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2007年6月 3日 (日)

教育再生会議 一から出直したら

【本田由紀 教育再生会議を批判する】
                 (1月29日朝日新聞 時流自論 全文)

 安倍政権下で慌ただしく「教育再生」が進められようとしている。教育基本法がどたばたと「改正」された次のステップは、首相直属の教育再生会議を通じた、文科省にも諸審議会にも縛られることのない「機動的」な改革の実施である。
 教育再生会議では、昨年12月21日の総会で事務局が提出した第1時報告案に対し、インパクトを欠くとの不満がメンバーから続出した。それを踏まえて今月24日に決定された同報告書では、ゆとり教育の見直しと学力向上が筆頭にあげられ、授業時間数の1割増などを含む「基礎学力強化プログラム」やいじめをした児童生徒への出席停止措置の活用、奉仕活動の必修化などが盛り込まれた。確かに見事なほどインパクトだけはある報告となっている。
 教育についての科学的な検証に従事している者をひとりも含まないメンバーから成る教育再生会議が、インパクト重視でまとめた報告書。その提言が、将来この社会を担うすべての子どもたちの毎日の生活を大きく左右しかねないことに対して、計り知れない危機感を感じる。

 報告書の中で危うい論点は多々あるが、その中でここでは「ゆとり教育」への決別と「学力向上」を意図した授業時間数の増加に焦点を当てよう。
 それに関する問いの第一は、授業時間数を増大させることによって「学力向上」は達成されるのか、ということである。
 ある研究グループが、学校の授業時間数と国際学力調査の成績との関連を分析した結果によれば(03年7月1日、中教審初頭中等教育分科会教育課程部会総則等作業部会、第3回会合提出資料)、授業時間数と成績との間に関連は認められない。特に初等教育に関しては、成績が上位にある日本、フィンランド、韓国、イギリスなどは、いずれも授業時間数の短い国々である。
 この結果は、「学力向上」のために授業時間数増加を持ち出す必然性はないということを示している。むしろ日本では学校週5日制の導入で、ただでさえ平日の授業時間数が長くなり、児童生徒も教師も多忙感や疲弊を強めている。さらに授業時間数を増やすことはプラスの効果が期待されないだけでなく、すでにある問題をも深化させかねない。かといって土曜授業の安易な復活は、生徒・家庭・教師・地域のいずれにとっても再び混乱を招く恐れがある。
 第二に、そもそも「学力向上」の必要性の根拠となっている「学力低下」は現実に生じているのか。05年4月に発表された03年度の小・中学校教育課程実施状況調査結果によれば、同年度調査では01年度の調査と比べて上昇傾向がみられ、93~95年度調査と比べても明確に低下してはいない。
 つまり現在の体制のもとでも、「学力低下」が直線的に生じているわけではない。日本の児童生徒の学力は、国際的に見ても総じて非常に高い水準をいまだ維持している。
 ただし、04年12月に発表された経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査」(PISA調査)の読解力の結果では、日本の成績上位層には低下が見られないが、成績下位層比率と点数低下傾向が増大しており、全体ではなく下方に「底が抜ける」形での低下が危惧されることは忘れてならない。
 それに加えて、様々な調査結果で日本の児童生徒の顕著な特徴として必ず見いだされるのは、勉強が「好きだ」「楽しい」と答える者や、将来の仕事と結びつけて勉強していると答える者の比率が際立って低いことである。日本の教育の最大の問題は、子どもが教育内容に生活や将来との関連性や意義を見いだし得ていないことなのだ。

 これは近年のみの傾向ではなく、数十年来指摘され続けている、いわば宿痲である。しかし日本の子どもたちは、従来は「いい成績→いい学校→いい会社→幸福」というストーリーに従って、とりあえず勉強し続けてきた。若者の中で不安定就業や失業・無業が3人に1人に達している現在、そうした動機付けのストーリーはかつてほど子どもの全域を覆うほどの強い威力を発揮しえなくなっている。
 それならば、今まさに必要になっているのは、ひとつには子どもが学ぶことの意義を中身に即して実感できるような教育内容の質的な改善、もうひとつには下方への「底抜け」が生じることを防ぐための制度的なしくみの導入である。
 前者については、教育内容において実生活や仕事との関連性を強化し明示することが必要である。後者については、生徒が一定の習得水準に達したことを確認した上で進級・進学を認めるしくみの導入、すなわち履修主義から習得主義への転換を図ることが求められる。
 これらはいずれも、教育の中身としくみに関する課題である。今の日本の教育は、授業時間増といった量的な「改革」でもって何かが良くなるような状況にはない。問題は量ではなく質なのだ。この点で再生会議が今後いかなる提案を行うかを注意深く監視していく必要がある。今回の報告のように手前勝手に「愛」や「規律」「奉仕活動」を押しつけても、子どもたちはいっそう内面的な離反を強めるだけである。

