2009年11月24日 (火)

機械の回る音が聞こえない大田区の工場街

【仕事がない!】

 リーマンショック以降仕事がなくなったということを中小企業経営者の方から時々聞いていました。私は「あーそうですか、大変ですね。」という程度の反応しかしていませんでした。
 11月19日午後5時前に大田区矢口を地元とする区会議員の野呂恵子氏の案内で矢口周辺の工場街を歩きました。このあたりの工場は家族経営の小さな工場がほとんどとのことですが、驚いたことにどの工場からも機械の回る音が全く聞こえませんでした。どの会社も仕事がいつ入るかいつ入るかと電話が鳴るのを心待ちにしていますが電話の鳴らない日が続いているとのことです。2人だけでやっているある工場経営者の方に聞きました。そこではたまに仕事が入ることがあるけれど、そんなときは機械を回すのが他の工場の方にかえって気兼ねになるとのことでした。それほどどの工場も仕事がありません。工場の大家さんに会いましたが、今年の1月から家賃も払えない会社が多いとのことでした。大家さんも現状を目のあたりにしているので半分あきらめていて、仕事が来て機械が回る日を一緒に待ってくれている状態でした。
 仕事がないことについて私の予想をはるかに超えていて、私も大変ショックを受けました。工場街を歩くときに私も大声を出すのをためらうほどの静寂さでした。

【大田区と工業】

 [位置] 東京都の南東部に位置し、東京都23区内では最南部に位置する。東部には羽田空港がある。
 [面積] 59.46k㎡(東京23区総面積の9.6%を占める最も大きな区)
 [人口] 683,860人(09年10月1日推計。23区の中で世田谷区、練馬区についで3番目に多い)
 [人口密度] 11,190人/1平方km(23区で19番目の低人口密度)
 [職住近接] 54%が区域内で勤務

 [工業] wikipediaより

 大田区は大森に東京ガスが20世紀初頭に工場を設けて以来、東京都内で最大の工場集積地を形成し、川崎市、横浜市と共に京浜工業地帯の中核をなしている。平成17年工業統計調査(平成17年12月31日現在)によると、区域は4,778の工場、37,641の従業者、761,087百万の製造品出荷額があり、何れも東京23区最大である。部門別では一般機械機器製造業が1,630工場、金属製品製造業が1,014工場と多い。特に大田区は多数の中小企業(平成16年事業所統計調査によると、製造業6,173事業所の内、従業員9名以下が4,883事業所)が事業を行っており、その多くは得意分野に特化している。それらが補完的に相互利用することでひとつの工場として機能している。しかし、近年は生産拠点の海外移転、後継者不在等により工場減少が続いている。このため、大田区では大田区産業プラザの建設、財団法人大田区産業振興協会設立等による中小企業支援を行い、東京都も東京都立産業技術研究センター城南支所、中小企業振興公社城南支社を設置している。

【大田区の中小企業者と弁護士が語る会】

 前回のブログで紹介しましたが、19日の午後6時半から矢口文化会館にて野呂恵子氏の司会で中小企業者と弁護士が語る会をもちました。矢口は下丸子、多摩川とともに多摩川沿いに計器やネジなどの精密機械の工場が多く集っている地域です。しかし、最近では閉鎖される工場が多く、その跡地に大きなマンションが建つようになり住・工混在の地域となってきています。
 弁護士としては原田敬三氏、脇田康司氏と私の3名が参加しました。中小企業者の方が30名以上が出席し、準備した資料が足りなくなるほどでした。それぞれの経営者から厳しい現実を伺いました。8時半に終了の予定が9時過ぎまで続きました。貸しはがしの問題であれば、まだ私たち弁護士としてサポートできる余地がありますが、発注があるないの問題では弁護士として出る幕がなく無力感を感じました。
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【弁護士としてできることは何か】

 弁護士としてできることは何だろうと考えてみました。矢口の小さな工場を直撃しているのは派遣切り・期間工切りと全く同じ現象で、大手企業による下請・孫請切りです。しかし、小さいとはいえ独立した企業体であり、労働法上の保護は大手企業一社への専属度がよほど強い場合を除き無理です。
 明らかなことは、中小企業切捨ては小泉純一郎内閣以来国の断固とした方針として時の政府が推し進めた結果だということです。日本政府は大企業や富裕層の税負担を著しく軽減し、手厚く保護しました。竹中平蔵金融担当相(当時)は、金融機関に不良債権処理という名目で中小企業からの債権回収(貸しはがし)を徹底的に行わせました。その結果、中堅の中小企業は工場を売り、社屋を売り、最後は自宅までを売らされて、つぎつぎとなぎ倒されていきました。企業経営を続けるかぎり一定の借入金は当然のことですが、竹中氏は過剰な負債と決めつけました。金融機関と相談しながら借り入れをし、返済をしていた中小企業にお上による突然のルール変更が通告されなぎ倒されていきました。本来であれば政府はこの中堅層を守って日本のものづくりを多層に構築するべきでしたが、金融機関保護の名目のもと中堅層の中小企業を切捨てる国策を徹底的に行いました。
 私が訪問した家族経営主体の小さな企業は自社工場も自社社屋ももたない企業群なので、もともと民間の金融機関からの借入金もほとんどありません。したがって当時不良債権処理の対象となりませんでした。しかし巨大な大手企業と小さな企業群では鼻から勝負になりません。不況が来ると大手企業は発注をやめ、内製化し、下請けに出していたものを自社でつくることにして発注数を少なくしました。発注する場合も単価は大手企業の意のままです。下請法下請代金支払遅延等防止法:参照公正取引委員会ホームページ)がありますが、これに抵触するのは余程の場合です。小さな企業は大手企業にとって派遣労働者や期間工よりももっと安全・確実に切ることのできる景気の調整弁に位置づけられています。
 今弁護士としてできることは国策によってつくり出されたこの不公正な実態を世に問うことだろうと思います。中小企業経営者を含むさまざまな人と力をあわせて実態調査をし、世に明らかにすることで、そのためにはマスコミの協力が不可欠です。民主党・社民党・国民新党は三党合意で中小企業の保護をうたっていますが十分ではありません。冒頭でも述べましたが私自身の認識もいい加減なものでした。
 学生時代を含めると私は大田区に35年間住んでいることになります。人生の大半は大田区民です。中小企業を守るなんて途轍もないことはできませんが、大田区に縁のある弁護士として私たちにできることから始めていきたいと思います。

【~JR不採用問題&派遣法~ 11.30南部集会の案内】

 ◆日時 2009年11月30日(月) 午後6時半~8時半
 ◆場所 大田区消費者生活センター 2階・大集会室 地図
       JR蒲田駅東口から大田区役所方面徒歩5分
        (区役所から100mほど先)
 ◆内容 話「今こそJR不採用問題解決・派遣法改正」
        清水建夫(鉄建公団訴訟弁護士)
       闘争団からの報告
       派遣法抜本改正のとりくみ報告
       行動提起
 ◆主催 1047名解雇撤回南部実行委員会
   協賛 全国一般労組東京南部

 詳細は案内チラシをご参照ください。
  → ■案内:「~JR不採用問題&派遣法~ 11.30南部集会の案内]
            
 この機会に大田区の工場街のことにも触れたいと思います。ご都合のつく方はご参加ください。

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2009年11月15日 (日)

大田区の中小企業者と弁護士が語る会

【問われる ものづくりのまち】

◆日時 2009年11月19日(木) 午後6時半~8時半
◆場所 矢口文化会館(新田神社内) 地図
       大田区矢口1-21-22 
       東急多摩川線 武蔵新田駅下車5分
◆参加弁護士(大田区在住)
     原田敬三(南北法律事務所
     脇田康司(脇田康司法律事務所)
     清水建夫(銀座通り法律事務所

詳細は案内をご覧ください。
 → ■案内:「大田区の中小企業者と弁護士が語る会]
            

【大田区の中小企業の現状】

 かつては1万社を超えていた大田区の中小企業は今では4000社になり、やがて2000社になると言われています。ほとんどの中小企業経営者は仕事がないことに悲鳴をあげています。リーマンショック以降世界的大不況と言われましたが、日本の上場企業は早々と業績が回復し、金融機関も黒字決算で余裕を取り戻しています。しかし、中小企業には明るい展望が全く見えません。工場の家賃も支払えない中小企業も少なくありません。中小企業の工場経営の悪化は商業にも影響し飲食店の来客者が激減しています。客を呼び込むために生ビールを半額にしても客足は増えないのが現状です。

【貸し渋り・貸しはがし防止法案】

 亀井静香金融相が提唱した「モラトリアム法案」の具体策として、中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済猶予を盛り込んだ「中小企業等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律」(参照:金融庁-第173回国会における金融庁関連法律案)の最終案が10月20日、金融庁の政策会議で公表され、同月30日に閣議決定され国会に提出されました。法案は、金融機関に強制的に返済を猶予させる「モラトリアム」のイメージが薄れ、11年3月までの時限立法として金融機関が企業の要請になるべく応じるよう要請する「努力規定」に近い内容となりました。
 返済猶予に応じるかどうかの判断を金融機関に「丸投げ」したかたちにもなっており、実際に貸し渋り・貸しはがし防止に効果があるかどうか、疑問です。

 小泉内閣時代、竹中平蔵氏は金融機関の中小企業に対する債権をほとんど不良債権に色分けし、金融機関にその処理を徹底的に行うよう指示しました。その結果多くの中小企業が倒産し、自殺した中小企業経営者も少なくありませんでした。亀井静香金融相の「モラトリアム法案」は亀井氏の小泉・竹中両氏に対する憤りの発露と思われますが、残念ながら法案はきわめて不十分です。それに時遅しの感を否めません。小泉・竹中の構造改革のおかげで日本のメガバンクや大手企業は保護されて一段と強くなりましたが、他方中小企業や労働者(中小企業に勤務する労働者のみならず大企業に勤務する労働者も)を犠牲にしてきました。今生き残っている中小企業のほとんどが息絶え絶えというのが私が感じる率直なところです。リーマンショック以降大企業は中小企業への発注を減らし、自製化し、業績を回復させています。中小企業は仕事がなくなって、今頃になって金融の円滑化を図ってもこの程度ではなすすべがありません。

【中小企業のための総合支援ネットワーク】

 私は小泉・竹中による中小企業潰しが過熱していた2002年に、弁護士、公認会計士、税理士等の専門家と中小企業経営者と一緒に中小企業のための総合支援ネットワークをつくりました。残念ながら金融機関による徹底的な貸しはがしに有効な手立てを打つことができませんでした。
 今は中小企業のための総合支援ネットワークは開店休業の状況でリンクからはずしていましたが、また復活させることにしました。今後は専門家チームによる支援ということではなく、中小企業経営者主体のネットワークに衣替えをできればと思っています。大田区での11月19日の集まりはその第一歩です。

【企業再生の方策について】

 私は2003年当時「過剰債務からの脱出-企業再生の方策について-」と題して、次の項目で業績に苦しむ中小企業の経営者にメッセージを送りました。
 
 ・ 資金繰りが気になって夜中に目が覚める
 ・ 生き残る道は必ずある
 ・ 銀行も取引先債権者も倒産を望んでいない
 ・ すみやかに頭を切り換える
 ・ 自身で実行可能な返済計画を立てる
 ・ 特定調停制度の利用
 ・ 民事再生手続の利用
 ・ 早めに専門家と相談を

 今でも通用する部分が多いと思いますのでご覧いただければ幸いです(リンク先はこちら )。
 新会社法の会社分割を利用すれば、会社が傷むことなく生き残れる余地があり、とにかくさまざまな手法を駆使して中小企業をサポートしたいと思います。

【経済活動の決定過程と果実の享受の民主化】

 金融機関の貸しはがしの時代は中小企業の仕事はまだありました。今は大企業の一人勝ちで大企業の都合次第で中小企業の側には仕事そのものがなくなります。中小企業が生き残れる基盤が根底から崩されてしまっています。大企業がグローバル競争で勝ちぬくために日本政府は大企業優遇政策を徹底的にとりました。日本の企業では、労働者の意見を代弁できる組織はなく労働組合はほとんど御用組織です。日本の企業では社長のツルの一声がすべてを決めます。その結果、日本の社会は大企業のトップ経営者が経済活動のすべてを決める社会になり下がってしまいました。かつては中小企業が裾野広く存在し、たくさんの人々の知恵と工夫で日本の製造業のクオリティをを高めてきました。小泉内閣・安倍内閣の時代に、大企業の経営者が政治に深く関与し、自社利益を優先させる構造ができあがってしまいました。わが国の社会がこのような社会であっていいのかどうか、今日本の社会のあり方の根本が問われています。政治体制の民主主義は経済における民主主義がなければ絵に描いた餅です。日本の経済活動の決定課程においても、経済活動の果実の享受においても、国民一人ひとりの声が届き、公平・公正に反映する社会をつくる必要があります。そのためには小さなところから粘り強く一歩ずつ積みあげていかなければならないというのが、私が強く感じるところです。

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2009年11月 9日 (月)

和解から30年 09年度スモンの集い

【スモンの集い】

 09年度スモンの集いが11月7日(土)午後10時~午後4時20分まで日本大学会館(東京都千代田区九段南)でもたれました。主催は厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患克服研究事業)スモンに関する調査研究班です(以下この研究班を「スモン調査研究班」と略します)。スモンの集いという言葉からはスモン患者が集まり互いの情報を交換したり、親睦を図る集りのように思えますが、主催者はスモン調査研究班であり、スモン調査研究班の医療研究者が患者に報告する会です。3名の患者から発病後の経過や現状について報告もありましたが、基本は医療関係者が中心の会でした。主催者側はこの会はスモン患者のための会ですと言っていました。スモン裁判係属中は、私たち原告側弁護士はスモン調査研究班の報告書の中から訴訟に有利なものを求めて、常に目を通していて、間接的に患者の方にも伝わりました。訴訟が終わるとそれも途絶えてしまいました。その意味ではスモン調査研究班が研究成果をスモン患者に伝えるのは必要なことだと思います。スモンの集いは06年度は岡山、08年度は福岡という風に全国各地で順次開催され、09年度は東京でした。

【スモンとスモン裁判】

 スモン(Subacute Myelo-Optico Neuropathy亜急性脊髄・視神経・末梢神経障害の略)は整腸剤キノホルムの副作用による健康被害で、中枢および末梢神経が侵されることによる全身病的な特徴を有する疾患です。1970年9月8日にキノホルム剤の販売停止措置がとられるまでに1万名を超える人がスモンを発症しており、未曾有の大規模な薬害事件です。スモン裁判は全国各地の患者や遺族が国と大手製薬会社を被告に33地裁、8高裁で闘い、原告数は7561名に達しました。原告団と国と製薬会社は1979年9月15日に和解のため確認書に調印し、これにそって各裁判所で和解が成立しました。私は1978年3月1日に最初の勝訴判決を勝ちとった北陸スモン訴訟の原告代理人の一人でした。北陸スモン訴訟の金沢地裁判決は国と製薬会社の責任を認めた画期的な判決でしたが、他方で原因としてウィルスを否定しきらず、認容額も低く、判決の日は北陸に雪が舞っていましたので原告らは「雪より冷たい判決」と評しました。その後引続く各地裁の判決が金沢地裁判決の負の部分を乗り越えていきました。(参照:法政大学大原社会問題研究所ホームページ 「日本労働年鑑」第50集 1980年版 第二部 労働運動 VII 公害反対闘争

