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2008年3月10日 (月)

死にたい人間なんていない

【呼吸器の母 12年の介護
           川口有美子さんと母の島田祐子さん】

                      (3月7日 朝日新聞 より)

川口有美子(かわぐちゆみこ)(45)は夫の転勤でロンドンに移り、7歳の娘と2歳の息子の子育てに夢中になっていた。95年6月、電話を受ける。東京の母、島田祐子(しまだゆうこ)からだった。
  「……ALSって、変な病気になっちゃったみたいなの」
 医師は呼吸器をつければ生きていけるという。でも、介護がすごく大変だから、どうしたらいいかしら。母の涙声を聞いて川口はとっさに答えた。「いいじゃない、呼吸器をつけて生きれば」
 天窓から昼下がりの日差し。庭のアカシアが風に揺れていた。その日がすべての始まりだった。

 ALSは進行性の難病だ。筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症。川口が家庭向けの医学書を開くと、「運動神経が侵され、あらゆる筋肉が萎縮し、さいごは呼吸もできなくなる」。絶望的な言葉がならんでいた。宇宙物理学のホーキング博士(66)もこの病だった。
 その夏に帰国、介護生活が始まった。母の祐子は当時59歳。包丁がもてなくなり、起きようとして布団に倒れ、風呂場でタイルの目地につまずいた。舌がもつれ、うまく話せなくなった。出版社をやめた妹の千佳子(ちかこ)(42)や父と交代で付き添う。
 認知症の祖母の介護で苦労した祐子は「呼吸器をつけてまで生きたくない」。でも別れるのは悲しい。つけなければ死ぬ。つけるかどうか。決められぬまま12月、体調が急変し、救急車で運ばれた。
 「助けてっ」。集中治療室で祐子は娘たちにいった。医師は気管切開して呼吸器をつけた。
 2カ月後、自宅にもどった。ベッドわきに呼吸器や痰(たん)の吸引機。シュポーという呼吸器の音。家族は心配で部屋から出られない。緊張の連続。仮眠は1、2時間。
 やがて祐子に気力がもどる。話せないかわりに、50音の文字盤を祐子が目でさし、家族が読み取る。短歌もはじめた。
 96年秋、総選挙があった。投票は自筆でないと認められない。祐子は「そんなの、おかしい!」と、千佳子に代筆させて日弁連に嘆願書を送る。ベッドの上から、投票できる日を待っています。のちの制度改正につながる。
 さらに病状は進んだ。文字盤をさす目が動きにくくなり、一日に読みとれるのはわずか数文字に。ある日、「し・に・た・い」。
 そんなに死にたいなら、いっそ……。そして私も。「妹も私も何度も母を殺そうとしましたね。かわいそうで」と川口。患者家族らが集うALS協会の橋本操(はしもと・みさお)(54)に、つらさ、切なさを訴えた。

【死にたい人間なんていない 橋本操さん】 (3月7日朝日新聞続き)

 橋本もまたALS患者である。千葉の漁師の娘に生まれ、27歳で結婚、32歳で発病したとき5歳の娘の母だった。39歳で呼吸器をつけ、わずかに動く唇と目の動きをヘルパーが読みとって伝える。
 「根性がない」と橋本。川口はむっとする。「母を根性なしといったんだと誤解して。でも、あとで根性がないのは私のことだとわかった」。母はほんとうに死にたいのかしら、と泣くと、橋本は「バカな! そんな人間はいない」と目と唇でしかった。
 橋本は都の難病支援制度やボランティアを使い、家族以外が介護するシステムをつくっていた。それを学んだ川口も、介護者を養成して派遣する事業を起こす。日本独自の「サクラモデル」と海外に知られるようになる。
 99年、祐子はついに目も動かなくなる。意思を伝えるすべがなくなった。川口は、祐子が仏壇に遺書を残していたのを思い出す。封筒をあけると、よろけるような字で「人生は楽しい」。
 楽しい? どんなにつらくても人生を楽しんで、という励ましに思えた。ふっと肩の力がぬけた。死なせたほうが、という呪縛から解き放たれ、救われた。
 07年9月、祐子は逝った。71歳。川口は母のベッドに大の字になった。12年の間、ここがママの居場所だったんだ。天井をずっとみつめた。

