみみたいな人に家庭教師になってもらうのは困るんだよな」
 そこまではっきり言わなくてもいいのに・・・。履歴書すら受取ってもらえず、ガクちゃんは屈辱感を抱いたまま、家路についた。
 友だちが一緒に出向いてくれたこともあったが、結局、山形市内にある四か所の斡旋所全てから、体よく断られてしまった。中には履歴書を預かってくれた斡旋所もあったが、実際に話が来ることはなかった。ガクちゃんより後に斡旋を頼んだ友だちが、先に紹介されている事実を目の当たりにすると、さすがに落ち込んでしまう。
「どうしておまえに来て、おれに来ないんだよ」
 -友だちに当たってもしかたがないことは充分わかっている。ただ、やり場のない気持ちをガクちゃんはずっと持てあましていた。

【無料で家庭教師やります!】

 これでめげないのが三戸さんの底力です。大学の友人の力を借りて家庭教師の依頼が殺到するようになりました。最初に家庭教師の依頼を受けるまでの様子を関原さんの本で見てみたいと思います。

 (友人との)話し合いの結果、まずは、ガクちゃんが家庭教師先を見つけるための具体的な方法として、街頭でビラを配ることに決まった。
 最終的に残った男子六人、女子四人とともに、六月半ばには、サークル「障害と共に歩む会」を結成し、大学にサークルの届けを出した。

<無料で教えます!>
 「家庭教師やります」
 ガクちゃんの似顔絵を載せたビラに、大きく書いた八文字。まずは、夕方の繁華街で、母親と子どもたちをターゲットにビラを配ることにした。
 実はガクちゃんには、大きな“ウリ”がある。
 家庭教師料、100パーセントオフ!これ以上の価格破壊はない。斡旋所と対抗するには、安さで勝負というわけだ。「子どもに勉強を教えてみたい」という目標を達成するためなら、無料でもかまわないと考えたのだ。
 「えっ!? 無料でやるんですか?」
 だれもが信じられないという反応を示す。
 
 ビラを配ってから二週間。少し落ち込みかけたとき、電話が鳴った。
「あのー、家庭教師のことでお聞きしたいことがあるんですけれど・・・。今日の夕方五時にお会いできませんか?」
 小学二年生のお母さんからの電話だった。喜びのあまり、電話を持つガクちゃんの手が震えた。

【「ガクちゃん先生から教えてもらいたい!」】

 「こんにちは」
 少女を連れた両親が(三戸さんに会いに喫茶店に)やって来た。
「夏休みの間、勉強を教えてくれる人を探していたんです。・・・・ただうちの子は三戸さんのことばを理解できるかしら?」
 お母さんは正直に疑問をぶつけてきた。
「確かに、最初のうちは聞き取りにくいかも知れないけれど、慣れるとまったく問題ありませんよ」
 隣に座っていた仲間の答えに、両親は納得したようだった。

 お母さんが、横にいる少女に問いかけた。
「ねえ、エリナ。ガクちゃん先生から、お勉強ならってみたい?」
「うん。ガクちゃん先生から教えてもらいたい!」
エリナちゃんがうれしそうに答えた。

「なぜ、ぼくを選んだのですか?」
お父さんが答えた。
「ちょうどだれかに頼もうとしていたときに、あなたのビラを見たんです。あちこちにビラが貼ってあるのを見ているうちに、そこまで家庭教師をやりたいというなら、その熱意にかけてみようと思ったんです」
 ガクちゃんは胸が熱くなった。「こちらこそよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
 夏はもう目の前にきていた。

【私と三戸さん】

 私は06年2月8日教師5年目の三戸さんの願いを実現するため、秋田県教委員会、秋田市教育委員会、秋田市立西中学校校長に会いに行きました。三戸さんの願いは3つありました。①学級担任をもつこと ②1年生、2年生、3年生と持ち上がりの経験をすること ③障害のある教師が働きやすい職場環境に改善すること。3つのうち②は、06年4月から2年生に持ち上がりとなりました。修学旅行で生徒を引率して上京することを私に伝えてきたときの三戸さんのうれしそうな声が忘れられません。③はかなり改善されました。三戸さんは今エレベータのある学校で勤務しています。①はまだ実現していません。
081020book_myvector_2 三戸学さんは、今年の3月「マイ・ベクトル 夢をあきらめないで」(グラフ社) を出版しました。この本から三戸さんの辛抱強くて明るい生き方がじんじんと伝わってきます。この本のことで、久しぶりに三戸さんの声を聞き尋ねたところ、担任はあいかわらず持たされていないということでした。三戸さんのようなすばらしい先生を担任にしないのはおかしいと思い、あらためて三戸さんを法律家としてサポートすることにしました。三戸さんのことや担任を持つための今後の動きなどについてまた時々ブログでご紹介します。

