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2007年1月17日 (水)

阪神・淡路大震災から12年

【阪神淡路大震災】     ウィキペディア(Wikipedia)より

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生したマグニチュード7.3、震源の深さ14K(大都市)直下型の大地震による災害です。

淡路島、列びに阪神間(神戸・芦屋・西宮・宝塚・尼崎・伊丹・豊中・池田など)を中心に大きな被害をもたらし、特に神戸市街地は壊滅状態に陷りました。

死者:6,436名、行方不明者:3名、負傷者:43,792名、避難人数:30万名以上という被害となりました。

【阪神大震災と私】

私は神戸の出身ですので、私の親戚、友人、知人が大きな被害を受けました。叔父(当時故人)の家が全壊し私と同じ年のいとこが亡くなりました。
多くの友人の家が全・半壊しました。長田区から発生した火災は須磨区、兵庫区にもひろがり私の出身中学である鷹取中学のまわりは焼け野原のような状況になりました。
神戸のまちを歩くと1階がつぶれ、車が下じきとなっている家がすぐ目につきました。阪神間は地震の少ない地域と考えられていましたので、信じられない情景ばかりでした。

【美しい神戸物語】

大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などライフラインは寸断され広範囲で全く機能しなくなりました。極限の状況の中で、神戸市民は助け合い美しい神戸物語をつくりあげました。
子どもの服や靴の小売業をしている、同級生のAさん(女性)は経営不振で途方に暮れている時に大震災に遭遇しました。Aさんは商品である子ども向けの服や靴をもって避難所になっている学校の体育館をまわり子供たちに無償で配って歩きました。
Aさんが3歳の女の子に靴をあげたところ、その女の子が母親に見せにいきました。ところがその母親がだいていた赤ちゃんはすでに死んでいました。ボランティアの若者も全国から集まりました。
アメリカなどでは震災や水害の直後に略奪、強奪が報道されていますが、神戸ではそのようなことは発生しませんでした。

【イラン地震のときにもしも日本政府が
          神戸市民と自衛隊を派遣していたならば】

2003年12月26日午前5時30分(日本時間午前11時)、イラン南東部でマグニチュード6.5の強い地震が発生しました。この地震で4万人を超える人が死亡しました。
このイラン地震について日本政府は人も物もほとんど送らず、援助しませんでした。小泉首相(当時)はブッシュ大統領の顔色をうかがい、見てみぬふりをしました。もし、日本政府がこのときに神戸市民をはじめとするボランティアと自衛隊を派遣していれば、世界における日本の信頼感は高まっていたことでしょう。
現在問題となっているイランの核開発問題についても米政府の陰でイランを非難するのではなく、独自の平和外交を展開できたに違いありません。狭い識見しかない無能なリーダーをいだくことは国民にとってとても不幸なことです。

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草島市議会日記

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(緊急警戒) 10.19 頃 要警戒 ! (ご参考、約1週間前の赤焼け現象 (夕 [続きを読む]

受信: 2007年1月17日 (水) 15時56分

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