« 星の王子さまと銀河鉄道の夜 | トップページ | 労働のビッグバン »

2007年1月 1日 (月)

A Happy New Year,2007

【A Happy New Year にするために】  Thumbnail_
21世紀になって6年が経ちました。
ほんとうに今年こそはA Happy New Year にしたいものです。
A Happy New Yearにつなげるために何をすれば良いのでしょうか。

【アフリカの子どもたち】
アフリカの子どもたちが今この瞬間にも飢えと病気でとても短い生涯
を終えています。
この子どもたちに私たちのなしうることはかぎられていますし一瞬のものでしかありません。
日本人である私たちになしうる現実的で永続性のあることは、日本という世界で最も富める国を人にやさしい国に変えることだと思います。

【新自由主義・規制緩和・自己責任】
新自由主義・規制緩和・自己責任を強調した小泉・竹中改革はこの国の人々に競争社会を奨励しました。彼らは常に国民の中にスケープゴートをつくり、国民に無意識のうちに足のひっぱりあいをさせました。世界で最も富める国であるにもかかわらず、この国の人は、暗く険しい表情をしています。

【安倍首相】
日本のトップリーダーは小泉さんから安倍さんにかわりました。安倍さんは岸信介元総理の孫であり銀のスプーンをくわえて生まれた生まれながらの右翼的政治家です。安倍首相はおだやかな表情で教育基本法の改悪や防衛庁の防衛省への格上げをたんたんとこなし(!)ました。憲法9条もたんたんと変える底力をひめています。
小泉首相は私とほぼ同世代であり、腹の底からその改革に憤りを感じましたが、安倍首相になると憤りよりもあきらめが先行しています。でも私たち国民があきらめて拱手傍観することはとても危険なことです。

【最大の敵は日本人の心の中】
私は、この国を人にやさしい社会に変える上で最大の敵は小泉さんでも竹中さんでも安倍さんでもなくわが同胞、つまり日本国民そのものだと思っています。“日本を変えよう!”と言いながら敵は日本国民と言っていればそれこそあちらからもこちらからも石のつぶてや卵がとんできそうです。
私はそれを覚悟であえて言っています。
私があきらめが危険と言いましたが、日本人は政治はダーティーであり、政治から距離を置くことを潔いことと思う傾向があります。
障害者自立支援法にしろ、教育基本法の改悪にしろ多くの国民が他人事です。私は“あゝそうなの”という日本国民の無関心な心が最も危険だと思います。

【流れを変えよう!】
日本政府は大企業や富める人々を保護し、労働者をはじめ国民の権利を不安定化させる政策をさらに進めようとしています。私たち一人ひとりが自分の世界に埋没しているうちに、日本の社会は富める一部の企業・人とその他大勢の企業・人々に分裂してしまいました。
そろそろ、その他大勢組が目をさますときではないでしょうか。そのために何をすればよいのか? とても月並みなことですが自分のまわりから、自分のできることから変えていくしかないと思います。大切なことは、自分のまわりを変えながら常にこのことが日本社会を変える上でどのようにつながるかを同時に考えていくことだと思います。先にも言いましたが、日本人は清く正しくという言葉が好きで、政治から距離を置くのを“尊し”とする傾向があります。でもそれでは自己満足に終わると思います。
日本が人にやさしい国に変われば世界も大きく変わります。希望をもって2007年をむかえたいと思っています。

【私は】
私は、弁護士として38年経ちます。弁護士として仕上げのときにさしかかっています。
私自身はこの社会で一番困っている人にあたたかく力強いサポートができるよう心がけながら人にやさしい社会を追い求めていきたいと思っています。

本年もどうぞ宜しくお願いします。
   Kadomatu07     Kadomatu07_1

|

« 星の王子さまと銀河鉄道の夜 | トップページ | 労働のビッグバン »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

日本人が一般的に 政治に無関心であると悲憤慷慨のご説に、ついー鼓腹撃壌(こふくげきじょう)ーという言葉を思い起こしてしまいました。

 鼓腹撃壌:
   古代中国の理想の治世を行ったと言われる 伝説   の皇帝 尭帝が民情視察のため 
   気づかれないよう姿をやつして 市中に出たと    き、老人が腹鼓を打ち、地面を踏みならして歌    い、帝の恩徳に気づかないほど平和な暮しをして   いた、という故事から 
   天下がよく治まって人民が平和な生活を楽しんで   いるときは、人は「政治」に無関心であると
   いうたとえ話。(『十八史略』)

暗愚な「国民」感情と批判されるかも知れませんが、若者から老年まで多くの国民が政治に関心を持たないのは、何かしら ほっとしてもいる面もあるのです。現政権の治世が良いから、とは決して思いませんが・・・。

ただ今の政府に任せていたら、そのうち、国民こぞって政治の行く末を汲々として憂慮しなければならない社会になりつつあるということなのでしょうか? あるいはすでに何かが音と立てて変わってしまったのでしょうか?

「世界が100人の村だったら」という現代民話とでも言うべき本の別バージョンを読みました。
世界中の8人に一人は 貧困が原因で この一日で三度の食事をちゃんと食べられなかったといいます。
仮に40人学級の教室でいえば、クラスの五人の子どもが 貧しさのゆえにご飯を食べられなかったという計算になります。
それは日本の現状と相対して考えると 本当に 現実感が伴いません。
 
 日本では「餓死者」が出ると、ニュースになります。この国にいて命の瀬戸際の「飢え」を深刻さを感じることはあるのでしょうか?

 しかし世界中の飢えや戦禍、災害の中で涙の粒を目の端にうかべたまま 今夜も眠りにつくであろう
子ども達の上に思いを致すとき、
彼我の感があります。慨嘆することは簡単ですが、あまりの違いに 私はその子たちに『ごめんなさい』と詫びたくなります。

政治家が尊敬されない国:

 東工大で英語を教えていたアメリカ人の友人がいます。彼のゼミにとても優秀な学生がいたので、
「君は政治家になるべきだ」と声をかけたら、その学生はとても落ち込んでしまったそうです。

アメリカ人の友人にしてみれば若者に「政治家になるように」と勧めることは学生への最大の褒め言葉のつもりだったのです。不思議がっていた彼に「日本では政治家向きだ」という言葉は、必ずしも学生には喜ばれないのだ、と説明しながら私は この現状はおかしいと思い始めました。

アジアからの留学生:
韓国の若い学生達は 帰国後の兵役を覚悟しながらも 真剣に悩んでいます。彼らにとって戦争はよそ事ではないのです。

人は大切なものを失ってからしかその大事さに気づかないものです。
この国では、「飢え」を他人事していられる幸せ、戦争に参加することが「現実」ではない幸せ、そんなことがこれまではそれが当たり前でした。

しっかり見つめていくつもりです。
清水先生、勇気を持って発信し続けてください。

投稿: Detour | 2007年1月12日 (金) 22時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 星の王子さまと銀河鉄道の夜 | トップページ | 労働のビッグバン »