Sannohephoto1 10月13日(月)銀座通り法律事務所にて  

 Sannohephoto2 10月13日(月)銀座中央通りにて

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2008年10月12日 (日)

復職し、うつ病も全快の総合職女性の伝言

【うつ病労働者の弁護士サポートの実際2】

 Eさんは、都内の大学を卒業後、男女雇用機会均等法一期生として、大学を中心として全国規模で展開する大手学校法人に総合職として就職しました。4年前に法科大学院勤務となりましたが、重いうつ病になりました。休職後復職しましたが、出向先でうつ病を再発、回復したので復職を申し出たところ学校法人本部から退職を迫られ弁護団にサポート依頼のメールが届きました(Eさん43歳)。弁護士サポート2ヵ月後に復職、復職1年後にうつ病も全快しました。Eさんは弁護士サポートの成功事例の1つと言えますが、この間のEさんの苦労は並大抵のものではありません。Eさんからこれまでをふりかえってのメッセージをいただきましたので、ご紹介したいと思います。

【Eさんが弁護団に依頼するまでの経緯】

 全国展開している、教職員4000人規模の大規模大学に勤務して20年。民間企業勤務の夫と、12歳、9歳の娘がいる。「均等法第一期生:総合職」として採用になる。一貫して大学本部で経営側に近い立場での仕事をしてきた。
 4年前(就職16年後)の異動で、当時認可されたばかりの法科大学院勤務となり、未整備な学校に抗議する社会人学生への対応、上長のパワハラ、大学院教員のセクハラ、加重労働、学生の抗議が暴力的になり、身の危険を感じる被害に遭いそうになったことなどが2ヵ月のうちに重なった。ある日突然「バッタン」と気を失ってしまい、しばらく口がきけなくなって、そのまま休職した。重症の「抑うつ・適応障害」と診断され、休養の上、1年後、高校以下の付属学校を管轄する部署で復職した。しかし、業務は主として半年以上の地下倉庫整理であった。翌年今度は大学の都合により関連会社に出向。出向先の事務所はワンルームマンションで、男女一緒のトイレとロッカー、一日中の喫煙に悩まされ、また、業務は20年以上昔の機械を使った伝票処理と段ボールや廃物処理などの肉体労働が主となった。産廃物の処理や、一日中煙るタバコにアレルギー症状がでる。原因不明の全身発疹がでて、外出できなくなった。出勤不可能になり、うつ病が再発した。病状が軽快し、復帰しようとしていた矢先、出向元の大学本部より呼び出しがあり、「出向先の子会社の就業規則により2ヵ月後には休職期間満了で自動退職になる」と言われた。「相手にも迷惑かけるから、早く円満退職を決心した方が 経歴に傷が付かない。そもそも『休職制度』は復職を前提としているのだが、現実問題としてまた再発し、半年以上労務提供が出来ていない。先方は契約違反であなたにはコミュニケーション能力なしと大変不快に感じている。お子さんもいるし、療養に専念してはどうか」と言われた。

【弁護団サポートと復職】

 弁護団宛に相談メールが届く。休職期間が2ヵ月しか残っていないとのことで、メール受信後直ちにEさんに連絡。診断書、就業規則等必要書類の送付を受け、4日後にEさんと面談。面談の結果、休職期間については出向先ではなく大学の就業規則の適用があり、1年以上残されていることが明らかとなる。大学理事長(総長)宛にうつ病は業務に起因するものであること、休職期間は1年以上残されていることを内容証明郵便で通知。あわせて今後のことについて面談を申し入れ、数日後秘書課を通じて人事課長と面談。うつ病が大学の業務に起因するものであり、労働基準法第19条により解雇や退職扱いはできないことを強調。人事課長は一転して4月1日からのEさんの復職に向けての話し合いに態度を変え、Eさんは復職した。復職後1年でうつ病は全快し、主治医から抗うつ剤の投与はもう必要がないと告げられた。全快したEさんからのメッセージはうつ病労働者の苦しみを理解する上で教訓に富んでいると思われるので、次に紹介する。

【うつ病が全快したEさんからのメッセージ】

<再発の怖さとの闘い>

 「昨年4月1日に復職いたしました。復職はじめは通勤電車のすさまじさに圧倒され、『できるだけ人にぶつかられたり、怪我をさせられないようにしよう』と、以前の私では考えられないほど『省エネモード』で対処するように心がけています。
 『ふたたび同じ状態に戻る』ということは、いつも頭や心のどこかにひっかかっていて、すごく恐ろしい気持ちです。病気になった人は多かれ少なかれ、この「再発の怖さとの闘い」に自分を対峙させなければなりません。当事者でなければとても共感し得ない感情と思います。」

