アシックス会長鬼塚喜八郎氏ご逝去
(9月30日 朝日新聞 より)
スポーツ用品メーカー、アシックス会長の鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)さんが29日、心不全で死去した。89歳だった。通夜と葬儀は近親者のみで行う。後日、アシックスが社葬を行うが、日程は未定。
77年、スポーツ関連3社が合併して誕生した「アシックス」の社長に就任。世界屈指の総合スポーツ用品メーカーに育てた。92年から会長。05年から日本バスケットボール協会の会長を務めた。同社のスポーツシューズブランド「オニツカタイガー」は、多くのオリンピック日本選手団の足元を支え、現在では、若者の間でファッションアイテムとしても人気となっている。
【私の思い】
私は2006年12月のブログで“雲の上の人”という見出しで鬼塚喜八郎氏のことを次のように書きました。
私にとって鬼塚氏は常に雲の上の人です。
雲の上の人というのは、鬼塚氏が㈱アシックスを始め世界のスポーツ業界のトップリーダーにあるということからではなく、鬼塚氏のもつ人間としての大きさ、気高さ、あたたかさ、やさしさからくるものです。
私は公害事件,薬害事件,労働事件を通し,弁護士として企業のもつ“暗”あるいは“負”の部分に向きあうことが多かったのですが,鬼塚氏によって企業の“明”あるいは“正”の部分を知ることができました。
私は今でもウィングが左に傾斜しがちですが,あんな立派な経営者がいるという鬼塚氏への思いが,私の企業や企業経営者に対するバランス感覚を正しく維持する最大の力となっています。
わが国から立派な経営者がたくさん生まれました。このブログでも故盛田昭夫氏(4月1日ブログ)や故平岩外四氏(5月24日ブログ)のことを掲載させていただきました。鬼塚喜八郎氏は私にとり、最も親しい立派な経営者でした。私はオニツカ㈱が㈱ジィティオ、ジェレンク㈱と合併し㈱アシックスとしてスタートした1977年以来弁護士として㈱アシックスの法律問題に携わらせていただきました。その頃は私はまだ30代前半の若輩者で鬼塚社長(当時)は文字通り私にとっては雲の上の人で、会社のいろんな祝賀会に出席したときに一出席者として一礼を交わさせていただくだけでした。それでも私のことをよく覚えていて下さり“いやぁ、清水先生!”と親しく声をかけて下さった鬼塚社長の夢でいっぱいのお姿が懐かしく思い出されます。
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