【スモンとスモン患者の高齢化】

 キノホルム剤の販売停止措置から39年が経過しました。スモン患者の高齢化が進んでいます。スモン患者のうち64歳以下の人が11.2%、65歳~74歳の人が31.7%、75歳~84歳の人が41.6%、85歳以上の人が15.5%です。スモン患者の90%近くは65歳以上の高齢者が占めていることになります。

 日本の65歳以上の高齢者(平均年齢74.8歳、平成17年度国勢調査結果より算出)では、要介護・要支援の認定を受けている人が、6.2人に1人(平成17年度介護保険事業状況報告)であるのに対して、平均年齢が類似したスモン患者(平均年齢75.7歳、64歳以下も含む)では要介護・要支援の認定を受けている人は2.3人に1人であり、スモン患者の要介護・要支援認定率が高くなっています。スモン患者はスモンによる症状に加え、高齢による機能低下が加わり日常生活が深刻な人が少なくありません。

【スモンの集いに参加して弁護士として感じたこと】

 スモンの集いがあることは親しいスモン患者のBさんから聞いてはじめて知りました。09年度のスモンの集いにおいて弁護士としての参加者は私1人のようでした。会場ではかつて共に裁判闘争で闘った患者の方にもお会いしました。和解のための確認書を交わしてから丸30年が経過しました。調印当時の厚生大臣であった橋本龍太郎氏も亡くなり、患者の方も亡くなった方が少なくありません。元気な患者の方も私たち弁護士の側も30年の歳月がたち、ともに高齢化したのは事実です。しかし先にも触れましたようにスモン患者にとっての高齢化の影響は一般の人にとっての高齢化の影響よりはるかに深刻です。そのことを思うとこの30年間弁護士として私たちにもっとできることがあったのではないかという思いに駆られました。加害者のない難病患者ではなく、国や製薬会社に責任のある薬害被害者として国等にもっと改善を求め続けていくことができたのではないか、私たち弁護士の側に解決後のサポートに欠けるところがあったのではないか、厚生労働省やスモン調査研究班の研究者に訴える面でもサポートできることがあったのではないか、というさまざまな反省の思いをもちながら会場を後にしました。

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2009年11月 2日 (月)

寒々雇用の受け皿と心細い鳩山首相の腕力

【鳩山首相の所信表明演説と腕力】

 鳩山首相が10月26日におこなった所信表明演説は次の項目からなっています。

一、はじめに
二、いのちを守り、国民生活を第一とした政治
三、「居場所と出番」のある社会、「支え合って生きていく日本」
四、人間のための経済へ
五、「架け橋」としての日本
六、むすび

 友愛政治を展開した所信表明演説は社民党の福島みずほ党首が述べてもおかしくない内容で私としても全面的に賛成です。安定多数をバックに日本の首相がこのような美しい演説をおこなったことはこれまでにありませんでした。この内容をであれば私たち国民も私たちの政府の方針として世界に胸を張って言えます。これを実現するためには鳩山首相の強い腕力が必要です。

【コンクリートから人へ】

 鳩山首相は所信表明演説で次のように述べています。

 公共事業依存型の産業構造を「コンクリートから人へ」という基本方針に基づき、転換してまいります。暮らしの安心を支える医療や介護、未来への投資である子育てや教育、地域を支える農業、林業、観光などの分野で、しっかりとした産業を育て、新しい雇用と需要を生み出してまいります。

 しかし、新しい雇用と需要を生みだすのは並大抵なことではなく、きわめて厳しい現実があります(次の朝日新聞参照)。厳しい現実を発足まもない鳩山内閣の責任とは言いません。しかし、日本の産業構造を変えるのには既存の経済界等の強い抵抗が予想されます。首相に強力なリーダーシップがないと友愛政治は単なるユートピア(理想郷)で終わってしまいます。

【寒々雇用の受け皿】
                  (10月31日 朝日新聞 より)

 30日に発表された9月の完全失業率(季節調整値)は5.3%、有効求人倍率(同)は0.43倍で、いずれも前月より改善した。だが、失業者は前年同月より92万人増えるなど雇用情勢は依然として厳しい。政府は失業した人を、人手不足の介護や後継者難の農林分野などに振り向けることで雇用創出をめざす。ただ、処遇の低さや求職者と求人側とのミスマッチなどの課題もあり、雇用の受け皿になるのは容易ではない。(小林浩幸、前田育穂、諸麦美紀)

<製造業→介護 続く人手不足、職業訓練拡充 低賃金>

 政府が雇用創出策の中心に位置付けるのが、人手不足の続く介護分野だ。介護施設には、製造業などで職を失った人たちからの問い合わせが増えており、9月の求職者数は前年同月比5割増しの7万1千人。政府は介護ヘルパーなどの資格を無償で取れる職業訓練制度を拡充して支援する。
 岐阜県の雇用促進住宅に住む男性(52)は、せっかく取った資格が生かせなかった。自動車部品工場で働いていたが昨年11月末に「派遣切り」に。「長続きする仕事がしたい」と、県が受講料を全額負担する制度を使い、ヘルパー2級の資格を3月に取った。
 20以上の事業者を回ったが、「年齢が高い」「未経験者に仕事を教える余裕がない」と断られた。就職が決まらず9月末には失業給付も切れた。10月28日に生活保護を申請した。介護施設の入所者は女性の高齢者が多く、中高年の男性は採用されにくい。
 「資格を取っても就職できないなら、何のために国が旗をふっているのでしょうか」
 採用されても、待遇の悪さから、介護現場に定着しない人も多い。製造業などで働いてきた静岡市の男性(40)は今夏、介護ヘルパー2級の資格を取得し、9月から介護施設で働いたが、1か月ほどで辞めた。週3日の勤務で時給は800円。「仕事がきついのにコンビニのバイトと変わらない。将来が見通せず、働き続ける自信がなくなった」
 不況下でも、介護産業の離職率は年間2割近くあり、08年の全産業平均(14.6%)を上回る。厚生労働省の調査では、介護施設費の年間平均給与は309万円と、全産業平均の6割しかない。
       (中略)
 淑徳大の結城康博准教授は「育成や処遇改善への本格的な議論を欠いたまま介護職に誘導しても、高景気に転じれば、他の業界に人材が流れてしまう。介護を『雇用の調整弁』として位置づける発想から抜け出すべきだ」と話す。

<建設業→農林業 増える耕作放棄地を活用 低い収益、赤字続き>

 農林分野も期待を集める。経営が厳しい建設会社が、高齢化で増加する耕作放棄地を活用すれば、雇用維持と農業再生を実現でき、地域も活力を取り戻せるからだ。
       (中略)
 農林水産省によると、04年以降、09年8月までに349社農地リース方式で農業に参入。うち建設業が125社で、大半は赤字とみられる。
 90年代には、運輸業や農林業の雇用が縮む中、建設業が受け皿となった。01年の景気後退期には、農業への誘導策を打ち出す自治体もあったが、専門知識も身につけずに就業した人には、景気回復後、比較的賃金の高い製造業へ移るケースが目立った。
 建設業や製造業では就業者の減少が続いており、景気回復後も変わらないという見方が強い。
 三菱総合研究所の渋谷住男・主任研究員は「農業の付加価値を高めることが安定した雇用の創出につながる。加工や流通のノウハウを持つ企業の参入を促す制度設計を急ぐべきだ」と注文を付ける。

【「小沢色」染まる民主 集団指導からトップダウン型に】
                    (11月2日 朝日新聞 より)

 民主党の小沢一郎幹事長が独自の党内統治システムを築き上げている。トップダウンで迅速な意思決定ができるように幹事長に権力を集中。政策論議を重視してきた「党内民主主義」も一変させた。ただ、このまま小沢氏への権力集中が進めば、鳩山由紀夫首相の求心力はますます低下し、内閣よりも与党の方が強いという力関係が固定化する可能性がある。   (園田耕司、林尚行、本田修一)

<政府離れ党内権力集中>

 毎週月曜日の夕方に開かれる党役員会は、党の運営方針を決める事実上の最高会議だ。定員枠には代表を務める鳩山首相ら13人が入るが、首相は出席せず、司会・進行役は事実上のトップである小沢幹事長が務める。
 出席者によると、会議では活発な議論はなく、粛々と議事が進む。これまで3回開かれたが、いずれも30分足らずで終了。「効率」を好む小沢氏らしい議事進行ぶりだ。
      (中略)
 さらに、政府と党の運営を切り離すことで、仮にスキャンダルなどで内閣が倒れても、「小沢民主党」が受ける打撃を少なくできる。
 なぜ、巨大化したのに新しい統治システムにすんなり移行できたのか。
 民主党には小沢執行部に対抗できる強力な勢力が存在しない。かつての自民党に比べ党内グループのまとまりは弱く、主なリーダーは鳩山内閣発足で政府に移った。首相にしても、4年越しのマニフェスト(政権公約)実行を約束することで自らの解散権を縛ることになり、影響力には限度がある。

【私の意見】Up63

 小沢一郎氏は壊し屋との異名をもつほど造っては壊してきました。国民から期待されて登場した細川内閣も短命で終わりました。鳩山内閣も同じ運命をたどるリスクが多分にあります。その時は強力な保守新党に変身しているかも知れません。私たち国民には、友愛政治を説く鳩山首相の美しい言葉に酔いしれている暇はないことを肝に命じるべきだと思います。

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2009年10月26日 (月)

熱演!若山さん濱田朝美さんと4人の先生

【みんなで楽しむお話の会と若山超さんコンサートを開催】

 10月18日のブログでご紹介したコンサートを開催しました。
  ・日時 10月24日(土)13時30分~16時
  ・場所 音楽堂anoano
 私は主催者である障害児・者人権ネットワークの理事の1人ですが、聴衆の1人として参加し、感動しました。

【第1部 お話と合唱】 13時30分~15時

 出演していただいた元教師の佐藤静子さん、鶴見篤子さん、藤田敏子さんは個性豊かで愛情豊かな方々でした。チラシに掲載されている3人の方のプロフィールを引用し紹介します。

<佐藤静子さん>
  元小学校教諭。現在は日大医学部付属病院内で親の会である「げんきの会」と協力しながら、読み語りや学習指導のボランティアを行っている。担任をした病気のあきこちゃんが亡くなるまでの交流は児童作家の宮川ひろさんの手により「天使のいる教室」という児童書になっている。サトパン先生と呼ばれる。

 <鶴見篤子さん> 
  元小学校音楽教諭。現在NPO法人日本アコーディオン協会事務局次長。
 板橋区内で蔵王の水と国産大豆を使った豆腐づくりを障害をもつ人と共に行う
 「はらから会」の理事。子どもと音楽が大好きで、音楽にかかわっているうちに音楽専科ではなかったのに、音楽の先生になってしまったという。

 <藤田敏子さん>
  元小学校教諭。この本だいすきの会板橋支部代表。本の魅力にとりつかれ、
 読みがたりの活動に熱心に取り組む。担任になった子供たちは皆、本が大好きになってしまう。ことば遊びで子供達のこころを鷲づかみにする。自称か他称か、「フジドジ」という呼び名も。おちゃめな○才。

 「天使のいる教室」という児童書を私は知りませんでした。小児がんのあきこちゃんの担任のサトパン先生が佐藤静子さんでした。あきこちゃんは亡くなりましたが、あきこちゃんが亡くなる前にクラスメイトと一緒に精一杯歌ったぼくのひこうきを、クラスメイトたちは(今は24歳)毎年歌っているとのことです。

「ぼくのひこうき」

 作詞:風車雪子
 作曲:浅野義高

1.大空に翼を
  広げて飛んで行く
  ぼくたちの夢乗せて
  地球を飛び越えて
  どこまでもゆこうよ
 ※ララ みんなと手を取って
   さあ 明るい明日へ
   小さな手を離れ
   今旅立つ時がきた
   さあ飛んで行け
   ぼくのひこうき
2.幸せを乗せて
  どこまで飛んで行く
  愛の歌口ずさむ
  僕らの未来こめ
  いつまでもうたおう
 ※くりかえし

 鶴見篤子さんのアコーディオンの伴奏で参加者全員で合唱しましたが、私は亡くなったあきこちゃんやあきこちゃんを支えてきたクラスメイトたちのことを想像し歌っているうちに涙がひざの上にポロポロと落ちてきました。
 3人の元教師の方々は私たちの会に参加できたことを喜んでおられましたが、私たちも先生方と会うことができてよかったと思います。日本にもぬくもりが残っていると思うとうれしくなりました。

【第2部 若山超(たかし)さんコンサート】 15時10分~16時

 超さんは2年前のコンサートの後体調を崩し、体調が万全ではなかったようです。なかなか演奏に乗れない超さんを伴奏者の関守先生が懸命に支え、超さんは後半は前回同様力強く演奏し、歌もうたってくれました。超さんをできるだけ引き出そうとする関守先生の姿に感動しました。

【懇親会に難病と闘いながら歌う「濱田朝美」さん熱唱】 16時15分~19時30分

 歌手濱田朝美(はまだあさみ)さんがコンサートに参加、懇親会では「生涯たった一つの母との約束」を熱唱していただきました。
 濱田さんのプロフィールをチラシから引用します。

濱田朝美(はまだ あさみ)
1981年10月2日 宮崎県生まれ。
24時間の完全介護が必要な身体障害と言語障害を持ちながらも、母との約束である「歌手になってNHK紅白歌合戦に出場」を目指して、日々路上ライブを中心に歌手活動を展開中。原因不明の障害が日々進行し続ける中、夢に向かって頑張っています。
命尽きるまで歌い続けます。よろしくお願いします。
2009年9月17日 光文社より自分の半生を綴った自叙伝「日本一ヘタな歌手」を出版。
同時に楽曲「生涯 ~たった一つの母との約束~」をリリース。

■濱田さんのブログ
http://ameblo.jp/sakura-smile-for-you/
■濱田さんのホームページ
http://1st.geocities.jp/hamada_asami/

【私の感想】Up63

 NPO法人障害児・者人権ネットワークのこれまでの集まりは身内で制度とか権利とかを議論することがほとんどでした。楽しくさまざまな人と交りあって楽しく会をもつことの意味の大きさを感じた1日でした。

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2009年10月18日 (日)

