« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月27日 (火)

清水ブログを始めて1年がたちました

【今日で満1歳】

 清水ブログは2006年11月27日にスタートしましたので今日で満1歳となりました。面白くもない内容なのにたびたびブログをのぞいて下さったことに心より感謝申し上げます。
 1年前、ブログを始める動機を次のように述べさせていただきました。 
 「さまざまな事件を担当する中で、日本の社会は、一歩ずつ明るく人にやさしい社会に進歩しつつあると感じてきました。
 ところがこの十数年をみると、このくには、暗く人に冷たい社会に退化しつつあるように思えてなりません。
 私がこのブログをはじめたのは、私の意見を述べるとともに、多くの方々と一緒に考え、この社会の流れを明るく人にやさしい方向へ大きく変えていければという思いからです。」

【社会のこの1年の流れ】

 この1年間にこの社会がはたして明るく人にやさしい方向へ大きく変わったでしょうか。
 日本全体の景気という意味では回復基調にあります。上場企業は5期連続で最高益を更新しています、日本企業はグローバル化の中で、国内では非正規雇用を拡大しながら人件費を抑制し、海外では最も人件費の安い国に生産拠点を移し、低コスト体制を構築しました。トヨタにしろキャノンにしろ今や世界の勝ち組となりつつあります。
 その一方で小泉政権以来政府は中小企業切り捨て政策を断行し続けました。祖父の時代から3代続けて真面目に働いてきた中小企業が金融政策の変化で倒産や廃業に追い込まれています。日本人の雇用労働者の70%は中小企業で働いており、日本人の多くは大企業の好決算とはおよそ無縁のところで生活不安におびやかされています。
 強いものはより強く、弱いものはより弱く、富めるものはより富み、貧しきものはより貧しくという社会の流れはこの1年間でほとんど変わっていません。

【世界の中の日本人】

 目を世界に転じると総体としての日本人は世界の資本家集団と言えます。外国の資源と労働力によって日本の現在の繁栄は成り立っています。日本の富の蓄積は、かつての働き者へのごほうびという域をはるかに超えています。アフリカでは多くの子どもたちが5歳の誕生日をむかえることなくこの世を去っています。日本人は世界の舞台でも弱肉強食を疑うことすらなく繰り返しているというのが私の思いです。弱肉強食の論理は食う方も食われる方も肉体も心もボロボロになってしまいます。恵まれたというよりもむしろ恵まれすぎている日本人は国内においても、海外においても弱肉強食をくりかえす必要は全くないと私は思います。1年前と比べ変わりばえのしない日本の現状を考えるとふーっとため息が出ますが、それぞれの持ち場から、私の場合は弁護士という立場から明るく人にやさしい社会をめざして発信を続けることしか道はないとあらためて思いました。今後とも清水ブログを時折のぞいて下さるようお願い致します。

【お知らせ】

 12月2日(日)午後1時20分から月島区民館にて『蟻の兵隊Ant_2  』の上映会を行います。現在とこれからの日本と中国との関係を考えたいと思います。どうぞふるってご参加ください。詳細はこちらをご覧下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月24日 (土)

鬼塚家エチオピアに100万ドル支援

               (ユニセフ協会からのお知らせ より)

【アシックス創業者 鬼塚喜八郎氏ご家族
     エチオピアの子どもたちへ100万ドルのご支援】

 子どもからアスリートまで幅広く愛用されるシューズ、ウェアを有するアシックス。
創業者である鬼塚喜八郎氏のご逝去に際し、ユニセフは、ご家族より、エチオピアの子どもたちへ100万ドルのご寄付をいただくこととなりました。この寄付金は、エチオピアの子どもたちの命を守る栄養プロジェクトへ役立てられます。

鬼塚氏は、戦後の混乱した社会で、新しい日本を担う次世代の青少年のために何かできないかと考えていたとき、「健全な身体に健全な精神があれかし」との格言と出会い、自らの原点、信念、経営理念と定めました。

「スポーツは、肉体を作るだけではなく、精神も育てる。スポーツマンの精神は人生にも通ずる。」鬼塚氏は、スポーツを通じた青少年の育成こそ、自分の使命と考え、バスケットボールシューズをはじめ、様々なスポーツで必要とされる靴を作り始めました。そして現在、アシックスのシューズは、学校の授業や部活からオリンピックに至るまで、また、子どもから大人まで、多くの人を足元から支えるようになり、2007年9月29日、鬼塚氏は、天寿を全うされました。