 弁護士サポートをする中で感じたのは、うつ病を経験した労働者に共通するのがこの恐怖感である。パワハラを受けたときの光景が蘇って会社の門の前で立ちすくむ労働者も少なくない。

<「駆け込み寺」としての役割を果たす産業医>

 「この時いろいろとお世話になったのが、主治医のほか、職場の産業医でした。『駆け込み寺』的な場所として産業医が職場にいることは、精神的にありがたかったです。産業医はメンタル専門の人がベターですが、やはりドクターの人柄に拠るところが大きいです。のんびりした性格のドクターで、中立的な立場をとりつつも、病状の再発については注意を喚起してくれるような人であれば理想的です。」

 Eさんの大学の産業医は女性で、Eさんの立場を理解し、同情さえしてくれていた。Eさんは産業医に恵まれた。従来管理者サイドに立つ産業医が多かったが、産業医の目線は少しうつ病労働者のサイドに変わったと感じるが、Eさんの産業医は特別優れている。

<「何で自分はこんなにヘンになってしまったのか」と自信喪失。「一人・孤独」>

 「復職までの道のりは、大変に長かったです。最終的には弁護士さんにお願いをして、解決をしていただきましたが、弁護士さんにお願いするきっかけも、都の労働相談窓口でのアドバイスによるもので、そこにたどり着くまではたった一人でじたばたとしていました。
 どの人も同じと思いますが、『好きで病気になった』という人は一人も居るはずがなく、それまでに長い勤務実績があれば『辞めてください』といわれることなど考えてもいないはずです。
 病気になると、途端に『一人・孤独』」な立場に追いやられます。体力的にも精神的にも外出をすることが難しくなり、極端に人を信用できなくなり、電車に乗るのも難しい状態なのと、『何で自分はこんなにヘン(思考がまとまらないので)になってしまったのか』という思いで、自分にも自信がなくなると『相談しても相手にされないのでは・・・』とか『相談内容を理解してもらえるのか』という不安ばかりが先に立ちます。」

 Eさんが弁護団に相談するにあたり、「相手にされないのでは・・・」という不安をいだいていたことなど私たちには思いもよらなかった。

<怒りをバネに>

 「それでも復職できたのは、私の場合は一番最初に倒れた原因がセクシャル/パワー・ハラスメントだったことでその間、組織は聞く姿勢を示さなかったこと、一度目の復職後の仕事は地下倉庫で約8ヶ月も廃棄物の分別と処理だったこと、それでも休まずに頑張って勤め上げたのに、『余分人員』として出向させられたこと・・・とても書ききれませんが、これら諸々への『反発・悔しさ・怒り』の強さです。
 この『怒り』を私は『自分の存在意義への否定』と受取り、それをバネにしました。平たく言えば『これ以上、泣き寝入りしない』ということです。『怒り』で行動するには大変なエネルギーが要りますが、それでもアクションを起こせたのは今でも良かったと思います。
 また、思い切って行動にしたことで、自分の話を聞いてくださり、さらに援助してくれる人たちがいることもわかり、その後の人生への支えも得たのだ、と今では考えています。」

 弁護士サポートを選択する人のエネルギーの源泉はEさんのような怒り、不正義を許さないという正義感・使命感にあると思われる。

<主治医「なんだ、もう治っているね!」>

 「『病気の全快』の診断は突然のことでした。春先にひいた風邪をこじらせ、強い抗生物質をとらねばならず、『今飲んでいる薬はストップしてください』と処方時に言われたので、そのとき服用していた抑うつ剤(最低量ではありました)をやめました。1週間ほどしてまた服用を再開しましたが、次の主治医との面談時にこの話しをすると、『なんだ、もう、治ってるね!』と言われたのでした。抑うつ剤は急にやめると副作用が出ることが多いというのですが、私はそれもなく、いつもと同じでしたので、『治りました』と診断された次第です。
 初めて通院してから丸4年経っての回復宣言でしたが、長く薬を飲んでいたので、止めてから1ヵ月くらいは不安でした。いつの間にか薬を『すがり杖』のようにしていたのですね。 」