合唱と若山超さんコンサートのお知らせ

【久々のコンサート主催】

 NPO法人障害児・者人権ネットワークが久々にコンサートを主催します。多くの方のご参加をお待ちしています。

日時 10月24日(土)13時30分~
場所 音楽堂anoano
      豊島区南大塚1-49-2
内容 
     ・ お話と合唱 13:30~15:00

       元教師佐藤静子さん、鶴見篤子さん、藤田敏子さん
       による全員参加型の言葉と音楽の楽しさを味わえ
       ます。
     ・ 若山超(たかし)さんコンサート 15:10~15:40
       2年ぶりの若山さんのコンサートです。関守先生と
       ともに牛込箪笥ホールでの熱気あふれるステージ
       の再演です。前半はクラシック曲、後半はおなじみ
       の曲目の演奏です。
       〈若山さんプロフィール〉
        昭和57年生、生後まもなく水頭症を発症。
       未熟児網膜症併発。その後全盲となる。水頭症の
       後遺症と片麻痺と発達に障害がある。自閉的傾向
       があり言語によるコミュニケーションは苦手だが、
       ピアノを通して自分を表現できるようになり、今は
       演奏することが楽しくてしょうがない。
     ・ 懇親会 16:15~(会費2,000円)

 ※詳しくはNPO法人障害児・者人権ネットワークのサイトをご覧下さい。

 申し込み期限を10月20日(火)としていますが、20日をすぎても構いません。どうぞご参加ください。

【第17回職業リハビリテーション研究発表会プログラム】

 第17回職業リハビリテーション研究発表会のプログラムが発表されました(プログラムはこちら:PDFファイル)。
 12月3日の論文発表は第1分科会から第16分科会まで計78に及び内容も多岐にわたっています。
 私は第16分科会の5番目ですから、12月3日の午後2時10分頃の発表になります。
 私の知人も発表します。第3分科会の2番目の弁護士田中省二氏(共同発表者社会保険労務士桑木しのぶ氏)「視覚・聴覚障害をもつ労働者の雇用の継続に必要な職場における『合理的配慮』の事例検討」と第14分科会の2番目元養護学校教師横田滋氏(共同発表者弁護士徳田暁氏)「知的障害者の卒業後の雇用環境の推移と現状」です。
 田中省二氏は銀座通り法律事務所の弁護士、桑木しのぶ氏は働く障害者の弁護団の事務局責任者です。横田滋氏は労災で死亡した知的障害者高坂茂さんの中学時代の担任教師だった方です。徳田暁氏は障害と人権全国弁護士ネットの弁護士です。

どなたでも参加可能です。参加をご希望される方は、参加申込期限が10月30日(金)までとなっています。

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2009年10月12日 (月)

障害者権利条約と立法行政司法改革の必要

【第17回職業リハビリテーション研究発表会 発表予定論文】

 独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構主催の第17回職業リハビリテーション研究発表会に私が発表する予定の論文を同機構に提出しました。2009年12月3日午後に発表します。題名と目次は次のとおりです。

[題名] 
 障害者権利条約の批准と同時に国内法・行政・司法の基本改革が必要

[目次] 
1 障害による差別の撲滅に向けてのEUの先進的取組み
2.EU雇用均等一般枠組み指令の概要
3.「労働環境・労働条件の改造」を求める障害者権利条約と「障害者の改造」を求める国内法
4.厚生労働省の事業主に甘い運用が障害者の労働環境・労働条件を一層悪化させた
5.司法改革
6.労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会(中間整理)
7.労働政策審議会・在り方研究会の改組の必要
8.障害者自立支援法の廃止と立ち遅れた法制度の再構築

その内容は、添付のファイルをご覧下さい。長い論文ですが3、4、6、8はこれまでこのブログで紹介してきましたので、1、2、5、7を目を通していただければ幸いです。以下この関係について少し触れます。

■論文:「障害者権利条約の批准と同時に
           国内法・行政・司法の基本改革が必要]
                          清水 建夫

            

【EU時代の始まり】

 第2次世界大戦を境にパクス・アメリカーナ(超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する平和)となりました。2008年を境にそのパクス・アメリカーナの時代も終わりを告げようとしています。米国の経済危機は小康状態を保っているように見えますが、相当数の米国民が過剰債務の状態から脱却しきれていません。経済のファンダメンタルは今なおぜい弱と言わざるを得ません。EUは米国に変わる新たな経済大国をめざしているのでもなければ軍事大国をめざしているのでも勿論ありません。EUは域内の国家と国民がそこそこの豊かさと安全の中で共存・共栄していくことに重きを置いています。市場原理主義・競争至上主義を基本として突っ走ってきた米国や日本と異なった理念のもとにEU各国は集まろうとしています。EUの理念が米国や日本などEU以外の国家・国民に影響を与える時代が始まりつつあるように思います。また、それを私は願います。
 EUの障害による差別の禁止に対する取り組みも「障害による差別の撲滅」(1997年アムステルダム欧州理事会)、「障害に基づく差別と戦う」(2000年一般雇用均等枠組み指令)としており、表面的な言葉だけが美しく並んでいるわが国の法律や行政施策と比べてその意気込みも中味も根本的に異なります。

【司法改革】

 2009年9月の衆議院議員選挙で国会の勢力図は大きく変わりました。立法・行政が大きく変化する機運があります。しかし、司法だけは旧来の保守性を堅持したままです。日本の司法はほとんどの場合刑事事件では官憲の立場に立ち、労働事件では企業の立場に立ち、国民の権利救済をことごとく拒絶してきました。日本の司法を国民の立場に立った司法に改革するのにはおそらく数十年を要すると私は思っています。
 障害者の権利救済について独立した行政機関をつくり、そこに準司法的役割を担わせることは保守的な司法に刺激を与えるきっかけとなるかもしれません。その意味でも独立した準司法機関をどのように作るかは大切です。

【労働政策審議会・在り方研究会】

 これまでは政府と経済界のための御用答申機関、御用研究会でした。新政権では、旧来型の審議会や研究会の廃止もしくは根本的見なおしを是非とも実行してもらいたいものです。

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2009年10月 4日 (日)

辻井喬・金子勝 自己愛に沈む日本社会

【未完の近代と自己愛に沈む日本社会 大転換期をどう乗り切るのか】
                                         (「世界」2009年10月号 より)

<辻井 喬>

 つじい・たかし 1927年東京都生まれ。詩人・作家、元セゾングループ代表。経営者・堤清二としての活躍が知られる一方、精力的な創作活動で多彩な作品を生み出す。著作に詩集『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青 わが黙示』(高見順賞)、『鷺がいて』(読売文学賞詩歌俳句賞)、小説『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の峠』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)など多数。『自伝詩のためのエスキース』にて第27回現代詩人賞を受賞。近著に『叙情と闘争』。

<金子 勝>

 かねこ・まさる 1952年生まれ。経済・財政学者。慶応義塾大学経済学部教授。著書に『世界金融危機』、『脱「世界不況」』、『反ブッシュイズム1~3』、『閉塞経済』、『地域切り捨て』、『環境エネルギー革命』、『戦後の終わり』、『粉飾国家』など多数。

【私のコメント】Up63

 辻井喬氏と金子勝氏はその立ち位置が全く異なりますが、両氏は異なった角度から鋭く日本社会を分析しています。両氏の対談はユニークな企画であり長文になりますが、その一部を以下に紹介させていただきます。

【記号消費から実需消費へ】

 辻井  まず日本のことをお話すれば、ちょうど1年ぐらい前から、驚くような変化が消費に出てきています。その最も象徴的な事例は、「クルマ社会」が、突然消えたことです。みんな車は持っていて、手放しはしないのですが、使う時間がものすごく減った。ですから、不動産価格の安いところ広い土地を買って、お客さんはみんな車を持っているから商圏も大きく、広い駐車場をつくって集客する、という「路線商売」が軒並み打撃を受けています。どの業種がというのではなしに、レストラン、スーパー、GMSと呼ばれる総合スーパーも一斉に下がり始めた。その下がり方が、都心部や市街地中心部よりは、あきらかに数%大きい、どうしても車を使っていかなければ手に入らないもの以外は、できるだけ近くで間に合わせているわけです。数字を見ると、都市の中心部、そしてごく隣接したところにあるコンビニだけが少し増えている。少し不便なところのコンビニは減っています。また、レストランサービスは間違いなく、それよりも少し強めに減っている。ということは、家庭で料理をして食べる、あるいは、コンビニで買ったもので間に合わせるという生活意識がまたたく間に全国を支配するようになったのです。
  (中略)
 消費は少しも増えていません。衣料品などは、百貨店がことにひどいのですが、ピーク時に比べて20%近く衣料の売り上げが減っています。絶対的にファッション性を追求して、もう去年の洋服は今年は着ていけないわというメンタリティはなくなりました。まあまあカッコウがつけば去年のものでも着てしまう。車の場合も、あの車に乗らなければ彼女の気持ちを引くことはできないという価値観はなくなってしまった。とにかく、輸送手段としてあればいい。それならばできるだけ燃費のいいものがいいということです。

【自己愛的メンタリティと不況の融合】

 金子  これは深刻な不況がもたらしている不況減少なのか、それとも、社会や消費のスタイル、価値観にまで及ぶ転換点なのか。どう見るかが大きな違いになると思います。
 「不況」でかなり説明できる部分もあります。しかし、家族構成の変化や、少子高齢化、正社員その他が過重労働を強いられているといった、ライフスタイルが「成熟」したからではない、負の変化がある。子どもをたくさん持って、郊外の広いところでのびのびと、そして車を使って移動するというライフスタイルを選ばず、鉄道の駅近辺の直結型マンションが売れている。みんな疲れているから電車を降りたらすぐ帰りたいのです。単身世帯、夫婦だけ、あるいは子どもがいても一人、という形態の家族構成になるとマンションがいい。かつてサンデードライバーという言葉がありましたが、いまは疲れた単身者やお父さんは寝ているのです。
 バブルの頃はみんな着飾っていましたが、いまはユニクロにたくさんの色があるお陰で、さしてファッション性がなくても着ていることが恥ずかしくなくなっている。
 そうしたいくつかの徴候の中に、私は最近の若い人の猛烈な自己愛を感じるのです。イデオロギーの時代には、社会をどうするかということが心のなかを占めていた。次に、オウムで宗教の時代が終わった。そうなると、残っているのは男女の恋愛と自己愛だけのような人間が多くなった。
 若い人たちの消費の変化でいうと、バブル崩壊の後遺症が長く続いて、雇用が不安定な状況に置かれているせいもあると思うのですが、最近草食系男子が増えたといわれますね。主張を交換するとか、積極的に伝えるというコミュニケーション能力は著しく低下しているにもかかわらず、他者を傷つけないコミュニケーション能力は異常に発達しているのです。それは自己愛の裏返しです。自分を傷つけることに対する恐怖と相手を傷つけることに対する恐怖が常に支配的で、嫌われないことがいちばん大事。そういう行動をとる人たちにとって、車を持って見せびらかすということは意味がない。

 金子  派遣労働とはつまり部品労働化です。男子も派遣化が一般化し就職が非常に厳しくなってくると、男は正社員になったことでホッとし、一生懸命そこからずり落ちないようにと考える。依然として男社会の残像が残っていて、女に食わしてもらえばいいとは思わない。そうすると、仕事そのものよりも生き残ることに最大の価値があるから守勢です。面接をしても、仕事について語ろうかという気概はない。
 一方でひたすら婚活して結婚に逃げたいと思っているけれど逃げ切れない、きわめて保守的な女性の層も生まれている。

【若者が根源的に活力を奪われた社会】

 金子  根源的に若い人の活力が生まれてこない、新陳代謝のない社会になっているのではないでしょうか。
  
 雇用を不安定にして若い人を未来が考えられない状態におくというのは、最大の愚民政策ではないでしょうか。バブル処理に失敗して構造改革をやってきた失敗組が政・官・財のトップを占めてきた。この支配が永続する近道は若い人の政治的な参加の動機が形成されないようにすることです。
 グローバリゼーション下で愚民政策をやれば、当然国力はヤセ細ります。それがこの10年間ですよ。だけど反省はない。いまもこんな状況で、景気底入れなどとバカな発表をくり返す。楽観論があってもいいが、根拠のない楽観論は危険です。それは、失敗を反省しなくていい、今のままでいい、というメッセージを送ることになるからです。

【中間組織化する国民国家 食い尽くされた戦後体制】

--いまの社会状況は不況だけで説明がつかないというお話でしたが、ヨーロッパも70~80年代の景気低迷があって、成長神話からの脱却が思想的にも語られてきた。日本は、曲がりなりにも豊かさを実現した後、長い不況、そしていまの危機を迎えたわけですが、なぜ成熟社会は生まれなかったのでしょうか。
 辻井  まさにそこのところが解明できたらいろいろな問題が見えてくると思うのです。ジャック・アタリの『21世紀の歴史』を読むと、こう威勢よく言えたら羨ましいわいと思う(笑)。主張はかなり目茶苦茶で、当たるも八卦・当たらずも八卦みたいで論理的でもないしがっかりしましたが、これだけアイデアを乱発してストーリーを語ろうとする。
 日本にはこういう言説はないですね。そういうのが影響力を持っている社会というのは、やはり羨ましい。
 それは日本全体が改革に失敗したからです。第二次大戦後、社会の本質的な枠はそのままにしておいて民主主義のカタチだけを作った。そうしておいて、政治、外交については日本はまさにアメリカの従順な僕となって、これなら安心だと、昔の日本のままアメリカに仕えればいいというかたちでの再建をやった。何が一番成功したかというと、高度経済成長政策です。安保改定でも存続でも棚に上げておいて、とにかく所得を倍増しよう、幸せになれるよと、みごとにそれで吸い取られましたね。
 そのときに革新側は、騙されるな、あれは独占資本の策略だ、とだけしかいわないのだから、やはり大衆は取られてしまいます。だから、1963、4年頃から、革新の力が軒並み崩れて、社会のなかでも、前近代的要素はむしろ充溢して、除去されていない。それで経済だけが豊かになったのですから、いまのような状況で、不況や閉塞を乗り越えるための熱烈な議論を言ってもダメだよとなってしまう。
 いろいろな社会の枠組み、例えば企業別組合や年金も直さなければいけなかった。
 金子  欧米に集団を横断的に貫くようなしくみができているのに対して、みんなが、小集団のなかに閉じ込められて、そこで忠誠を誓わないと安寧な生活が保たれない仕組み、そういう前近代性を残したことに目がいかなかった。天皇制もみんながいろいろ批判をしていたが、内なる前近代に気がつかなかったのだと思うのです。それは精神ではなくてシステムです。まだ、みんなが意識としての戦後民主主義を共有できる間はそういう制度的な壁に気づかなかった。

