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2008年1月28日 (月)

日経偏りすぎ? 成長・改革・内向き志向

            ― 1月27日・28日 日本経済新聞 より ―

【迷走ニッポン 今すべきこと】

 米国の住宅バブル崩壊で世界経済が変調を来すなか、日本は塹壕(ざんごう)にこもるような内向き志向を強めている。改革後退はグローバルにみた魅力の低下に拍車をかけている。逆境を乗り切り、成長する国をつくれるかの底力が試される。

 日本経済新聞の滝田洋一編集委員の名で出された1月27日の記事は私には疑問点が少なくありません。
 米国の住宅バブル(サブプライム)問題は竹中平蔵氏をはじめ日本の市場経済主義者たちがほめたたえていた米国経済の実体なるものがいかに虚構にみちたものであるかを白日のもとにさらしました。市場経済主義者たちが同様にほめたたえていた米、欧の金融機関も日本の金融機関と何ら変わらずいい加減なものであることも白日のもとになりました。日本の金融機関は米、欧の金融機関よりも先に金融危機を経験したために今回はサブプライム問題による痛手は 米、欧の金融機関よりも少なくてすみました。記事は「塹壕にこもるような内向き志向を強めている」とか「改革後退はグローバルでみた魅力の低下に拍車をかけている」とかの文学的、心情的言葉で表現していますが具体的に何をしろというのでしょうか。痛んだメリルリンチなど米、欧の金融機関の増資を引き受けろというのでしょうか。

【内向き脱却で悪循環断て】

 福田康夫首相は26日サブプライムローン問題への迅速な対応を訴えたが、中曽根氏が「米国発株安の歯止め役」を自任した20年前と違い、今の日本は最も大きく振り回されている。自民党が参院選で惨敗した昨年7月以来、外国人投資家の日本株売越額は3兆円を超す。日本は変わると期待していた外国勢が逃げ出したのだ。
 米欧と違いサブプライムの損失が少ないはずの日本の株式が売られるのはなぜか。日本の株式は外国勢の買いに頼っている。経済そのものも外需頼み。こんな「2つの外頼み」が背景にある。

 外国人投資家が日本株を売って日本の会社の株価が下がったからと言って、国民の生活にどんな影響があるのでしょうか。日本の企業が株式市場や債券市場から資金を調達するうえでは影響があるでしょうが、今日本の上場企業の多くは流動資産が豊富で証券市場から是が非でも資金を集めなければならない状況ではありません。
 1月28日の「迷走ニッポン 今すべきこと・中」で同じ日経の西條都夫編集委員は次のように述べ企業に資金が豊富にあることを認めています。

 幸いバブル崩壊後の「失われた15年」に日本企業はリストラを進め、財務基盤は健全化した。上場企業の営業キャッシュフロー(現金収支)は日本の国内総生産の1割弱に当たる40兆円に達している。

【国民1人当り名目GDPが世界18位】

 93年には経済協力開発機構(OECD)諸国中のドルベースで第2位だった一人当たり名目GDPは、06年には18位に低下した。金額でみても3万5000ドル強から3万4000ドル強へと減少している。円安で輸出を押し上げても、経済全体が上げ潮に乗っていない。
 所得の低い国は、高い国より速く成長するので、経済格差は縮まる。「経済学には収斂(しゅうれん)の理論があるのに、今の日米間にはそれが当てはまらず格差が開くばかり」。竹中平蔵慶大教授は日本の停滞に警鐘を鳴らす。

 日本工作機械工業会の1月22日の発表によると2007年工作機械受注は前年比10.6%増の1兆5899億円となり2年連続で過去最高を更新しています。円安の恩恵もあって日本の貿易収支も順調です。円安の恩恵を受けながら、その円安のもとでドル換算ベースで一人当たり名目GDPをはじき出せば下がるのは当たり前です。たとえ国民1人当り名目GDPが下がったとしても、日本の大企業には何の影響もなく、着実に財務体質を強化しています。日本の貿易黒字も着実に積みあがっています。竹中平蔵氏は「日米間の格差が開くばかり」と言っていますが、世界経済が変調をきたした震源地が米国であるのに、何をもって格差が開くばかりと言っているのでしょうか。理解に苦しみます。

【成長戦略こそ】

 バブル崩壊後の危機から脱すると、国民や政策当局者は慢心に陥りがち。新ビジネスの余地をつくる規制緩和のピッチは落ちている。対日投資に対し企業防衛を優先する空気が経営者にも広がりつつある。参院選後に一段と強まった内向き志向が、投資マネーの日本離れを加速している。
 日本は取り巻く外部環境が悪化するなかで、今こそグローバル化に対応した「経済開国」を急ぐときである。

 企業の新規参入などで農業の生産性を高め、市場開放を進めながら「攻めの農業」に転じる農業改革。外国の多様な人材を活用できるようにする労働市場改革。長い間、なかなか前に進まなかった改革は待ったなしだ。

 「経済開国」「攻めの農業」「外国の多様な人材を活用できるようにする労働市場改革」と魅惑的な言葉は並んでいますが、農家など国民一人一人の生活の安定にどのように寄与するのでしょうか。「改革!」と叫べばみんな黙ってしまった小泉・竹中「改革」は国民一人一人にどんな夢を運んでくれたのでしょうか。

【真の改革と成長の路線】

 企業にたまった潤沢なキャッシュ(手元現金)や家計の1500兆円の金融資産を生かし、海外からの投資資金を引き込む。そのためには金融業と金融市場の活性化が早急に必要だ。政策当局に求められるのは、真の改革と成長の路線である。

