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2006年12月10日 (日)

【激増するうつの真犯人はだれっ?】

私の発表論文より ~

“多様な働き方”というまやかしの言葉を多用し政府が推し進
めたもの


(1) 政府・経済界は総合規制改革会議あるいは経済財政諮問会議を利用し、「多様な働き方」「雇用・労働の規制改革」の名のもとに企業が契約関係を打ち切りやすい労働法制を次々とつくり、拡大した。 a.労働者派遣制度の拡大、b.有期労働契約の拡大、c.雇用と実質的に変わりのない請負契約の容認、d.裁量労働制の拡大等。

(2) 労働契約形態について多様なメニューが用意されれば企業がコストが少なく、契約関係を打ち切り易い契約形態を選ぶのは自然の理である。現実に正規社員が大幅に減少し、パート、有期契約、嘱 託、派遣、請負の非正規雇用形態が著しく増加している。企業の8割は非正規雇用選択の理由を「労働コスト削減のため」と明言している(2006年労働経済白書)。

(3) 非正規雇用では賃金の上昇がほとんどない上に、労働者にとりキャリア形成ができず、技術や経験の蓄積ができない。同白書によれば20歳代の20%以上の者の年間収入が150万円未満であり、200万円未満をとれば3分の1に達している。低収入の若者は現在のところ親と同居していることが多いが、将来自立しなければならない事態を迎えた時に大きな社会問題となることが予測される。

(4) 一方、正規労働者は正規労働者の人数が減る中で負担が増加し、かつ成果主義の厳しい現実のもとに不安が増加し、「心の病」が増加している。「多様な働き方」というのは、労働者が望んで、進んで選べる環境があってこそ意味あるものになる。雇い主側のみ選択権のある現実のもとでは労働者にとってただ悲惨な結果しか残らない。「多様な働き方」という甘い無責任な響きの言葉を多用し、企業のリストラを推進してきた政府・経済界・学者の責任はきわめて重い。

~ 神野直彦東京大学経済学部・大学院経済学研究科教授
             
著 「『希望の島』への改革」より ~


神野直彦教授は、5年前に著書「『希望の島』への改革」(NHKブッ
クス)の中で次のように指摘しています。

(1) 「日本は今、この『歴史の峠』を、『競争社会』への道を目指して超えようとしている。『競争社会』を目指して邁進しさえすれば、『活力ある社会』という『希望の明日』が待っていると吹聴されているからである。」「『競争社会』では、人間は目的達成のための手段として位置づけられ、コストを高める妨害物と見なされてしまう。『競争社会で』称賛される有能な経営者とは、自分が経営する企業から、コストのかかる妨害物である人間を、いかに多く排除したかによって評価される。」「こうして、企業も政府もリストラによって、人間が共同生活をする『場』である社会から人間を排除しようとする。」(9~12頁)

(2) 「社会とは、他者との協力なしには生存ができない人間が、共同生活を営む『場』である。いやしくも人間が共同生活を営む社会というからには、『他者の成功に貢献すれば、自己も成功する』という『協力原理』が埋め込まれていなければならない。」「いま日本は、血眼になって社会から人間を排除することに全力を挙げている。何のために社会から人間を追い出すのかを、立ち止まって再考しなければならない。人間の幸福のために企業があり、政府があるはずである。人間を忘れた日本は、明らかにハンドルを切り間違えたのである。ハンドルを切り間違えたのであれば、アクセルを吹かせても、地獄に向かって突き進むだけである。早くハンドルを正しい方向へ切り替えなければならない。人間は、人間にとって最高の存在である。経済のために人間があるのではなく、人間のために経済はある。ところが『競争社会』では、人間は経済の『手段』にしかすぎない。人間はコストを高める妨害物と見なされ、人間が共同生活を営む『場』である社会から人間を追放してしまう。しかし人間中心の『協力社会』では、人間の能力を相互に高め合い、生産性を向上させることによって、経済成長を目指すことになるのである。今からでも遅くはない。生まれ出ずる痛みに耐え、人間を中心とする社会を目指して『歴史の峠』を超えていこうではないか。つまり、日本を『希望の島』に再生するため、『競争社会』に別れを告げ、『協力社会』への道を着実に歩み始めようではないか。」(10頁、19~20頁)

私の発表の場では、会場から事例報告について質問や意見が活発に交わされました。

論文の6項、7項をお読みください。

私の論文や、神野直彦教授の指摘についてご意見があればお聞かせください。

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コメント

清水先生の発表論文
「激増するウツの真犯人はだれだ」の意見に同感です。
月刊文芸春秋の新年号に数学者の藤原正彦さんが
同様な指摘をされています。
「多様な働き方」という便利な表現で、パート、
アルバイトの非正規労働を正当化して、
今までのオンザジョブトレーニングという、
企業内教育を受ける機会もなく、
就業意欲のある者も新たな就職機会の門戸がせばまり、結果としてのフリーターの増加、
競争社会にでていけないニートの増加になっている。

こんなことをしていて、今後の担税能力のある国民は
少なくなるばかり、いったい誰が徴税の負担をするの?
どこから税金をとって国を社会を運営するの?
消費税、法人税だけで税収をまかなうつもりなんでしょうか。
まるで天に向かって唾することと同じことではないのか、やがては自分の身にかかる。

優勝劣敗の社会システムをとることは、
最低基準の生活保障のセーフティーネットが
必要ですし、国民社会として、
優勝劣敗のシステムをとることの是非を
議論する必要があります。

また、優勝劣敗のシステムの中では大多数のもの、
おそらく8割以上の敗者がでてくることが
予測されます。
2割の勝者には栄誉が待っているのかもしれませんが、社会の大多数を占める敗者の気持ちをいやす術を
持たない現在の日本社会で金銭第一主義、金銭万能主義だけがまかり通る世の中では、ただの犯罪社会が
形成されるだけだと思います。
そんな社会には住みたくない。

本当はこんなときこそ、宗教の
出番なんでしょうけれども、人は何によって、
人たらんとするのか。
現在の社会に一番足りない。
人を思いやる気持ち、家族を思いやる気持ち、
同胞を思いやる気持ち。

そんな中、先週末見ました映画「硫黄島からの手紙」は、太平洋に浮かぶ航空母艦のような島、
硫黄島を死守することによって、B29の本土空襲を阻止するという日本軍硫黄島守備隊の生還を望めない、
死ぬより苦しい、水、食料、
弾薬のない穴倉生活での戦い。
絶望的な戦いの36日間ですが、
本土に残した妻子を思いやるという自己犠牲の
バックボーンが一本通っていたように思います。

投稿: おじんランナー | 2006年12月22日 (金) 10時17分

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