【温存された前近代的システムの恐ろしさ】

 金子  その前近代的しくみがいかに恐ろしいかには気がつかなかった。80年ぐらいからだと思うのですが、もう行き詰まっているのにそれを変えられなくなったのです。
  (中略)
 そういう社会が一方ではグローバル化した世界と向き合わなくてならない。そうすると、全部こわしちゃえというときに市場原理が一番いい。新自由主義が前近代を壊してくれる非常にいいものに見えたりするというのが、小泉改革で頂点に達した。バブル崩壊のあとも経営でさまざまな議論がされました。株主資本主義、外部監査役、コンプライアンス、次々とやった。われわれは実は経営の責任もとれないし、経営として意思決定を変えていかなければいけないはずだったのが、気がついてみたら何もチェックするものが働かない。それでいろいろアメリカの制度をまねして入れるけれども、うまくいかなかった。

【制度から「アジア的近代」を考える】

 辻井  私はなんとかして希望を見つけたい。どこか突破口にならないかと考えないわけにいかないのですが、これは、始終発言をして雰囲気を変えていく以外に方法が見つからない。いま中心的な思想がなくなってしまって、個別の主張だけが一人歩きする状況をなんとかしないといけない。
 金子  辻井さんは未完の近代と闘ってきたと思うのです。妙な自己愛がつくり出されるメカニズムを考えてみると、未完の近代と、個に徹底的に解体していく再帰的近代とが妙に重なり合ったところに生まれてきているように感じます。しかも、その中で社会全体が沈んでいくような感覚です。
 辻井  近代について西洋的なモノサシをいくら重ね合わせても絵が見えてこない。 アジア的な近代というものを考えださないと突破できないのではないかと、この頃非常に強く感じているのです。柳田邦男の言うような、日本の変革はジリジリダラダラと気づかないうちに進んでいる。日本の近代は若衆塾などに見るように江戸時代以前からあったというのはおかしいと思いますが、歴史的段階論もどうも日本にはあてはまらない。日本における近代とは何か、これは中国でもベトナムでも通じる問題設定です。ウィットフォーゲルなどを読み直してみる時期かもしれません。
 金子  アジアというときに、日本や中国という極東は、対称化しやすい。もう一つ重要な視点は、トルコやバルカン半島、旧共産圏のハンガリー、ルーマニア、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシという絶えず東洋と西洋の価値観がせめぎ合う場所がどうなっているかだと思います。いまEUが救いきれなくなっている状況で、IMFの問題になって、中国は、金を出すから発言権よこせというが、IMFのルール自体をアジア的なルールに変えようとはしない。人事ポストのパワーゲームだけです。本当の文化的なグローバリゼーションの問い直しが、具体的な地域で価値の衝突を通じて、どうあらわれるのかというのがまだよく見えてきません。

【理念ある政治が説得力を持つ】

 辻井  私は、それにしても政権を変えることはできた、われわれの一票で政権交代ができたことは大きいと思う。ああそうか、俺たちが本当は主人公だったんだ、という意識として定着できるか、変えてみたけれど、ほとんど同じだと落胆してもう政治に関心を持つのはやめようということになるか。だから、総選挙に勝ったあとの一年二年は非常に大事なのです。
    (中略)
 私は、今度の選挙は、自民幕府の崩壊を導くという意味はあったと思います。それが大連立みたいな大政翼賛会的発想で、自民幕府よりもっと自民的な幕府ができたら元も子もない。この三、四年がものすごく政治的な緊張を要する時代でしょう、でも、その間でも、長期的な日本の改造計画は進めてもらいたいですね。
 金子  2010年の参議院選挙が実は本番です。
 辻井  小分派が乱立して、わけのわからないものになる。ここ数年が、日本が今後どういう社会を選ぶかという非常に大きな分岐点になります。今度の政権交代は、志士のいない明治維新だと思う。志士がどこにも見当たらない。
 金子  ここにいるじゃないですか(笑)。
         (編集部・岡本厚、中本直子)

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2009年9月27日 (日)

障害者労働雇用在り方研中間整理の問題点

【障害者権利条約と日本の国内法は法思想が異質】

 2006年12月3日国連総会で採択された障害者権利条約と日本の国内法(障害者基本法、障害者の雇用の促進等に関する法律など)は根本的な法思想が異なることを2009年3月23日ブログで述べました。障害者雇用については厚生労働省をはじめとする行政機関が事業主に甘い運用を一貫して行ってきたことについても指摘しました。

【労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会が中間整理を発表】

 厚生労働省は厚生労働大臣の諮問機関として2008年4月2日「労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会」を立ち上げ、同研究会は2009年7月8日中間整理を発表しました(厚生労働省ホームページ)。この中間整理は労働政策審議会障害者雇用分科会に引き継がれました。しかし、この中間整理は障害者権利条約を実質上骨抜きにするもので、到底賛同できません。
 以下に中間整理とこれについての私の意見を述べます。

【中間整理と私の意見】

(1) 合理的配慮の内容についての基本的な考え方

 <中間整理>

 「合理的配慮については、条約の規定上はそれを欠くことは障害を理由とする差別に当たることとされている(差別禁止の構成要件としての位置付け)が、これを実際に確保していくためには、関係者がコンセンサスを得ながら障害者の社会参加を促すことができるようにするために必要な配慮(社会参加を促進するための方法・アプローチとしての位置付け)として捉える必要があるとの意見が大勢であった。」
「『合理的配慮』は、個別の労働者の障害や職場の状況に応じて、使用者側と障害者側の話し合いにより適切な対応が図られるものであるので、本来的には、企業の十分な理解の上で自発的に解決されるべきものであるとの意見が大勢であった。」

 <中間整理に対する私の意見>

 中間整理は障害者権利条約が合理的配慮の否定は差別に該当するとした意味を全く理解していません。法による強制力をもってこそ実効性がありますが、コンセンサス、話し合いを前提とすることは強制力の放棄であり、合理的配慮を基本から否定するものです。中間整理は現状を肯定し差別を容認するに等しいと言えます。

(2) 権利保護(紛争解決手続)の在り方

 <中間整理>

  ① 企業内においける紛争解決手段
 「企業の提供する合理的配慮について障害者が不十分と考える場合に、それを直ちに外部の紛争解決に委ねるのではなく、企業内で、当事者による問題解決を促進する枠組みが必要との意見が大勢であった。」
  ② 外部機関等による紛争解決手続
 「障害者に対する差別や合理的配慮の否定があり、企業内で解決されない場合には、外部機関による紛争解決が必要となるが、訴訟によらなければ解決しないような仕組みは適切ではなく、簡易迅速に救済や是正が図られる仕組みが必要との意見が大勢であった。」
 「紛争解決手続としては、差別があったか否か、合理的配慮が適切に提供されたか否かを、いわゆる準司法的手続(例えば行政委員会による命令)のような形で判定的に行うというよりはむしろ、どのような配慮がなされることが適当か、何らかの差別が生じていた場合にはどのような措置を講ずることが適当か等について、第3者が間に入って、あっせんや調停など、調整的に解決を図ることが適当ではないか、との意見が大勢であった。」

 <中間整理に対する私の意見>

 合理的配慮の内容を定めるにあたって、話し合いを優先しているのと同様に、紛争解決手続についても話し合い優先を強調しています。しかし、わが国の企業環境の下で使用者と労働者が対等な立場で話し合える余地は皆無に等しい状況です。ましてや障害をもって働く労働者は職場で肩身の狭い思いで働いているのが現実であり、当事者による問題解決を重視する中間整理は障害者権利条約を否定するに等しく、無責任であるとの批判を免れられません。これは言わば実効性がある法整備の不実行宣言です。

(3)  障害者雇用率制度の位置付け

 <中間整理> 

 「差別禁止の枠組みと、現行の障害者雇用率制度との関係については、実際問題として雇用率制度は障害者の雇用の促進に有効であり、差別禁止の枠組みと矛盾しない、積極的差別是正措置(ポジティブアクション)に当たるとの意見が大勢であった。」

 <中間整理に対する私の意見>

 障害者雇用促進法は、実雇用率の算定の基本となる労働者を「常時雇用する労働者」に限定しています。「常時雇用する労働者」を法の文言どおり素直に解釈すれば正規雇用であり、それ以外はありえません。厚生労働省は労働省時代から法文に反してまでも非正規雇用も実雇用率にカウントする方針をとってきました。その結果、障害をもつ労働者のほとんどは不安定な非正規雇用労働者の地位におかれています。これは国による違法な差別であり、この運用を継続するかぎり評価に値するポジティブアクションとは到底いえません。中間整理はわが国の割当雇用制度の欠陥に踏み込むことなく、通り一遍にポジティブアクションと位置付けており、この点においても無責任と言えます。

【障害者自立支援法の廃止と立ち遅れた法制度の再構築】

(1)  2005年10月に成立した障害者自立支援法は、法律の名称とは逆に、障害者の自立を阻害する法律であり、障害者への給付を削減する一方、応益負担の原則のもとに障害者の自己負担を求めるものでした。同法成立以前から世界の潮流より大きく遅れていたわが国の障害者施策は、障害者自立支援法の成立によってさらに数十年逆戻りして、大きく立ち遅れました。2009年9月自民党政権が崩壊し、民主党、社民党、国民新党は3党連立政権合意文書を交わし、合意文書上に「障害者自立支援法は廃止し、『制度の谷間』がなく、利用者の応能負担を基本とする総合的な制度をつくる」と明記しています。また、9月19日長妻厚生労働大臣は障害者自立支援法の廃止を明言しました。

(2) この数年間、この悪法が障害者や家族を痛め続けた現実を思うと直ちに廃止するべきです。わが国の障害者が自立支援法で苦しまされている間に、世界における障害者法制度は大きく前進しました。一人わが国のみが世界の潮流から大きく立ち遅れる結果となりました。障害者自立支援法の廃止だけで満足しているわけにはいきません。この遅れを如何に取り戻すかが焦眉の課題であり、そのためには障害者権利条約を一言一言忠実に国内法に反映させていかなければいけません。

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2009年9月21日 (月)

弁護士大激変! 過払金請求訴訟の宴

【特集記事】

 週刊ダイヤモンドが2009年8月29日号で「弁護士大激変! -2万5041人の意外な実態」という特集記事を組みました。

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【弁護士大激変! 2万5041人の意外な実態】

 1950年に6000人足らずだった弁護士人口は、昨年2万5000人を突破した。少子高齢化にもかかわらず2029年には約7万5000人に増える見通しである。弁護士の劇的な増加、活動領域の広がり、そして意外な格差拡大。知っているようで知らない弁護士業界の内情を徹底調査、激変する法曹ビジネスの実態を浮き彫りにした。

【過払い金返還請求の宴】

 ~消費者金融などのいわゆるグレーゾーン金利分を返還させる「過払い金返還請求」。いまや一大ビジネスに成長した過払い問題を通じて、これからの弁護士のあり方を問う。~

<弁護士や司法書士の派手なCM>

 2006年1月。最高裁判所は事実上、「グレーゾーン金利」を認めないとする判決を出した。出資法による上限金利は29.2%(当時)。これを超えれば完全に違法だが、利息制限法の上限金利(15~20%)を超えたぶんについてはグレーゾーンとして曖昧にされてきた。
 ところが、最高裁判決が出たことで、グレーゾーン金利分を取り戻す過払い金請求が消費者金融会社・クレジットカード会社などに殺到した。
 過払い金返還請求に関しては、通常は債務者が弁護士や司法書士を通じて消費者金融会社などに過去の取引履歴を照会。グレーゾーン金利分を計算して、過払い分を請求する。
 かつては消費者金融側がすんなり履歴照会や返還に応じないケースも多かったが、最高裁判決が出たことで、今では裁判せずとも、和解であっさり交渉が成立する場合が多い。
 弁護士や司法書士にとって、これほど簡単で儲かるビジネスはない。面倒な手続や交渉はほとんど必要ないうえに、ほぼ確実におカネが戻ってくるのだから、成功報酬を取りぱぐれる心配もない。
 消費者金融大手4社(アコム・武富士・プロミス・アイフル)の過払い金返還額は約3500億円に達している。弁護士の報酬金は返還額のおよそ3割。とすれば、この4社だけで1000億円強のカネが弁護士・司法書士に転がり込んだ計算になる。
 宴が始まった。多くの弁護士が目の色を変えて過払いブームに群がった。
 かつては「テレビをつければ消費者金融のCMばかり流れる」という批判が巻き起こったが、皮肉なことに今では弁護士や司法書士がアイドルやキャラクターを使ったCMで派手なアピール合戦を繰り広げている。億円単位の広告宣伝費を投じる弁護士・司法書士事務所も珍しくない。
 弁護士業界では「あのセンセイは“過払い御殿”を建てた、このセンセイはベンツを買った」という類いのうわさ話が乱れ飛んだ。
     (中略)
 貸金業法改正でグレーゾーン金利が廃止されたため、過払い金返還は期限付きビジネス。「すでにピークを過ぎた」との認識が弁護士業界では一般的だが、最後の需要掘り起こしに躍起だ。

<弁護士の本質を問う価値観の対立が激化>

 過払い金返還請求の宴は、悪徳弁護士の跳梁跋扈のみならず、弁護士業界内にある価値観の対立をも浮き彫りにした。
「弁護士は社会正義実現のために働くべきであって儲けることを考えるべきではない」という伝統的な価値観に対して、「弁護士も商売なのだから儲けることは決して悪いことではない」という価値観が台頭している。
 そして、この価値観対立は弁護士業界のなかではますます激しくなるだろう。司法制度改革で法科大学院が設置され、社会人経験者や法学部以外の学部出身者が続々と法曹を目指し、現在のペースが続けば弁護士の数は29年には7万5000人に達する(現在は2万5000人)。
 大企業のM&A、海外進出、資金調達ニーズに伴って、10年前には考えられなかった数百人規模の大手法律事務所が次々に誕生。初任給1000万~1500万というエリート新人弁護士が肩で風を切る一方で、就職先さえ見つからぬ年収200万円台の弁護士も少なくない。
 これでは、従来の年間500人前後という超難関の司法試験をくぐり抜け、弁護士の誰もが食うに困らなかった価値観は共有できない。
 話を過払い問題に戻そう。最高裁判決(それが妥当なものかという議論は措く)によって、過払い金返還請求は現実問題として弁護士業界にとってビッグビジネスとなった。
 これを「ビジネスチャンス」として前向きに評価するのか、社会正義を実現させる弁護士の理念を墜落させる違法行為・悪質行為の温床として切り捨てるのか。あるいは、両者の価値観をアウフヘーベン(止揚)する新たな価値観が生まれてくるのか。
 司法制度改革によって弁護子数が急増する大激変。その渦中に降ってわいたような過払い金返還請求の宴で問われているのは、その一点である。