 「企業にたまった潤沢なキャッシュ(手元現金)や家計の1500兆円の金融資産を生かし、海外からの投資資金を引き込む」というのは理解不能です。企業にも家計にも資金が豊富であれば海外から投資資金を引き込むのではなく、むしろ海外に投資することを推奨することにならないでしょうか。「そのためには金融業と金融市場の活性化が早急に必要だ」と言うのはサブプライム問題で多額の損失を出した米、欧の金融機関や金融市場を見習えと言うのでしょうか。「政策当局に求められるのは、真の改革と成長の路線である」と言っても何が「真の」改革かが今問われているのです。かつて野党が「真の」民主主義とか「真の」革新とか言ってやゆされていましたが、総じて主張に裏付けがないときに「真の」という形容詞を使う傾向があります。

【変われない国に見切りをつける】

 西條編集委員は次のように述べています。

 日本郵船の宮原耕治社長は部下の報告にショックを受けた。年明けに投資家向け広報で担当常務を北米に派遣したが、機関投資家から「日本の企業に興味はない」といわれ、面会の約束さえ満足に入らなかったのだ。
 同社は中国の製鉄会社と長期契約を結ぶなど顧客基盤のグローバル化を進めてきた。だが日本に本社を置くという一点で、そっぽを向かれる。「日本の存在感がここまで低下したとは」。宮原社長の危機感は募る。
 米国に端を発した世界経済の変調。日本の信用システムが受けた傷は米欧に比べはるかに軽いはずだが、日本株の下げはきつい。政治における改革路線の後退などに外国人投資家が失望し、「変われない国」に見切りをつける構図である。

 西條委員は「政治における改革路線の後退などに外国人投資家が失望し」たと言っていますが、ほんとうにそうなのでしょうか。そのことがきちんと検証されたのでしょうか。私には客観的裏付けにもとづいた記事とは思えません。

【企業防衛】

 私はむしろ滝田編集委員の指摘する

「対日投資に対し企業防衛を優先する空気が経営者にも広がりつつある」

とか、西條編集委員の指摘する

「日経平均株価の昨年来高値は、東京高裁がブルドッグソースの買収防衛策を支持した昨年7月9日で、それ以降相場は下げに転じた。企業が内向きの姿勢を強めれば、投資マネーの日本離れは加速する」

という事実こそが投資マネーの日本離れに影響していると思います。
 しかし、そもそも企業は株式を公開するか否かの自由をもっています。企業家は大量の資金を集めたいために株式を公開しますが、自社独特のモノづくりに専念したり、他よりすぐれたサービスを提供し、折角企業評価が高まっても敵対的買収を受けると安心してモノづくりに打ちこめません。経営者が企業防衛に走りがちなのは当たり前のことです。これを経営者の自己保身と決めつけることはできないと思います。それに企業防衛を非難するのであれば、株のもちあいなどを進める企業群であって「政治における改革路線の後退などに外国人投資家が失望した」というのは論理が飛躍しています。

【社説・論説になると数値的卓越性がガクンと落ちる】

 何度も言いますが、私は日本経済新聞にすぐれた記者をたくさん知っています。たとえば障害者の労働問題の取材を受けた場合にも、一般紙の記者は弱者救済という安易な表現に走りがちですが、日経の記者は障害者の自立のために何が必要か、そのために企業のコストはどうかという視点から数値的、冷静に分析しながら、結論としては前向きな記事を書いてくれさすがと思うことがたびたびでした。ところがひとたび「成長」「改革」に関することになると日本経済新聞は「成長」「改革」路線を強調し、強調すぎのあまり日経新聞の強みである論理性、数値性、客観性、冷静性を欠く記事が少なくありません。第一線の記者の方々からは日経新聞の数値に裏付けられた卓越性を感じるのに社説とか論説になるとその卓越性がガクンと落ちてガッカリすることが少なくありません。時の経済界首脳の考えを反映しなければならない宿命でもあるのかな???
 それに株に投資することなど思いもよらない地方の農家の方や日々残業に追われている労働者にとって投資・投機大国になることがどんな意味があるのか、日本を代表する経済紙として広い視点から冷静かつ客観的に考察していただきたいと思います。労働者や農業従事者の収入が増えないかぎり、内需が高まらず外資だけでなく、日本の企業さえも活路を日本市場ではなく、アジア新興市場に求めているのが現実ではないでしょうか。

 

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2008年1月21日 (月)

福田首相の施政方針演説と株価暴落

 2008年1月18日第169回通常国会が招集され、福田首相は同日午後施政方針演説を行いました。森、小泉、安倍と3代続けて知性と分別を欠く首相が続いたあとだけに、私には福田首相の演説は久々の分別ある政治家の施政方針演説としてほっとした気持ちで受けとめました。補給支援特措法を衆議院の再決議で成立させるなど福田首相について納得できない点はありますが、これまでの3人の首相と比べると生活者の目線で国民とまっすぐに向きあおうとする姿勢を感じました。ただし、福田首相の施政方針演説は自民党の振り子の法則によって、右に寄りすぎたのを一時的に左に寄せただけで、生産者、供給者の側に立つという自民党の本質はいささかも変わるものではありません。
 その上、すぐに短絡的思考に走りがちな日本のマスコミは福田内閣の経済無策が株価暴落・日本丸沈没をもたらしていると合唱をはじめました。

【基本方針】

 福田首相は5つの基本方針を掲げています。

 第1に、生活者・消費者が主役となる社会を実現する「国民本位の行財政への転換」
 第2に、国民が安心して生活できる「社会保障制度の確立と安全の確保」
 第3に、国民が豊かさを実感できる「活力ある経済社会の構築」
 第4に、地球規模の課題の解決に積極的に取り組む「平和協力国家日本の実現」
 第5に、地球温暖化対策と経済成長を同時に実現する「低炭素社会への転換」
 以上5つの基本方針に基づき、私は、国政に取り組んでまいります。

