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2008年3月28日 (金)

ある知的障害者のリーダーの死から8年

【高坂茂さん】

 高坂さんは1957年5月19日高坂家の長男として調布市に生まれました。小学校5年生の時知的障害があるとして調布市立の小学校の特殊学級に編入、中学生時代も特殊学級に在籍しました。卒業後3年間は父親が勤める鉄工会社で働きましたがやめました。18歳のときに中学時代の特殊学級の担任教師の横田滋氏の世話で貸おむつ等を大型の機械で洗濯するクリーニング会社につとめました。仕事はきつく、長時間勤務でしたが、がんばって知的障害の青年2人を部下にもつ主任をつとめていました。身も心も疲れていた2000年3月24日機械に巻きこまれ頭を打ち、4日後の同月28日に42歳で短い生涯をとじました。

【高坂さんと私】

 私が高坂さんと知りあったのは亡くなる1年数ヶ月前です。短い期間でしたが私は高坂さんから多くのものを学びました。高坂さんも私を自分たちの味方の弁護士として大切にしてくれました。障害者の労働の基本を定めた障害者雇用促進法が改正され1999年7月から実施されることになり、高坂さんが中心となって活動している知的障害者の当事者の会さくら会が私を講師として招いてくれたのが高坂さんと知り合いになるきっかけでした。この改正では今までの法定雇用率1.6%に加えて知的障害者枠の0.2%が加算され法定雇用率を1.8%にするものでした。さくら会の人たちはこれを前向きに活用しようと私を呼んで勉強会を行ったものです。勉強会から1年もたたないうちに高坂さんは会社の機械に巻きこまれました。その日私は新潟で看護師さんたちに医療事故をどう防ぐかという講演をしていました。高坂さんの弟さんが高坂さんの持ち物の中から私の名刺を見つけ、私に連絡してきました。私は帰京後急いで高坂さんの入院している日本医科大学多摩永山病院に見舞いに行きましたが、高坂さんに意識はなく、話はできませんでした。私がついてまもなく主治医が家族に「ご臨終です」と告げ、私は高坂さんの最期に立ち会い、見送ることができました。亡くなって4日後にお母さんや他の弁護士と一緒に会社の工場へ行き、機械の状況を写真にとり、社長に説明を求めました。調査に手間取りましたが2001年7月4日に会社と社長、副社長を相手として高坂さんの両親を原告として安全配慮義務違反を理由に損害賠償請求訴訟を提起しました。2003年12月1日東京地方裁判所八王子支部は被告らの安全配慮義務違反を明確に認めた原告勝訴の判決を言い渡しました。

【働く障害者の弁護団】

 高坂さんの亡くなった3ヵ月後の2000年6月、働く障害者の弁護団を結成しました。これは障害を持って働いている人たちが自分では言えないことを弁護士が代弁する役割を担うためです。働く障害者の弁護団は、メール、FAX、手紙、電話で相談を受けていて、今では障害をもって働く人たちの窓口として日本で最も利用されているものとなっています。北は北海道各地から南は沖縄県石垣島までそれこそ全国津々浦々から障害をもって働いている人たちの相談がとびこみます。のみならず、米国など日本の親会社の海外子会社で勤める障害をもった労働者からの相談もあります。働く障害者の弁護団は、高坂さんの志しをこんな形で発展させたのだという思いでいつも取り組んでいます。

【「精神薄弱」から「知的障害」へ呼称を変える力となって】

 柴田保之氏は、「『知的障害』という言葉の成立のかげに-ある知的障害者のリーダーの死」-という論文で高坂茂さんのことを次のように述べています(2001年7月15日発行 國學院雑誌102巻第7号)

「1998年9月、一つの法案が国会で採択された。『精神薄弱』という言葉に替わって『知的障害』という呼称を国内法のすべての条文に採用するという法律である。『精神薄弱』という言葉は、その言葉に対する当事者の不満が表明される中で、70年代には使用をためらう者も増え始め、90年代には、ほぼ死語同然となっていたが、法律上は延々と使用され続けてきたものである。こうした用語の言い換えは、『差別語狩り』の一種として見られたり、言葉の言い換えだけで実質的には何の変化もないととらえられることがある。しかし、この言い換えの背後には、用語を選択した主体が誰であるかということに関わって、重要な変化があった。それは、この呼称で示される当事者が、名付けられる客体から、名付ける主体へと変わったという事実である。しかし、残念ながらこのことはあまり知られていない。
 そして、このできごとに深く関わった一人の当事者は、私が援助者として関わっている町田市障害者青年学級という場で十数年にわたって親交を深めてきた高坂茂さんであった。この法案が通過した直後の活動日、私たちは、生活コースでこのことをともに喜び合った。『自分たちが変えたんだ』と誇りに満ちて語った高坂さんの表情は、今でも忘れることができない。日本の知的障害者の歴史に大きな一歩が記されたといっても過言ではなかろう。そして新しい知的障害者の歴史が刻まれるであろう21世紀はもうすぐそこに迫っていた。
 ところが、こともあろうに、その高坂さんが2000年3月28日職場の事故で亡くなるという信じられないような出来事が起こってしまったのである。事故は、悪い偶然が重なって起きたものともいえるが、また、防ごうと思えば防ぐことのできるものであり、会社の安全管理のあり方への疑問を拭い去ることはできない。貸しおむつのクリーニングという社会を土台から支える仕事に従事していた高坂さんの労働条件は、そのまま知的障害者のおかれた労働条件の苛酷さを物語るものである。総勢百六十名を数える私たちの仲間の中に、仕事中に手の指を機械で切断してしまった仲間が二名もいるということも忘れることはできない。
 いちはやく新しい時代の理念を先取りして、障害者青年学級や知的障害者の本人活動の中で目覚ましい活躍をしていた高坂茂さんの日常は、古い時代のままの苛酷なものだったといえよう。
 高坂さんの死という重い取り返しのつかない事実を前にして、私たちは何もなす術を知らないが、彼が胸の中で思い描きつつ、着実に一歩ずつ実現に向けて歩み出していた夢を、私たちが何らかのかたちで引き継いで行くことが、彼の死に報いる一つの道ではないだろうか。そして、何よりも、高い志しと厳しい現実に引き裂かれるようになりながら、たくましく生き抜いた高坂茂という人間が生きていたというかけがえのない事実を、同時代を生きる一人でも多くの人に知ってもらいたいと切に願う。」