【30年前サラ金地獄と闘った私の経験】

-22歳の高校女性教師と60歳の母親との命をかけた闘い-

 私は30年前、私が30代前半の頃にサラ金地獄で苦しむ依頼者のために闘いました。
 その頃は刑罰を科される高利(出資法違反)の上限が高く、貸金業者は依頼者をおどしながらきわめて高い利息をまきあげていました。
 サラ金地獄に苦しんでいた私の最初の依頼者は新卒高校女性教師(Kさん22歳)とその母親(Tさん60歳)でした。お金を借りたのはTさんです。Tさんは生活資金にわずかな金額を借りたのですがそれが金利でどんどんふくれあがっていき、とても返せる金額ではなくなりました。KさんはTさんに頼まれ連帯保証人になっていました。借りて1年後Kさんが高校の理科の教師となりました。サラ金業者はKさんをターゲットにして学校の行き帰りにつきまとったり、学校宛に電報を打つなどKさんを追いつめました。KさんとTさんは母娘二人暮らしで、Tさんは年金しか収入がなく、毎月の利息すらも返せませんでした。母娘の住む家の前に金を返せという貼り紙をされ、2人は「私たちには明日はない」と言いながら死も考えていました。当時は最高裁判所の救済判決もなくサラ金業者との闘いは困難をきわめました。私が貸金業者に強く主張すると直ちにKさんを待ちぶせ「借りたのは弁護士ではなくお前たち親子だ。借りたものは返すのがあたりまえだろう。」と迫りました。当時は貸金業者に対する取り締まりもゆるく、今のように弁護士が代理人についた場合は本人から取り立ててはならないとの行政規制もありませんでした。私が貸金業者に強く出れば直ちに貸金業者はKさんに強く出て脅すということが繰り返されました。
 私はKさんの勤める学校(私立)の教頭あてに「貸金業者の請求は不当であり、払う義務のないものだから、Kさんをあたたかく見守ってやってほしい。」と手紙を出し、学校の理解を得ることができました。
 貸金業者もT・Kさんへの貸金回収に時間をかけることを無駄と思ったのか、粘っているうちに私の提案にそって次々と示談が成立していきました。最もタチの悪かった最後の業者と解決したとき「ああ、よかった。これで二人は救われる」と心から安どしたのがつい昨日のようです。
 それからTさんとKさんと私は家族同様のつきあいをしてきました。Kさんは独身のままTさんと2人の生活をしていましたが、3年前47歳でがんで亡くなりました。Kさん一人を頼りに生きてきた高齢となったTさんは認知症が一挙に進み、老人有料ホームに入所しました。その後Tさんからは連絡が途絶えてしまいました。どうしているのかなと時折思いますが連絡するすべを知りません。まだ施設にいるのか、亡くなられたのか・・・。Kさんが一生懸命働いて貯めた数千万円の貯金(Kさんの退職金も含む)はどうなったのだろうか・・・?幸薄かった母娘を思い出すと胸が痛くなります。
 K・Tさんに限らず私にとりサラ金業者との闘いは手間がかかる仕事であるとともに、依頼者の人生を左右する闘いでした。弁護士としてやりがいのある仕事でもありました。
 週刊ダイヤモンドの指摘はある面で正しく、弁護士のあり方について、今後私たちが考えていかなければならない大きな問題だと思います。ただ、弁護士の数が増えれば悪徳弁護士が跳梁跋扈すると単純化するのもまちがいだと思います。とは言え、私たち弁護士の真価が問われる時代に入ったことは確かです。

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2009年9月14日 (月)

3党連立合意 EU型社会民主主義政治へ

【はじめに】

 9月9日、民主党・社民党・国民新党が交わした連立合意文書はこれまで日本の政府がとってきた競争至上主義の経済政策にピリオドを打ち、国民一人ひとりのセーフティーネットを充実させようとするものです。この合意が文書のとおり実行されるとすれば日本の政治の大転換であり、私は素直に喜びたいと思います。米国型の市場原理主義政治からEU型の社会民主主義政治への大転換です。このとおり実現すれば、私が弁護士としていつも歯ぎしりをしてきた不公平・不公正なことのかなりの部分がなくなり歯ぎしりをしなくてすみます。本当にこのとおり実行すするのだろうか?という疑問はありますが、実現は私たち国民一人ひとりの責任でもあります。国民の一人としてこの実現に積極的に関わっていくことこそが大切だと思います。

【民社国、連立に合意】
                     (9月10日 朝日新聞 より)

<福島・亀井氏、入閣へ 地位協定「改定を提起」>

 民主党の鳩山代表、社民党の福島党首、国民新党の亀井代表は9日、国会内で会談し、3党による連立政権を樹立することで正式合意した。最後まで調整が難航した安全保障政策は、日米地位協定改定の「提起」と在日米軍基地のあり方を見直す文言を加えることで決着し、計10項目の合意文書をまとめた。福島、亀井両氏が、それぞれ党を代表して入閣する。

<3党連立政権合意(骨子)>

・消費税率の据え置き
・ゆうちょ銀行などの株式売却凍結法を速やかに
 成立。郵政改革基本法案を速やかに作成
・子ども手当を創設。生活保護の母子加算を復活。
 高校教育を実質無償化
・後期高齢者医療制度を廃止
・日雇い派遣を禁止、製造業派遣も原則的に禁止
・国と地方の協議を法制化
・農家への戸別所得補償制度を実施
・温暖化対策の中期目標を見直し基本法を速やか
 に制定
・緊密で対等な日米関係をつくる。沖縄県民の負
 担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提
 起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方につい
 ても見直しの方向で臨む
・東アジア共同体の構築
・アフガニスタンの実態を踏まえた支援策を検討
・憲法の三原則を遵守(じゅんしゅ)を確認し、国民
 の生活再建に全力

【小泉純一郎よさらばじゃ!】

 3党連立合意は前文冒頭で小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策との決別を宣言し、国民各層のセーフティーネットの充実を図るとしています。

 小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティーネットはほころびを露呈している。
 国民からの負託は、税金のムダづかいを一掃し、国民生活を支援することを通じ、我が国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある。
 連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置づけ、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる。また中小企業、農業など地域を支える経済基盤を強化し、年金・医療・介護など社会保障制度や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度へと組み替えていく。さらに地球温暖化対策として、低炭素社会構築のための社会制度の改革、新産業の育成等を進め、雇用の確保を図る。こうした施策を展開することによって、日本経済を内需主導の経済へと転換を図り、安定した経済成長を実現し、国民生活の立て直しを図っていく。

【「障害者自立支援法」を廃止し応益負担を原則とする総合的な制度をつくる】

 3党連立合意は10の項目を掲げて実施に全力を傾注していくことを確認するとしています。私は私の弁護士としての仕事の関連で5,6,7に強い関心をもっています。

5 年金・医療・介護など社会保障制度の充実
 ▽「社会保障費の自然増を年2200億円抑制
  する」との「経済財政運営の基本方針」(骨太
  の方針)は廃止する
 ▽「消えた年金」「消された年金」問題の解決に
  集中的に取り組みつつ、国民が信頼できる、
  一元的で公平な年金制度を確立する。「所得
  比例年金」「最低保障年金」を組み合わせる
  ことで、低年金、無年金問題を解決し、転職に
  も対応できる制度とする
 ▽後期高齢者医療制度は廃止し、医療制度に対
  する国民の信頼を高め、国民皆保険を守る。
  廃止に伴う国民健康保険の負担増は国が支援
  する。医療費(GDP比)の先進国(OECD)並
  みの確保を目指す
 ▽介護労働者の待遇改善で人材を確保し、
  安心できる介護制度を確立する
 ▽「障害者自立支援法」は廃止し、「制度の谷
  間」がなく、利用者の応能負担を基本とする総
  合的な制度をつくる

 この中で私に最も関係が深いのは、「『障害者自立支援法』は廃止し、『制度の谷間』がなく、利用者の応能負担を基本とする総合的な制度をつくる」という点です。障害者自立支援法は小泉内閣がつくったものでペテンにみちたネーミングとは全く逆の障害者の自立を阻害する天下の悪法です(私著「ノーマライゼーションに逆行する障害者自立支援法」参照)。この悪法のために日本でも少しずつ前進していた障害のある人の完全参加と平等の流れが大きく逆流しました。この悪法が政権交代でこうも簡単に廃止されるものかと喜びとともに驚きです。鳩山由紀夫氏も含め民主党は一貫して「障害者の自立を阻害する法律」とうい認識を示していました。今後を見守っていきたいと思います。

【登録型派遣・製造業派遣の原則禁止。雇用保険のすべての労働者への適用。男・女、正規・非正規間の均等待遇の実現】

 6 雇用対策の強化-労働者派遣法の抜本改正
 ▽「日雇い派遣」「スポット派遣」の禁止のみなら
  ず、「登録型派遣」は原則禁止して安定した雇
  用とする。製造業派遣も原則的に禁止する。
  違法派遣の場合の「直接雇用みなし制度」の
  創設、マージン率の情報公開など、「派遣業
  法」から「派遣労働者保護法」にあらためる
 ▽職業訓練期間中に手当を支給する「求職者支
  援制度」を創設する
 ▽雇用保険のすべての労働者への適用、最低
  賃金の引き上げを進める
 ▽男・女、正規・非正規間の均等待遇の実現を
  図る

 「男・女、正規・非正規間の均等待遇」が実現すれば労働者の側から選ぶ「多様な働き方」が現実のものとなります。ところが現状は非正規=低賃金・首切り自由のメニューしか経営者が用意せず、多くの労働者は明日のパンを買うために不利な非正規雇用を受け入れてきました。障害者は厚生労働省による事業主に甘い法運用のため非正規雇用が圧倒的ですが、障害をもった労働者についても障害のない正規労働者と均等待遇を実現し、一個の労働者としての尊厳を回復すべきです。

【中小企業に対する支援を強化。「貸し渋り・貸しはがし防止法」を成立させる】

7 地域の活性化
 ▽国と地方の協議を法制化し、地方の声、現場
  の声を聞きながら、国と地方の役割を見直し、
  地方に権限を大幅に移譲する
 ▽地方が自由に使えるお金を増やし、自治体が
  地域のニーズに適切に応えられるようにする
 ▽生産に要する費用と販売価格との差額を基本
  とする戸別所得補償制度を販売農業者に対し
  て実施し、農業を再生させる
 ▽中小企業に対する支援を強化し、大企業によ
  る下請けいじめなど不公正な取引を禁止する
  ための法整備、政府系金融機関による貸付
  制度や信用保証制度の拡充を図る
 ▽中小企業に対する「貸し渋り・貸しはがし防止
  法(仮称)」を成立させ、貸付債務の返済期限
  の延長、貸し付けの条件の変更を可能とする
  。個人の住宅ローンに関しても、返済期限の
  延長、貸付条件の変更を可能とする

 日本のすぐれた製品やサービスは裾野の広い中小企業群の創意・工夫によって生み出されていました。中小企業は2006年時点で2,784万人に雇用の場を提供しており、非一次産業(公務を除く)の就業の場の約7割を担っています(2009年版「中小企業白書」172頁)。多くの国民が中小企業で働き日本経済を支えてきました。

【竹中平蔵「竹中教授のみんなの経済学」2000.12幻冬舎】

 経済学の基本のき
 1990年代を象徴するキーワード「リストラ」。日本の企業にとって、いま必要なリストラとは、バブル時につくった過剰な債務・過剰な設備・過剰な雇用の削減です。
 これを先送りにしてきたことが、日本の経済成長を抑制した原因となっています。3つの過剰が解消されれば、日本経済は本来可能であると見られる2%程度の成長ができることになります。

 小泉内閣の司令塔を自認した竹中平蔵氏は、その軸足をメガバンクと大企業の株主(経営)の立場にしか置きませんでした。その結果日本政府の経済財政政策・金融を担当とする長(大臣)としてのバランス感覚を著しく失っていました。竹中氏の3つの過剰のうち2つは明らかに偽りの表現です。「過剰な債務」は貸し手である銀行にとって「過剰な債権」であって、過剰な債務の削減は借り手の中小企業からみると突然の貸しはがしです。貸しはがしは新規融資のストップではなく、既存融資の回収を意味します。ほとんどの中小企業は銀行から借りたお金を一度に返す力はありません。多くの中小企業は工場を売り、自宅を売却しましたがそれでも返済できず破綻していきました。
 「過剰な雇用」は労働者が選択したものではなく経営者目線からの「過剰」です。しかしこれも中小企業経営者の目線ではなく、メガバンク・大企業の株主(経営)側にのみ軸足を置く金融・財政大臣の目線でしかありません。

「守りのリストラ」から「攻めのリストラ」にいち早く進んだ企業は過去最高益を上げている
 成長率を取り戻すために、過大な債務、つまり腐った部分を切り取るリストラが必要であるのはすでに述べてきた通りです。
 ただし、これは切り取るという点で受け身のリストラといえます。リストラが「再構築」だという本来的な意味を考えると、リストラにはもう一つ、「攻めのリストラ」というものもあります。 (中略)
 ここ数年、同じ業種でも「勝ち組」と「負け組」という二極化が起きているといわれます。不況だ、不況だといわれながらも、8社に1社は過去最高益を上げているという現実がある一方で、連続赤字となっている会社もあります。日本の企業がこれだけ大きく二極化した理由はここにあるのです。

 確かにメガバンクと一部の大手企業は勝ち組として残りました。しかしそのために切り捨てられたたくさんの労働者と中小企業者が生活の糧を奪われました。従来の職を失ったあと、「勝ち組」の大企業が突きつける非正規雇用を受け入れ不安定な生活を余儀なくされています。国内ではあいかわらず毎年3万人を超える人が自ら命を絶っています。また、日本のメガバンクや大手企業がグローバル競争(世界競争)で仮に勝ったとしても、外国の負け組企業で働く人々やその国の経済を破綻に導きます。「勝ち組」「負け組」理論はほんの一にぎりの人の勝利のために圧倒的多数の人々の不幸を招くものです。

【竹中平蔵著「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」(2006年12月日本経済新聞出版)】

 序章 改革の日々が始まった
 2001年4月26日、総理官邸

 それはまるで、日本最大のお祭りのようだった。テレビで何度も見た光景ではあるが、実際にその場に立つと、子供のときに胸をときめかしたお祭りのような華やかな喧騒と、興奮に溢れていた。第一次小泉内閣の組閣である。
 官邸の前庭には報道各社が陣取り、玄関の車寄せで人の動きがあるたびに、ものすごい数のフラッシュがたかれる。その閃光で目がくらむ中、私自身どのような顔をしていいのか--つまり少しはにこやかにすべきなのかそれとも神妙な面持ちがよいのか、よくわからないままに総理官邸へ入っていった。これがまさに小泉内閣5年5か月の始まりであった。そしてその後展開されるすさまじい構造改革への号砲、抵抗勢力との戦闘開始の瞬間だった。
 その数日前、内々に小泉総理(正確には首班指名の前であるから総理内定者ということになる)から、組閣の行われる26日の午後3時頃、ホテルオークラの近くにある総理の知人のオフィスで待機しているように言われていた。バブル崩壊後の疲弊した社会状況の中で、日本国民は小泉純一郎という異色のリーダーを待望した。社会全体が、小泉内閣の発足に沸いていたのである。
 通常の政治状況なら自民党の総裁つまりは日本国の総理大臣にはならないような強いリーダーが、いままさに誕生しようとしていた。国民の期待はとてつもなく大きいものがあったが、私もまた、小泉総理という奇跡の総理が誕生することを国民の一人として素直に喜んでいた。その総理から、直後「これからすさまじい戦いになる。大臣として内閣に入り一緒に戦ってくれ」と言われていたのだ。
              (中略)
 その間小泉内閣は、不良債権の処理を進め、失われた10年といわれた経済停滞を終焉させるべく全力で取り組んだ。また、反対する勢力と戦いながら、郵政民営化や道路公団民営化といった大制度改革に挑んだ。明確な総理主導で、官僚主体の政策プロセスを変えながら、様々な構造改革を進めたのである。政治的にもこの間、2度の衆院選挙と2度の参院選挙があった。また「郵政解散」という歴史的な出来事も経験することになったが、いずれの選挙でも小泉内閣は国民の信任を得続けた。内閣支持率は、この間平均50%(朝日新聞)を維持した。これは--中曽根内閣などを上回り細川内閣に次ぐものであるが、細川内閣が8カ月の短期政権であったことを考えると、実質的に支持率の最も高い内閣となった。