【国民本位の行財政への転換】

 基本方針の第1について次のように述べています。

 国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います。
 今年を「生活者や消費者が主役となる社会」へ向けたスタートの年と位置付け、あらゆる制度を見直していきます。

 首相が既存のものを「生産者・供給者の立場から作られた法律、制度、行政、政治」と言い切ったのには驚きました。社民党の福島瑞穂氏や消費者側の弁護士の発言とあまり変わりがありません。

<国民の信頼を取り戻す行財政改革>

 高齢化の進展に伴い、年金や医療など社会保障に要する費用は増加せざるを得ません。地球温暖化問題など新たな時代の課題への対応も必要となってきます。行政に対する信頼を回復するとともに、国民生活に真に必要な分野の財源を確保するため、徹底した行財政改革を断行します。

 「国民生活に真に必要な分野の財源を確保するため」に行財政改革を行うのだと言い、何のための行財政改革かを保守党の首相が明言したことも驚きです。

【社会保障制度の確立と安全の確保】

 基本方針の第2については次のように述べています。

<給付を受ける側に立った社会保障制度の再構築>

 国民生活の基盤を支える医療、年金、介護、福祉などの社会保障制度については、少子高齢化の進展などにより、制度の持続可能性が問われています。これまで、給付やサービスを受ける方々の立場に立った行政を本当に行ってきたのか、反省すべき点が多いと思います。今こそ、国民の皆様の立場に立って発想を切り替え、自立と共生の理念に基づき、将来にわたり持続可能で、皆が安心できるよう、社会保障制度を立て直さなければなりません。

 ここでも給付サービスを受ける側の立場に立った行政を強調しています。

【活力ある経済社会の構築】

 基本方針の第3については次のように述べています。

<中小企業や農業の活力を引き出し、すべての人が成長を実感できる全員参加の経済>

 第3は、雇用拡大と生産性向上を同時に実現し、すべての人が成長を実感できるようにする「全員参加の経済戦略」の展開です。意欲ある人が皆働けるように、女性と60代の方の労働参加率の引上げやフリーターの減少について、少なくとも政労使の合意に基づく数値目標を達成しなければなりません。また、労働分配率の向上に向けて、正規・非正規雇用の格差の是正や、日雇い派遣の適正化等労働者派遣制度の見直しなどを行います。各分野で高い能力、知識を持つ専門家の育成に力を入れるとともに、特に女性の参画が進んでいない分野に重点を置いて、女性の働く意欲を引き出すことができるよう、「男女共同参画社会」の実現に向け戦略的に取り組んでまいります。
 我が国経済の活力を支えるのは中小企業の底力です。日本の強みである「つながり力」を更に強化し、地域経済の活力の復活と中小企業の生産性の向上を実現するため、地域連携拠点を全国に200から300か所整備します。

 活力ある経済社会は女性、高齢者、フリーター、非正規雇用労働者、中小企業、農業従事者など日本の社会から置き去りにされてきた人々を含めて全員参加で実現すべきことを述べています。強者や大企業中心に活力ある経済社会をめざした小泉、安倍路線の軌道修正が汲みとれます。

【世界の平和と発展に協力する外交の推進】

 基本方針の第4について次のように述べています。

<「平和協力国家日本」>

 平和協力は狭義の安全保障の分野には限りません。貧困の解消、保健衛生状況の改善などは、人道上の要請であるとともに、すべての人々に「希望と機会」を与え、平和と安定への道を用意するものです。本年我が国で開催されるアフリカ開発会議やサミットなどにおいて、こうした「人間の安全保障」面での課題解決に向け、G8各国やEUとも協力してまいります。また、自然災害の多発する我が国が蓄積したノウハウを海外の防災に役立たせるよう、国際協力を進めます。

 平和で安定した国際社会は、日本にとってかけがえのない財産であり、日本ができるだけの協力を行う必要があります。日米同盟と国際協調を基本に、これらの地球規模の課題の解決に積極的に取り組み、世界の平和と発展に貢献する「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たします。地域や世界の共通利益のために汗をかく、魅力に満ち、志のある国を目指したいと思います。

 平和協力は狭義の安全保障の分野には限らないとし、人道支援を視野において述べています。施政方針演説で日本の首相がアフリカについて触れたのは少しうれしくなりました。

【「低炭素社会」への転換】

 基本方針の第5について次のように述べています。

 地球環境問題は21世紀の人類にとって最も深刻な課題です。一刻も早く、国際社会の協力の下に、全地球的規模で、温室効果ガスの削減に取り組んでいかなければなりません。我が国は、これまで、徹底的に省エネ技術の開発や導入を進め、世界最高のエネルギー効率を実現しました。こうした「環境力」を最大限に活用して、世界の先例となる「低炭素社会」への転換を進め、国際社会を先導してまいります。

【憲法に関する議論の深化】

 安倍前首相が熱い思いで成立させたばかりの国民投票法について改正の議論を呼びかけたのにはびっくりしました。

 国の基本を定める憲法に関する議論につきましては、昨年の通常国会で関係各位のご努力により、国民投票法が成立しました。もとより国会が決めるべきことではありますが、今後は国会のしかるべき場において、国民投票法の審議過程で積み残された諸課題や、改正するとすればどのような内容かなど、すべての政党の参加の下で、幅広い合意を求めて、真摯な議論が行われることを強く期待しております。

 数は力なりと強行採決した安倍前首相を批判しているのに等しい発言です。

【日本経済新聞 論評 「株安、危機感乏しく」】
                    (1月18日 日本経済新聞 より)