【高坂茂さんと青年学級活動】
                  
(柴田保之氏の論文より)

 こうしためざましい活動を通して、様々な成果があがっている一方で、彼の仕事の状況は相変わらず厳しいものだった。そのような中で、以前から痛めていた腰の具合が悪化し、ついに入院するにいたったが、根本的な治療のできないま退院せざるをえず、腰痛をかかえながら仕事を続けるという状況になってしまった。だが、このことは、40代を迎えた自分白身の生活のことを改めて見つめ直すきっかけとなったようだった。
 その彼が、青年学級に弁護士を呼ぶ計画を立てたのは1998年度の活動である。そもそもはさくら会の活動で弁護士を呼んで『障害者雇用促進法』の改正についての学習会を開いたことがきっかけだったが、交渉まですべて自分でなしとげ、12月には障害者の労働問題等に詳しい清水建夫弁護士を囲んで非常に有意義な学習をすることができた。そして自立生活をめざす中で不動産屋に部屋を探しにいって断られた今田さんの話、免許を取りにいって断られたOさんの話など、現実の中で起こる様々な差別のことが直接訴えかけられた。そして、清水弁護士は、『当事者が声をあげないかぎり変わらない。もっともっと声をあげてほしい。』としめくくった。
 この活動の後、一人暮らしを始めることができた今田さんは、高坂さんの追悼集会で読み上げた追悼の辞の中で、この時の活動でふっきれたものがあって自分はアパート暮らしに踏み出すことができたというように語っており、この活動の意味の大きさを改めて痛感させられることとなった。
 腰の痛みに耐えながら、3月の成果発表会の劇の台本作りを高坂さんはやりぬいた。内容は、今田さんがアパートを借りに行って不動産屋に断られ、弁護士を伴って抗議にいくというもの。弁護士役を演じたのは高坂さんだった。

 弁護士役を演じてまもなく高坂さんは亡くなってしまいました。

【高坂茂さんが亡くなって8年】

 高坂茂さんは労働はきつかったが正規社員でした。クリーニング会社の社長も副社長も根は悪い人ではありませんでした。さくら会の仲間もそうですが当時は知的障害の人のかなりの人が一般企業の正規社員として働いていました。ところが高坂茂さんの担任教師であった横田滋さんの話では高坂さんが勤めていた頃一般企業に紹介した卒業生のほとんどは一般企業をやめているとのことです。その背景にはかれこれ10年に及ぶ労働冬の時代で、障害のない労働者もリストラで労働市場から追い払われるか、非正規雇用で劣悪な労働条件で働かされています。知的障害の労働者が真っ先に一般企業の労働市場から追い払われたのは自然の理です。知的障害者に働きやすい中小企業の経営が厳しいことも多いに影響していると思います。
 今国会で、障害者雇用促進法の改正案が審議されており、週20時間以上週30時間未満の短時間労働の障害者を雇用した企業は0.5人分を雇ったことにするように改正されようとしています。厚生労働省は授産施設など一般労働市場で働けなかった障害者を一般労働市場で働けるようにするための改正であると強調しています。しかし、これは障害者を正規労働者にしなくともパートでも法定雇用率にカウントしようとするもので、障害をもった労働者の労働環境を益々きびしくするものです。どうしても非正規雇用も法定雇用率にカウントするのであれば、正規雇用は正規雇用労働者の1.8%、非正規雇用は非正規雇用労働者の1.8%としてあくまで正規雇用枠は確保すべきだと思います。このことに関し、私は昨年12月6日の職業リハビリテーション研究発表会で論文を発表していますのでご覧下さい。
    [論文:法改正「パートも派遣も障害者雇用率に算入」の問題点]
 いずれにしろ、高坂さんが亡くなって8年、この間知的障害のある労働者の労働環境は一層厳しくなりました。一般労働市場で働く知的障害者が少なくなったためか、知的障害者の当事者の会も以前ほど元気がなくなっています。高坂さんと同じように、人に頼らず自らが社会に発信するリーダーがなかなか生まれてこないのが悲しい現状です。

 

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