 悲しいかな人は己れを冷静に見つめることはできないし、自己の成功物語は強調しても、失敗は認めたくありません。最近テレビで見る竹中平蔵氏はその典型だと思います。「構造改革」の「功」と「罪」は横に置いて、ともかく新政権が3党合意のとおり米国型の市場原理至上主義政策からEU型社会民主主義政策に大転換することを祈るとともに、国民の一人としてその大転換の実現に関わっていきたいと思います。

【国会方針決定 民主「首脳会議」を新設 代表・幹事長ら新5役参加】
                  (9月13日 日本経済新聞 より)

 民主党は12日、新政権発足後の国会運営の最高意思決定機関として、鳩山由紀夫代表や小沢一郎次期幹事長ら「新5役」で構成する「党首脳会議」(仮称)を新設する方針を固めた。党政調会長が兼務する国家戦略局担当相が5役として首脳会議メンバーに入ることで政府と与党の一元化を目指す狙いがあるが、法案処理などを通じて党側の意向が強まる可能性もある。
 民主党は現在、鳩山代表と小沢、菅直人、輿石東3氏が務める代表代行と岡田克也幹事長の5人による「三役懇談会」が党運営の事実上の最高決定機関となっている。新たな党首脳会議は、政府側は鳩山氏と国家戦略局担当相に内定している菅氏、党側は小沢氏、輿石参院議員会長と国会対策委員長が参加する。外相に内定している岡田氏はメンバーから外れることになる。
 16日にも発足する鳩山新政権は、政策決定の「内閣一元化」を掲げ、官房長官は国会や党との調整役となる。5役による「首脳会議」は政策実行に必要な国会での法案処理の優先度をつけたり、成立に向けた対応を担うとみられる。国会対応で主導権を握る党側の意向が政策決定にも強く反映される可能性もある。

【私のコメント】

 岡田克也氏がはずれ小沢一郎氏の存在が大きくなることは気がかりです。鳩山由紀夫氏の「友愛」が小沢チルドレンをたばねる小沢一郎氏の数の「剛腕」にねじふせられなければよいのですが・・・

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2009年9月 7日 (月)

政権交代と財界と日経赤字・産経記者反乱

【日本経団連会長 御手洗氏に聞く】
                      (9月3日 朝日新聞 より)

 日本経団連は2日、正副会長による臨時会議を開き、政権につく民主党との対話を深める方針を確認した。自民党と二人三脚だった経団連の政策要望は「企業本位」と見られてきた。「国民生活第一」を掲げる民主党との距離は埋まるのか。
 「企業エゴととられるなら誤解だ。国民ベースの議論のために労を惜しまず努力する」。日本経団連の御手洗冨士夫会長は、2日の朝日新聞などとのインタビューでこう述べた。
 御手洗氏が掲げる経団連の理想像は、どの政党とも政策本位で付き合う「政策集団」だ。ただ、これまでは自民党政権が長かったこともあり、「事実上、自民党のシンクタンク」(経団連関係者)と言われてきた。政策要望の中身も、企業が豊かになることで従業員が豊かになるとの立場から、企業の競争力強化を目的としたものが多かった。
 だが、国民の賛同を得てきたとは言い切れない。昨秋からの雇用危機では、派遣労働の規制緩和を推進してきた企業への批判が高まった。民主党の大勝は、そんな批判をすくいとった側面もある。
 経団連も手をこまねいていたわけではない。90年には平岩外四会長(当時)が企業と消費者・生活者との共生を唱え、「国民と共に歩む」姿勢を打ち出している。この日の会議後、ある副会長は「308議席を得て国民の負託を受けた民主党とは十分に話し合う」と述べた。まずは民主党との議論を深めることが「国民ベース」の政策を展開する起点となる。

<御手洗会長とのやりとり>

 --民主党政権にどう対応しますか。
「政治も経済も国民生活の向上という共通目標がある。政策本位で付き合う姿勢は、自公政権時代と変わらない。対立構造ではない」
 --民主党の政策をどうみますか。
「需要を刺激して景気回復を図る考え方だが、少子高齢化で労働力が減る中、内需だけでは限界がある。内外需のバランスの取れた経済運営を望みたい」
 (中略)
 --民主党は企業献金の将来の廃止を主張しています。
「考え方を同じくする政党政治家を『民』が支えるのが民主主義の原点だ。民とは個人であり法人でもある。社会的貢献の一つとして、当面続けていけばよいと思う」

【私のコメント】

 この2週間リアリティを欠いた2つの小説(「終の住処」と「鷺と雪」)を読んだあとだけに、目を新聞に転じると生臭いリアリティが次々と飛び込んできます。御手洗経団連は発足早々から安倍晋三のお先棒をかついで経済団体としての節度を越えて憲法改正にまで足を踏み入れました。
 言わく、

憲法改正 
 ◇国民投票法の制定
 ◇国民的な議論を喚起し憲法改正に関する合意を形成
 ◇安全保障に関する基本法を整備、国際平和協力に関する一般法を整備、安全保障会議を強化
     (「希望の国、日本 ビジョン2007」141頁)

 昔、経団連会長は財界総理と言われ国民の立場から政権党に注文をつけることもありました。ところが御手洗氏は時の政界総理に迎合し、国の基本法を軽んじ、財界トップとしての節も踏みはずしたと思います。しかもキャノンは偽装請負や派遣切りでも、非人道的企業としての評価が定着してしまいました。御手洗氏の言動につき「ハケンの敵」「老害」「偽善者」などの批判もあります(wikipedia「御手洗冨士夫」)。これに加えて、本年2月にはキャノンの工場建設に伴い数十億円の裏金をつくり、脱税容疑で逮捕・起訴された大賀規久(大光グループ社長)と御手洗氏との癒着した関係が問題とされています。「希望の国」実現のため潔く退陣してもらいたいと思います。経済界も経済界で自らの会長を批判する浄化力に欠けています。もっとも政権遂行能力を喪失して政権を放り投げた安倍晋三を大差で当選させた山口県民(4区)、小泉純一郎の二世(小泉家では四世)を当選させた神奈川県民(11区)と、まあわが国民の浄化力も誇れたものではありませんが・・・。

【富を生む主役は企業 編集委員西條都夫】
                   (9月5日 日本経済新聞 より)

<内需拡大に限界>

 新たに発足する鳩山政権の課題は、日本経済が自律的に成長できる環境を一日も早くつくることだ。民主党は選挙中「内需主導の経済に転換して成長を実現する」としてきたが、人口が減少する中での内需拡大には限界もある。「外需と内需の双発エンジン」(今年の経済財政白書)こそ成長戦略の王道である。
 実は日本経済の輸出依存度はそれほど高くない。日本のGDPのうち輸出は2005~08年の平均で15%。米国の11%よりは高いが、英独仏の欧州諸国や韓国は20%を大きく超えている。それでも、昨年来の金融危機による輸出減で日本の打撃が大きかったのは、輸出品目が自動車や家電など一部の耐久消費財に偏っていたからだ。
 今後はすそ野の広い、強じんな産業構造をつくりグローバルの波に乗るしかない。工業製品だけではない。日本産のブランド米や果物はアジア各地で人気が高い。環境などでも世界に先行する技術が日本には多い。
 国内に閉じこもってきた電力、交通などインフラ産業にも世界展開のチャンスが広がる。地球温暖化対策を各国が進める中で、脚光を浴びるのが高速・安全に優れる日本の鉄道システムだ。
 ベトナム国鉄は国土縦断鉄道に日本の新幹線技術を導入する方針を固めた。日本初の技術がグローバル化すれば、車両やレール、信号システムなど日本製品が世界に普及するだろう。
 鉄道に限らずインフラの売り込みには、企業の自販努力だけでなく、ときに政府の支援も必要だ。新政権は新たな成長の芽を育ててほしい。
 自制すべきこともある。筆頭は民間経済への過剰な介入だ。民主党はマニフェストで全国共通の最低賃金の導入をうたい、その水準として時給800円を想定している。「まじめに働いた人が生計を立てられるように」という狙いは美しいが、逆効果にならないか。

<政府依存を転換>

 たとえば青森県の今の最低賃金は630円。800円に上がれば、不況のさなかに一気に最大26%の賃上げとなる。厚生労働省によると、同県で自給800円未満の人は2万人以上。全員に賃上げの恩恵が及ぶとは限らず、人員縮小や廃業を迫られる職場もあるだろう。
 民主党は労働者派遣法の見直しを掲げる。分配の原資が限られる中で、最低賃金を引き上げ、派遣労働者の正社員化を進めるなら、正社員一人当たりの取り分は減る。労働組合を支持基盤の一つとする同党は正社員の既得権益にメスを入れる覚悟があるだろうか。
 民主党と経済界の間には緊張感も漂うが、悪いことではない。昨年来の世界不況で経済界は政府依存度を強めた。親密な関係にあった自民党の下野をきっかけに、各企業は自立の気概を取り戻してほしい。
 一方で新政権も企業を敵視するような政策は取るべきではない。民主党は家計への直接的な財政支援を掲げるが、経済を活性化して家計を支える富を生みだす主役は、やはり企業である。

【私のコメント】

 「富を生みだす主役は企業である」という日経解説記事はもう読みあきました。前記朝日新聞が指摘のとおり企業が豊かになっても従業員は豊かにならず、他の国民も豊かになりませんでした。日経にすぐれた記者もたくさんいるのに社説や編集委員の解説は大企業に偏向していることを私は常々指摘してきました。

【止まらぬ広告不況】
                      (9月2日 朝日新聞 より)

<「効果」重視し絞り込み進む>

 広告市場の落ち込みに歯止めがかからない。不況で業績が悪化した企業が広告費を減らすだけでなく、広告の「費用対効果」にも厳しい目を向け始めたからだ。大手広告会社は効果を測る新サービスを開発し、「広告主」のつなぎ留めに懸命だが、底打ちの兆しは見えない。

<日経新聞赤字に 6月中間決算>

 日本経済新聞社が1日発表した09年6月中間連結決算は、本業のもうけを示す営業損益が8億5千万円の赤字(前年同期は130億円の黒字)、純損益は55億円の赤字(前年同期は59億円の黒字)となり、連結決算の公表を始めた00年以降では初の赤字となった。新聞や雑誌の広告収入に加え、インターネットの情報サービス収入も落ち込んだことが響いた。売上高は前年同期比14.7%減の1586億円だった。

【私のコメント】

 “ヘェーッ!日本経済新聞社が赤字なんだ!”と正直なところびっくりしました。しかも、経常損益ではなく営業損益の段階で赤字ということですから、経営を続ければ続けるほど損が増え続ける会社ということです。企業経営の視点からはさっさと廃業した方が良いという大変厳しい業績と言えます。
 日本経済新聞社が営業赤字に陥った最大の理由は、法の定める大企業の公告の制度が変わったことが大きいと思われます。会社法は株主や社債権者に対し一定の事項を知らせるため会社に公告(注・「広告」ではない)を義務づけています。 
 これが2004年までは官報か時事に関する日刊紙のいずれかに掲載することを求めていました(2004年改正前の商法166条3項)。これを受け大企業のほとんどは日経新聞に公告を掲載していました。ところが2005年よりインターネットを利用した電子公告でもよいように変わりました。2006年5月1日から会社法が施行され、また同年6月の証券取取引法の改正により証券取引法が順次金融商品取引法に改編され、公開企業の適時開示事項が一挙に増大しました。日刊紙を利用してこれら多岐にわたる事項の適時開示は物理的に不可能に近く、公開企業は電子公告の採用に切り替えました。これを最大の原因とし日本経済新聞社の安定収入が一挙に落ち込み営業赤字に陥ったと思います。客観的で公正な記事を出したくとも最大の顧客である大企業の要望にそった記事を書かないと広告主たる大企業にそっぽを向かれるというのが日経新聞社の泣き所です。でも現状はそれでも巨額の赤字が発生し続けているということです。日経新聞社は今正に存亡の危機にあると言えます。記者の削減ということもありうると思われます。
 大企業の御用新聞としての宿命をもたざるを得ない日経新聞に目くじらを立てることは、私はもうやめようと思います。そのかわり記事を最初から割引いて読むことにします。真面目で優秀・特に数字には強い日経新聞の記者の方々大変ですががんばって下さい。

【産経新聞社会部 ネット書き込み】
                      (9月2日 朝日新聞 より)

<民主党さんの思うとおりにはさせないぜ>

 「ツイッター」と呼ばれるインターネットの投稿サイトに産経新聞が開設した専用ページに、同社社会部の選挙取材班が「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」「産経新聞が初めて下野」などと書き込んでいたことが分かった。
 書き込みには批判が多数寄せられたといい、同社は同じサイト上で「軽率な発言だった」と謝罪。「新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是是非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と説明した。
 同社広報部によると、専用ページは参院選公示日の8月18日に開設。書き込みは投開票日の30日以降にあったという。同社広報部は「不偏不党を社是としており、特定の政党を支持しているわけではありません」とコメントした。

【私のコメント】

 産経新聞は日刊紙の中でも右寄りと言われています。「不偏不党」な新聞とはほとんどの人が思っていないのではないでしょうか。その記者たちが民主党に挑戦状を投げつけた形となりました。しかし、民主党は今や野党ではなく圧倒的多数の政権党。本社はあわてて「不偏不党を社是としており」というコメントを発表せざるを得なくなりました。政権党としての自民党に寄りそって記事を書くことに慣れてきた記者たちの脇の甘さが今回のネット書き込みという形で露呈したと言えます。

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2009年9月 1日 (火)