 日経新聞は「株安、危機感乏しく」という見出しで福田首相の施政方針演説を次のように批判しています。

 福田康夫首相が施政方針演説で消費者行政の一元化などを打ち出すのは、生活密着型の「福田カラー」によって内閣支持率の低迷にあえぐ現状打開のきっかけをつかむ狙いがある。だた、日本経済を揺さぶる最近の急激な株安を食い止めるだけの具体的なメッセージには乏しく、危機感も伝わってこない。

 演説の柱の一つとして経済成長戦略の加速を掲げるのは、世界経済に占める日本の急速なシェア低下を受け、国際競争力の行方に不安を募らせているためだ。
 最近の株価下落や原油高への対応にもひとまず触れている。とはいえ市場で「経済無策」との声も漏れるなか、福田政権として打ち出す効果的な対応策は見当たらない。
 
 国民は明確なビジョンと実行力を求めている。政策の混迷や閉塞(へいそく)感は果たして国会のねじれだけによるものなのか、福田政権の体質にも原因があるのではないか。こんな声も漏れている。

【朝日新聞 社説 「では『改革』はどうする」】
                      (1月19日 朝日新聞 より)

 トーンは日経新聞とは違いますが、朝日新聞の社説は「では『改革』はどうする」という見出しで次のように述べています。

 米国の低所得者向け(サブプライム)住宅ローンの焦げ付き問題から、世界経済には暗雲が広がっている。そのなかでも日本市場の低迷ぶりが際立っている。財政再建など改革への取り組みがスピードダウンしていると見られていることが、その原因のひとつと指摘される。
 そうした大波に抗して、この国をどう引っ張っていくつもりなのか。国民への目配りを重視する首相の思いは理解できるが、内向きばかりに目を奪われて日本丸が沈み始めては元も子もない。
 癒しの政治も、経済の安定なしには立ち行かない。福田流の「改革」をもっと明確に語ることだ。それなしに国民本位と言われても、説得力がない。

【日本の経済の実態】

 マスコミは福田内閣の「改革」軽視、バラマキによる経済無策が世界で日本だけが株安、円安に低迷し、経済を失速状態にしたとの合唱をはじめようとしています。
 私は日本の実態経済はそんなに悲観するほどやわなものとは思いません。次の2つの記事をご覧下さい。

<株安、欧米・アジアで加速 下落率日本と並ぶ 米景気減速懸念強まる>
                   (1月20日 日本経済新聞 より)

 欧米やアジア市場でここへ来て株価の下落が加速し、下げの大きさが際立っていた日経平均株価に並んできた。米景気が本格的に減速し始めたとの見方から世界的に経済の先行き懸念が高まったことが背景にある。
 1月第2週時点(11日まで)の日経平均の年初来下落率は7.8%で3-4%前後の各国指数に比べて下げが大きかった。しかし第3週時点(18日まで)ではほぼ横並び。日経平均は9.4%と以前下げ幅が大きいが、香港が9.4%、フランスやドイツも9.3%など、下げ幅が並んできている。米英も9%近い下げになった。

<金融機関08年、本社調べ 日本でファンド融資拡大>
                   (1月20日 日本経済新聞 より)

 国内外の金融機関が日本で買収ファンド向けの融資を拡大させる。日本経済新聞が実施した調査によると、2008年の計画を示した大手銀行や外国証券など14社は合計で2兆円超の買収融資を用意、07年実績の3倍強に増やす。欧米では信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題の影響で金融機関が融資を手控えており、大型のM&A(合併・買収)は事実上ストップ。影響が軽微な日本市場で攻勢をかける。
 
 欧米では昨年8月以降、サブプライム問題の余波で金融機関が融資に慎重になり、M&Aの件数や金額が急減。融資を実行した後、債権を別の投資家へ転売するのを前提にしているが、この株価も下落しており、損失も膨らんでいる。
 ところが、日本では巨額の損失を計上した欧米の一部金融機関を除き、積極的な融資姿勢を維持している。
 ある外国証券会社によると、世界的な大手買収ファンドは欧米市場で融資がつかないため、日本やアジア市場に目を向けているという。

 日本株だけが株安でないこと、日本の企業は健全なため世界の資金が日本に集まりつつあるということが伺われます。

【私の感想】Up63

 私はバブル崩壊直後の企業再建で再建途上の企業の代理人としてたくさんの金融機関を回り協力を要請しました。その頃は日本の金融危機は本格的にははじまっていませんでした。訪ねた金融機関の支店長が「株価も下がるし銀行としても大変です」と言ったのを聞き、株に疎い私は“なぜ、銀行が株のことを気にするのなかな?融資先企業の財務体質のことを考えればいいのに・・・”という疑問を持ちました。銀行の資産の相当割合を株式が占めていることを当時の私は思っていなかったのです。小泉・竹中改革が“貯蓄から投資へ”の流れを国策としてつくったため、株安は銀行のみならず国民一人一人の金融資産の下落を意味するようになりました。馬券を買って一喜一憂する程度ならまだいいですが、かなりの日本人の生活が株価の動向に左右される社会が活力ある健全な社会とは私は思いません。株価に一喜一憂することなく、国民一人一人が社会にささやかなものであってもプラスを生み出そうとする志をもてる国づくりをめざしたいものです。

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2008年1月12日 (土)

「国家の品格」「女性の品格」の品格度

【藤原正彦著「国家の品格」(2005年11月 新潮新書)】

著者紹介(著書の巻末の記載より)