鬼塚氏亡き後、ご家族は「青少年の育成」に一生をささげた鬼塚氏のお志を、何かかたちにできないものかとお考えになりました。世界の青少年の育成を考えるなか、世界には今なお幼くして命の危機にさらされ、短い生涯を終えていく子どもたちの存在に気づかれたと聞きます。

【鬼塚氏とアベベ・ビキラ選手】

 具体的に支援を検討にあたり、エチオピアのマラソンランナーアベベ・ビキラ選手と鬼塚氏の親交が思い出されました。はだしの王者として有名だったアベベ選手に、「日本の道はガラスの破片があって危険だから」と言ってシューズを提供し、シューズをはいたアベベ選手が1961年の毎日マラソンで優勝したことは、ご記憶におありの方も多くいらっしゃるかと思います。今から40年以上前の出来事となりますが、二人の親交を改めてふりかえり、ご家族は、エチオピアの子どもたちを支援するために、ユニセフへ100万ドル(約1億1000万円相当)を寄付することを決定されました。

【私の感想】Up63

<鬼塚氏とご家族とノブレス・オブリージュ>

 鬼塚氏は生前から個人としての蓄財に無関心な方で、自社の株式は苦楽をともにした社員に分け与え、成功した創業経営者として受け取ったいわゆる創業者利益はわずかなものであった。鬼塚氏は受け取ったそのわずかな創業者利益をこれからの青少年のスポーツ育成に役立てたいと考えておられた。ご家族は生きることさえままならないアフリカ(エチオピア)の子どもたちに鬼塚氏のご遺志を伝えたいと考えユニセフへの寄付を決定された。
 日本は世界で最も豊かな国であり、モノがあふれ、水に恵まれ、安全に恵まれている。にもかかわらず私たち日本人は他者のことを思いやるゆとりを失い、日々を目の色を変えて生きている。アフリカの子どもたちの悲惨な状況をわかっていながら、日本人とアフリカの子どもたちとのつながりはとても薄い。鬼塚氏のご遺志をご家族がエチオピアの子どもたちへの食糧支援という形で深化されたのは大変意義大きいことである。この寄付はノブレス・オブリージュの典型であろう。

<鬼塚喜八郎さんとのお別れの会>

 鬼塚喜八郎さんとのお別れの会が11月22日(木)午前11時から神戸のポートピアホテルでもたれ参列した。鬼塚さんの足跡にそった映像が流され鬼塚さんの明るくてかん高い声を久しぶりに耳にすることができた。マリナーズのイチロー選手、有森裕子、高橋尚子、野口みずきなどの日本のメダリストや海外のメダリストたちが献花に訪れ、鬼塚氏がつくったシューズが世界を代表する数多くのスポーツ選手を輩出したことを印象付けられた。
 私個人としての思いとしては鬼塚喜八郎さんという飛びぬけてすぐれた人生の大先輩が健在であるということはとても心強かったし、なんとなくのんびりできた。でもそのすぐれた大先輩がいなくなるとぽっかりと穴があいたようであり、また自分で直に人生と向きあわなければならないような思いになって少し心細くなった。
 私にとり、鬼塚さんはあくまで遠い雲の上の人であったのに、それでもそのような思いをいだかせるところに鬼塚さんの人間としての大きさ、やさしさがあるのであろう。
 しかし時は残酷である。すぐれた大先輩も日々刻々と風化していくのをひしひしと感じ、一層淋しくなった。
   Bloimg_0248           Bloimg_0257  
鬼塚喜八郎さんとのお別れの会         鬼塚さんの直筆
             Bloimg_0255
鬼塚家のエチオピアの子どもたちへの支援についてのユニセフからの紹介と感謝状

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月19日 (月)

台湾(高雄・台北)を旅して

【80名のマンモス合同事務所旅行】

 20余りの法律事務所が毎年、1年に1回合同で事務所旅行を行っている。通常は1泊2日の国内旅行であるが、3~4年に1度海外旅行を企画している。今年は11月8日(木)17時55分発の日本アジア航空279便で成田を立ち11月11日(日)18時25分着の日本アジア航空206便で成田に戻った。参加者は弁護士53名(内女性4名)、事務局員27名(内女性18名)計80名(内女性22名)のマンモス海外旅行である。自由行動時間はあるが、これだけの人数になると、どうしても“団体サーン”旅行になってしまうのが残念である。
              Img_0163
                高雄にて

