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2007年6月18日 (月)

生命の終わり どう迎える

                   (2007年6月18日 読売新聞 より)

【尊厳死を考える】

 私の主張が日本尊厳死協会の井形昭弘理事長の主張とともに写真入りで読売新聞に掲載されましたので、紹介をかねてブログに転載させていただきます。

<「延命中止」のルール必要>
 
  日本尊厳死協会 井形 昭弘 理事長(78)

 延命治療の技術が進歩し、末期になっても命を長引かすことができるようになった。反面、闘病生活に苦しむ人には苦痛が続くことになる。
 本人が無意味な延命治療を拒否し、人間らしく自然の経過に任せて一生を終えたいと願うなら、その意思は尊重されるべきだ。
 これまでは、「途中で治療を打ち切ることは医学の敗北」と言われていた。私は神経内科医で、多くの患者をみとってきたが、植物状態になった人が延命装置で生かされている姿をみて、「本当に幸せなのか」と疑問を感じていた。
 治療をどこで打ち切るのか、患者と家族、医師との間にある「あうんの呼吸」で決められることは多い。だが、最終的に判断した医師が刑事罰に問われたり、問題視されたりするケースが後を絶たない。
 そうした事態を避けるためにも尊厳死の法制化を訴えている。延命治療を中止した時、誰もが納得できるようなルールを作る必要がある。
 反対派は、法制化によって生きる権利が奪われると考えているが、そうではない。苦しい治療を拒否する患者に、それを無理矢理押しつけないようにする必要があるという主張だ。
 ただ、意思の撤回はいつでも自由だ。延命治療を受けたいという人は十分な治療を受けていいと思う。

<「生」の根本に反する>

  安楽死・尊厳死法制化を阻止する会世話人
                   弁護士 清水 建夫

 尊厳死と聞くと、言葉の響きはいいが、根底には「動けなくなった人間は生きる価値がない」という発想がある。苦しい思いをしてして長生きをするなら、死んだ方がいいというのは、「生」の根本に反する。たとえ、どんな状況になっても、生きている喜びを感じ、周りの人もそれを支えるべきだ。
 リビングウイル(書面による生前の意思表示)によって延命治療をしないように求める人は、「末期には人に迷惑をかけたくない」という思いがある。残りの命がわずかになった時、周囲の人が「本人は延命治療を望んでいない」と言っても、「もっと生きたい」と気持ちが変わっているかもしれない。リビングウィルが必ずしも本心を示すものかは分からない。
 日本尊厳死協会は、尊厳死の法制化を求めているが、これが社会の中でルール化されれば、「見苦しい死に方をしてはいけない」という考え方が支配的になっていく。病気で苦しんでいる人の自殺が増える恐れもある。
 尊厳ある生き方はあっても、尊厳ある死はない。生きたくても生きられない人もいる。尊厳死のあり方を考える前に、末期の患者が十分な医療・介護サービスを受けられて、家族などの負担を減らせるようにするにはどうしたらいいかを考えるべきではないか。

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コメント

あなたの意見は、健康で正常な判断力を持った「健常者」の立場のものです。あなたは「生きている喜びを感じ・・」と書いているが、植物状態で「何も感じることさえ出来ない」人が、いったいどうやって「生きている喜びを感じられる」というのか?勿論、人は精一杯自分の生を全うすべきであろうが、それは「病院のベッドで細胞レベルの生命活動を強制的に維持させる」事とは違うのではないでしょうか。

投稿: | 2008年6月19日 (木) 23時08分

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