藤原正彦(ふじわら・まさひこ)  1943年(昭和18)年旧満州生まれ。東京大学理学部数学科、同大学院修士課程修了。コロラド大学助教授等を経て、お茶の水女子大学理学部教授。作家新田次郎、藤原ていの次男。著書に『若き数学者のアメリカ』『天才の栄光と挫折』等の他、共著に『世にも美しい数学入門』。

 私はこの本を2006年12月25日付の39刷版で購入しています。日本人に「品格」を問い220万部突破!と強調した赤い背表紙がついていました。この本を読めばまるで日本人の品格が高まるかの如きです。この本がつけた品格ブームに乗っかったのが前回のブログで触れた坂東眞理子著の「女性の品格」です。
 日本人に品格が欠けている部分が多いと私も思っていますが、「国家の品格」も「女性の品格」も安っぽい品格論の押しつけで、品格を欠く品格本ブームというのが私の率直な感想です。 

【第三章 自由・平等・民主主義を疑う】

<ジョン・ロック批判>
 著書「国家の品格」は欧米批判を第三章「自由・平等・民主主義を疑う」として人権思想に対して攻撃しています(65~94頁)。

 「すなわち国家とは、人民が自由を放棄した状態を言うのです。どんな自由もないというのは言い過ぎですが、次の世代のジョン・ロックのように『他人の自由と権利を侵害しない限り自由』という考えよりは、ホッブズの方が本質を衝いている。ロックの説が正しければ援助交際もオーケーとなります。」

 「ロックというのは、大物中の大物思想家です。
 個人は自由に快楽を追求してよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから、と述べました。何と無責任でデタラメな発言でしょう。ロックこそは、民主主義、功利主義、近代資本主義の祖と呼んでも過言ではない人です。」

ジョン・ロック (wikipedia より)

 ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 - 1704年10月28日)はイギリスの哲学者、社会契約論者、ピューリタン信仰者。ウェストミンスター校およびオックスフォード大学出身。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。

彼は、王権神授説を否定し自然状態を牧歌的・平和的状態と捉え、公権力に対して個人の優位を主張した。政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた。抵抗権の考え方はのちにバージニア権利章典に受け継がれていく。

また彼は、名誉革命期、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権の分離を説いた。また、対内的な行政権を執行権、対外的な行政権を連合権と呼んだ。これがのちにモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)まで発展する。

その他、政教分離を説いたり、フィルマーの家父長的政治を批判したりと、現実主義的な考えを展開している。

 正にジョン・ロックは人権思想の祖です。ロックの思想を歪曲して「ロックの説が正しければ、援助交際もオーケーとなります」という藤原氏の品格度はどう測ればよいのでしょうか。

<トマス・ジェファーソン批判>
 著者はアメリカ合衆国の独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンを「ジェファーソンの偽善」と題して次のように批判しています(73頁)。

 「自由と平等はアメリカ合衆国の独立宣言に再登場となりますが、こちらはほとんどコメントしようもありません。『我々は次の事実を自明と信ずる。すべての人間は平等であり、神により生存、自由、そして幸福の追求など侵すべからざる権利を与えられている』と聞かされても、私は『32歳のヴァージニア州議会議員トマス・ジェファーソンはそう思ったんだな』と思うだけです。
 自明と思うものにまで神を持ち出されたら、『それはジェファーソンの信仰でしょ』というしかありません。ちなみに自由と平等のチャンピオンとも言うべきジェファーソンは、後に第三代アメリカ大統領になりますが、アメリカ先住民を大々的に迫害し、黒人奴隷を100人以上も所有していました。最近、ジェファーソン家で働いていた奴隷の子孫がジェファーソンの子孫であるらしいことがDNA鑑定により判明し、一流科学雑誌にも発表されて話題を呼びました。」

 最後のくだりについて、松山大学法文学部教授田村譲氏のサイト、多夢太夢(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jefasonn)によると次のように記述しています。

 「なお、ジェファーソンが夫人の没後、混血黒人奴隷のサリー・ヘミングス(Sally Hemings)との間に3人の子供をもうけていたとの風説が大統領在任時からあったが、後年、ヘミングスの子供の1人の子孫の遺伝子分析とジェファーソンの血筋のそれが一致した。そのため、嫡流(ちゃくりゅう=正統の家系)の人々で結成するジェファーソン協会(Monticello Association of the Descendants of Thomas Jefferson)の99年の年次会合にヘミングスの末えい35人が招待された。 」

 私はジェファーソンの嫡流の人々がヘミングスの末えい35人を招待したことに品格を感じますが、著者の品格の視点は全く別のところにあるのが残念です。

<日本も民主国家だった>

 「日本は少なくとも、昭和12(1937)年の日中戦争勃発までは民主主義国でした。普通選選挙法は大正14年(1925)に可決されています。アジアでは最初、イギリスより7年遅れただけです。反資本主義を掲げる社会大衆党は、昭和11年と12年の2つの選挙を経て、それ以前の5議席から36議席にまで大躍進しているのです。この頃、民政党の斉藤隆夫は国会で反軍、反戦演説をしています。日米戦の期間中は東条英機の独裁でしたが、それはルーズベルト大統領のアメリカも、チャーチル首相のイギリスも同じです。」

 著者の民主主義の認識の程度はこんなものなのでしょうか。
 1890年(明治23年)11月26日に施行され、ポツダム宣言を受諾した1945年8月15日まで効力があった大日本帝国憲法は次のように規定していました。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第1条)。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)。「天皇ハ陸空軍ヲ統帥(とうすい)ス」(第11条)。国民は「日本国民」ではなく、「日本臣民」と既定されていました(第3章)。王権神聖説そのものの憲法であり民主主義のかけらもありません。1925年(大正14年)には普通選挙実施と引き換えに、労働運動、民主主義運動弾圧のためあの恐ろしい治安維持法が制定されています。反民主主義の体制は東条英機個人に矮小化できるものではありません。