【中華民国】
                   (ウィキペディアwikipediaより

 1912年に中国国民党により、中国大陸を中心とする中国を統治する国家として成立した。しかし、日中戦争を経て第二次世界大戦後に、ソビエト連邦が支援する中国共産党との内戦において、国民党の腐敗、それに起因する民心の離反及びアメリカ合衆国による支援が減ったことなどから1949年頃には一旦崩壊状態となったが、その後中国国民党政府が台湾島に遷都し、台湾地域及び金馬地区などのみを統治する国家として1950年までに再編成され、現在は、議会制民主主義を主体とした共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)、および福建省沿岸の金門島・馬祖島(金馬地区)、南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の太平島を実効統治している。

【台湾の人々】

 私は台北は2度目である。故宮博物院も2度目の訪問である。故宮博物院に納まっている歴史的遺品は本来北京の故宮博物院に納まるべきものであろう。蒋介石が台湾に持ち去ったために北京の故宮博物院にある歴史的遺品はわずかしかない。蒋介石の偉業をたたえた中正紀念堂はそのまま残されているが国父としてはむしろ孫文が強調されていた。
 台湾の人々は穏やかで町も安全である。アジアの国々の中で最も親日的と言われている。高雄-台北間を走る“新幹線”には日本の車輌が採用された。台湾の人々にとりオランダ、次いで日本から侵略を受け、日本が戦争に負けると蒋介石率いる国民党がやってきて支配し、そして民主化が進んだ今では中華人民共和国(中国)という巨大な国家と対峙し、日本や日本人を恨む間もなかったというのが現実であろう。親日ということに甘えて、侵略し直接統治した事実を私たち日本人があいまいにしていないかと思う。
 起業家が多いといわれる台湾であるがグローバリゼーションの中で豊富な資金力を持つ日本やアメリカの企業に太刀打ちするのが容易ではなく、台湾経済は中国大陸との結びつきに活路を見出さざるを得ない側面がある。政治においても経済においても自力で自由活達に生き抜くことを制限されており、あきらめに似た思いが台湾の人々の穏やかさとつながっているように思えてならない。
 公園では家族や恋人同士が日本人よりも静かに時を共有しているのが印象的であった。
    Img_0188_3         Img_0195
  蒋介石執務像(中正紀念堂)       公園にて(台北)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月14日 (水)

労働契約法案審議に見る民主党の裏切り

【11月8日衆議院通過】

 私が3月28日のブログでこわ~い法律案と指摘していた労働契約法案が自民党、公明党に加えて民主党の賛成でいとも簡単に衆議院を通過しました。参院選で民主党が第1党となり民主党は労働契約法案と最低賃金の一部を改正する法律案を提出し、11月7日の衆議院厚生労働委員会では与党議員からの質疑に対し論陣をはっていました。ところが4時すぎにあっさりと自らの法案を撤回し、すぐさま水面下で与党とすりあわせてきた共同修正案を自ら提案し賛成多数で可決しました。“党首密室会談”を契機とし、民主党は姿勢を一変させ、自らの法案に執着することなく、政府案を抽象的な美辞麗句を並べるだけで合意し、結局政府案に収斂されてしまい、共同修正案を11月8日衆議院本会議で可決しました。

【政府案,民主党案,可決した修正案】

 政府案、民主党案、可決した修正案については以下リンク先をご参照ください。
 政府案と民主党が独自に提言した修正案についてはこちら([政府提出案と民主党提出案の比較](働く女性の全国センター)) 、民主党がこれらをあっさり撤回し共同提案した修正案についてはこちら([労働契約法案に対する修正案対照表](独立行政法人労働政策研究・研修機構))です。
 当初の民主党の独自案も労使対等でない労働契約の分野に民事法ルールをもちこむなどの多くの問題点がありましたが、労働者の立場に立とうとする姿勢が多少はありました。今回の民主党の対応はこれをかなぐり捨て、労働者や市民に対する明らかな裏切り行為です。

