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2008年8月12日 (火)

経済合理人を中心とする構造改革の光と影

【私の意見】Up63

 私は小泉・竹中「構造改革」は大企業と富裕層のみを手厚く保護し、その他の国民を見捨て、弱肉強食を奨励する誤った政策であると批判してきました。福田内閣は「構造改革」の行き過ぎの軌道修に着手し、改造第二次福田内閣の閣僚をみると「構造改革」そのものを否定しかねない布陣です。
 「構造改革」の大幅な軌道修正を図る福田内閣の方針に私は賛成ですが、マスコミはこれを「バラまき政策」「選挙目当て」「世界からとり残される日本」「改革後退」「成長重視の転換」と批判してきました。
 最近になり、少しマスコミの論調も変わってきたのかなという記事を目にするようになりました。「第一に改革!」「何よりも成長」を常に前面に立て強調してきた日本経済新聞のコラムや論説にもそれを見ることができ、少しほっとしています(アンダーラインは私が強調したい部分です)

【大機 小機 支持率二極化の背景を探る】
       (8月9日 日本経済新聞 より)

 社会保障の充実に反対する人は、安心や安定が増すと人間は働かなくなるという。失業しても十分な収入が保障されるなら、できるかぎり職に就かず雇用保険で食いつなぐのが人間の性(さが)だというのだ。確かにそうした議論は、人間を金銭的な損得だけで行動する経済合理人だと仮定するなら説得的だ。
 しかし、人間の生きる目的はより多くの経済的利益を得るより、少しでも幸福になることだとすれば話は変わる。なぜなら、経済的な「欲」ばかり焦点を当てた政策では、人間の生きがいだけではなく、社会の活力や安全まで奪われる恐れがあるからだ。
 そう考えるとワーキング・プアの悲惨さには、低賃金に加え、強いられる仕事のひどさも影響している。
生きがいか収入かの選択ではなく、楽しみも誇りも感じられない労働と、その代償として支給される最低限の賃金しかないからだ。同じことは聖域なき構造改革を大義にした社会保障の削減によって、保護の網の目からこぼれ落ちた母(父)子世帯や高齢単身者世帯にも言える。経済的な貧しさに加え、人間的なきずなの維持も困難になり、社会的な関係の中で何とか生きてきた人間が激しい孤立感に苦しんでいるのだ。
 この8月に誕生した改造内閣の課題は福田康夫首相によれば「安心実現」である。早速検討されているのが「悪化」に転じた景気を救済する経済対策だ。しかし、景気という名のビジネスに対する政策支援が国民生活の安心につながる保証はどこにもない。
 少なくとも、2002年2月以降の回復の経緯を見る限り、果実は企業内に止まり、働く者にも保護される者にも回っていない。もし、激しい痛みを伴った小泉純一郎元首相の改革の効果が緩やかな循環的回復にすぎず、国民生活の改善よりも犠牲の方が大きかったとするなら、改革はある意味で国民に対する裏切りだったと言える。
 現状を変える改革の重要性は否定しないが、人間ではなく経済合理人を前提にした小泉改革には、社会が求める安心と安定への配慮が欠けていた。その反省に立ち、小泉改革の転換を目指して福田首相は内閣を改造したのか、それとも旧態依然とした景気対策に政権延命の活路を見いだそうとして改造したのか。いずれとも判別できない国民の迷いが、改造直後における内閣支持率の二極化に現れたのではないだろうか。(文鳥)

【「山長くとも谷短し」の幻想 下り坂の抵抗力を過信】
     (8月11日 日本経済新聞 「核心」の後半部分 より)

 今回は住宅不況が広がっているところへ米国向けなどの輸出の減少が引き金を引き、生産調整が始まった。原油、食料をはじめとした一次産品価格の急上昇が企業の強いコスト圧力になり収益悪化を生んでいる。
 在庫が積み上がっておらず、供給力も大きな余剰を抱えていないのなら、生産調整が雇用調整に波及するまでに乗り切れるかもしれない。昨年末がピークで、後退期間は過去の平均並みとすれば、足もと時点ですでに下り坂のほぼ半分を経過している。企業にとっては実質的に08年度下期だけが試練のときだ。
 しかし、拡大期の成長の約60%が輸出に依存していたように、後退から反転する浮揚力も輸出がカギ、となると米国や北京五輪後の中国など海外の経済動向が左右する。その海外経済の展開は、原油動向や新興国経済の頑強性、米サブプライムローン問題から派生する金融、実物の両面の影響など、起こりうる可能性の範囲を把握できない、つまり「分からないことが分からない」状況だ。バレル145ドルから反転した原油価格、住宅価格の下落、自動車需要の急冷、五輪後の中国景気などの不確実性要因を期待を込めて自己実現的に読むべきではない。

 それだけに内需主導を期待したいところだが、もともと過去最長の拡大期が、家計の所得増大を置き去りにしていた。それをマイナスの物価で意図せずして補てんしてきた状況が一変し、2-3%の物価上昇率に直面する。実質所得が大きく減少して消費が伸びるわけがない。この機に家計のリスクを取れ、というのは自爆の勧めに等しい。
 勤労者の3分の1が非正規という雇用形態は、7年ぶりの減益に陥る公算が大きい産業界にとっては予防的に雇用調整がしやすい環境だ。
輸出比率が過半の企業ほど高収益、という上り坂の公式が逆作用したとき、下り坂での雇用調整に弾みがつかないか心配だ。
 低い山の中で個別企業が効率化しスリム化に努めたことは反面で、産業の連鎖の中で事故、天災をはじめとした不測の変動を緩和する「含み」を無くした。景気下り坂の負担を、産業界が均等に負うのではなく、中小企業や非正規雇用など特定部門に、即座に集中しやすい構造にも変えた。他方、長い上り坂の間に大きなイノベーションが生まれたわけでも経営発想を革新したわけでもない。世界景気の回復が逃げ水のように後ずれすれば、せっかくの筋肉質も容易に元のぜい肉体質に変わりうる。
 日本経済に醸成された弱い環を凝視しながら、海外要因の不確実性の大きさを考えると、山が低かったから「谷は浅い」と見るのは期待過剰の幻想だ。まして浅くて短い谷に終わる保証はない。(客員コラムニスト 西岡幸一)

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