こわ~い法律 「労働契約法」案
【社会権(勤労の権利・労働基本権)の全面否定】
政府は3月13日労働契約法案を今通常国会に提出し、成立させようとしています。
規制改革・民間開放推進会議が2006年12月25日に発表した「規制改革・民間開放の推進に関する第3次答申の概要」に基づくもので、概要は、労働契約法制の整備として「労働条件の最低基準を定めた労働基準法以外に労働契約に関する公正・透明な、民事上のルールの明確化を図る視点から、労働契約法制を整備[時期通常国会に法案提出等の措置]」としています。
次いで2006年12月27日労働政策審議会(会長菅野和夫)は厚生労働大臣に答申を提出し、労働契約法制の必要性について「労働契約の内容が労使の合意に基づいて自主的に決定され、労働契約が円滑に継続するための基本的な考え方として、次のとおりルールを明確化することが必要である」とし、労働契約の原則について、「労働契約は、労働者及び使用者の対等の立場における合意に基づいて締結され、又は変更されるべきものとすること」としています。
しかし、現実の労使間の力に隔絶した差があり、だからこそ憲法は勤労の権利と労働基本権を保障しました。規制改革・民間開放推進会議と労働政策審議会の答申は社会権としてのこれら権利を全面的に否定し、労働法で保護すべき労働者の権利を対等な市民間の契約である民事法の世界に移して、労働者を無保護状態にしようとするものです(私の1月4日ブログ記事「労働のビッグバン」)。私たちは、政府・経済界がホワイトカラー・エグゼンプションの法案提出を断念したことで胸をなでおろしているととんでもないことになります。この労働契約法案にはホワイトカラー・エグゼンプション以上に恐ろしい毒薬が盛られています。加えて政府や経済界はホワイトカラー・エグゼンプションにしても参議院選が終われば提出してくるのは目に見えています。
【労働基準法の骨抜き】
労働契約法を成立させることによって政府・経済界が企図しているのは労働基準法の骨抜です。労働契約の基本部分の多くが労働基準法から労働契約法に移されています。しかし条文の文言が同じでも労働基準法に規定されているか、労働契約法に規定されているかによって法規としての本質に大きな違いがあります。その違いはそれぞれの第1条を比較するだけで明らかです。労働基準法第1条は
「(労働条件の原則) 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
2 この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。」
と規定しています。一方労働契約法案第1条は
「(目的)この法律は、労働者及び使用者の自主的な交渉の下で、労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則及び労働契約と就業規則との関係等を定めることにより、合理的な労働条件の決定又は変更が円滑に行われるようにすることを通じて、労働者の保護を図りつつ、個別の労働関係の安定に資することを目的とする。」
と規定しています。労働基準法は憲法25条・27条を根本規範としていますが、労働契約法案は「労働者及び使用者の自主的な交渉の下で、労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則」としているとおり契約当事者間の合意を基本とした、まさに市民法の世界です。使用者と労働者に隔絶した力の差があって労働者が不利な契約を余儀なくされても合意の原則によりこれを容認し助長するというのが労働契約法の考え方です。労働基準法は賃金不払いにしろ、男女の労働条件の差別にしろこれに違反したときは刑事罰を科すことを基本としています。労働基準法が守られているか否かについては労働基準監督署が監視をしており、労働者の訴えで労働基準監督署が動くことも少なくありません。ですから、経営者にとり労働基準法はこわい法律であり労働基準監督署もこわい役所です。ところが労働契約法になるとこれに違反しても罰則もなければ、違反しているか否かを監視する機関もありません。経営者は強い立場をカサにきてやりたい放題ができることになります。
【経営者による労働条件の不利益変更の容認・助長】
のみならず、労働契約法案は経営者にとって大変便利な装置を準備しました。その装置というのは、就業規則を改正することにより労働条件を一方的に切り下げることができる規定です。就業規則は使用者が作成するものであり、使用者と労働者の合意により定めるものではありません。労働契約法は表面上は「合意の原則」を強調しておきながら、その実は合意の原則を使用者に有利にホゴにするものです。したがって市民法のルールさえ守っていないのです。
労働契約法案10条は労働条件変更の要件について
「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」
と規定しています。しかし何が合理的であるかはこれだけでは抽象的すぎてわかりません。抽象的であっても「合理的である」ことについて使用者の方で裁判所の判断を求めて労働条件の変更(切り下げ)を認められた場合にはじめて変更ができるというのであれば、使用者の暴走をとめることができます。しかし現実は逆です。使用者は自分で定めた就業規則は合理的であると言い張り、切り下げた労働条件で労働者を退職させたり賃金や退職金をカットします。これが不当だとして裁判所への訴えを余儀なくされるのは労働者の側です。労働者にとり裁判というものが精神的にも経済的にもいかに負担が大きいかを思えば、労働契約法案第10条の規定は使用者のやりたい放題を認容し助長する規定と言えます。労働契約法が第1条のとおり本当に合意の原則を基本とするのであれば、一度合意した契約条件を切り下げるのには使用者と労働者の合意が必要です。労働者側の合意(同意)もなしに労働条件の切り下げを認める労働契約法案は表向きで言っていることとその実が異なっており、この法案も欺瞞にみちみちた法律案だと言えます。
【放っておいてはいけない】
使用者の一方的な切り下げを認めていると労働者の権利がとめどもなく切り下げられていきます。ホワイトカラー・エグゼンプションほど労働契約法案の違法性・不当性について多くの国民は気づいていませんが以上のとおりとんでもない法案であり断固成立を阻止しなければいけないと思います。
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■ 労働契約法制
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