【働く女性の全国センター・全国労働組合連合会の緊急声明】

 働く女性の全国センターは,「パートや派遣、若者や女性の意見も聞かないで勝手に労働契約法の新設するのは、やめにしてください。働く人たちの声に耳を傾けない自民党・公明党・民主党が嫌いになってしまいます。」として緊急声明(緊急声明第2弾-11/8-)を出していました。同センターは就業規則による不利益変更の実例を具体的に紹介もしています。
 また、全国労働組合連合会は「最低賃金法と労働基準法、大型新法の労働契約法といった、労働者にとって重大な法案が、参考人招致もされず、一部政党による密室審議で粛々と進められ、政府案ベースに収斂されてしまった。その姿は異常であり、民主的な国会運営からはかけ離れたものといわざるをえない」という談話を発表しています。
 これらの団体こそが厳しい条件下で働く者の声を正しく代弁していると言えます。
 これに関する朝日新聞の記事をご紹介します。

【労働契約法案に警戒感 女性・非正規「就業規則 悪用も」】
                     (11月10日 朝日新聞 より)

 衆院を8日に通過した労働契約法案に、女性や非正規の働き手などの間で警戒する声が出ている。就業規則を労働契約とみなすとの内容に「就業規則の変更を悪用して労働条件が切り下げられるのでは」との不安が強まり、衆院での修正も小幅だったためだ。7日には全労連や全労協,女性ユニオンなどが共同で国会前集会を開いた。14日にも開き,悪用への歯止めを盛り込むことなどを求める。
 法案は、労働契約の基本的なルールや手続きを明文化するのが目的で、会社と社員の個別紛争の増加を背景に、労働側が制定を求めてきた。
 労働側は当初、有期契約の従業員の均等待遇など働き手を保護する内容を求めていたが、使用者側が反対。判例でルールが確定していることだけを明記することで連合も合意した。
 具体的には「就業規則の内容が合理的で周知させてあれば、働き手が合意した労働契約とみなす」ことなどが盛り込まれ、衆院も小幅な修正で通過した。これに対し、全労協や全労連は「判例の条文への反映のさせ方が不十分だ」と、法律の独り歩きを警戒。特に、労働者にとって不利益になる就業規則の変更を「内容が合理的で周知させてあれば可能」とする点について「だれにとって合理的なのか不明確。非正社員は就業規則作成に意見も言えない」と疑問視する。
 「周知」についても、衆院厚生労働委員会で7日、社民党の安部知子議員が「日雇い派遣の給料天引きを記した就業規則は会社のホームページに掲載されていた(のに労働者はよく知らなかった)。これで周知になるのか」と問題提起した。
 女性の待遇向上を目指す「働く女性の全国センター」は「女性は労組の少数派。就業規則を不利に変えられても反対しにくい」と反対声明を発表。「反貧困ネットワーク」の湯浅誠さんやシングルマザー問題に取り組む赤石千衣子さんらも賛同、「非正規労働者の紛争解決にも役立てたいなら、その声をもっと聞いて」と訴えている。
 日本労働弁護団の棗一郎弁護士は「個別紛争が増える中で労働契約法は必要で、まず小さく産んで大きく育てることだ。ただ、今回の法案の内容は極めて不十分。審議の拙速は避けるべきだ」と話している。

【私の意見】Up63

 小沢一郎民主党党首は市民や労働者の立場に立つ人物でなく、資本の側に立つ根っ子からの保守政治家であることが明白となりました。
 社会の片すみに追いやられている老人や若者や障害者や農民や地方に光をあててほしいと願った参院選の国民の声を聞いたふりをしながら、裏切った小沢氏の責任は重大です。連合も所詮は恵まれた大企業の労働者の代表にしかすぎないことが暴露されました。
 給油新法や自衛隊の海外派兵についての国民世論も支持の方向に、小沢氏の迷走を契機として一気に増加しています。
 国民も含め日本の保守化は参院選前よりもっと進んでしまったというのが私の正直な認識です。
 日暮れて道遠し。この国は行きつくところまで行かないと良質の国家に生まれ変わることができないのではないかという悲観的思考が私の頭の中でグルグルまわっている今日この頃です。

 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年11月 8日 (木)

北原白秋の生家(柳川市)を訪れる

ブログの内容を少し軌道修正します】

 これまで政治・経済・社会に関する新聞記事を中心としてブログをつづってきました。これからは弁護士清水建夫日誌としての内容や私が個人的に経験したり、感じた内容の比重を少し増やして行きたいと思います。勿論日々感じた政治・経済・社会問題も今後ともとりあげていきたいと思いますが、これまでより私的な内容が増えることをご了承下さい。

