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2007年7月14日 (土)

山口論文 安倍晋三は遅れてきた岸信介

【戦後政治の分水嶺 いま戦後レジームを再考する
           北海道大学大学院教授 山口 二郎氏】

                     (「世界」2007年8月号 より)

 今月の参議院選挙は,まさに戦後政治の分水嶺となる重大な選挙となるに違いない。安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を政権の看板政策に据え、自民党は参院選向けの「155の重点政策」の冒頭で新憲法制定の推進を謳っている。選挙戦の論争の重点は年金や社会保障に傾くのであろうが、このような争点を掲げて闘った以上、選挙に勝てば改憲が支持されたと主張して、具体的な動きを早めるに違いない。

【戦後レジームの綻びと改革】

 残念ながら、戦後レジームは、内側から弊害を克服し、時代の変化に適応するという展開をたどることはなかった。むしろ、大きな時代の変化によって徐々に掘り崩されてきた。
 戦後レジームをゆるがせた最大の要因は、冷戦の終わりとアメリカによる一極支配の出現であった。アメリカの信奉する自由と市場経済が絶対的価値になり、「9.11」によってそうした傾向がさらに加速されると、日本もアメリカの側につくのか反対するのかという単純な二者択一を今までよりも露骨に押し付けられるようになる。
 また、市場競争主義が経済のみならず社会のあらゆる分野に浸透するようになると、当然のことながら勝者と敗者の格差が拡大した。雇用における規制緩和と非正規雇用の増加、地方交付税や公共事業の削減による地方の疲弊など、21世紀に入ってからの格差、不平等の拡大は、規制緩和や財政緊縮という政策の帰結であった。1980年代中ごろに出現した「総中流社会」の崩壊は、もはや誰の目にも明らかであった。

 こうした時代状況に、小泉政権が登場してきた。他ならぬ、規制緩和や財政緊縮によって損をするはずの人々が小泉改革を支持した。それは合理的な反応ではない。しかし、変人小泉が進めた改革が、パターナリズムやコンフォーミズムを打破するという爽快感をもたらしたことは確かであろう。

 また、アメリカ対テロリズムという極端な二者択一を受け入れてアメリカの側につくことを小泉政権は明確に選んだ。もはや、自衛隊は専守防衛の枠をはみ出し、アメリカ軍と一体化しつつある。日米安保条約は日本を守るための軍事同盟から、アメリカの軍事戦略を日本が支持するための同盟に変質した。

 このように、小泉時代には「改革」や「テロとの戦い」という大義名分の下で、戦後レジームは事実上掘り崩されてきたが、そのことを政策テーマとして自覚的にとらえるということはなかった。安倍首相自身が戦後レジームという言葉を頻繁に使うようになって、ようやくこのテーマについて議論することが可能になった。

【遅れてきた岸信介】

 安倍首相は、遅れてきた岸信介である。彼自身、祖父の果たし得なかった憲法改正を自らの手で成し遂げるという強い意欲を表明している。安倍の最大の錯誤は、第一の戦後という幻影を相手にシャドーボクシングをしている点である。冷戦の発想を引きずる安倍にとっては、北朝鮮のイメージが「第一の戦後」における革新勢力と重なって見えるのであろう。

 何よりも、安倍は戦後という時代の意味を理解していない。今、生きている日本人にとっての戦後レジームとは、1960年代以降の統治の枠組みに他ならない。それはまさに自民党政権が築いたものであり、戦後レジームには戦後保守政治の神髄が現れている。

 革新勢力がイデオロギー的であったのに対して、保守政治は、具体的な問題解決に向き合ってきた伝統を持っていた。戦後レジームの創設者であった池田勇人首相を支えたのは、前尾繁三郎、大平正芳などの保守政治家であった。

 前尾や大平は当時上り坂だっった社会主義勢力への対抗のために、保守政治の理念を彫琢した。しかし、その言葉は、今読むと安倍政治への警告として正鵠を射ている。そして、その点は、安倍が手本とする岸政治が実は日本の保守政治の中で異質な存在だったことと関連する。岸は、戦前、戦中の総動員体制のデザイナーであった。岸にとって国家改造の目的は、日本がアジアにおける盟主になることであった。敗戦で挫折した後も、岸の発想は持続し、政権獲得後は積年の野望を実現しようとした。しかし、岸は保守主義を踏み外して性急に変革を起こそうとしたがゆえに、国民に拒絶された。すでに定着していた平和と民主主義を覆されることへの不安こそ、岸に反発した世論の根底に存在した。岸政治が国民によって拒絶されたからこそ、その後の日本の繁栄と自民党の長期政権が可能になったことを、安倍は直視すべきである。安倍が祖父への身びいきのあまり、戦後レジームを否定することは、自民党政治を否定することであり、天に向かって唾するようなものである。
 時代は異なるが、安倍と岸には、ある種の急進主義が共通しているように思える。安倍には、戦後レジームへの不満が鬱積するあまり、一気に現状を変革しようという冒険主義を感じる。かつて言及した核武装や敵基地先制攻撃の検討、集団的自衛権の行使などはいずれも戦後レジームの根幹を自ら破壊したいという欲求の現れであろう。それは、戦後においてなお日本帝国の栄光を追い求めた岸の野望と重なる。昔は左翼小児病という左派の心情主義、冒険主義を揶揄する言葉があったが、左派が凋落した今、冒険主義は右派の売り物になった感がある。

 具体的な政策課題に向き合い、まじめに政策を作るためには、知的な忍耐力や持続力が必要である。逆にそうした能力を欠いた政治家は、常に観念論や精神論を振りかざし、過激な言説を競うものである。

 安倍政権の政策は、事実を無視した決めつけと、それに基づいて人目を引く対策をてんこ盛りにするから成り立っている。

 厳しい現実を突きつけられて逃れられなくなると、政府指導者は周章狼狽し、「矢継ぎ早」に対策を打ち出すことで国民の支持をつなぎ止めようとする。

 一連の政策形成過程からは、安倍政治の病理が浮かび上がってくる。それは、劣等感や自信欠如に由来する右往左往である。繰り返しになるが、安倍は岸信介をを尊敬し、彼に匹敵する大宰相になりたいという願望を持っている。しかし、政治家としての実力のなさも自覚している。だからこそ、いつも動き回っている様を国民に見せることによって、評価してもらおうとする。腰を据えて物を考えることを怠慢や無為と受け止められるという事態を極度に恐れているために、動作の空回りが亢進するのである。

 やたらと動き回ることの裏側には、同時に他人の意見を聞き入れない依怙地さも張り付いている。

 このように安倍政権における政策形成や政権運営を観察すると、リーダーシップの危機が進行していることが明らかとなる。安倍首相は、いわば小心な過激派であり、戦後レジームを作り出した自民党の先達が備えていた保守政治家としての美徳から程遠いのである。

【私の意見】Up63_42

 山口二郎教授の分析には敬服します。第一の戦後と第二の戦後。岸信介と池田勇人、前尾繁三郎、大平正芳。安倍晋三は遅れてきた岸信介。劣等感と自信欠如に由来する右往左往。小心な過激派。いずれも鋭く本質をついた指摘です。 
 

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