 Eさんは主治医にも恵まれている。開業医の中には「再発予防のため」という名目で患者への投薬を続け、患者を囲い続ける医師も少なくない。

<「女性」「子持ち」で何重にもバッシング>

 「最後になりますが、私は2児のいる『ワーキング・マザー』でもあります。倒れたときは子供たちが幼少で、ヒステリーになったり、沈み込んだり、寝たきりになった時の影響は、やはり未だに残るところがあります。
 ワーキング・マザーとして復職を果たした人の『ロールモデル』が欲しく、主治医にも産業医にも『そういう例を知らないか』と何度も聞いたのですが、数千人の患者を診ているドクターであっても『今までにフルタイムで復職を果たした女性を、まだ見たことがない』ということでした。
 メンタルな病ということでいろいろなバッシングに遭いますが、それプラス『女性』『子持ち』ということで、そのバッシングがさらに増えること等、女性ならではの問題もきっと、声が上がらないまま潜在していることと考えます。」

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2008年10月 5日 (日)

がんと心のケアおよび対がん戦略を考える

【医療系セミナー】

 久々に医療系セミナーを聴きに行きました。聴衆の多くは企業の医療関係者や病院の看護師等のように思いました。久々の医療系セミナーの参加は刺激的で自分とは違った世界に首をつっこむことの大切さをあらためて思いました。私はシンポジストの一人である清水研氏(私の長男)のさそいによりこのシンポジウムを知りました。

日  時  2008年10月2日(木)
会  場  東京国際フォーラム ホールD7
主  催  財団法人日本健康文化振興会
後  援  国立がんセンター
基調講演 
  テーマ  「がんと人間と社会」
           -がんの予防とがん対策基本法-
  講 師  垣添忠生(国立がんセンター名誉総長
               /(財)日本対がん協会会長)  
シンポジウム 
  テーマ  「がんと心のケア・対がん戦略を考える」
  司 会  片井 均 (国立がんセンター中央病院
                         外科医長)
  アシスタント 
        五宝誠一 ((財)日本健康文化振興会
                        事務局長)
  シンポジスト 
        三宅 仁 (富士通㈱
                  健康推進統括部長)
         大橋英理 (国立がんセンター中央病院
         相談支援センターソーシャルワーカー)
         清水 研 (国立がんセンター中央病院
               精神科グループ長、医員)
         佐藤誠剛 (㈱メディカルB.Bパートナーズ
                      代表メンバー)

【基調講演 「がんと人間と社会」】

 講師の垣添忠生氏は日本におけるがん医学会の大御所的存在であり、講演はがんに関する医学的基礎からがん対策基本法に至るまで幅広い内容でした。わかりやすくユーモアのある話でがんと現代医学についてばく然といだいていた認識を私なりに整理することができたのは収穫でした。特に印象的なのは①肺がんと喫煙には有意の相関があるのに日本政府はたばこの販売を促進していること、②がん対策基本法はがん対策推進協議会委員に「がん患者及びその家族又は遺族を代表する者」を任命することを定めていること、でした。

【シンポジウムの感想】

 三宅仁氏は富士通㈱社員32,000人の健康管理を統括する立場にあり、佐藤誠剛氏は多数の企業の産業医の立場にあり二氏とも産業医のなかの産業医と言えます。ただがんは高齢期になって発症することが多く、現役の社員のがん発症は割合としては少ないということでした。うつ病患者の復職可否の判断基準は二氏とも厳格でした。「9時から5時まで出勤して働けるか否か」「リハビリ出勤と言われるが、リハビリは医療機関がやること」「復職可否についての主治医の判断は弁護士的判断で産業医の判断こそ裁判官的判断」との発言はうつ病労働者のサポートをしている弁護士としての私には???ということが多々ありました。しかし、本格的産業医の話を聞くことができたのは私にとり刺激的で、このような産業医を相手に復職を実現するのは並大抵ではないと思いました。
 大橋英理氏からはソーシャルワーカーの立場から国立がんセンター中央病院の相談支援活動について報告がありました。清水研氏からは同病院精神科医の立場から同病院のがん患者のうつ病・適応障害について報告がありました。清水氏によれば在宅勤務で復職を認めた企業もあるとのことです。

【がん患者と弁護士】

 私はこれまでに何人かのがん患者の方の病床を訪ね、亡くなったあとのことを託されました。その方がすべてを一人できりもりしていればいるほど亡きあとの財産のことや家族の将来について弁護士の手助けを求める傾向があると思いました。でも弁護士一人がなしうることは限られています。そんな訳で相談を受けると私は第一に家族を含むご本人のまわりの人たちの自力をどう引きだすかということをまず考えるようにしています。もし家族に対する不信感があれば元気なうちに不信感を解いてあげるのもご本人及び家族に対しての弁護士として重要なサポートと思っています。死期が迫っているだけにわずかなきっかけで不信感が解け、最期はその家族に見守られて亡くなった方もありました。

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