【鉄建公団訴訟】

 11月4日(日) 偶然にも福岡県柳川市にある北原白秋の生家(北原白秋記念館)を訪ねることができた。その日は鉄建公団訴訟原告団との打ち合わせのため福岡県みやま市瀬高町を訪ねた。
 1987年4月1日、旧国鉄はJR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州とJR貨物の7社に分割され、民営化された。この分割・民営化について時の総理中曽根康弘は、国鉄労働組合(国労)を壊滅させ、総評を崩壊させることを意識し、その一念で行ったことを1996年頃からNHKや雑誌のインタビュー、あるいは自らの自叙伝で勝ち誇ったように公言している。中曽根は気にくわない国鉄総裁の首をすげかえてまで、国鉄当局に憲法28条、労働組合法7条が禁じている不当労働行為を徹底的に行わせた。この組合差別の結果JRに採用されず、1990年4月1日国鉄清算事業団から解雇された人たちのうち第一次訴訟の原告が鉄建公団訴訟原告団である。原告団は第一次訴訟が労働者数287名であったが、追加提訴もあり、全体で労働者数919名となり、今わが国で最大の労働事件となっている。2005年9月15日東京地方裁判所民事第36部は第一次訴訟について国鉄に不当労働行為(組合差別)があったことを明確に認めた。鉄建公団訴訟は現在東京高裁に係属中である。この訴訟事件と中曽根元総理の謀略については改めて触れることとしたい。

【はかたとくるめ】

 11月4日は日帰りの強行日程。私の自宅は羽田空港と同じ大田区内にあり(大田区南馬込)、早朝であればタクシーで15分以内で着く。羽田発6時25分のANA1番機に乗るため朝5時20分に家を出た。11月の朝5時台は外は暗い。空港には予定どおりスムーズにつき搭乗手続きまで30分位ゆとりがあった。福岡までの飛行時間は1時間40分位で午前8時に福岡空港に着いた。福岡は晴で明るかった。福岡空港からは地下鉄2駅(10分)でJR博多についた。博多からリレー特急つばめ5号で久留米にむかった。リレー特急つばめ号は開通した九州新幹線の新八代駅から鹿児島中央駅までを走るつばめ5号とつなぐための在来線特急で、九州新幹線はかつての国鉄のエース特急号の名称つばめ号を列車名に使用している。それとつなぐ在来線特急がリレー特急つばめ号で、リレー特急つばめ1号はつばめ1号とつなぐという様に同じ番号が付されている。リレー特急つばめ5号は博多を9時10分に出発し、9時37分に久留米についた。私は5歳の頃継母に連れられて、継母の実家である久留米を訪れたことがある。当時私たち一家は父の故郷である瀬戸内海にある広島県の小さな島(安芸郡下蒲刈島三之瀬村、現呉市下蒲刈町三之瀬)に住んでいて、私と継母は船で呉線仁方(にがた)駅までわたり、呉線で呉、広島を経て山陽本線で関門トンネルをくぐって博多につき、博多から久留米についた記憶がある。関門トンネルでは海(関門海峡)の下を列車が走ったこと、“はかた”は九州では大きな町であったことを子供心なりに感じていた。久留米では鶴乃子という甘いお菓子があったこと、買い物かごを下げて買い物をするかしこい犬がいたことも思い出した。継母とは5歳から7歳までの3年間しか一緒にすごさなかったが、6歳のとき私が結核(肋膜炎)になった4ヵ月間つきっきりで看病してくれた。父が事業に失敗した中で、7人の子どもたちの間で、継母は3年間精一杯母親役をがんばったが、力尽きて私たちと別居し、その後父と離婚した。60代半ばで肝硬変で亡くなった継母の決して幸せとは言えなかった生涯を思うと胸が痛んだ。今では久留米は人口30万人を超える九州8番目の大都市となり、昔の面影はなくなっていた。久留米から9時43分に2輌のワンマン電車に乗り、10時12分に瀬高町についた。駅には福岡・佐賀・長崎地区の原告の責任者である原田亘さんがむかえにきてくれていた。