本田 由紀:ほんだ・ゆき 東京大学助教授(教育社会学)。64年生まれ。著書に「多元化する『能力』と日本社会」など。]

【朝日新聞社説 教育再生会議 一から出直したら】
                    (6月2日 朝日新聞 社説 全文)

 21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図るため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する。
 これが、安倍首相によって内閣に設けられた教育再生会議の目的である。
 その高らかな宣言と、以下の2次報告書の内容との落差は、どうしたことか。
 ・夏休みや土曜授業を活用して授業時間を1割増やす。
 ・すべての子どもにわかりやすく、魅力ある授業にするため、教科書の分量を増やし、IT化などを推進する。
 ・徳育を教科化する。
 昨秋発足した再生会議は、各界の有識者17人が起用された。学力と規範意識を高めるという狙いに、異論は少ないだろう。私たちは社説で、斬新で骨っぽい提言を求めた。
 だが、今年初めの1次報告書に続いて、今回もやはり期待はずれだった。
 長い議論を経て学校が週休2日制になったのは、ほんの5年前のことだ。学力が低下したから土曜授業で補う、というのは安易過ぎないか。
 再生会議の席上、陰山英男・立命館小学校副校長は、土曜授業の復活に反対したといい、会議後、「何時間かけてこれをやらせれば、こんな風に学力が上がるとかそんなもんじゃない」と語った。現場を知る人の率直な思いだろう。
 学力をめぐる最大の問題は、できる子とできない子の格差が広がっていることだ。授業についていけない子を、時間数を増やすだけで救えるとは思えない。
 教科書を厚くしてIT化を進めれば、魅力的な授業になるというのも、いささか的はずれではないか。
 「道徳の時間」を徳育として教科化することにも疑問がある。検定教科書を使うことになれば、政府の考える価値観を教室で押しつけることになりかねない。
 規範意識で思い起こすのは、高熱水費問題などでの故松岡前農水相の説明と、かばい続けた首相の態度だ。子どもが規範を学ぶのは、教室だけではない。
 それにしても、名だたる有識者がそろいながら中身が薄っぺらになってしまったのはなぜだろう。会議の進め方とメンバー構成に問題がありはしないか。
 議事録を読む限り、委員は印象論や体験をもとに提言することが多い。だが、その提言の良しあしをデータに基づいて検証し、論議を深めている様子は伝わってこない。
 その例が「母乳で育児」を提言しようとした「親学」だろう。きちんと論議を詰めていないので、批判されると、あっさり引っ込めてしまった。
 再生会議はさらに論議を重ね、年末に3次報告を出すという。それなら、せめて二つの提案をしたい。
 会議を公開する。論議に緊張感が生まれ、国民の関心も呼びやすくなる。
 オブザーバーとして教育研究の専門家を置く。教育の歴史の中で、提言の良しあしを検証することができるだろう。

【私の意見】Up63_29

 本田 由紀氏が指摘するとおり、日本の教育において今まさに必要なのは①子どもが学ぶことの意義を中身に即して実感できるような教育内容の質的な改革 ②下方への「底抜け」が生じることを防ぐための制度的なしくみの導入です。教育再生会議の「有識者」たちは子どもたちの悩み、不安を今の子どもたちの立場に立って考えるという視点を欠き、「いい成績→いい学校→いい会社→幸福」という自分たちの狭量なサクセスストーリーの視点から見る能力しかありません。国民の代表でもない「」付きの有識者に教育を語らせ、日本の教育の大綱をきめるのはとても危険なことであり、容認することができません。

 

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