 実は、ALS患者の8割以上が呼吸器をつけずに亡くなっていく。多くが家族に迷惑をかけたくないと気兼ねして。そんなことをしないですむ世の中にしたい。
 だれにもいずれやってくる、その日。その日まで、生きる。

【私の意見】Up63

【生まれながらに呼吸器をつけた赤ちゃん】

 私は川口有美子さんも橋本操さんも大変親しい知人です。お二人とも尊厳死の法制化に反対していて、いろんな会合でお会いします。川口さんの話では、アメリカではALS患者が呼吸器をつけて生きるという発想がほとんどなく、ALSになると呼吸困難になって死ぬのは仕方がない、定められた運命という考えが支配的だそうです。ですから、ALS患者について日本のような患者運動は起こらないとのことです。
 生まれながらに呼吸器をつけないと生きていけない赤ちゃんの親の方たちがつくっているバクバクの会というのがあります。あるお母さん(Aさん)が生後3ヵ月のときから呼吸器をつけて生きている5歳の娘(Bちゃん)が日々成長し目で喜びや悲しみを伝えてくれるのが嬉しいと報告していました。その後7歳頃この娘さんは亡くなりましたが、娘とともに生きることができた7年をかけがえのないものとしてあらためてつづっていました。
 Aさんの話では、以前はBちゃんと同じ難病の赤ちゃんが生まれると医師は親の意見を求めるまでもなく当然のこととして呼吸器をつけていました。ところが最近では「治療法はない。お子さんは呼吸器をつけてもほとんど自由に活動できないし、長く生きることはできない」ことを告げた上で、呼吸器をつけるかつけないかの選択を親に迫るそうです。現代医療はBちゃんの7年の人生、Bちゃんとともに生きたAさんの人生を無意味と決め付けているのに等しいように思えてなりません。

【親亡き後の難病の子どもや知的障害の子どもの将来】

 がん患者の女性Cさんは70歳を越え、がんを宣告され死期も告げられました。40歳の難病患者の息子(D君)の将来を案じCさんが私のところに相談に見えました。夫の残した財産がそれなりにあり、経済的にはかなり恵まれた母と子ですが、Cさんはご自分が亡くなったあとのD君のことをとても心配しています。信託銀行から遺言信託等の提案を受け、CさんはD君を信託銀行と遠くの親戚に託すことを考えていました。私は川口さんにD君のことについて意見を聞きました。川口さんは開口一番、信託銀行や親戚に頼る前にD君は自分で生きることを考えた方がいいのではないですかと言いました。川口さんの話を聞いてなるほどD君の場合には自分の住む自治体にヘルパー等を頼めば今住んでいる地域で充分に生きていけると思いました。その後D君に会いましたが、D君は意識も考えもしっかりした男性で、今から他人に頼る人生を選択をする必要はないことを実感しました。
 子どもに障がいのある親の方、とりわけ知的障がいのある子どもの親の方は、親亡き後をとても心配しています。これまで多くの親は子どもを施設に入所させることで一安心していました。しかし施設での生活は食べるには困らず安全ですが、人らしい生活とは言えないのが現実です。障がいのある人もない人も地域で人間らしく生きていくためには国や地方自治体の強力なサポートが不可欠ですが、障害者自立支援法などの法制度や終末期医療についての国の考え方は、サポートを削減する方向に大きな流れを形づくっています。この流れを打ち砕くためには、私たち市民の側で強固なサポート体制を築き、実践によって打ち砕くしかないように思います。

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コメント

清水先生、ご無沙汰してます。
朝日新聞読んでくださったのですね、恥ずかしいようなうれしいような・・。
(私としましては、その日に限って仏壇にお花が供えていなかったのが悔やまれます)また4月の集会でお目にかかります。こちらは脳マシーンで新たなパーソン論(治療の線引き)がおこなわれないように注意を払ってます。

投稿 aji | 2008年3月10日 (月) 19時50分

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