【北原白秋】
                 (ウィキペディア(Wikipedia)より)

 北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日) は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。
 生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、日本を代表する詩人である。

 1906年、新詩社に参加。与謝野鉄幹、与謝野晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知る。「明星」で発表した詩は、上田敏、蒲原有明、薄田泣菫らの賞賛するところとなり、文壇の交友はさらに広がる。
 1909年、「スバル」創刊に参加。木下らと詩誌「屋上庭園」創刊。また処女詩集『邪宗門』上梓。官能的、唯美的な象徴詩作品が話題となるも、年末には実家が破産し、一時帰郷を余儀なくされた。

 1910年、「屋上庭園」二号に掲載した白秋の詩『おかる勘平』が風俗紊乱にあたるとされ、発禁処分を受けた(同誌は年内に廃刊)。またこの年、松下俊子の隣家に転居。1912年、白秋は隣家にいた松下俊子と恋におちたが、俊子は夫と別居中の人妻だった。2人は夫から姦通罪により告訴され、未決監に拘置された。2週間後、弟らの尽力により釈放され、後に和解が成立して告訴は取り下げられた。人気詩人白秋の名声はスキャンダルによって地に堕ちた。この事件は以降の白秋の詩風にも影響を与えたとされる。1913年春、俊子と結婚。三崎に転居するも、父と弟が事業に失敗。白秋夫婦を残して一家は東京に引きあげる。『城ヶ島の雨』はこのころの作品であるという。

 1914年、父母と俊子との折合いが悪く、ついに離婚に至る1916年、江口章子と結婚し、葛飾紫烟草舎に転居。筆勢いよいよ盛んにして『白秋小品』を刊行する。1917年、阿蘭陀書房を手放し、出版社アルスを創立。この前後、家計はきわめて困窮した。

 1920年、家庭内の対立により章子と離婚。1921年(大正10年)、佐藤菊子(国柱会会員、田中智學のもとで仕事)と結婚。信州滞在中想を得て、『落葉松』を発表する。

 1937年、糖尿病および腎臓病の合併症のために眼底出血を引きおこし、入院。視力はほとんど失われたが、さらに歌作に没頭する。1938年にはヒトラーユーゲントの来日に際し「万歳ヒットラー・ユーゲント」を作詞するなど、国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことである。1942年、小康を得て病床に執筆や編集を続けるも、11月2日逝去。享年57。

【落葉松】


 からまつの林を過ぎて、
 からまつをしみじみと見き。
 からまつはさびしかりけり。
 たびゆくはさびしかりけり。

二           
 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。


 からまつの林の奥も
 わが通る道はありけり。
 霧雨のかかる道なり。
 山風の通ふ道なり。


 からまつの林の道は、
 われのみか、ひともかよひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。
 さびさびといそぐ道なり。


 からまつの林を過ぎて、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 からまつはさびしかりけり、
 からまつとささやきにけり。


 からまつの林を出でて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。


 からまつの林の雨は、
 さびしけどいよよしづけし。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 からまつの濡るるのみなる。


 世の中よ、あはれなりけり。
 常なれどうれしかりけり。
 山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。

【北原白秋と宮沢賢治】

 宮沢賢治については以前にブログで触れた。賢治も白秋も商家に生まれ、自由な雰囲気の中で詩や童話や童謡の世界に没頭することができた。明治期の青少年としては2人とも恵まれていたと言える。賢治は成人になるにつれ清貧な生活に努め、「雨ニモマケズ」の詩は賢治の生き方そのものであった。一方白秋は姦通罪で告訴されたのを典型として清らかな詩と白秋の実生活は必ずしも一致していない。しかし、青年期の私の心にしみたのは白秋の「落葉松」であって賢治の「雨ニモマケズ」ではなかった。線の細かった青年期の私にとり「雨ニモマケズ」は正直言って重たかった。清らかさではなく、白秋のもつ“影”が人の心にしみ入る詩を生んだのではないだろうか。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

冬のボーナス前年割れ

【冬のボーナス前年割れ 民間予測4年ぶり1%前後】
                      (11月3日 朝日新聞 より)