北村薫「鷺と雪」直木賞受賞作

【著者 北村薫氏 略歴】

 1949年埼玉県生まれ、早稲田大学第一文学部卒業。
大学在学中はミステリ・クラブに所属。
高校で教鞭を執りながら、
84年、創元推理文庫版「日本探偵小説全集」を編集部と共同編集。
89年、「空飛ぶ馬」でデビュー。
91年、「夜の蝉」で日本推理作家協会賞受賞。
著書に、「秋の花」「六の宮の姫君」「朝霧」「冬のオペラ」「水に眠る」「スキップ」「ターン」「リセット」「街の灯」「ひとがた流し」「玻璃の天」などがある。
また、アンソロジーのシリーズ「謎のギャラリー」などにも腕をふるう≪本の達人≫である。
「鷺と雪」(さぎとゆき)が第141回直木賞受賞。

【「鷺と雪」より】

「今度、兄にね―― 」
と、ベッキーさんの背中にいった。始業式の日である。
「はい」
ベッキーさんは、フォードのハンドルを握りながら答える。
「映画に連れて行ってもらうの」
「それはよろしゅうございますね」
「今日、封切の日比谷映画」
いつも行く帝劇などとは違う。しかし、観たい新作がかかるのだ。
「はあ」
わたしは、わざと身を乗り出し、声をひそめて、
「それがね、ヒロインは≪多情、奔放の淫婦≫なのよ」
 ただでさえ、一人などでは行けないのに、これだから、余計、兄に連れて行ってもらう必要がある。驚くかと思ったベッキーさんは、しかし、あっさり答える。
「『虚栄の市』でございましょう?」
「何だ、知ってるの」
つまらなそうにいうと、ベッキーさんは笑い、
「新聞を読んでいるのは、お嬢様だけではございません」
映画評や広告も華やかだから、眼にはつくだろう。何しろ、≪初めから終わりまで総天然色≫≪映画史上に革命を巻き起こした≫というのが謳い文句だ。部分的に色が着くものは今までにもあったが、今度の作品の完成は、まさにひとつの事件だろう。
 物見高い―― といわれてしまえばそれまでだが、果たしてどんな具合になっているのか観てみたかった。
             〔略〕
 一月中も粉雪が舞うことはあった。二月に入ると舞うどころではなく、交通が途絶し学校が臨時休校になるほどの大雪が降った。
 日比谷公園の名物、鶴の噴水も凍ってしまい、お堀も厚い氷に覆われた。鴨の群れも寒そうに、石垣の下に固まっている。
 下旬になると、さらに白いものの降る日が続いた。
 雪を見ると、偶然の出会いをした陸軍の将校さん―― 若月英明さんのことを思い出す。若月さんからは、軍人さんにふさわしくないもの―― 詩集をいただいたことがある。山村暮鳥の『聖三稜玻璃』。美しい本だ。
             〔略〕
 寒気にやられたせいか、わたしはすっかり風邪をこじらせてしまった。
             〔略〕
 そろそろ、温かい格好をして本でも読んでみようかと思っていると小包が届いた。わたし宛である。
 誰から来たものかと、書かれた律儀な文字を見た時、はっとした。
 ―― 若月さんだ。
「お解きいたしましょうか」
と、お芳さんがいった。
「自分で開けるわ。鋏だけ持って来て」
 本だということは手触りで分かった。厳重な梱包を開くと、案の定、詩集だった。
 薄田泣董『白羊宮』、三木露風『廃園』、北原白秋『邪宗門』の三冊だ。
 そっけないほど簡単な手紙がついていた。―― 手元に残していた三冊だが、処分することになった。売ったり、読まぬ人に譲ったりするのも、本に可哀想な気がするので貴女に送る。突然のことで、大変失礼なのは分かっているが、受け取ってもらえたら嬉しい。
 こういう意味のことが書かれていた。
 ベッドの檻に閉じ込められ、何か読みたいと思っていたところに届いたので、やさしく手を差し伸べられたように嬉しかった。身内が熱くなり、下がりかけた熱がまた上がるようだ。
 おかげで、午後は退屈とは無縁に過ごすことが出来た。若月さんは、同じ将校でも陸軍大学校を出たような選ばれた人とは違う―― といっていた。乏しいお金の中から、やりくり算段をして集めた本の一部かもしれない。そう思いながら、それぞれの表紙を撫で、気がつくと気持ちよく眠りに落ちていた。
             〔略〕
 夢かうつつかという中で、あれこれ考えてしまった。
 軍人さんが―― 若月少尉が、身の回りのものを処分しようというのは、所属する隊が移動するのかも知れない。いや、しばらく東京暮らしが続いていたのなら、それはごく自然なことだ。
 今までも格別、近しかったわけではない。だが、半ば眠りの中にある時、心は思いがけないほど不安定になるものだ。若月さんが、兄のように身近な人に思え、その人が去ることが哀しくてならなかった。
 そこからは、完全に夢の世界に入っていた。雪が降り続けている。白い世界の中に、梅若万三郎の舞う鷺の姿が浮かんだ。舞台の上のシテは、いつもはかぶらない面をつけている。ふと見ると、舞台の床は消え、万三郎は宙にいる。夢の中のわたしには、それが不思議ではない。不思議なのは別のことだ。

 無邪気に空を走って駆け寄ると、白い人に向かっていう。
 ―― どうして、そんなものをかぶっていらっしゃるの?
 舞う人は、動きを止めぬまま面をはずす。
 ―― ああ、やはり・・・・。
 わけがわかって、わたしはにっこりする。その人は―― 若月さんだった。見てしまえば、納得し、その筈だと思った。
 ―― 分かっていたのです。
 わたしは、誇らしげに囁いて擦り寄り、若月さんの動きに合わせて袖を上げる。いつの間にか白い装束になっていた。二人は、共に舞った。どこまでも降り続く雪が、わたし達を覆った。限りなく静かだった。
 あまりの静寂に気が付くと、わたしは一人ぼっちだった。雪は、―― どこまでも続く鷺の羽になっていた。
 そこで、眼が覚めた。わたしは涙さえ流していた。おかしなことだと思った。
 外の天気は相変わらずだが、暗いなりに朝にはなっている。現実の世界に戻れば、それなりに現実的なことを考える。
 ―― これだけ頂き物をしたんだもの、お返しをさしあげても変ではないわ。
 どこに行っても身に付けられて、実用的なもの―― というと真っ先に腕時計が浮かんだ。若い男の人に差し上げるのには、どのくらいのどんなものがいいか。これは羞ずかしくて兄にも聞けない。
 ―― 服部時計店に電話すればいい。
             〔略〕
 下から責めてくる冷気のせいもあって、余計、指先が慄える。ダイヤルを回して、黒い受話器をしっかりと耳に当てた。ツーツー、カチャッと繋がる音がした。電話に出たのは若い男の人だった。
「はいっ」
「朝早くから失礼いたします。服部時計店さんでしょうか」
だが相手の反応は意外なものだった。
「いえ、こちらは・・・」
 いいかけて相手は絶句した。わたしも電気に触れたような何かを感じた。だが、そんなことはあり得ない。あり得ない。
 ややあって、声はいった。
「まさか・・・・、花村英子さんでは・・・・」
 なぜ分かるのだ。数年の間、二度会っただけのわたしの声が、しかもこの雪の日の電話を通して。
 ―― あなたはどなたですか?
 と、わたしは聞き返さなかった。
 風雨や豪雪の日、受話器を通した声は聞き取りにくくなる。電話線が影響を受けるからだ。声の色は定かではない。だが、それでも物言いの抑揚に、今、思っている人の姿が重なった。
「若月さん・・・・」
 どういう奇跡なのだろう。なぜ、そこにあの人がいるのか。店員ではなく、なぜあの人が受話器を取るのか。
「やはり・・・・」
 そこで声が雑音に紛れ、聞き取りにくくなった。引いた波が寄せるように、音がまた安定してきた。
「どうして、服部にいらっしゃるのですか?」
 若月さんは答えた。
「ここは服部時計店ではありません」
「え・・・?」
「・・・・こんなこともあるのですね。この世では何でも起こるものだ」
「・・・・はい?」
 一語一語、大切なものを運ぶように、確かにゆっくりと、若月さんはいった。
「あなたの声が聞けてよかった。・・・・長電話は出来ません。これで切ります。武運長久を祈って下さい」
 そこで電話が切れた。熱がわっと上がるような気がして、めまいがした。
 ―― 夢?・・・・まだ夢を見ているのだろうか。
 しばらくして、試してみるべきことに気が付いた。寒気に負けまいと、毛布をぐっと巻きなおす。そして改めて、間違いのないよう、一つ一つ確かめながらダイヤルを回した。
 今度出たのは、実直そうな中年男性の声だった。
「―― はい、服部時計店でございます」
 聞かぬ先にそういった。わたしは、息をつき、後は一気に聞いた。
「つかぬことを、おうかがいいたします。そちら様と勘違いして電話するような、―― そして軍人さんのいらっしゃるところはどこでしょうか?」
 実におかしな問いだ。分かりにくいだろう。しかし、様々な応対に慣れた声が、親切に答えてくれた。
「間違い電話でございますね」
「はい。今、そちらのつもりで掛けましたら、別なところに繋がったのです。知った方が、お出になったのですが、途中で切れてしまいました」
「さようでございますか。それは、お困りですね。番号が似ていると、よくいわれますのは、―― 首相官邸でございます」
             〔略〕
 ―― 若月さん。あなたはどうして、そこにいらっしゃるの?
 武運長久を祈って下さいという言葉が耳に響いた。
「お嬢様っ!」
 外から声が掛った。お芳さんだった。わたしは、ふっと力が抜けそうになった。
「何をしていらっしゃるのです。こんな日にっ!」
 電話室の戸が開けられた。支えられるようにして、廊下に出た。
 窓の桟の上は勿論、垂直の硝子の面さえ粉砂糖を吹き付けられたように白く飾られていた。見通せる透明なところから、大渦のように旋回しながら宙を流れて行く雪が見えた。
 ―― いつか、遠い昔にこういう眺めを見た。
 そう思った。それは不可解な、幻の記憶なのだろう。
 だがこれから自分は、この冷え冷えとした白い窓を、いつまでも生きた思い出として抱いて行くのだろうと予感した。
 その年、昭和十一年。―― 二月二十六日のことだった。

【選評】

<阿刀田高>

 受賞作「鷺と雪」は私にとって評価のむつかしい作品であった。この作品を支えるアイデアは、私自身が自分の小説に託している思案と似ているところもあるのだが、微妙に違う。それが悩ましい。「鷺と雪」は現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない。
「エンターテインメントは読者をエンターテインすることができれば、それで充分でしょう」
 と、この考えに私は大手を振って賛成するけれど、遠い時代のハイソサイアティの女学生を中心とするストーリーは大人の読者をほどよく楽しませてくれるだろうか。ミステリーとしても弱いように思われてならない。
 この作者の文学に対する見識や業績を勘案すれば、評価のできないまま“よい作品のはず”という分別も浮かんでくるのだが、それはかえって礼を失することになるだろう。私としては、
「多分、文学観のちがいでしょう。おおかたの意見に従います」
 そのうえで「おめでとうございます」と述べたい。

<渡辺淳一>

 今回の候補作については、いずれも失望した。
 むろん、それなりにいろいろ工夫され、アイデアを絞り、巧みにつくろうと努力していることはわかるが、いずれも頭書きというか、頭で書きすぎである。
 はっきりいって、小説は頭で書くものではない。それより体というか、実感で書くもので、実際、だからこそ、その小説独自のリアリティーが生まれてくる。
 小説の読みどころは、まさしくここにあるのだが、今回の候補作には、この、作家の内から滲むリアリティーが欠けている。
 当選作についても、舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない。
 直木賞の選考会は年に二回あり、ときに二作受賞もあるが、現在の選考基準は甘すぎる、というのが、わたしの実感である。

<五木寛之>

 紆余曲折のすえ、受賞作は北村薫さんの「鷺と雪」にきまった。これまでの安定した実績を踏まえて積極的に推す声もあり、また全面的に否定する声もあったが、受賞作にはそれなりの理由がある、というのが一貫した私の実感である。すんなりと圧倒的な支持で受賞しなかった、ということも、その作家の才能の一つなのだ。北村薫という書き手の存在感が、選考会を圧倒したともいえる、今回の直木賞だった。

<宮城谷昌光>

 北村薫氏の「鷺と雪」は、以前、候補作品となった「玻璃の天」の続編というべき作品である。前回も今回も、氏の作品について一言でいえば、優雅なミステリーである。優雅さとはかけはなれたミステリーが氾濫する現状において、氏の作品は独特な風合いをもっている。そのことは否めないが、問題は、その優雅さの対称となる醜悪さが淡白すぎて、その時代がもっているぬきさしならない悪の形がみえてこない。それゆえに作品の特性である優雅さが弱く、小説の構造も凡庸なものと映ってしまう。氏の小説観がどのようなものであるのかは、うかがい知ることはできないが、喜怒哀楽がはっきりとみえる形がのぞましい。端的に言えば、明暗を截然と書きわけるのが基本である。が、氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる。小説内の知識と認識における度合もぬるい。この程度では、読者はおどろかないし、喜びもしない。こうなると氏のサービス精神を問わねばならなくなってしまうが、答えを得られない問いを発しても無益であるので、やめておく。なにはともあれ、氏に再考してもらいたいことはすくなくないが、
 「後楽」
 の思想だけは小説家として肝に銘じて書きつづけてもらいたい。

【内容のない安直なミステリー】

 上記選者の「現代に対してなにかを訴えるというタイプの作品のようには思えない」(阿刀田高)、「舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていないし、お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない」(渡辺淳一)、「氏の小説は黒でもなく白でもない、いわば灰色の濃淡に終始しているようにみえる」(宮城谷昌光)、という意見に同感である。
 作品は、昭和初期の裕福な華族の娘である私花村英子と英子専用のフォードの女性運転手ベッキーこと別宮みつ子との会話を中心に展開されるベッキーさんシリーズの完結編である。松本清張は「昭和史発掘」の中で軍事裁判の記録などをもとに2.26事件を詳細にとりあげている。その中に首相官邸に侵入した陸軍皇道派の行動の記述の中に次のような記述がある。

 官邸の電話は一本だけ残して、みんな切った。
 「その残した電話が銀座の服部時計店の番号と似ていたらしく、ハットリですか、という間違いの電話がずいぶんかかってきた」(石川元上等兵談)
  〔松本清張「昭和史発掘」文春文庫7巻46頁〕

 北村薫氏は「オール讀物」2009年9月号誌上における岸本葉子氏との対談で、「最期の場面は、シリーズの書きはじめから、ずっと頭にありました。松本清張さんの『昭和史発掘』の中に二・二六事件の時に首相官邸にかかってきた、ある電話のことが一行だけ書かれているんです。そこからこの物語の構想が浮かびました。つくりごとでは、やっぱり面白くないでしょう。」と述べている。
 作品では能の上演の場面も多く登場し、主人公の夢の中でも主人公と青年将校若月英明が能を舞う描写があるが、作者は対談で次のように語っている。「実際に能のビデオを大学の図書館まで観に行きました。同行した編集者は『鷺』の映像を観て、頭上に鷺の作り物をつけている姿が滑稽だと、大笑いをしてたんですけどね(笑)。」と述べているが、作者の作風には、まず頭で作りあげたストーリーがあり、そのストーリーにそって手っとり早く題材を拾い集めるという安直さを感じる。

【「文学界も顔が幅をきかす世界?」】

 私は2008年2月25日のブログ「川上未映子と芥川賞受賞作『乳と卵』」で、「文学界の登竜門の公正さ、透明さ」と題して、 「 私は芥川賞にしろ、直木賞にしろ最近の小説はほとんど読んでいませんが、今回『乳と卵』を読んでみて、また川上氏の人となりを知って、文学界における選抜制度は結構公正で透明なのかなと思いました。歌舞伎の世襲制、お茶や踊りの家元制と比べると文学の世界では力さえあれば一気にトップに立つことができるのかなと思いました。勿論どの世界でも現実にはいろいろゴタゴタはあるのでしょうが。」 と書いた。
 私は今回の北村薫氏の受賞については、川上氏の受賞の場合とは逆に、文学界もその世界での顔やキャリアが幅をきかす世界なのだと思った。作品そのものが優れているというよりも文学界に長年かかわってきた北村薫氏にそろそろ受賞させてもいいんではないかという気づかいが選者の多数派を占めたと思われる。
 芥川賞も直木賞も1935年に菊池寛が創設したもので、菊池は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている(wikipedia「芥川龍之介賞」)。 その意味では芥川賞や直木賞に多くの期待を寄せる方がまちがいだということになるかもしれない。しかし、最近では文藝春秋社にかぎらず芥川賞・直木賞については広くマスコミが取りあげるようになっており、菊池寛の思いを越え一種の公的な色彩を帯びたものになってきている。選者は妥協せずに衿を正して選考にのぞんでもらいたい。

             Sagitoyuki_book  

 

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2009年8月23日 (日)

「終の住処」 商社マン作家 芥川賞受賞作

【作者 磯崎憲一郎氏略歴】

 1965年千葉県我孫子市に生まれる。88年早稲田大学商学部卒業。同年三井物産株式会社に入社。現在同社人事部総務部次長。2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。「終の住処(ついのすみか)」第141回芥川賞受賞。

【小説の書き出し】

 彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった。

【小説の終りの箇所】

 正式な買収が完了したのち、ようやく彼は日本に帰ってきた。渡米するまえ最後に見たときには彼の胸のあたりの高さだった玄関脇の金木犀は、見上げるほどに育っていたが、それ以外はとくに変わったところはないようだった。晴れた春の日の朝だった。家のなかも、壁や床板や家具も、まだ新築のままのように丁寧に手入れされていた。だが、あきらかに何かが足りなかった。─ 娘がいなかった。彼は妻に尋ねた。「去年からアメリカへ行ってるのよ」彼は愕然とした。何ということだろう!自分が昨日までいたのと同じ国に、じつは俺の娘も住んでいたというのか!留学だろうか、長期の旅行か、まさか結婚じゃないだろうな?それにしたって、実の父親に黙ったままで、子供が外国へ移り住んでしまうなどということが起こりうるものだろうか?いったい何が隠されているのか。「もうずっといないわよ」どうしたことか、妻の態度はまるで平然としていて、娘などそもそも最初からこの家にはいなかったといわんばかりなのだ。驚きのあまり次の質問が継げずにいる彼は、まず自分の頭をしっかりと固定し、朝日がまだら模様を描く居間の床板を一歩ずつ踏みしめながら前に出て、妻の両肩を思い切り強く掴んだ、そしてその顔を正面から見つめた。妻は臆することなく彼の目を見返していた。すると、もう二十年以上前にこの女と結婚することを決めたときに見た、疲れたような、あきらめたような表情がありありとよみがえってきた、不思議なことに彼も妻も、ふたつの顔はむかしと何ら変わっておらず、そのうえ鏡に映したように似ているのだった。その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。

【主人公と家族】

 この小説では主人公の「彼」の30才過ぎから、50数才までのことが書かれている。新婚の時から彼と妻の乾いた関係が始まり、その後ある日突然妻が彼に口をきかなくなり、会話が完全に途絶した空白の11年間が続く。彼は家で食事をせず、朝は妻と娘が起きる前に家を出て駅の売店でパンと飲み物を買う。帰宅は妻や娘が寝静まった深夜である。それでも彼にとっての唯一の救いは一人娘であった。幼稚園にあがる前から妻との仲介役をやり遂げてくれた。11年の間に彼は8人の女と付き合った。
 11年経ったある日突然彼の心の中のひとつの時代が終わり、家を建てる決意をし、妻との会話も自然と復活する。

【主人公と作者】

 主人公は製薬会社の社員であり、作者は三井物産の恵まれた社員である。作者は妻とは28歳で結婚し、年収も「彼」よりずっと高い。作者の会社における役職も44才という年令からすると相応の地位にあり、また作家活動についても、作者が尊敬する同社会長以下社を挙げて祝福してくれている。作者は子供をこよなく愛し、もし子供が病気になったら、臓器でも何でも移植するし自分の一生が終わっても悔いはないと思っている。妻と11年間会話が途絶えたのは友人から聞いた話であり作者自身ではない。このように作者は大手商社のエリートサラリーマンであり、家族にも、経済的にも恵まれている。作者の現実の生活と主人公の屈折した生活歴との間には大きな違いがある。そのためか、主人公と妻との乾いた関係についての作者の描写が唐突であり、現実味・人間味を感じられない。登場人物はほとんどがひとではなくモノと化している。黒いストッキングを穿いた女も、サングラスを掛けた女も一時的にかかわった一個のモノであり、どちらかというと彼の人生の妨害物との位置づけである。女への息づかいが伝わってこない。

【人生55年?】

 作品は時間と過去にテーマを求めているとされているが、作品から伝わる作者の時間軸は“人生55年”である。これは小説が「その瞬間彼は、この家のこの部屋で、これから死に至るまでの年月を妻とふたりだけで過ごすことを知らされた。それはもはや長い時間ではなかった。」というところで終わるところにもあらわれている。大手商社マンとしての旬の時期は短く早いという作者の人生観を反映しているのであろうか。社長という頂点にたどりつける幸運な男は6~8年に1人であり、その棲み分けは40代でほぼ決まると言われている。
 受賞者インタビューで「自分でも不思議なほど達成感や高揚感がないんです。44才という年令も大きいのでしょう。二十二、三なら世界が変わったかもしれませんが」と述べている。松本清張が第28回芥川賞を受賞したのは43才の時であり、これから比べても作者の作家生活は今からである。作品からも作者の会見からも作者の年令に比し老成すぎる。会見では商社マンとしての防衛反応としての自己顕示抑制が働いたのであろうか。作者は自己に似て非なるものを主人公に演じさせたつもりかも知れないが、意識しようがしまいが、結局主人公は作者の投影像となってしまった。商社マンとしての殻を突き破って成長することを期待したい。

【選評】

 肯定的な選者も少なくなかったが次の二氏は厳しい。

<石原慎太郎  未知の戦慄を求めてはいるが>

 昔の芥川賞の候補作を眺めると、選にもれた作品であろうとその質の高さが印象づけられる。第一回の受賞者石川達三に破れた太宰治のそれとか。
 あるいはかなりの作品で受賞してもその後作者個人の人生の理由で、例えば零細企業の経営者としての腐心などでそのまま消えてしまった作者たちとか。
 彼等にとって小説を書くという作業はそれぞれの人生にとって、ある不可欠な動機に裏打ちされていた証左といえるだろう。その意味でかつての頃の作家なるものは、文学の世界もいかにも狭く、それ故にも厳しく選ばれた、というよりも自らを物書きとして選んだ人間たちだったに違いない。ということで、この今を眺めなおすと、文学賞もやたらに増えはしたが、新人作家なるものがどれほど、狂おしいほどの衝動で小説という自己表現に赴いているかはかなり怪しい気がする。
 それは、作家の登竜門ともいわれている芥川賞の候補作品なるものが、年ごとに駄作の羅列に終わっているのを見てもいえそうだ。彼等は彼等なりに、こちらは命がけで書いているのだというかも知れないが、作品が自らの人生に裏打ちされて絞りだされた言葉たちという気は一向にしない。
    (中略)
 受賞作となった磯崎憲一郎氏の『終の住処』は結婚という人間の人生のある意味での虚構の空しさとアンニュイを描いているのだろうが、的が定まらぬ印象を否めない。これもまた題名がいかにも安易だ。
 選者に未知の戦慄を与えてくれるような作品が現れないものか。

<村上龍>

 受賞作となった『終の住処』には感情移入できなかった。現代を知的に象徴しているかのように見えるが、作者の意図や計算が透けて見えて、わたしはいくつかの死語となった言葉を連想しただけだった。ペダンチック、ハイブロウといった、今となってはジョークとしか思えない死語である。

             Book_tsuinosumika

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2009年8月16日 (日)

日経終戦社説 国民美化し、国際感覚欠く

【悲劇を繰り返さぬ決意を新たにしよう】
               (8月15日 日本経済新聞 社説 より)

 64回目の「終戦の日」を迎えた。勝算がないまま戦線を拡大し、国土が灰じんに帰すまで戦争をやめることができなかった。悲惨な経験を忘れず、平和への誓いを将来につなげていく日である。
 先の大戦では日本人だけでも軍人・軍属、民間人を合わせて310万人が犠牲となった。すでに国民の4人に3人は戦後生まれになり、戦争を体験した世代は年を追うごとに減っている。痛恨の歴史を語り継ぐ努力を続けなければ、戦争の記憶は確実に風化していく。
 その戦跡の入り口は那覇市街を見下ろす小高い丘の上にある。先の大戦で国内唯一の本格的な地上戦となった沖縄戦で使用された「旧海軍司令部壕(ごう)」だ。細い地下通路の先に幕僚室や作戦室があり、全長は450メートルあったとされる。
 3か月近く続いた沖縄防衛戦の犠牲者は20万人に及び、うち約半数を民間人が占めた。玉砕を覚悟した大田実中将は1945年6月、海軍次官あてに異例の電報を打って自決した。最期の場所となった部屋の近くに電文が掲げられている。
 「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世格別のご高配を賜らんことを」。電報は県民の献身的な協力ぶりをたたえて終わっている。しかし惨状を切々と訴える全文から伝わってくるのは、近代兵器で重武装した米軍との徹底抗戦を女性や子供にまで強いた判断への憤りである。
 総合的な戦略や柔軟性を欠く軍の作戦方針がもたらした悲劇は、ガダルカナル、インパールなど数多い。長引く戦争はアジア諸国の傷跡をいっそう深いものにした。
 終戦の年には3月の東京大空襲、8月の広島、長崎への原爆投下などによって民間の犠牲者が急増する。それでも軍上層部は昭和天皇の「ご聖断」が下るまで「本土決戦、一億玉砕」を叫び続けた。
 無謀な戦争で国中が焼け野原になった。だが、そこから不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ、国際社会で果たすことができる役割があるはずだ。世界的な軍縮や地域紛争の抑止といった平和構築のための活動への取り組みはまだまだ不十分である。
 戦後の政治体制の転換点になりうる衆院選が事実上始まっている。日本を取り巻く国内外の情勢は変化し、外交や安全保障の戦略を根本から議論すべき時期に来ている。
 過去の失敗を直視し、悲劇を繰り返さないための教訓を国のかじ取りに生かしていく。多くの戦没者の霊に報いる道はこれしかない。

【私の意見】Up63

 私はこの社説に賛同できません。その理由は次の通りです。

(1) 悪玉は軍上層部であり、日本国民は犠牲者であって善玉であるとする単純な色分けは、窮極のところで日本国民の戦争責任を否定するところにつながる。先の戦争は異国ではなく日本国民が仕掛けた戦争であり、これは明治維新以降に積み重なってきた日本国および日本人の本質に由来するものである。単に軍上層部の暴走という偶然に由来するものではない。

(2) 日本は一方で第2次世界大戦後は敵国であった米国に身を寄せ、その手厚い庇護のもと自国の安全を守ってもらった。他方で毛沢東や周恩来の率いる中国共産党の寛容な政策(戦争は一部日本軍部の仕業で、日本人民には責任はない)に乗っかり、自国および自国民の戦争責任に向き合うこともなく64年間を過ごしてきた。
 村山談話があったにせよ、この談話は一首相の瞬間的な声明にすぎず、国全体、国民全体が自らの犯した過ちに正面から向きあったものではない。日経社説は日本国民善玉説の甘えの論理をこと今日に至っても声高に唱えるもので日本国民として誠に恥ずかしいかぎりである。

(3) 日経社説は根本において戦争を否定していない。「勝算がないまま戦線を拡大し、国土が灰じんに帰すまで戦争をやめることができなかった。」ということは裏を返せば、勝算があれば戦線を拡大してもよいということになる。「近代兵器で重武装した米軍との徹底抗戦を女性や子供にまでも強いた判断への憤りである」「総合的な戦略や柔軟性を欠く軍の作戦方針がもたらした悲劇は、ガダルカナル、インパールなど数多い」とする点も、要は戦略・戦術の誤りへの憤りであって、社説からは戦争そのものへの憤りが伝わってこない。

(4) 社説では日本国民の犠牲のことばかりであり、アジアその他の国々の人々の犠牲についてはほとんど触れられていない。他国に触れたのはただ一箇所「長引く戦争はアジア諸国の傷跡をいっそう深いものにした」とする第三者的に分析するくだりのみである。長引く戦争のためではなく、この戦争は初めから罪のないおびただしいアジアの人々に残酷な犠牲をもたらすものであった。大切なのは第三者的な醒めた観察ではなく、心の底からの痛みである。8月15日政府主催の全国戦没者追悼式で麻生首相は「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多くの損害と苦痛を与えた」と語り、「深い反省」と犠牲者への哀悼の意を表明したが、日経社説からはこのような思いが伝わってこない。

(5) 「不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ国際社会ではたすことができる役割があるはずだ」というくだりはおごりそのものである。日本の経済復興は、米国の手厚い庇護とアジアの人々の寛容な政策の間で自国の経済のみに専念できたお陰である。日本人だけの力によるものではない。その上「経済復興」に立向かう精神と「平和」を希求する精神は同質のものではない。自国の戦争責任にはほほかむりをして自国の経済の発展にのみ猛進した国民に平和を語る資格はない。

(6) 同じ8月15日の朝日新聞の社説はフィリピン人を殺害した日本人の元兵士たちの悩み苦しんだ葛藤の64年間をとりあげている。朝日社説は「ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。戦争の現実を踏まえない議論を政治の場で横行させてはならない」としている。朝日社説と対比すると日経社説は日本国民の犠牲のみに目が向いている。このような単純思考の中に危険性を感じるのは私だけであろうか。

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