<「真のエリート」が必要>
 「国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。」
「昔はいました。旧制中学、旧制高校はこうした意味でのエリート養成機関でした。真のエリートには、俗世に拘泥しない精神性が求められます。」(85~86頁)

 一中、一高、東大が昔のエリートの常道。著者もエリートの流れを組む人? エリート主義は坂東眞理子著「女性の品格」と共通するものがあります。他人に「品格論」を論じる人には、高いところからしかものが見れないという共通したところがあるように思います。

【傲慢で根拠のない日本礼賛】

 著者の結論は荒廃した今の世界を救うのは日本の武士道精神であり、日本人のもつ惻隠の情であるということのようです。

<日本の神聖なる使命>

 「卑怯を憎む心があれば、弱小国に侵攻することをためらいます。惻隠の情があれば、女、子供、老人しかいない街に大空襲を加えたり、原爆を落としたりするのをためらいます。占領した敗戦国の文化、伝統、歴史を粉々にしてしまうようなこともためらいます。
 美的感受性があれば、戦争がすべてを醜悪にしてしまうことを知っていますから、どんな理由があろうとためらいます。故郷を懐かしみ涙を流すような人は、他国の人々の同じ想いもよく理解できますから、戦争を始めることをためらいます。」
 「欧米人の精神構造は『対立』に基づいています。
 精神に『対立』が宿る限り、戦争をはじめとする争いは絶え間なく続きます。日本人の美しい情緒の源にある『自然との調和』も、戦争廃絶という悲願への鍵となるものです。
 日本人はこれらを世界に発信しなければなりません。欧米をはじめとした、未だ啓(ひら)かれていない人々に、本質とは何かを教えなければいけません。それこそが『日本の神聖なる使命』なのです。」

 数学者という立場にありながら、日本人がアジアの民衆の命をうばい、アジアの女性たちの人権をじゅうりんした客観的事実にほおかむりをして、このような論陣をはる神経の太さは一寸信じられません。

<世界を救うのは日本人>

 「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです」
 「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです」

【学者としての品格を捨てた本 ベスト・セラーはつくられる】

 「国家の品格」は数学者という品格をかなぐり捨て、好き勝手なことを書いている非数学的、非論理的な著書と言えます。
 著者の好きな旧制中学、旧制高校のエリートたちの時代にこの本が仮に出版されていれば、数学者が自己の専門分野を超えて非論理的な本を世に出すのですからおそらく学者生命の終わりになったでしょう。今の時代はそれを許す社会となっています。著者はそれを見越して論理性がないのを承知の上で、日本人にただようナショナリズム的傾向に受ける文を書き散らしているとしか思えません。著者が非難する「自由」を著者が一番満喫しているのではないでしょうか。新潮社がつけたのか著者がつけたのか中味よりも「国家の品格」という書名があたりました。ベスト・セラーなんて中味ではなく、所詮つくられた仕掛け次第ということを目のあたりに見る品格本ブームです。

【政治家・経済人による日本礼賛ブーム】

 この本をきっかけに政治家や経済人による日本礼賛の大合唱がはじまりました。
  * 安倍晋三 「美しい国へ」-自信と誇りのもてる日本へ
                         (2006.7.20 文藝新書)
  * 「希望の国、日本」-ビジョン2007
                   (2007.1.1 日本経済団体連合会)
  * 麻生太郎 「とてつもない日本」-日本の底力はまだまだ凄い
                         (2007.6.6 新潮新書)

 自国礼賛論者に日本の政治や経済を託すのは危険なことです。

【坂東眞理子著「女性の品格」の品格の程度】

 「国家の品格」は賞味期限切れで、今は「女性の品格」が飛ぶように売れています。「女性の品格」の品格度について私の意見を述べます。坂東氏は品格について次のように述べています(3頁)。

 「では人間としての品格とは何でしょうか。
 正義感、責任感、倫理観、勇気、誠実、友情、そして忍耐力、持続力、節制心があり、判断力、決断力に富み、優しく思いやりがあるなどという美徳は、品格ある人間であるための重要な要素です。」

 坂東氏は内閣府初代男女共同参画局長に就任し女性官僚として男女共同参画のトップの責任者でした。にもかかわらずわが国の女性たちの社会進出度は世界の中でも著しく低いレベルにとどまっています。坂東氏に責任感、倫理観があれば、この現実を率直に認め日本の女性たちにトップ官僚としていたらなかったことをわびるのが品格ある女性のとるべき姿勢ではなかったでしょうか。坂東氏が不均等・不平等で苦しむ女性の立場からこれを改善するにはどのようにすればよいかを自らの反省をまじえて論じれば著書に自ずと品格がにじんできたことと思います。残念ながら坂東氏は自分のやり方がベストと言っているのと変わらず目線もどちらかというと男性上司と同じ目線です。「女性の品格」から処世術を学ぶことができても「倫理観」「誠実」「優しい思いやり」を女性たちが感じることはないでしょう。
 この著書もつくられたベスト・セラーといえます。藤原正彦氏と新潮社がつくり出した「品格」ブームに坂東氏とPHP研究所がちゃっかり乗っかり、品格のある女性になりたいという女心受けをねらったと思われます。それに男性が、どれどれと買ったのが加わりたちまちのうちにベスト・セラーとなりました。この本が中味に正直に例えば、「女性リーダーになるための処世術」という題名であれば、ほとんどの人は手にとることがなかったと思います。ベスト・セラーというものがつくられるものであることを「品格」本ブームからあらためて感じました。

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2008年1月 5日 (土)