 主な民間シンクタンクがまとめた民間企業のボーナス予想で、今冬の支給額が4年ぶりに昨冬より1%前後減る見通しになった。好業績が続く大手企業の支給額は増える見込みだが、原材料の値上がりなどで経営が厳しい中小企業が落ち込む見通しだ。
 今年夏のボーナスも3年ぶりに同1.1%減っており、景気回復下で続いた増加傾向が頭打ちになりつつある。
 各社が予測したのは、厚生労働省が毎年発表する「年末賞与」(従業員5人以上の事業所対象)の動き。昨冬は、1人平均で前年比0.1%多い43万3825円だった。
 この日までに主なシンクタンク6社が発表した今冬の予測は、1社が前年比の0.2%増としたほかは、0.5%~1.6%のマイナス。中小企業の業績動向のほか、支給額が高い団塊世代が退職する半面で、支給額が低いパート労働者が増えているのが影響。
 「企業の雇用不足感が弱まっている」(野村証券)、「企業が従業員重視から株主重視に進んでいる」(みずほ証券)といった要因もあるという。
 一方、日本経済団体連合会の調査では、大企業のボーナスは昨冬より0.69%増の90万1031円。さらに、三菱UFJリサーチ&コンサルティングによると、国家公務員のボーナスは同2.5%増の70万円の見込みで、企業規模間や官民の格差も開きそうだ。

                  (10月31日 日本経済新聞 より)

【今夏ボーナス1.1%減 3年ぶり 中小企業中心に抑制】

 厚生労働省が31日発表した毎月勤労統計調査によると,2007年夏の賞与(ボーナス)は40万7637円となり,前年比1.1%減と3年ぶりに減少に転じた。原材料高で収益が圧迫されやすい中小企業を中心にボーナスを抑える動きが強まったとみられ,個人消費が伸び悩む原因の一つになった可能性がある。
 賃金水準の高い団塊世代の大量退職が本格的に始まったことや賞与の少ないパートタイム労働者の増加も影響した。正社員の雇用者数が前年同期に比べて1%弱の伸びに対し,パート労働者は5%近く増えた。
 大企業を対象にした日本経団連の調査では今夏のボーナスは過去最高を更新。主に上場企業を対象とする日本経済新聞社の調べでも前年比2.5%増となり,5年連続のプラスだった。従業員5人以上の事業所を対象とする毎勤統計では中小企業の動向が大きく反映された格好だ。
 日銀も今月の金融経済月報で「グローバル化や財政再建,原材料価格上昇の影響を強く受ける中堅中小企業でボーナスの抑制傾向が続いている面もある」と分析している。
 業種別にみると製造業が51万1264円と1.7%増え,5年連続のプラス。非製造業では運輸業(8.0%減),医療・福祉(5.4%減),情報通信(4.3%減)など減少した業種が目立った。
 同時に発表した9月の1人あたり平均の現金給与総額(速報)は前年同月比0.5%減の27万3144円となり,2ヵ月ぶりに減少した。

【労働基準法改正案 今国会成立を断念
             与党 雇用2法案は成立を狙う】

 与党は31日,最低賃金のかさ上げなどを盛り込んだ雇用ルール見直し3法案のうち,一定時間以上の残業代の割増率を引き上げる労働基準法改正案の今国会成立を断念した。次期国会に向けた扱いについては会期末に協議する。最低賃金法改正案と労働契約法案の2法案の成立は目指す。
 衆院厚生労働委員会は同日の理事会で,11月2日に政府提出の雇用ルール見直し3法案と民主提出の最低賃金法改正案,労働契約法案の実質審議入りを決めた。自民,民主の同委理事は審議と並行して2法案の修正協議を開始。2法案については民主も理解を示しており,今国会成立の可能性も残っている。

【私の意見】Up63

 かつては元気な中小企業が日本経済をひっぱっていましたが,今は強すぎる大企業と経営に苦しむ中小企業という構図が定着してしまいました。このことが中小企業で働く労働者の給与減につながっています。働く人の71%は中小企業で働いていますから,圧倒的多数の国民が給与減,賞与減,倒産による失職という苦しい生活を余儀なくされています。国会では残業代の割増率の引き上げも見送られました。審議入りを決めた労働契約法案は労使対等の原則の確立というこれまた偽りのうたい文句をもとに労働者の保護をなし崩し的にとっぱらおうとするものです。労働者にとってマイナスはあってもプラスはありません。民主党案もこの本質を没却しており、結果的には労働者の首をしめる内容になっています。この点については後日もう少し詳しく述べたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »