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2008年2月10日 (日)

淋しく悲しい通勤風景 凍る日本人の心

【私の通勤ルート】

 私の事務所までの通勤ルートは朝(行き)は都営浅草線の西馬込駅まで15分位歩き、西馬込から23分乗って東銀座駅に着きます。東銀座から7分くらい歩いて銀座6丁目の事務所にたどり着きます。西馬込駅は都営浅草線の始発駅ですからゆっくりと座って日経新聞の朝刊を読むことができます。夜(帰り)は事務所からJR新橋駅まで8分位歩いてそこからJR大森駅まで15分位乗ります。大森駅からバスもありますが疲れているので最近はタクシーに7分位乗って帰ることが多くなりました。

【朝は障害物競走】

 他府県に行くときは早朝に家を出ますが、事務所に行くときは午前8時台に家を出ることが通常です。都営浅草線はあまり混まない線なので私にとりいろんな意味で楽ができる路線です。ただひとつ難点は西馬込駅の改札口からプラットホームまでかなりの階段があるということです。そのため発車間際になると若い男女がプラットホームまでの階段や通路を走り抜けます。女性のヒールがコンクリートをコツコツと打つ音は耳をつんざくほどです。一般の通勤時間から少し遅れているので混み具合はさほどではないのですが、朝の駅構内はまるで障害物競走です。老人や障がいをもった人は正に障害物で、私もその1つの存在です。

【階段から突き落とされた障がいをもった青年】

 私の友人で運動機能に障がいがあって身体をゆり動かしながゆっくりとしか歩けない青年がいますが、彼は階段をおりるときに2度にわたって突き落とされたと言っていました。突き落とした側の人物もおそらく突き落とすことを企図して彼の身体に触れたのではないと思います。急ぐ気持ちが、ゆっくり歩く彼を行く手を阻む存在とみて振り払ったと思われます。急ぐ人物にとり、ここでも障がいをもった人や老人は障害物なのです。

【会社や学校に遅れない!】

 日本人は“会社の定時に遅れない!”“学校に遅刻しない!”というのが至上命令として生きてきました。そのためには前に居る人を払いのけても突き落としても前に進む必要がありました。日本人は自分の属する集団の規律を乱すことがあってはならないということを、何よりも優先させてきました。ところで、これほどまで集団を大切にするのにその集団の中で心の通った血の通った人間関係が築かれているでしょうか。集団の構成員相互の関係は最近とみに無機質な人間関係になっていると私は思います。

【金曜日の夜8時過ぎの電車の中で】

 2月8日(金)夜8時過ぎにJR新橋駅から京浜東北線に乗りました。新橋駅は山手線、京浜東北線、東海道線の上下計6線の乗客が同じ改札口を出入りするのでいつも混雑しています。私とは逆の東京方面行きの電車からはき出される乗客の列に遭遇しましたが人々は我先へと進み私に道を空ける人はいません。モタモタしていると後ろからきた女の人が荷物を私の肩にあてながら、謝ることなく先に突き進んで行きました。
 プラットホームで私の前にならんでいたある男の人が松葉杖をついてシルバーシートの前に立ちました。3人の男性が座っていましたが誰一人として変わる気配を示しませんでした。私が降りた大森駅でもまだその人は立ったままでした。“私はエーッ信じられない!”と思い、座っている人たちの顔を見ましたが何も感じていない素振りで本や新聞を読んだり前を見ていました。丁度車内放送がシルバーシートでは身体の不自由な方や妊娠をした方に変わってあげてくださいと放送していましたがそれも聞こえたのか聞こえなかったのか。座っている3人の男性は50代前後でしたが身体は不自由な人はいません。自分を老人と位置づけて座り続けることを自分の心の中で正当化したのでしょうか。私はとても淋しく悲しい思いをし、日本人であることを恥ずかしく思いました。今の大人に若者を非難する資格はないと思いました。

【孤立を深める一人ひとりの日本人】

 20数年前の朝日新聞で中国の水墨画の画家が日本の男性の顔はとても美しいとほめてくれていたことがありました。電車に乗ったときなどそっとスケッチすると書いていました。当時の日本の職場も企業戦士と言われたほどですから男性たちの生き方は決して人間的なものではなく、中国人の画家がほめすぎだと思います。でも今よりはまだ企業内での仲間意識があり、面倒見のいい男性もいて、そんな男性の表情には確かに一定の魅力がありました。その後リストラによる雇用不安の嵐が吹き、成果主義で選別される職場環境の下で多くの日本人が互いに競わされました。その結果一人ひとりが孤立を深め、他者を思いやるゆとりを失ってしまったことは否定しようがありません。JRの電車や地下鉄に揺られる日本人の男性は疲れはてています。残念ながら電車の中でも銀座の街角でも多くの女性からもやわらかな眼差しが減っています。グローバル競争でたとえ日本の企業が勝ち続けても、また日本経済が他国の経済を凌駕しても、日本人一人ひとりが孤立化し、他者を愛する気持ちをもてないのなら何の値打ちもありません。心の面から私たちの国の劣化をあらためて思い知りました。

【地獄に向かって突き進むだけ】

 私の尊敬する神野直彦東京大学大学院経済学研究所教授は、小泉「構造改革」がはじまった2001年1月「『希望の島』への改革」(NHKブックス)で次のように警告していました(19~20頁)

 「競争社会」を目指す日本では、企業のコストを低めることだけに目が向けられてしまう。そのため、労務コストを低め、課税負担を低め、社会保障負担を低め、企業負担の軽減による経済成長が目指されるため、雇用が悪化し、かつ財政も破綻してしまうのである。
 経済が活性化するためには、社会を構成する掛けがえのない人間が能力を高め、意欲をもって働かなければならないという、極めて常識的な真理が、日本では忘れ去られている。機械や土地がやる気を出すわけがない。
 いま日本は、血眼になって社会から人間を排除することに全力を挙げている。何のために社会から人間を追い出すのかを、立ち止まって再考しなければならない。
 人間の幸福のために、企業があり、政府があるはずである。人間を忘れた日本は、明らかにハンドルを切り間違えたのである。ハンドルを切り間違えたのであれば、アクセルを吹かせても、地獄に向かって突き進むだけである。早くハンドルを正しい方向へ切り替えなければならない。
 人間は、人間にとっての最高の存在である。経済のために人間があるのではなく、人間のために経済はある。ところが「競争社会」では、人間は経済の「手段」にしかすぎない。人間はコストを高める妨害物と見なされ、人間が共同生活を営む「場」である社会から人間を追放してしまう。
 しかし、人間中心の「協力社会」では、人間の能力を相互に高め合い、生産性を向上させることによって、経済成長を目指すことになるのである。
 今からでも遅くはない。生まれ出ずる痛みに耐え、人間を中心とする社会を目指して「歴史の峠」を越えていこうではないか。
 つまり、日本を「希望の島」に再生するため、「競争社会」に別れを告げ、「協力社会」への道を着実に歩み始めようではないか。

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