坂東眞理子「女性の品格」と男女共同参画

【坂東眞理子著「女性の品格」(2006.10.3 PHP新書)】

著者紹介(著書の巻末の記載より)

坂東眞理子(ばんどう・まりこ) 1946年富山県生まれ。東京大学卒業。69年総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事を経て、98年女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)。2001年内閣府初代男女共同参画局長。04年昭和女子大学教授を経て、昭和女子大学副学長、同大学女性文化研究所長。2007年4月より同大学学長。
著書に『副知事日記-私の地方行政論』『ゆとりの国オーストラリア-ブリスベン総領事見聞録』(以上、大蔵省印刷局)、『男女共同参画社会へ』(勁草書房)、『新・家族の時代』(中公新書)などがある。

 著者について私は面識がありませんが、上記記述並びにウィキペディアの記事から、著者は女性官僚としてのトップ・エリートとしての道を常に歩んだ人と言えます。
 私は2006年にベストセラーになっていた藤原正彦氏の「国家の品格」(2005年11月新潮新書)を2006年末に購入しましたが、著者の論旨に賛同できず途中まで読んで放っていました。「女性の品格」は2007年のベストセラーで知人から聞いて2007年に購入しました。両著とも1年で200万部を超えるベストセラーになり正に今“品格ブーム”と言えます。今回「国家の品格」についても何とか読みましたのでこれについては後日触れさせていただきます。

【著書の中味は女性のトップエリートとしての処世訓】

 「女性の品格」という題名に男性としての興味半分でワクワクとした思いで手にとったのですが、中味はトップ・エリートとして歩んできた著者が足を踏みはずすことなく歩んできた処世訓と言う風に受けとめました。女性に対する現代道徳書とも言え、中味は地味で当初期待したワクワク感は残念ながら消えてなくなりました。
 目次を一部紹介すると次のとおりです。

 第一章 マナーと品格
   礼状をこまめに書く
   相手に喜ばれる物の贈り方
 第二章 品格のある言葉と話し方
   ネガティブな言葉を使わない
   乱暴な言葉を使わない
 第三章 品格のある装い
   流行に飛びつかない
   勝負服をもつ
 第四章 品格のある暮らし
   行きつけのお店をもつ
   得意料理をもつ
 第五章 品格のある人間関係
   怒りをすぐに顔に出さない
   家族の愚痴を言わない
 第六章 品格のある行動
   人の見ていないところで努力する
   時間を守る
 第七章 品格のある生き方
   恋はすぐに打ち明けない
   倫理観をもつ

 著者がもとめるとおりのマナーを実行できるのは、おそらく女性の中でもごくかぎられたほんの一部の人でしょう。これを実行できる人が品格があり、できない人が品格がないというのもいささか性急すぎるように思います。その意味ではこの本からワクワク感を感じない女性も多いかもしれません。著者と自分では置かれている状況が違うと感じるだろうと思います。著者はあとがきで「有能な中間管理職をめざす女性ではなく真のリーダーとなる女性になってほしい」と結んでいますが、私が著者に期待するのは、一部のエリート女性の育成ではなく、大多数の女性を対象とする女性総体の社会参画の引上げです。

【著しく低水準のわが国における男女共同参画の現状】

 国際比較でみた男女共同参画の状況-女性の活躍とワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和) (内閣府男女共同参画局:H19男女共同参画白書より) によると国際比較でみた男女共同参画の現状は次のとおりです。

1.政治・行政
○女性の国会議員割合は,ここ10年ほどの間に増加しているが,国際的に見ると日本はアジア諸国を含めた諸外国と比べて低い水準にある(189か国中131位)。
○国家公務員の管理職に占める女性割合を見ると,日本は1.8%で各国と比べて低い。

2.働く場
○働く場における女性の参画も低水準にとどまっている。女性の就業割合は,一部のアジア諸国よりも高い水準にあるが,管理的職業従事者に占める女性の割合は,韓国とともに著しく低くなっており,他国と比較して伸びも小さい。
○日本の女性の労働力率を年齢階級別にみると,子育て期に当たる30歳代前半で低下するM字カーブを描くが,外国の女性の1970年代からの年齢別労働力率の推移をみると,欧米諸国を中心にM字カーブの底が解消して逆U字カーブを形成している。
○日本のパートタイム労働者の比率は他の先進諸国と比べて高い水準にあるが,特に女性のパートタイム労働者の割合が増えており,フルタイム労働者との賃金格差・処遇格差が男女の賃金格差の一因となっている。

3.生活
○男性の家事・育児時間は,諸外国と比較して著しく短い。
○日本では,固定的性別役割分担意識の変化にも関わらず,労働時間は諸外国と比較して長く,その分,家庭や地域で過ごす時間が短くなっている。

【男女共同参画の女性総体の水準の引き上げを期待】

 著者は男女共同参画室長を経て、2001年内閣府初代男女共同参画局長に就任。2003年8月埼玉県副知事選に出馬したため退任しましたが、それまでの間官僚として男女共同参画に関し、常にトップの地位にあったと言えます。現在は昭和大学学長の地位にあり官僚時代と違ってそれこそ自由に発言できる立場にあります。
 ところでこの点に関する著書の論調はどちらかと言うと抑制的と言えます。

 「私は女性が社会に進出し活躍することが必要だと信じていますが、それは従来の男性と異なる価値観、人間を大切にするよき女性らしさを、社会や職場に持ち込んでほしいと思うからです。女性が社会に進出しても、『できる女』を目指し有能なやり手ばかり増えるのはさびしいことです。」(6頁)
 
 「しかし私は福祉が整い国民皆年金、皆保険の制度が整った国になったからこそ、その制度を安定的に持続するためにも、とことん保険を利用して自分が得しようというのではなく、本当に必要な人が必要なときに利用するようにするのが品格ある国民だと思っています。」(210頁)

 「『育児休業は私たちの権利です』と正論を言うと、そういう人たちの気持ちを逆なでします。同じことが雇用機会均等法にもいえます。均等法がない時代は、男性のみの求人が当たり前だったというと『うっそー』といわれる時代です。それでもいろいろな形で女性に対する差別は残っています。若くて、素直で、地位が低いうちは重宝がられても、女性がしっかり責任のある仕事をするようになると反感をもつ人もいます。差別は許されません。差別するほうが間違っているのはいうまでもありません。しかし個人の生き方としては自分の権利を振り回すより、皆さんのお陰でという感謝を表しながら黙って実力を蓄え、一目おかれる存在になるほうが、スムースに運びます。」(211~212頁)

 日本における男女共同参画の水準が女性にとり満足いくものになっていれば著者の抑制的な姿勢もうなずけます。しかし、現状は先に述べたとおり、国際的に見ても著しく低水準にあります。不均等・不平等で苦しんでいる多くの女性たちにとって著者の姿勢にはおそらく満足しないと思います。
 ひるがえって日本の男性は20代も30代も40代も50代も60代もみんな疲れはてています。女性が元気で活躍してくれることは男性としてもウェルカムです。著者の目線をトップ・リーダーの高い位置ではなく、女性一般の普通の位置に下げ、その位置から是非とも女性総体の社会参加の水準の引上げに尽力していただきたいと、男性の立場からも強く願わざるを得ません。

 

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2008年1月 1日 (火)

A Happy New Year,2008

【アフリカの子どもたち】

 2007年1月1日のブログで「アフリカの子どもたちが今この瞬間にも飢えと病気でとても短い生涯を終えています。」と記述しました。2007年9月29日アシックスの創業者である鬼塚喜八郎氏が逝去され、鬼塚氏のご家族は「青少年の育成」に一生をささげた鬼塚氏の志を何かかたちにできないものかと考えるなかで、世界には今なお幼くして命の危機にさらされ、短い生涯を終えていく子どもたちの存在に気づきました。ご家族は、鬼塚氏と縁の深かったマラソンランナーアベベ・ビキラ選手の母国であるエチオピアの子どもたちを支援するために、ユニセフへ100万ドル(約1億1000万円相当)を寄付することを決めました(2007年11月24日ブログ記事)。私はこの寄付について、ご家族と一緒に考える機会に恵まれ、私にとってははるか遠い存在だったアフリカの子どもたちをとても身近に感じるようになりました。

【最大の敵は日本人の心の中】

 2007年1月1日のブログで、「私たち国民があきらめて拱手傍観することはとても危険なことです。」「私は、この国を人にやさしい社会に変える上で最大の敵はわが同胞、つまり日本国民そのものだと思っています。」「私があきらめが危険と言いましたが、日本人は政治はダーティーであり、政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。障害者自立支援法にしろ、教育基本法の改悪にしろ多くの国民が他人事です。私は“あゝそうなの”という日本国民の無関心な心が最も危険だと思います。」と記述しました。この点については私は1年前以上に日本人の心というか考え方というかに危機感を深めています。1年前は「日本人は政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。」「日本国民の無関心な心」という風に「潔い」「無関心」という程度にしか見ていませんでしたが、この1年で、私は日本人は私が思う以上に現実主義者であり、保守主義者であり、明確な自分の考えで今の政治や社会を肯定していると思うに至りました。

【自由・平等・博愛】

 日本は世界で最も富める国であり、世界に冠たる資本家国家であり、日本人総体は世界に冠たる資本家集団です。日本政府が推し進めてきた「貯蓄から投資」の流れは、日本人の政治・経済・社会に対する考え方を根本的に変えつつあります。米国発の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)の問題は日本人の持つ株価を直撃しますし、インド株など外国株を積極的に買っている日本人も少なくありません。その結果普通の日本人が投資家、投機家の目線で日本や世界の政治・経済・社会のありようを選択します。18世紀末の近代市民革命とともに近代的な人権宣言が誕生し、“自由・平等・博愛”が宣言されました。しかし、今の日本人の行動をみると自由は求めても、平等や博愛について“そんなきれいごとを言っても”と無視する傾向があると思います。自分の目先の経済的損得が優先され、飢えやささいな病気で亡くなっている外国の子どもたちのことはおよそ思いもよらないのが私たち日本人の総体なのではないでしょうか。政治に無関心ではなく、飢えと病気に苦しむ人々に無関心なのが日本人の現実なのだと思います。

【感覚が知らず知らずにまひ】

 それやこれやを考えるとふーっとため息が出ます。私も含めて日本という物があふれ安全で居心地のいい環境に身を置くと、いろんな感覚が知らず知らずのうちにまひしています。私は日本国内における格差問題に関心はありましたが、日本とアフリカや南アジアの国々との格差問題には無関心でした。イラク、アフガニスタン、パキスタンなどの紛争地域の子どもたちの現状も悲惨です。世界に目を転じたからと言って、一個の人間に何ができるのかという疑問は残ります。そうであるにしても、この民族間格差は恵まれない国々の人々が自力で解消できる域をはるかに越えており、恵まれた国々の国民の意識改革なくして格差を縮めることは不可能です。

【2008年私は・・・】

 とは言っても、私に直接できることは日本国内のこと。今法律家として関心のあることは難病患者と家族への法的サポート体制の確立、国民の立場に立った司法の改革などです。法律家を離れて文学書も読みたいのですが、多分時間がないでしょうね・・・。2008年は2007年より良い年にしましょう。

          Nedorei2
 

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